渡せなかった刺繍のハンカチ②
それから、エレーナはほとんどの時間を刺繍をして、ときおり外を眺めて暮らした。
ひとりきりなのは、塔で過ごしていたころも同じだったが、外の世界を知ってしまえば、自分だけが隔絶されているようで、ときおり苦しくなった。
そんな日々にも、ゲルハルトからの贈り物が毎日届き、次第にそれはエレーヌの慰めになっていった。
エレーヌは刺繍をした布で、ハンカチを拵えた。
一枚は三色のピンクの糸でバラの花が入ったもので、もう一枚は窓から見える旗に描かれた紋章を入れてみた。
花模様のものをハンナに渡すと、ハンナはまさか自分にくれるものとは思ってもみなかったようで、目に涙を浮かばせて喜んだ。
「エレーヌさま、####、####」
(ありがとう、って言っているのね?)
「ハンナ、いつも、アリガトウ」
エレーヌも言い返すとハンナはぎゅっとエレーヌの手を握ってきた。
「エレーヌさま、アリガトウ、アリガトウ!」
***
その日、ハンナがゲルハルトからの贈り物を持って部屋に入って来たタイミングで、エレーヌは、部屋を飛び出た。
(ゲルハルトさまが届けてくださっているのよね?)
廊下を騎士姿の男が去って行く。その背中に呼び掛けた。
「ゲルハルトさまっ!」
エレーヌの声に騎士は振り返った。
「エレーヌさま、#####」
しかし、それはゲルハルトではなかった。どこかハンナに似た面差しの騎士だった。
(贈り物を持ってきてくれているのはゲルハルトさまではなかったの……?)
「エレーヌさま、#####」
騎士はエレーヌの元まで来ると感激したような顔を向けて、エレーヌの足元にひざまずく。
(贈り物を持ってきてくれたのはあなただったの?)
贈り物を届けにきたのがゲルハルトではなかったことを知り、エレーヌは失望した。
「アリガトウ」
エレーヌがラクア語で言えば、騎士は顔を輝かせた。
騎士はハンナとも視線を交わすが、その様子には親密さがある。ゲルハルトの乳兄弟という、ハンナの兄なのかもしれなかった。
エレーヌは、その騎士に笑顔で辞儀を返して、部屋に戻った。
エレーヌは、寝室に入ると、チェストの引き出しに、手にしていたハンカチを投げ入れた。紋章入りのハンカチだった。
ゲルハルトのために作ったものだった。
(何よ、浮かれてハンカチなんか作っちゃって、馬鹿みたい)
ゲルハルトが贈り物を持ってきているものだとばかり思っていたエレーヌは傷ついていた。
(ハンナのお兄さんが気を利かせてやっていたんだわ。何もかも、全部。マカロンだって、そう。ゲルハルトさまは、何もしていなかった……! 私のことなど何も思ってくれてなどいなかった……!)
惨めで惨めで涙が出てきた。
***
エレーヌの日々はとても静かに過ぎて行った。
塔にいた頃と同じ、単調な日々だった。
ディミーは息子の具合がずっと悪いのか、ときおり現れるだけだった。その日、やっとディミーが訪れたので、訊いてみた。
「ゲルハルトさまは、ラクア語の教師を見つけてくれたかしら」
「はい、探してくださっていると思います」
ディミーは申し訳なさそうに言う。
「まだ見つからないのかしら」
「おそらく、良い教師を探してくださっているのですわ」
「ブルガン語の本はどうなったのかしら」
「おそらく、取り寄せているのだと思います」
「ラクア語でもブルガン語でも何語でもいいの。とにかく、本を持ってきてもらえない?」
「ゲルハルトさまによく頼んでおきます」
「それと、ハンナは忙しいのかしら。用事が終わればすぐにどこかに行ってしまうのだけど」
「ハンナにもいろいろと他の仕事があるようですわ」
「もう少し、そばにいてもらえないかしら」
「はい、ゲルハルトさまによく頼んでおきます」
ディミーは申し訳なさそうにそう繰り返すばかりだった。ディミーのせいでもないのに、ディミーを責めているようで、エレーヌの方が申し訳なくなってきた。
(忘れられた存在であるのは、ブルガンと同じ。ふふ……)
馬車の中でじっと肖像画に話しかけていた自分。あの頃は、こんな風になるとは思いもしなかった。恐れを抱きながらも、宮廷での生活に確かに想いを馳せていた。夢を見ていた。
(ふふ、惨めね……)
そうして一か月が過ぎたとき、もっと惨めなことが起こった。




