表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隔離域  作者: tachibana daiji
第四章:見えない痕跡

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/19

第8話:ゴースト・イン・ザ・ワイヤーズ

地下三階、鯖室。

空調の唸りだけが響くその部屋は、レベッカ・ウォンのチームによって、完全に封鎖されていた。神崎は、自分の聖域だったはずの場所で、今はゲストのように隅の椅子に座り、彼らの作業を見守ることしかできない。


レベッカは、防護服も着けず、普段着のままサーバーラックの間を歩き回っていた。その目は、獲物を探す猛禽類のように鋭く、ラックに貼られた管理番号やケーブルの配線、床の僅かな埃の積もり具合まで、全てを記憶に焼き付けているようだった。


「神崎さん」

彼女は、振り返ることなく神崎に話しかけた。

「あなたの最初の違和感について、もう一度詳しく教えて」


「……ネットワーク転送量の、マイクロ秒単位のスパイクです」

神崎は、すでに何度も繰り返した説明を、再び口にした。「北米、欧州、アジアの各リージョンで、ほぼ同時に発生しました。まるで、何かの合図のように」


「そのログは?」


「……消えていました。クリティカル・アラートの後、僕がアクセスした時には、すでに……」

神崎は唇を噛んだ。自分の無力さが、また胸に突き刺さる。


「でしょうね」

レベッカは淡々と頷いた。「彼らは自分たちの足跡を消すプロだもの。だが、どんなプロでも、完璧に全てを消し去ることはできない。雪の上に残った足跡は消せても、雪そのものに与えた僅かな圧力までは消せない」


彼女は自分のラップトップを開き、神崎に見せた。画面には、吸い出したメモリイメージから復元された、事件発生直前のネットワーク・トラフィックの膨大なデータが表示されていた。

「ここから、あなたの言う『合図』を探し出す。藁の山から、一本の針を見つけるような作業よ」


レベッカの指が、驚異的な速さでキーボードを叩き始める。フィルターをかけ、条件で絞り込み、正常な通信パターンを次々と除外していく。神崎も、食い入るようにその画面を見つめた。それは、彼が普段行っている業務の延長線上にある作業だったが、レベッカのそれは、次元が違った。まるで、データの奔流の中に潜り、その流れを肌で感じているかのようだ。


「……いた」

数十分後、レベッカが短く呟いた。

彼女が指し示したのは、ログの中に埋もれた、一つの奇妙な通信パケットだった。


Heartbeatハートビート……?」

神崎は思わず声を上げた。それは、サーバーが正常に稼働していることを外部に知らせるための、ごくありふれた、定期的な信号パケットだった。


「ええ。でも、見て」

レベッカは画面を拡大した。「このハートビート信号、通常のルートを通っていない。VPNやプロキシサーバーを幾重にも経由して、本来ありえない経路でコアデータベースに直接届いている。そして、ペイロード(データ本体)が異常に小さい。まるで……」


「……まるで、モールス信号」

神崎が、レベッカの言葉を引き取った。


「その通り」

レベッカは頷いた。「彼らは、このごく普通のハートビート信号に偽装して、システム深部に潜伏していたマルウェアに『攻撃開始』の最終指令を送ったのよ。マイクロ秒単位のスパイクの正体は、これ。あなたが見たのは、世界中に散らばっていた彼らのスリーパーセル(休眠工作員)が、一斉に目覚めた瞬間の(とき)の声だったというわけ」


神崎は、背筋が凍るのを感じた。自分たちのシステムは、いつの間にか敵の兵士たちに占拠され、彼らはただ、攻撃開始の合図を待って眠っていただけなのだ。

「いつから……こんなものが……」


「わからない。数週間前か、数ヶ月前か……あるいは、一年以上前かもしれない」

レベッカは肩をすくめた。「問題は、どうやって最初の『兵士』がここに送り込まれたかよ。侵入経路エントリーポイントがわからなければ、同じ扉から第二、第三のレヴァイアサンが入ってくるのを止められない」


二人の間に、重い沈黙が落ちた。

侵入経路の特定。それは、この広大なデジタルの荒野に、犯人が残した最初の、そして最も微細な足跡を探し出すことに等しい。それは、ただの技術調査ではない。敵の思考を読み、その行動を予測する、知的なゲームだった。


「……一つ、気になることが」

神崎が、記憶の糸を手繰り寄せるように言った。「三ヶ月ほど前、海外子会社のシステムとの連携テストで、一度だけファイアウォールの設定を一時的に変更したことがあります。テスト後、すぐに元に戻したはずですが……」


「その時のログは?」

レベッカの目が、鋭く光った。


「……確認してみます。もし、サーバーが生きていれば……」


神崎は、予備のコンソールに向かった。ログを保管しているアーカイブサーバー。攻撃の主要ターゲットではなかったため、もしかしたら無事かもしれない、という淡い期待を抱いて。


彼は祈るような気持ちで、サーバーへの接続コマンドを打ち込んだ。


数秒の沈黙。

そして、モニターに表示されたのは、`Connection timed out`ではなかった。

`Login incorrect.`


(……生きている!)


パスワードが違う。つまり、サーバー自体は稼働している。攻撃者によって、パスワードが変更されてしまったのだ。

だが、神崎は諦めなかった。彼だけが知っている、システムの裏口。デバッグ用に、彼自身が密かに設定しておいた、管理者権限を持つバックドアアカウント。


彼は周囲を素早く確認し、レベッカにも気づかれないよう、慎重にそのアカウント名とパスワードを打ち込んだ。


Enterキーを押す。


プロンプトが表示され、ログインに成功したことを示すメッセージが、モニターに緑色で輝いた。


神崎は、勝利を噛み締めた。

敵が掌握したと思っているこの遮断域の中で、自分だけが自由に動ける、秘密の通路を見つけたのだ。


彼はすぐさま、三ヶ月前のファイアウォールの変更ログを探し始めた。

敵の最初の足跡は、必ずそこにあるはずだ。

これは、反撃の狼煙になるかもしれない。神崎の心に、エンジニアとしての闘志が、再び燃え始めていた。

彼はまだ知らない。その通路が、やがて彼を、"オリガミ"が仕掛けた、さらに深い罠へと誘うことになることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ