初めての共同作業らしい一日
共同執筆ルームに入ると、律は既に席に着いていた。
黒いブラウスが落ち着いた色味なのに、胸元のラインは隠しきれない存在感で主張している。
「……おはようございます。」
「お、おう。昨日はその……悪かった。」
「私も言い過ぎました。今日は昨日より効率的に進めましょう。」
落ち着いた口調のまま、律はタブレットを差し出す。
「昨日の“一文”をもとに、続きの文章を書きました。」
画面を見るために律が近づき、椅子を横に寄せる。
距離が一気に縮まる。
胸元の柔らかな膨らみが視界の端に入る。
(ちょ……ちょっと待て、距離近いだろ……!
仕事じゃなかったら間違いなくアウトの距離だぞこれ!!)
律はそんな火野の動揺に気づいている気配もなく、淡々と説明を始める。
「ここが“あなたの熱量”を支える前置き部分です。」
画面を指差すたび、胸元がわずかに揺れる。
火野は見ないように目線を必死で固定する。
「……お前の文って、なんつーか静かというか……綺麗すぎるというか……。」
「“音がない”と言いたいのですか?」
「まあ……そんな感じだ。痛みの匂いがない……というか。」
律の指が止まった。
胸元も止まった。
空気だけが揺れた。
「……それは、昨日指摘されたことと同じですね。」
「悪かった。お前のこと、ちゃんと知らずに言った。」
「いいえ。私には“欠落”が多い。あなたの言葉は、その一つでした。」
律は火野の方を向く。
距離がまた近い。
胸元が火野の腕にほとんど触れそうになる。
「っ……!」
思わず椅子をずらす火野。
「な、なんでそんな近づくんだよ!」
「同じ画面を見るためです。距離が近い方が効率が――」
「効率の問題じゃねぇよ!!心臓が死ぬ!!」
律が首をかしげる。
胸元がふわりと揺れる。
「心拍数が上がっています。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねぇよ!!」
「では休憩を挟みますか?」
「違う!……違う……なんでもない……」
律は火野の様子に疑問を抱えたまま、続けて作業に戻る。
午前中の作業は、昨日よりスムーズだった。
文章は何度も衝突しながらも、歩み寄りが増えていく。
「今日は……昨日より進んだな。」
「はい。原因がわかりましたから。」
「原因?」
「お互い、文章ではなく“相手自身”を理解しようとしていなかったことです。」
その言葉に火野は不思議と納得した。
作業が終わり、律が席を立つ。
「では、今日はこれで——」
そこで律はふと足を止めた。
火野の視線が……
ほんの一瞬だけ、自分の胸元に向いたのを見逃さなかった。
次の瞬間、
火野は真っ赤になり、慌ててパーカーを取り出し、勢いよく着込む。
(……気づかれている……?
いえ、私が……視界を惑わせてしまっていた……?)
律の頬に、すっと赤色が差した。
(……落ち着きません……これでは……効率が……崩れます……)
ゆっくりバッグを開け、
薄手のカーディガンを取り出し、
そっと肩に羽織った。
「……さっきは……すみません。
“揺れるもの”は……視界に入りやすいので……」
言いながら自分でさらに赤くなる。
火野の耳もフードの中で真っ赤だ。
「ち、ちが……悪い……あの……すまん……!」
互いが互いを意識していることに気づき、
二人の鼓動だけが妙にうるさかった。
律はカーディガンを胸元までぎゅっと閉じ、
そっと扉に手をかける。
「……明日も、よろしくお願いします。」
扉が閉まる直前、
律はほんの少しだけ振り返った。
(……意識されると、こんなに……落ち着かないものなんですね……)
火野は机に突っ伏し、パーカーのフードを深くかぶる。
「……ムリだ……あの距離であれは無理だって……!」
怒りとも違う、
論争とも違う、
文章の熱とも違う。
それは、まだ名前をつけられない“揺らぎ”。
だが確かにそこにある、
初めての“意識”だった。
“距離”と“意識”が、文章より扱いづらい




