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隔離域  作者: tachibana daiji
第四章:見えない痕跡

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第9話:二枚目の折り紙

アークライト・メディア対策本部が設置されてから、48時間が経過しようとしていた。

膠着状態。

その一言が、会議室の空気を的確に表現していた。レベッカのチームは、不眠不休で侵入経路の特定を続けているが、いまだ決定的な証拠は見つかっていない。神崎が発見したログサーバーは貴重な情報源となったが、「レヴァイアサン」の痕跡は、まるで水に溶けるインクのように巧妙に隠蔽されており、調査は遅々として進まなかった。


警察の捜査もまた、壁にぶつかっていた。安藤が本命と見ていた元インフラ部長の佐伯悟は、完璧なアリバイと、アークライト・メディアへの未練を語るばかりで、尻尾を掴ませない。他の退職者リストも、シラミ潰しに当たってはいるが、空振りが続いていた。


対策本部の役員たちは、疲労とストレスで苛立ちを隠せなくなっていた。

「まだ犯人はわからんのか!」

「復旧の目処はいつになるんだ!」

無意味な怒号が飛び交うが、もはやそれに反応する者もいない。


そんな中、CISOである久我誠一郎は、たった一人、別のプレッシャーに苛まれていた。それは、"オリガミ"からの、沈黙という名の圧力だ。最初のメールから二日が経過したが、犯人からの接触は、あれきり途絶えている。要求も、期限も示されない。この生殺しの状態が、久我の精神をじわじわと蝕んでいた。

(奴らは、我々が内側から崩壊するのを待っているのか……?)


その時だった。

氷川のタブレットが、静かに通知音を鳴らした。

彼女は画面を一瞥し、息を呑んだ。そして、無言で立ち上がると、久我の元へ歩み寄り、タブレットを差し出した。


また、メールだ。

差出人は、`origami@leviathan.net`。

件名は、`The second fold.`(二枚目の折り目)


本文は、前回同様、静かで詩的な文体で始まっていた。


Patience is a virtue, but paper cannot wait forever.

(忍耐は美徳。しかし、紙は永遠には待てない)


Its edges begin to curl. Its colors begin to fade.

(その端は丸まり始め、その色は褪せ始める)


久我の心臓が、嫌な音を立てた。

スクロールすると、そこに記されていたのは、詩の続きではなかった。

極めて事務的な、ビジネス文書のような文字列。


DEMAND:

- 25,000 Monero (XMR)


DEADLINE:

- 72 hours from receipt of this message.


CONSEQUENCE OF NON-COMPLIANCE:

- Phased release of all 1.5TB of exfiltrated data, starting with your most valuable assets.


「……に、にまんごせん……モネロ……?」

久我がかすれた声で呟いた。隣にいた経理担当の役員が、青い顔で補足する。

「モネロは、追跡が極めて困難な、匿名性の高い暗号資産です。25000モネロは……現在のレートで、日本円にして、およそ12億円……!」


12億円。

その金額に、会議室がどよめいた。

だが、彼らを本当に震え上がらせたのは、金額ではなかった。

「72時間」という、明確なタイムリミット。

そして、「最も価値ある資産から段階的に公開する」という、冷酷な予告だった。


メールには、追伸が添えられていた。


To demonstrate our sincerity, the first piece is now free for public viewing.

(我々の誠意を示すため、最初のひとかけらは、現在、誰でもご覧いただけます)


Consider it a gift. A paper crane for your troubles.

(贈り物とお考えください。あなた方の苦悩に捧げる、一羽の折り鶴です)


-Origami


その下に、一つのURLが記載されていた。ダークウェブで使われる、`.onion`で終わるアドレス。

レベッカが、即座に自身のラップトップで、安全なブラウザ(Tor)を介してそのURLにアクセスした。

数秒の読み込みの後、彼女のラップトップに表示された内容を、会議室のメインモニターに映し出す。


そこに現れたのは、質素なデザインのウェブサイトだった。

タイトルは、「Ark-Light Media - The Unfolding」(アークライト・メディア - 開帳)。

そして、ページの中央に、一つのファイルが公開されていた。


`Project_Amaterasu_pre-production_assets.zip`


「……プロジェクト・アマテラス……!」

映像部門の役員が、椅子から転げ落ちそうになった。

それは、アークライト・メディアが社運を賭け、総製作費100億円を投じて極秘裏に進めていた、大型アニメ映画プロジェクトの名前だった。まだ、企画段階にあることすら公にされていない、最高の企業秘密。


ファイルを開くと、キャラクターの初期デザイン案、未完成の絵コンテ、そして、トップクリエイターたちが参加したブレインストーミング会議の議事録までが、無残にもそこに晒されていた。


会社が、内側から引き裂かれていく。

最も価値ある資産が、今まさに、全世界の目の前で、その価値を失っていく。

SNSでは、すでにこのリークサイトの情報が、燎原の火のごとく広まり始めていた。ハッシュタグ「#アークライト情報漏洩」が、瞬く間にトレンドのトップに躍り出た。


72時間。

破滅へのカウントダウンが、始まった。


その時、対策本部の扉が勢いよく開いた。

安藤だった。その手には一枚の紙が握られ、その目は、確信に満ちた光を宿していた。


「久我取締役。一人、浮かび上がりました」

安藤は、テーブルの中央に、その紙を叩きつけた。それは、ある人物の顔写真だった。

「佐伯じゃない。もっと若い。そして、もっと腕の立つ奴がいた。神崎という技術者が見つけたログサーバー……そのアクセスログを徹底的に洗った結果です」


安藤は、険しい表情の久我と、モニターに映し出されたリークサイトを交互に見比べ、そして言った。


「この男、三ヶ月前にファイアウォールに穴を開けたログが残っている。そして、退職後も、会社のネットワークに不正アクセスを試みた形跡がある」

「名は、水野みずの けい。26歳。元ヘイローストリーム インフラ部所属」

「そして……神崎亮の、唯一の同期です」


神崎の、同期。

その言葉は、まるで別の爆弾のように、対策本部の中心で、静かに爆発した。

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