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ミレイユの内心

ラクア王都にも霜が降りる季節がやってきた。


(エディーはあの人に似てきたわ)


ミレイユは息子のエディーの赤毛を愛おしみを込めて撫でた。その赤毛は大きくなるにつれて薄くなり、マリーのようなピンクブロンドになるだろう。目の色は澄んだ空色で、髪の色も目の色も前国王、つまりミレイユの夫譲りだった。


エディーが生まれる前に、夫は戦に倒れた。


夫とミレイユは、幼馴染だった。幼い頃から良き国王に王妃になるように自覚をもって生きてきた。


ミレイユは立場的に王妃をエレーヌに奪われたも同然だった。


「おかあしゃま、見て、ゆうやけがきれい」


エディーが窓の外を指した。馬車は王都の実家に向かっている。


公爵邸に着くと、侍女頭が出てきた。


「お嬢さま、お帰りなさいませ」


侍女頭はいつまでも、お嬢さまと呼び、お帰りなさいませ、と出迎える。いい加減やめてもらいたいが、何度言ってもやめないので諦めた。


「公爵さまが部屋でお待ちです」


兄である帽子公爵ことヴァロア公爵の部屋に向かう前に、エディーを母親のもとに連れて行く。兄の話すことはいつも小さい子どもには聞かせたくないことばかりだ。


(今の私の幸せはエディーだけ……)


「おばあしゃま!」


エディーが母親に駆けて行くのも見送ったのち、公爵の部屋に向かった。


部屋に入ると、公爵は側近一人のみを残してあとは人払いした。


「あいつの様子はどうだ?」


兄の脂ぎった顔に薄くなった頭を見るたびに、ブルガンで兄と代理結婚式を挙げてきたエレーヌが、少々気の毒になる。


「ゲルハルトなら、いつものように、好き放題に過ごしていますわよ」


ミレイユの見たところ、エレーヌ出奔の当初はゲルハルトも精彩を欠いていたが、最近ではすっかり以前のように騒がしく過ごしている。


(どうやら、あの娘のことはもう忘れてしまったみたいね)


ただ以前と違うことは、服を着て、髭を剃り、髪を整えるようになったことだ。


(あれは、あの娘の残した功績よね)


がさつな乱暴者が首に綱でも付けられたようにエレーヌの前では行儀よくなった。


ミレイユにはゲルハルトがどうしてエレーヌに心を配るのかがわからなかったが、とにかくゲルハルトはエレーヌに心を尽くしていた。


次第に二人は愛し合うようになったのが、遠目にもわかった。


二人はそれはそれは仲睦まじく過ごしていた。二人のいる場所は天も祝福しているかのように明るく見えていた。


王宮内で二人を見かければ、ミレイユはいつも背中がぞわぞわした。苦しくてたまらなくなった。


ミレイユは仲睦まじい二人に、自分と夫とを重ね合わせてしまう。


ミレイユにとって、夫は、まだ過去の人ではなかった。


そんなミレイユには、なぜ、エレーヌが出奔したのかわからなかった。


(夫も自分も元気で二人とも愛し合っているというのに……。何が不足だったのか)


わずかに心当たりがあるとすればエヴァンズ夫人だ。


カトリーナの選んだ帝国語の教師は、身元のしっかりした夫人だった。上品で知的で、カトリーナのような目上の女性の受けも良い。しかし、若くて美しい令嬢にときどきどうしようもなく意地悪をするところがあった。


もしかして、エヴァンズ夫人がエレーヌに何かしたのだろうか。


ミレイユはエヴァンズ夫人はやめておいた方が良いとは思ったが、ミレイユ自身の中にも、エレーヌへの意地悪な気持ちがくすぶってしまっていた。仲睦まじい二人に、ミレイユの心がどれだけ苛まれているか。


それで、わざとエヴァンズ夫人のことを黙っておいた。


(もしも、夫人の意地悪ごときで尻尾を巻いて逃げ出したのなら、可哀そうだけど………、到底、王妃には向かなかったわね……)


ミレイユは、ディミーというもっと大きな悪意の存在を知らなかった。ただ、エレーヌの心が弱すぎたと思っただけだった。


ヴァロア公爵はミレイユに言ってきた。


「そろそろ新しい妃を求めてはおらぬか」


エレーヌの出奔から、まだ半年しか経っていなかったが、されど半年である。


ミレイユには兄のヴァロア公爵が、末の妹をゲルハルトに嫁がせたいと考えていることがわかった。


ミレイユの夫が亡くなったために、王宮におけるヴァロア家の存在感は薄まった。


そのため、今度は末の妹をゲルハルトに嫁がせるつもりだったが、あれよあれよと、ゲルハルトはブルガンの王女と結婚してしまった。


ミレイユは、兄が婚姻使節団の団長を受けたとき、もしかしたら、花嫁はラクアに着くまでに消されるかもしれないと思っていた。そうならなかったために、兄は野望を収めたと思っていたが、エレーヌの出奔でその野望が再び鎌首をもたげたらしい。


「お前があいつを誘惑してもいいのだぞ」


「やめてください、あんな乱暴者、性に合いませんわ」


「お前はゲルハルトを毛嫌いしているように見せかけて、実は惚れているのではないかと思っているが違っているのか」


「滅相もない」


兄との会話は常に不愉快だった。


「あいつには、皇帝も目をつけている。帝国との縁談が持ち上がっているのだ」


ラクア王妃の出奔は伏せられたままのため、別宮に遠ざけられているという噂がまことしやかに出回っている。それが帝国にも届いたのだろう。


「妃と離縁して、あらたに皇帝の孫娘を娶れ、と言ってきたらしい。縁談がまとまる前に、お前が動け。お前なり、お前が妹を手引きするなりして、あいつの寝室に入ってしまえばいいのだ。あいつも一人寝は寂しいはずだ」


「痴れたことを」


兄が冗談を言っているのか本気なのか、ミレイユにはわからなかった。


どのみち、兄に与するつもりはミレイユにはなかった。


それにしても、と、ミレイユはいぶかしむ。


どうして、兄は、エレーヌが帰ってこないと決めつけたような言い方をしているのだろう。他の貴族はエレーヌがゲルハルトに遠ざけられていると思い込んでいるが、エレーヌはみずから出奔した。そのことを兄は自分を通じて知っているはずだ。


そのとき、兄への疑いが初めて持ち上がった。


(もしかしたら、エレーヌの出奔に、お兄さまが絡んでいるの……?)


「お兄さま、もしかしたら、もうエレーヌはこの世にいないのですか」


「さあな。しかし、あの娘はもう二度と王宮に戻ることはない」


(お兄さま……?)


不審そうな目を向けるミレイユに、ヴァロア公爵は、うんざりしたような顔を向けた。


「お前はヴァロアの人間だ。賢く立ち回れ。そして、ヴァロアのために尽くせ」


(違う………、私は王家の、アイクシュタットの人間よ………)


***


帰り際、ミレイユは「お嬢さま」と呼ぶ侍女頭に、声を荒げた。


「私はもうお嬢さまではないわ、奥さま、と呼びなさい。何度言えばわかるの」


しかし、侍女頭は表情一つ変えずに、叱責をやり過ごすだけだった。


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