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心をもてあそんだ代償

ヴァロア公爵が処刑されたのは、エレーヌの王都帰還に先立つこと半月前だった。


王都の公爵邸から、ディミーや、それ以外の者を使って、エレーヌを、ひいてはゲルハルトを害そうとする物証が出てきた。


ヴァロア公爵の妻子らは、北方に追われ、家督はエディーが継ぐことになった。


ミレイユは、陰鬱な顔をしたままだった。やはり、夫は兄によって死に至らされたのだと、確信したようだった。


実行犯のディミーは本来ならば即座に処刑されるべきだったが、長く生かされていた。


(ディミーは、まず、エレーヌの裁きを受けなければいけない)


エレーヌが王都に帰還し、落ち着いたころ、ゲルハルトはエレーヌの前でディミーの名を口に出した。


「エレーヌ、ディミーに会う必要はある?」


エレーヌはおぼつかない顔になったが、しかし、すぐに毅然として、こくり、とうなづいた。


***


ディミーは、放浪民族の女が、よそ者と一夜を過ごして生まれた子どもだった。放浪先の言語をすぐに覚え、計算にも明るかったディミーは、いつしか集団で重宝されるようになった。しかし、民族をまとめるほどの立場は与えられなかった。


大人と変わらない背丈になったとき、ディミーは母に着いて移動するのをやめた。その頃には、誰もが自分よりも愚かしく見えてしようがなかった。


帝国で、働き者の若者を振り向かせ結婚した。しかし、商売を始めて次第に成功すれば、旦那は働かなくなった上に、暴力を振るうようになった。


有り金を持って家を出て、ラクアに向かった。食べ物がもっとも口に合ったからである。


とある屋敷の下女として入ったが、内戦がはじまり、ラクアの地方言語にも精通していることが家長に知られると、密偵として奉公することになった。


そうした過程で家長の主であるヴァロア公爵にも目通りすることとなった。戦争が終わり、ゲルハルトが即位し、しばらくしたのち、拝命したのが、「王妃エレーヌの放逐」だった。


ディミーはエレーヌと別れたのち、ゲルハルトの兵に囲まれたときには、最後を覚悟していた。


宿場町を出たときに、王都とは逆の方向に向かう辻馬車に乗るべきだったが、ディミーはあえてそれをしなかった。


国王と王妃を手玉に取ったのだ。もうこれ以上面白いことは望めないだろう。せっかくだから、エレーヌのいなくなった王宮を、そして可能ならばゲルハルトを見ておこう、ディミーはそう思った。


辻馬車を降りたところで早々に捕まるとは思わなかったが、地下牢に降りてきたゲルハルトの無機物のように生気のない姿を見たときには、ディミーは自分に拍手喝采したいくらいだった。


一国の王に打撃を与えているのが自分だと思えば、ディミーに優越感が込み上げた。


(所詮、この世は愚か者ばかり)


最下層よりも下の流浪の民に生れた自分が、国王に傷跡を残した。ゲルハルトの憔悴ぶりを確認できたことで、たとえ処刑が待ち構えていようと王都に戻ってよかった、そう思った。


ゲルハルトには何の恨みもない。それどころか、ゲルハルトをディミーは風聞とは異なり高く評価している。聡明なゲルハルトを負かしたのは自分だ、と思えばこのうえなく気分が良かった。


そんな風に静かに処刑を待つディミーの前に、エレーヌが以前と変わらぬ、いや、以前以上に幸福感と健やかさを湛えて現れたときには、ディミーは声が出なかった。エレーヌを幽霊でも見るような目で見るしかなかった。


(どうして、この子がいるの……?)


エレーヌはもう葬り去ったはずだった。


しかし、そうではなかった。ゲルハルトの方が一枚上手だったのだ。


エレーヌはか細い声で、しかし、はっきりと口にした。


「ど、どうして……、どうして、私を陥れるようなことをしたの……?」


ディミーはヴァロア公爵からの多大な報酬を得ていたが、金で動いたのではなく、《人の心をもてあそびたい》という簡単な理由であった気がしてきた。


(おつむの弱い王女)


エレーヌを目の前にすると、ただ生まれだけで王妃になり、それに胡坐をかいて自分では何もしようとしてこなかったエレーヌに苛立ちが込み上げる。


「ふふふ………、たかが言葉で引き裂かれる愚かさよ………」


「確かに私たちは引き裂かれたわ。でも、ゲルハルトさまの大きな愛で、私たちは再び結ばれた。あなたはこれっぽっちの打撃も私たちに与えなかった」


ディミーの顔つきがみるみる変わっていった。


エレーヌはどこまでも愚かで鈍い少女のはずだった。


それが、どういうわけか、流暢によどみなく帝国語を喋れば、王妃の貫禄すらあるように見えた。


ディミーにとっては誰もかれも愚かな人間でなければならなかった。エレーヌはディミーの中では最も愚かしい類の人間であるはずだった。


ディミーは自分のやった行為が、ただ、エレーヌを成長させただけだったかもしれない、ということに気づいてしまった。それは発狂してしまいそうなほどに耐えがたいことだった。


何も言えなくなったディミーにエレーヌは言った。


「あなたがゲルハルトさまの愛がどれだけ大きいかを気づかせてくれた。ゲルハルトさまの愛のお陰で、人をもてあそぶのを喜ぶ魔物に、勝つことができた」


ディミーはめちゃくちゃに踏み荒らしたはずの土壌で、美しい花が咲いたことを知った。


ディミーはゲルハルトだけではなくエレーヌにさえも敗北していた。


***


エヴァンズもまたエレーヌの裁きを受けなければいけなかった。


「どうして、私に『愛する』と『憎む』を逆に教えたのですか」


エヴァンズの前に立つエレーヌは、若く美しく、その上、愛に包まれて光り輝いていた。


エヴァンズはエレーヌに、吐き気が込み上げるほどに憎しみを覚えた。


不幸になったはずのエレーヌがどうしてこれほど幸せそうにしているのか。


エヴァンズはそれでも取り繕って、悲しげな目をして、まるで愛しい教え子を見るような穏やかな顔つきでエレーヌを見た。


「王妃陛下、あなたは何か勘違いを……」


そこまで言ったところで、エレーヌの背後で、ゲルハルトの目が冷たくなっていくのに気付いた。兵士が、ジャリ、と、手にした鎖を鳴らした。


エヴァンズはもうそれ以上声が出なくなった。


エレーヌはディミーに対するのと同じことを言った。


「私は人をもてあそぶ魔物に勝ちました。ゲルハルトさまの愛のおかげで、私は魔物を打ち破ることができたのですわ」


ディミーに響いたその言葉は、エヴァンズには理解できないようだった。エヴァンズには自分のしていることが人の心をもてあそぶことだとの自覚がなかった。


***


王宮の庭をエヴァンズはさまよっていた。


――王宮の庭から、薔薇を一本、王妃のために持ってくれば、国王陛下は放免するそうだ。


兵士がエヴァンズにそう言った。


季節は初夏だ。薔薇など庭園にはどこにでもある。


エヴァンズは庭に出されて、記憶にある薔薇のある場所に向かった。しかし、そこには薔薇の枝はあるが、花はなかった。枝が切られた跡があった。薔薇の花は刈られたらしかった。


エヴァンズは次の場所に向かう。しかし、そこも花が刈られていた。地面に落ちた花びらがまだ艶々しいために刈られたばかりのようだ。


(庭師が切ってるんだわ。急がなきゃ)


行き交う侍従にエヴァンズは訊いた。


「薔薇がまだ咲いているところを知らない?」


侍従は答えた。


「それなら東殿の庭で咲いているのを、さっき、見ました」


「まあ! ありがとう!」


エヴァンズはそこから遠い場所にある東殿の庭に向かった。遠くから色とりどりに薔薇が咲いているのが見えた。しかし、近づいてみると、やはり、切られた枝があるだけだった。物影で見えない間に、花は刈られたのだ。


地面に落ちた花びらを拾った。


(ああ、もう少しだったのに)


庭には薔薇が溢れているはず。まさか、全部の薔薇を今日一日で刈ってしまうこともありえまい。


エヴァンズは、日が暮れるまで、薔薇を求めてさまよった。さっきまでそこで咲いていたのに、ない。もどかしさに狂いそうだ。


喉が渇いて、意識も朦朧としている。


(薔薇を、薔薇を……、一輪だけでいいの、薔薇を……)


ふらふらと庭をさまようエヴァンズは、ついに、薔薇を刈っていた庭師に追いついた。薔薇はすべて刈り終えたようだが、傍らの下女が刈られた薔薇を抱えている。


(ああ、よかった……、やっと追いついたわ……。私、助かるんだわ……!)


「薔薇を一本だけ、おねがい………」


エヴァンズは喉から声を絞り出した。全身だるくて歩くのもままならず倒れそうだ。しかし、目の前の薔薇を見て力を振り絞った。


「薔薇を………!」


しかし、下女が広げるエプロンの上の薔薇を何度掴もうとした。しかし、手は滑るばかり。


「ど、どうして………?」


疲弊したエヴァンズには下女のエプロンに乗る薔薇が、刺繍の薔薇だとは気づかなかった。


何度も薔薇を掴もうとして掴めなかった。


やっと、それが刺繍だと気づいたときには、エヴァンズは絶望した。


こうして、もてあそばれる側の苦しみを知った。


***


エレーヌの部屋には朝からずっと薔薇が届けられていた。薔薇で部屋中が埋め尽くされている。


「今日は花が咲きすぎて困っているみたいね」


「そうだね。母やミレイユの元にも届いているようだ」


ゲルハルトは屈託なく笑った。


エレーヌはもとより、ゲルハルトも、エヴァンズに与えられた罰については知らない。ただ、アレクスに頼んでおいた。有能なアレクスならエヴァンズに効果的な罰を与えているだろう。


その後、ディミーは人知れず処刑され、エヴァンズは夫のいる伯爵家に戻され、夫から処罰を受けることになった。



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