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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「擬宝珠」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「擬宝珠ぎぼし


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約20分


必要演者数:3名

      (0:0:3)

      (0:0:3)

      (1:2:0)

      (2:1:0)

      (3:0:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


熊五郎くまごろう幼馴染おさななじみ若旦那わかだんな気鬱きうつこうじてわずらって寝たきりになっていると

    大旦那おおだんなから聞き、また、何をそんなにわずらうほど悩んでいるのか

    聞き出してほしいと頼まれ、若旦那わかだんなと向き合って話をするが…?


大旦那:とある店の大旦那おおだんな一粒種ひとつぶだねせがれ若旦那わかだんな気鬱きうつやまいで明日をも

    知れない。原因があるはずと医者から聞いて、自身を含め、家の

    者らが総出そうででわけを聞くが答えてくれない。いよいよわらにもすが

    る想いで、幼馴染おさななじみ熊五郎くまごろうを呼んで依頼する。

    ちなみに世間様せけんさまにはちょっと言えない趣味をお持ち。


若旦那わかだんな:とある事情から気鬱きうつこうじてわずらいついてしまう。

    そのわけは、とあるものをめたい。しかしとてもじゃないが

    そんな事はできないとの葛藤かっとうすえであった。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


熊五郎:

大旦那:

若旦那・語り:



※枕は誰かが適宜てきぎねてください。



枕:人には言えない趣味嗜好しゅみしこう、皆さんにはございますか?

  堂々と世間に向かって言えるものであればよいのですが、そうでない

  と隠れてこそこそやるか、もしくはあきらめなければいけなかったりしま

  す。

  【自分の趣味嗜好しゅみしこうネタがある人はここで】

  人間の欲望と言いますものはてしないものでございまして、

  一を得れば十を求める。十を得れば百を求める。

  欲望はもっとも人間らしさをき出しにするものですが、

  中には求めた欲が実現できないあまり、ついにはやまいとこして

  わずらいつく、そういう人間もいますようで。


大旦那:ああ熊さん、来てくれたかい。

    そこへ座っとくれ。


熊五郎:大旦那おおだんな、遅くなりやして。

    急な呼出したぁ、どうされたんで?


大旦那:いや、どうもこうもないんだ。

    せがれの事なんだけどね。


熊五郎:若旦那わかだんなですか?

    そういやぁ近ごろ見ませんね。

    どうかなすったんで?


大旦那:ここのところ気鬱きうつこうじて具合ぐあいが悪くてね…すっかりわずらいついち

    まってるんだ。

    医者が言うにはどこも悪くはないって言うんだよ。

    うつうつ々として胸のうちに秘めてる事、思い悩んでいる事があるみたい

    でね。それが分かれば少しは良くなるだろうってんだ。


熊五郎:なるほど。

    で、その原因は分かったんで?


大旦那:いやこれがね、なかなか口を割ってくれない。

    親が言おうが店の者が言おうが、ぜんぜんナシのつぶてだ。


熊五郎:うーん、そんなにかたくななんですかい。

    けどなぁ…気鬱きうつねえ…。


大旦那:熊さんは気鬱きうつくらいの事でと思うかもしれないけども、

    これが体にさわるんだよ。

    あまりを越して来るてえと、命が危ないという医者の見立みたてで

    ね、弱ってしまってるんだ。


熊五郎:命ってなると穏やかじゃねえや。

    で、どうするんで?


大旦那:まぁとにかくね、思い悩んでいることを聞きださなくちゃいけな

    いってんでね、いろいろと考えたんだ。

    そこで思いついたのが熊さん、お前さんだよ。

    子供の時分じぶんからいちばんなかのいいお前さんだったら話してくれる

    んじゃないか、親兄弟には言えなくてもなかのいい友達なら言える

    んじゃないかと、こう思って呼んだんだよ。

    どうだい熊さん、せがれが何でわずらっているのか、何を思い悩んでいる

    んだか、ひとつ聞いちゃもらえないだろうか?


熊五郎:なぁるほど、そういう事でしたかい!

    えぇえぇ、分かりやした!

    じゃ、ひとつ行ってきやすよ!


大旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    あぁそれからね、せがれやまいだからね。

    もうわずらいついちまってから長く寝込んでるんだから、

    いいかい、そっと、穏やかに、さわりのないように聞いておくれ。


熊五郎:えぇ大丈夫ですよ、分かってやすから!

    へへへ、まかしといてください!


    なァんだろうね、どうでもいいけど、親なんてものは心配するも

    んだねえ。

    っと、ここだここだ。

    そーっとね、さわらねえようにしなくちゃいけねえってんだ。

    へへへ、いつまでってもひよわなんだからしょうがねえな。

    そぉーっとね……、


    若旦那わかだんなァァ!!!


    元気かいィ!!?


若旦那:!!!?!ッッ、こ、殺す気かい……?

    誰かと思ったら熊さんかい…けほっけほっ。

    やっぱり来たか…そろそろお前さんのお出ましじゃないかと思っ

    てたんだ…親父おやじの考えそうなことだよ。けほっけほっ。

    弱ったもんだねぇ…こんな体になっちまってんだ…。

    親父おやじから話は聞いたんだろ。

    もうこんなになっちまったらしょうがない。

    あたしはもう、あきらめるよ…。


熊五郎:なんだなァ若旦那わかだんな

    がらにもねえじゃありやせんか!

    なんか悩んでるんですって?

    どうしたんです?


若旦那:……なんだと思う…?


熊五郎:なんだと思うって、大概たいがいね、こういう時に男が思い悩んでる、

    ふさぎこんでる、気鬱きうつになるなんてえと答えは一つしかねえ。


若旦那:…え…?


熊五郎:へへ、いるんでしょ?女の子。


若旦那:…違うよ…。


熊五郎:へ?違う?

    じゃあ崇徳院すとくいんじゃねえなア…。


    あっ!

    みかんが食いたい?


若旦那:…そうじゃあないんだ…。

    千両せんりょうみかんでもねえな…。

    みかんが食べたいわけでもなければ、好きな女の子がいて悩んで

    るわけじゃないんだよ…女じゃない…。


熊五郎:ぇ………もしかして、男!?


若旦那:そういうんじゃない…。

    いいんだ、いいんだよ、あたしの想いわずらっている事、悩んでいる

    事なんてのはね…言ったところでどうしようもないんだ…。

    白状はくじょうしたって、それから先はどうにもならない事なんだ…。

    あたしはこのままこれを墓場まで持って行くんだぁぁぁ……。

    【最後になるにしたがって涙声で何を言ってるのか分からなくな

    る】


熊五郎:若旦那わかだんな…どうにもならねえどうにもならねえって言うけどね、

    言わなきゃわからねえし、言ってみたら自分以外の者にとっちゃ

    あ案外あんがい大したことのねえ話だったりするんだ。

    な、言ってみてくんねェ。


若旦那:【しばらくぐすぐす言ってる】

    …。

    ……さすが、親父おやじだなァ…。

    やっぱり親だよ。

    わかるもんなんだねぇ…。

    親父おやじやおふくろ、店の番頭ばんとうやなんかが話を聞きに来た時とは

    違う気持ち違う想いに今、あたしはなってるよ…。

    お前さんの顔を見て、友達てなァなるほどいいもんだねぇ…。


    ……熊さん、実はね。


熊五郎:うん、なんだい?


若旦那:…やっぱり言わない。


熊五郎:言えよゥ!

    言ってくれよォ!

    なァにわずらってるんだい、なァに思い悩んでるんだい?


若旦那:……あのね…実はね…………


熊五郎:ッじれってぇなこいつァ!

    早く言いなよ!

    こっちはわざわざ来てるんだよ!?

    いい加減にしろィ、とくちゃん!


若旦那:!?いま、なんて言った…?

    徳ちゃんて、そう言ってくれたかい…?

    ああぁ…久しぶりだなァ…。

    子供の頃は徳ちゃん熊ちゃんだったよ…。

    いつの間にかお前さん、気づかってくれるのはありがたいけど、

    若旦那わかだんな若旦那わかだんなって、他人行儀たにんぎょうぎで嫌だったんだよ…

    あぁ、徳ちゃんって言ってくれたねえ…へへへ…。


    …笑っちゃ嫌だよ、熊さん。

    あたしは実はね……

    【何を言ってるのかわからない言い方で】

    擬宝珠ぎぼしめたい…。


熊五郎:……え?


若旦那:【何を言ってるのかわからない言い方で】

    擬宝珠ぎぼしめたい…。


熊五郎:??潮干狩しおひがりがしたい…?


若旦那:そんな事でわずらわないよ…。

    【何を言ってるのかわからない言い方で】

    擬宝珠ぎぼしが、めたい…。


熊五郎:え、煮干にぼしが食べたい?

    台所へ行きなさいよ、いくらでもあるんだから。


若旦那:…煮干にぼしじゃない。

    擬宝珠ぎぼしだよ。

    擬宝珠ぎぼしめたい。


熊五郎:……擬宝珠ぎぼしめたい??

    なんです、擬宝珠ぎぼしって?


若旦那:熊ちゃん、擬宝珠ぎぼしを知らないのかい…?

    ほら、お寺の屋根のてっぺんだとか、橋の欄干らんかんの上にある、

    上がとんがっててかねでできた玉だ。

    あれが擬宝珠ぎぼしだよ…うふふ。

    あたしはね、物心ものごころついた時から金物かなものめるのが好きでね…へへ

    、よくあたしのおごりで、一緒に洋食食べに行くだろう?


熊五郎:あ、す、すまねえ、いつも出してもらってばっかりで…。


若旦那:あぁいや、いいんだよ、おごらせておくれ。

    それでね、熊ちゃんはいろんなものを食べるだろ?

    あたしはいつもライスカレーってやつだ。


熊五郎:そういやそうだね。

    俺ァまた、よっぽど好きなのかなって思ってたんだ。


若旦那:なんでいつも頼むかって言うとね、

    ライスカレーも確かに好きなんだ。

    好きなんだが、あたしが本当に好きなのは、あのスプーンってや

    つなんだ。


熊五郎:すぷーんってえと…あの、金物かなものさじかい?


若旦那:【若干うっとりしながら】

    そう、あれが舌の上に当たるのがたまらないんだよ…!

    あの感触……!

    あの味……!

    他のものでは得られないんだ…っ!


熊五郎:【若干ひいている】

    っそ、そりゃあ確かに得られねえやね。

    なるほどなァ…徳ちゃんはその、金物かなものめるのが好きだったの

    かァ…。


若旦那:そうなんだ…金物舐かなものなめが好きで好きでね…。

    熊ちゃん聞いた事ないかい?洋食が嫌いだ、洋食が食べたくない

    って人ってのは、スプーンをめるのが嫌いだから、アレが舌に

    当たるのが嫌だから食べないんだそうだ。

    でも嫌いな人間がいるって事はさ、あべこべにそれが好きな人間

    もいるって事なんだ。


熊五郎:まあ、道理どうりから言やァそうなるな。


若旦那:それがこうじてね…、

    擬宝珠ぎぼしが…めたくて…。

    もう、がっ、めたくってっ…!

    がっ…あったっしはっ、大っ好っきでっ…!


熊五郎:【ひいている】

    っお、お、おう…。

    ん、んんッッ!

    な、なあ徳ちゃん…こんなこと言うのもなんだけどさ…、

    【ライトにつぶやくように】

    死んじゃえばか。


若旦那:いや、それじゃ何しに来たんだい…。


熊五郎:おっと…んんッッ!

    ま、まぁ分かったよ。

    擬宝珠ぎぼしめてぇんだね?あぁそう…。

    そういう人間も世の中にゃああるんだねェ…。

    まあまあ、でもそれでもってやまいがね、気鬱きうつが治るってんなら安い

    もんだよ。

    人に見られたら良くねえけどさ、それだったら夜中にめに行き

    ゃいいじゃないか。

    橋なんてのはいくらでもあるんだからさ、近場ちかばだったら大川おおかわ

    ちけぇんだしね。

    駒形橋こまがたばし両国橋りょうごくばし永代橋えいたいばし、いくらでもあらァな。


若旦那:ああ、駒形こまがた両国りょうごくに、永代えいたいね…。


    みんなきちゃったんだよ。


熊五郎:いやもうやってたんかィ!

    そうやって夜な夜な出歩いて、擬宝珠ぎぼしめ歩きしちゃってたっ

    て事なのか!?

    【ぼそりと】

    …まるで妖怪だね。

    垢舐あかなめならぬ「擬宝珠ぎぼしなめ」だよ。


    え、じゃあ、どこがいいってんだい?


若旦那:…金竜山浅草寺きんりゅうざんせんそうじだよ。

    浅草あさくさ観音かんのん様の境内けいだい五重塔ごじゅうのとうがあるだろう?

    あのてっぺんの擬宝珠ぎぼしが、めたいィ…ァめたいんだァ…!


熊五郎:う、うわァ…。


若旦那:でもまさか夜夜中よるよなかだからって、いくらなんでもあの五重塔ごじゅうのとう

    てっぺんの屋根の上に上がってべろべろべろべろめまわすわけ

    にはいかないじゃないかそんな事はできゃしないィ…。


熊五郎:【つぶやく】

    お、おぅ…わりと良識りょうしきのある妖怪だった…ってそうじゃねえ!


    まま、とりあえず落ち着いて、ちょっと待っていてくんねェ!


    …。

    あぁ驚いた!

    ガキの頃からの古い付き合いだってのに、全然知らなかったよ!

    え、なに、マジで妖怪だったりする!?

    妖怪「擬宝珠ぎぼしなめ」なの!?

    親戚しんせき垢舐あかなめとかいたりする!?


    …俺、友達止めようかなァ…。

    っていやいや、そんなの薄情はくじょうだよな。

    けど、これ聞いたら大旦那おおだんなびっくりするんだろうな…。

    弱っちゃったなァ…でも言わねえわけにはいかねえや…。


    んんッ。

    大旦那おおだんな、行ってきやした。


大旦那:おお熊さんか!

    それで、せがれはなんて言ってたんだい?


熊五郎:いやァ……その……。

    んんッ。


    大旦那おおだんな…こんなこと言うのもなんですけどね、

    死なしちゃえばいいですよ、うん。


大旦那:それじゃ行かせた意味がないじゃないか!

    いったい何が原因でわずらっているんだい?


熊五郎:~~…え~…大旦那おおだんな、よく聞いて下さいね。

    あのね、ほかじゃあねえんです。

    これ、ふざけて言うんじゃないんですからね?


大旦那:わかったよ、で、なんだい?


熊五郎:いいですか?あのですね、若旦那はね…

    【何を言ってるのかわからない言い方で】

    擬宝珠ぎぼしめたいんで。


大旦那:え…せがれ潮干狩しおひがりに行きたい…?


熊五郎:…耳の構造こうぞうは俺と同じですね…。

    いや、そうじゃねえんです。

    あのね、これ決してふざけてるんじゃないんですよ?


    擬宝珠ぎぼしめたいんだそうで。

    擬宝珠ぎぼしってのはほら、あれ、橋の欄干らんかんとか寺の屋根のてっぺんと

    かにあったりする、あの丸くて先がとんがってる。

    あれがめたくってわずらってるってんですよ。


大旦那:…なんだい熊さん、せがれ擬宝珠ぎぼしめたいって、そう言ったのか

    い?


熊五郎:ええ、なんでも昔っから実は金物舐かなものなめが好きだったんだそうで。

    あっしも今の今まで知りませんでしたよ。


大旦那:…あいつはそうだったのか…。

    金物舐かなものなめが好きで、擬宝珠ぎぼしめたいって、そう言ってるのかい

    …!?


    …親子だなァ…うんうん。


熊五郎:!!??ええッッ!?

    ど、どどどどういうことですか!?


大旦那:熊さん、お前さんにゃ分からないかもしれないが、世の中には

    金物かなものめるのが好きな人間ってのがあるもんなんだ。

    あたしも昔からそうだったんだよ。


熊五郎:【つぶやく】

    う、うわァ…妖怪「擬宝珠舐ぎぼしなめ」がもう一人いたよ…。


大旦那:しかしそんな事を世間せけんに言ったって誰も信用しちゃくれないと

    思ったから秘めておいたんだがね。


    いや、それだったらもっと早くからせがれに言っておきゃ良かったよ

    。血だなうれしいなァ。

    いま決めた、店は確実にせがれがせるよ。


熊五郎:ええええ!?

    あ、そ、そうすか…。

    あっ、おかみさん!あの、びっくりしちゃいけませんよ。

    あの、大旦那おおだんな若旦那わかだんなは、かくかくしかじかでそういうのが好き

    なんだそうですよ!


大旦那:ははは、うちの女房にょうぼうはそんな事じゃ驚きゃしないよ。


    なんせ、女房にょうぼうとはそれがえんで結ばれたんだからね。


熊五郎:えええええ!?

    おかみさんもですかァァァ!?

    【つぶやく】

    親子そろって妖怪一家だったよ…!

    もう店の名前「擬宝珠屋ぎぼしや」にでもした方がいいんじゃねえか…?


大旦那:そうなんだ。

    若い頃は二人であちこちめに行ったもんだよ。

    女房にょうぼう駒形橋こまがたばし擬宝珠ぎぼしが好きでね、どじょうの味がするそうだ。


熊五郎:えっどっどっどじょうゥ!?

    【つぶやく】

    や、やべえ、なんだか目まいしてきたぞ……。


大旦那:京に遊びに行った時は、三条大橋さんじょうおおはし擬宝珠ぎぼしを味わったんだけどね

    、八ツ橋の味がしたよ。

    さすがは京だね。ハイカラな味がしたよ。


熊五郎:【つぶやく】

    わ、わかんねえ…ぜんっぜん、これっぱかりも理解できねえ世界

    だ…!


大旦那:それで熊さん、せがれはどこの擬宝珠ぎぼしめたがっているんだい?


熊五郎:若旦那だんながいまめたがってるのはね、金竜山浅草寺きんりゅうざんせんそうじ五重塔ごじゅうのとう

    あのてっぺんの擬宝珠ぎぼしですよ。

    それめさせりゃ、すぐになおりやすよ。


大旦那:そうか!せがれはあすこに目を付けたか…!

    あたしと女房にょうぼうの長年の夢だったんだ。

    どんな味がするんだか、ぜひめてきてもらいたいもんだよ。

    いやぁそうかそうか…まあでも、あすこのは本当は擬宝珠ぎぼしじゃなく

    て宝珠ほうじゅなんだ。

    橋の欄干らんかんのとかは、それをしてるから”宝珠ぼして言うんだが

    、まあまあ、たいしてそんなに違いはない。

    よし、さっそくにも手を打とうじゃないか!


熊五郎:へいっ、お願いしやす!


語り:かくして若旦那わかだんな徳兵衛とくべえわずらうほど悩んでいたのは、

   金竜山浅草寺きんりゅうざんせんそうじ五重塔ごじゅうのとうのてっぺんの擬宝珠ぎぼし…もとい、宝珠ほうじゅ

   ヴェロヴェロめまわしたい、けどいくらなんでもそれはできない

   、という心の葛藤かっとうがなせるやまいであったのでございます。

   …まあそのついでにいろいろ発覚はっかくして、しかもそれが若旦那わかだんな気鬱きうつ

   がどうでもよくなるくらい衝撃だった、というのはひとまずおいと

   きましょう。

   さっそく浅草寺せんそうじへ事の次第しだいを話してお願いをいたします。

   人命じんめいが掛かっているのと、ふんだんにお布施ふせをしましたので、

   一も二もなく許しが出ます。

   急いで足場あしばを組みますってえと、大旦那おおだんな熊五郎くまごろう、二人で若旦那わかだんな

   左右からかかえて浅草寺の境内けいだい五重塔ごじゅうのとうへ向かいます。


大旦那:さあせがれや、もうすぐ夢がかなうぞ。

    もっとしっかりに足を付けて、きちんと歩くんだよ。


熊五郎:若旦那わかだんなとくちゃん!もうすぐだ!

    っしっかり、歩きなっ!


若旦那:…おとっつぁんも、熊ちゃんも、おためごかしを言っちゃいけね

    え…。

    五重塔ごじゅうのとう擬宝珠ぎぼしめられるわけない…。


大旦那:せがれや、教えてやろう。

    あすこのは宝珠ほうじゅってんだよ。

    それをしてあるから、橋の欄干らんかんとかのほう擬宝珠ぎぼしってんだよ。


若旦那:【子供が駄々をこねるように】

    ッィィィッ!!!


大旦那:あぁはいはい擬宝珠ぎぼしだな、うん擬宝珠ぎぼしだ。

    擬宝珠ぎぼしには違いないなア、擬宝珠ぎぼしだなァうん。


    あ、おとっつぁん分かったぞ。

    お前は本当は五重塔ごじゅうのとうのてっぺんの擬宝珠ぎぼしめたいんだろどうだ

    ?


若旦那:ッッそれはァ、図星ずぼしィィッッ!


大旦那:っ分かった分かった。

    こんな事でも言ってないとな、歩くのがつらいだろうからな。


熊五郎:っさ、若旦那わかだんな、顔を上げてくんねェ。

    足場あしばが組んであるだろ?

    寺の方から許しをもらってやったんだ。


大旦那:める件も話してある。

    さ、行ってめておいで。


若旦那:…あたしを喜ばそうとしたって、そんな事あるわけがない…!

    足場あしばなんか組んであるわけがない…!

    ゥゥ~~~~ッッッ………。    

    【ゆっくり顔を上げて目を開く】

    ぁ……ぁ……ッ!

    擬宝ぎぼォ!!


熊五郎:な、何でェギボってな!?

    って、ああ!?


大旦那:か、け出したよ!

    えらい勢いだ…!


熊五郎:大旦那おおだんな若旦那わかだんなにあんな力が残ってたんですね…!

    っておお!?


大旦那:ひょいひょいひょいひょい登っていくよ…!

    まるでましらのような動きだ…!


熊五郎:あっ、てっぺんにつかまりやしたよ!


大旦那:おぉ…ついに、ついにせがれが……めるよ…!!


若旦那:【夢中で舐めまわしている】

    フンムムムムムッッッ!!!


大旦那:いったッ!宝珠ほうじゅにむしゃぶりついて、一心不乱いっしんふらんめまわしてい

    るッ!

    【つぶやく】

    …いいなァ…。


熊五郎:【つぶやく】

    …。

    聞かなかったことにしよ。

    …地獄絵図じごくえずだ…こんな恐ろしいの見たことねえよ

    。

    つうかやっぱり妖怪「擬宝珠ぎぼしなめ」だよありゃ…。


若旦那:【夢中で舐めまわしている】

    ふはーッ、ふはーッ…!


    ……ふう…。


大旦那:おお、満足したんだな、降りてきたよ…!


熊五郎:足取りもしっかりしてやすね。

    血色けっしょくもいいや。

    若旦那わかだんな、どうでした!?


若旦那:【今までのと違って正気に戻ったような感じ】

    いやあ熊さん、ありがとう。

    元気になったよ。


熊五郎:いやあよかった!

    おとっつぁんのおかげだよ。よくお礼しなくちゃいけねえよ。


若旦那:ほんとだね。

    おとっつぁん、おっかさん、ありがとうございました。

    夢がかなっておかげをもちまして元気になりました。


大旦那:ああ!よかったなあせがれや!

    元気になって戻ってきて、また、親の夢もかなえてくれたよ。

    せがれや、あすこの宝珠ほうじゅ…もとい、擬宝珠ぎぼしは私らもめたかったんだ

    がな、どんな味がしたんだい?


若旦那:そうですね、たくあんの味がいたしました。


大旦那:へえぇこれは驚いたね。たくあんの味か!

    そうかそうか、で、塩加減しおかげんは?

    五合ごんごうばかりかい?それとも一升いっしょうの味かい?


若旦那:いえ、もう少し塩辛しおかろうございました。


大旦那:もう少しというと、三升さんじょうの塩かい?それとも五升ごしょうの塩かい?


若旦那:いいえ、六升ろくしょう緑青ろくしょう)の味がいたしました。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


柳家喬太郎



※用語解説


崇徳院すとくいん

「擬宝珠」「千両みかん」「紺屋高尾」の類話で、出だしが同じ内容の

落語演目。


駒形橋こまがたばし

1927年(昭和2年)に竣工した隅田川にかかる東京都道463号上野

月島線(浅草通り)の橋。西岸は台東区雷門二丁目、および駒形二丁目を

分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の

西詰にある「駒形堂」に因む。


両国橋りょうごくばし

隅田川にかかる橋で、国道14号(靖国通り・京葉道路)を通す。

西岸の東京都中央区東日本橋二丁目と東岸の墨田区両国一丁目を結ぶ。

橋のすぐ近くには神田川と隅田川の合流点がある。

1686年(貞享3年)に国境が変更されるまでは武蔵国下総国の国境に

あったことから、両国橋と呼ばれる。


永代橋えいたいばし

隅田川にかかる橋。

東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)を通す。

西岸は中央区新川一丁目、東岸は江東区佐賀一丁目及び同区永代一丁目

。下流側には東京メトロ東西線が通る。日の入りから21時まで青白くライ

トアップされる。国の重要文化財。


金竜山浅草寺きんりゅうざんせんそうじ

東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺で、正式には金龍山浅草寺きんりゅうざんせんそうじ

と号する。聖観世音菩薩を本尊とすることから、浅草観音あさくさかんのんとして

知られている。山号は金龍山。

元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立して

聖観音宗の本山となった。都内では坂東三十三観音唯一の札所(第13番

)、また江戸三十三観音札所の第1番でもある。


三条大橋さんじょうおおはし

京都市にある三条通の橋。一級河川の鴨川に架かっている。

最初に橋が架けられた時期は室町時代といわれている。天正17年

(1589年)、豊臣秀吉の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行と

して石柱の橋に改修された。

江戸時代には五街道のひとつ東海道五十三次の西の起点となる。

そのため幕府直轄の公儀橋に位置付けられた。その後、元禄、明治、

大正の各時代に橋の架け替えが行われた。


・おためごかし

人のためにするように見せて実は自分の利益を図ること。


一升いっしょう

1.8リットル。


緑青ろくしょう

銅や銅合金が空気中の水分や塩分と反応してできる青緑色のサビで、

塩基性炭酸銅などを主成分とする化合物。




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