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もう一度、この愛に気づいてもらえるのならば

恐ろしく愚かなすれ違いが起きていた。


悪意に鈍感な国王と、孤独な少女の間で。


国王は大きな愛で包み込んだにもかかわらず、少女はそれを信じきれずに逃げ出した。


周到に張り巡らされた嘘と、それに偶然重なった意地悪によって。


あまりに愚かしく、あまりに憐れな二人だった。


しかし、今、二人はそうなってしまった運命を乗り越えようとしている。


***


「エレーヌさまは、魔物から夫を取り返す、そう言っておられます」


シュタイン夫人はそう報告してきた。そして、刺繍を一心不乱に挿しているという。


ゲルハルトは目を見張った。エレーヌは、はた目には静かに刺繍をしているだけに違いなかったが、内面では戦っているのだ。


(あの夜、エレーヌは俺に愛を伝えていた。俺は憎まれているのではなく愛されていた)


エレーヌは、ゲルハルトに『憎い』と言われたと思っていたにもかかわらず、「愛している」と伝えていたのだ。


それを知ったときのゲルハルトは、エレーヌを自分の言葉で傷つけてしまったことに苦しんだが、すぐにそれを覆うほどの喜びに満たされた。


(エレーヌは俺を愛している……)


誤解の全容はいまだ解けず、エレーヌはいまだ混乱の中にいるのだろう。そして今、それを克服しようと戦っている。


ゲルハルトには確信があった。


エレーヌは必ず魔物を倒す。


ゲルハルトはあふれんばかりの愛をエレーヌに与えた。エレーヌにもゲルハルトの思いは通じていたはずだ。


たとえ悪意に引き裂かれようと、気づくはずだ。ゲルハルトの大きな愛に。


そっと見守っているだけのつもりだったゲルハルトは、エレーヌの真なる想いを知って、待つようになった。エレーヌがゲルハルトの愛に気づくことを。


(俺は鈍感で、あなたは未熟で、それであまりに愚かしく、魔物に翻弄されてしまったけど、それでも、俺たちは再び愛し合うことができるはず。


エレーヌ、あなたが、もう一度、この愛に気づいてくれるならば。


俺は、何度でも、あふれんばかりの愛をあなたに捧げる―――)












***


温かい日差しにエレーヌはエプロンを広げた。


よく見れば刺繍だとわかるが、ちらりとでは、本物の薔薇にも見まがう出来だ。


薔薇には迫力があった。


エレーヌにはもう揺らぎはなかった。シュタイン夫人に告げる。


「私は王宮に帰ります」


「帰る」と言ったのに、シュタイン夫人は何の疑問も浮かべず、笑みを浮かべてエレーヌを見つめてきた。


「エレーヌ、魔物をやっつけたのね?」


エレーヌはうなずいた。


「私は夫に伝えに行かなければなりません。夫の愛をちゃんと受け取ったと。そして、私も夫を愛していると。きっと、夫は今も愛してくれている。もしも、私のことを忘れていても、私は私の愛を夫に伝えに行かなければなりません」


真逆に伝えてしまった想い。自分の口で伝え直さなければ、あの日の二人はあまりに報われない。


「愛」と「憎しみ」を逆に伝えたままでは、悲しすぎる。


しかし、すぐに会いに行くつもりはない。


エレーヌは身ごもっている。騎馬も馬車も赤ん坊に良くないことくらいわかっている。


(雪が溶けたら)


赤ん坊が無事生まれたら。そして、少し大きくなって移動できるようになったら。


シュタイン夫人は穏やかな笑みを浮かべて、エレーヌに向かってうなずいていた。


「ええ、今は赤ちゃんを一番の大事にしましょう」





その夕べ、澄んだ空は美しく桃色に染まっていた。


エレーヌに力強く路面を蹴ってこちらに向かってくるリズミカルなひづめの音が聞こえてきた。それは城に着いたところでとまり、一声いなないた。


(ブラックベリー……?!)


エレーヌは立ち上がりバルコニーに出た。


眼下には、黒目黒髪の人がいた。エレーヌに気づいて、じっと見上げている。


(ゲルハルトさま……!)


どうして、ゲルハルトがそこにいるのかわからなかったが、それでも、自分に会いに来てくれたのだろう、と思った。


ゲルハルトはエレーヌを見つめたまま馬を降り、手綱を馬丁に渡した。


「ゲルハルトさま!」


そばに行こうとバルコニーを離れたエレーヌに、ゲルハルトの声が聞こえてきた。


「エレーヌ、待って。そこで待ってて。俺がそこにいく」


ゲルハルトのラクア語はエレーヌには簡単に聞き取れた。その声は、やはり優しく思いやりのあるものだった。


ゲルハルトはおそらくエレーヌが駆けだして転んだりしたらいけないとでも思っているのだ。


エレーヌはもう一度バルコニーに出て、ゲルハルトに手を振った。ゲルハルトはうなずくと、城へと入っていった。


エレーヌは緊張してきた。手で髪を直し、ドレスのしわを手で伸ばす。


シュタイン夫人が侍女らに指図する。


「エレーヌさまに、陛下に会うお支度をして差し上げて」


シュタイン夫人の突然のエレーヌへの敬語に加えて、陛下、との言葉に、侍女たちは目を見張る。


「エレーヌさまは、王妃陛下です。今から国王陛下がいらっしゃいます」


そのときになってエレーヌは、シュタイン夫人がすべてを知っており、そのうえで、エレーヌを見守っていたのだとおぼろげに気づく。すべてがゲルハルトの手のひらの上にあったことまではさすがに気付いていないものの、何か大きなものに守られていたのだと気づいた。


侍女らもキツネにつままれたような顔で、それでも、エレーヌが言いようもない喜びを浮かべているのを見て、鏡台の前に座るエレーヌの髪のほつれをいそいそと直し始めた。


ゲルハルトが部屋に近づいてくる気配があった。


夫人に侍女らが去っていくのと入れ替わりに、ゲルハルトが入ってきた。


(ゲルハルトさま……!)


ゲルハルトはエレーヌを見て目を細めると、満面の笑みを浮かべた。その目には涙が浮かんでいる。


「エレーヌ!」


「ゲ、ゲ、ゲ………」


エレーヌは喉が詰まって声が出なくなった。よろよろと、ゲルハルトに歩みを進める。


そんなエレーヌを見つめたまま、ゲルハルトもまた、声が出なくなったようで、そして、足元までおぼつかなくなったようで、よろよろとエレーヌに近寄ってきた。


「ゲ、ゲ、ゲ、ゲ」


「エ、エレ、エレ……」


二人の再会はどうにも格好が悪かった。


ドアの薄い隙間に頭を縦に並べて、二人の様子を覗いていたゲルハルトの側近らは、手を拳に握り込んでいた。


「がんばれ、ゲルハルトさま」


「ゲルハルトさま、しっかり!」


彼らも涙ぐんでいる。しかし、背後で、シュタイン夫人の大きな咳払いがしたため、側近らが隙間から飛びのけば、夫人によって扉はしっかりと閉じられた。


***


「エレーヌ」


「ゲルハルトさま」


二人は見つめ合う。やっと喉の調子も戻ったようだ。


「ゲルハルトさま、愛しています」


エレーヌはラクア語で言った。ゲルハルトは、少し首をかしげて感極まった顔を向けてきた。エレーヌの目の前に立ち、その涙を指ですくう。


ゲルハルトはエレーヌの頬をさも大切そうに撫でる。


その黒い双眸でまっすぐにエレーヌを捉えると、口にした。あの夜とそっくり同じ言葉を。


ゲルハルトは帝国語で言ってきた。


『エレーヌ、俺はあなたが憎い』


そう聞こえていたものは、全く逆の愛の告白だった。


「エレーヌ、俺はあなたを愛している」


エレーヌにはゲルハルトの意図がわかった。もう一度やり直すのだ。そして、あの夜を乗り越える。


「あなたにどう思われようと、俺はずっとあなたを愛している。心から愛している」


「私もあなたを愛しているわ。愛することをやめられないの。私が死んでもあなたが死んでも、わたしは、ずっとあなたのことを愛してい……」


エレーヌはゲルハルトに引き寄せられると、やはり言い終える前に唇を塞がれた。


キスを受けたあと、ゲルハルトは離れ難そうに唇を離した。そして、絨毯に膝をつき、エレーヌを見上げてきた。


「どうか、ずっと俺のそばにいて。俺のそばで笑っていてほしい」


ゲルハルトの目からも涙がこぼれていた。哀願するようなゲルハルトがエレーヌには愛おしくてたまらなかった。


再び、二人が愛を交わし合った瞬間だった。


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