第2話:不協和音
午前二時五十一分。
神崎が三つのサーバークラスタで観測した、幽霊のようなスパイク。その正体を探るべく、彼はコンソールにコマンドを打ち込んでいた。指先が、自分でも気づかぬうちに微かに強張っている。
(同時多発? まるでオーケストラの指揮だ。ありえない。単なる偶然の一致か、それとも……)
思考を巡らせながら、彼はネットワークの深層を流れるパケットデータを直接監視するコマンドを実行した。モニターに、膨大なデータが文字列の洪水となって流れ始める。常人には意味不明な羅列だが、神崎にとっては見慣れた光景だ。彼はその中から、異常なパターン、つまり「不協和音」を探し出そうと目を凝らした。
その時だった。
ピ、ピ、ピ、ピ――。
静寂を切り裂いたのは、映画で見るようなけたたましいサイレンではない。神崎が使っている監視ツール「Chronos-Eye」の、ごく控えめな、しかし神経を逆撫でする甲高い電子音だった。彼のメインモニターの右上に、小さな黄色い警告ウィンドウがポップアップする。
[WARNING] High CPU Load on sv-ap-1104.
(CPU負荷……? 第11クラスタのサーバーか)
またか、と神崎は舌打ちした。特定の処理が集中した時などに、CPU使用率が一時的に閾値を超えることは珍しくない。いわゆる「アラート疲れ」の原因となる、日常的な誤報の一つだ。彼は警告を無視し、洪水のようなパケットデータに再び意識を集中させた。
だが、警告は止まらない。
ピ、ピ、ピ、ピ――。
ピ、ピ、ピ、ピ――。
一つ、また一つと、同じ警告ウィンドウが画面の右上に積み重なっていく。
sv-ap-1105.
sv-ap-1108.
sv-ap-1112.
(なんだ……? 第11クラスタのサーバー群が、軒並み高負荷……?)
異常だった。特定のサーバーならまだしも、クラスタ内の複数のサーバーが、ほぼ同時に、それもバッチ処理などの予定もない深夜に高負荷状態に陥るのは、明らかに異常だ。
神崎はパケットの監視を中断し、Chronos-Eyeのダッシュボード画面を全画面表示にした。
目に飛び込んできた光景に、彼は息を呑んだ。
アジアリージョン(第11クラスタ)に割り当てられた数十個の緑色のランプが、まるで伝染病のように、次々と黄色(警告)に変わっていく。それだけではない。先ほどスパイクを観測した北米(第7)、ヨーロッパ(第4)のクラスタでも、同様の現象が、全く同じタイミングで進行していた。
グラフが、見たこともない形に歪んでいく。穏やかな波を描いていたCPU使用率のグラフは、全てのリージョンで、垂直に近い角度で急上昇を始めていた。警告ラインである70%を軽々と突破し、危険ラインの90%に迫ろうとしている。
「なんだよ……これ……」
心臓が早鐘を打ち始める。これは誤報などではない。未知の、そして巨大な何かが、ヘイローストリームのシステム全体を蝕み始めている。
彼は震える手で、緊急対応プロトコルに従い、社内チャットツールのインフラ部チャンネルにメッセージを打ち込んだ。
`@channel 全リージョンの複数クラスタで深刻なCPU負荷が進行中。原因不明。至急確認されたい。`
送信ボタンを押した、その瞬間。
ガッ、ガッ、ガッ、ガッ――!
先ほどの電子音とは比較にならない、耳障りなブザー音がサーバー室に鳴り響いた。同時に、天井に取り付けられた大型の警告灯が、赤い光を放ちながら回転を始める。
それは、システムの根幹に関わる致命的な異常――クリティカル・アラート――が発報されたことを示す、最終警告だった。
神崎は弾かれたようにダッシュボードを見た。
警告内容は、CPU負荷ではなかった。
[CRITICAL] Unreachable: Core Database Cluster.
(コアデータベースが……応答不能!?)
全身の血が、急速に凍りついていく感覚。
コアデータベースは、ヘイローストリームの全て――ユーザー情報、動画データ、コメント、課金情報――を格納する、まさに心臓部中の心臓部だ。それが応答しないなど、あってはならない。それは、この巨大な生命体の「心停止」を意味する。
なぜだ。データベースサーバーのCPU負荷は、まだ危険ラインに達していなかったはず。
パニックに陥りかけた思考を必死で繋ぎ止め、彼はデータベースサーバーのコンソールに直接アクセスしようとした。
`ssh admin@db-core-01`
Enterキーを叩く。
だが、返ってきたのは、プロンプトではない。
`Connection timed out.`
非情な文字列が、神崎の最後の希望を打ち砕いた。
繋がらない。サーバーが、ネットワークから完全に消えている。
そして、追い打ちをかけるように、Chronos-Eyeのダッシュボードが、最後の断末魔を上げた。
全てのランプが、一斉に赤に変わる。
緑も、黄色も、もうどこにもない。画面全体が、血のような赤色で埋め尽くされていた。
それは、アークライト・メディアの技術者たちが、悪夢の中でしか見たことのない光景だった。
システムの、完全な崩壊。
午前二時五十六分。
神崎が最初の違和感を覚えてから、わずか九分後のことだった。




