夫のあふれんばかりの愛
ゲルハルトには海と船と山野と馬しかなかった。好きなものを追いかけて生きてきた。そこに戦争が割り込んできてやむなく国王となった。
政治で結婚した相手だったが、エレーヌを見たとき、この世界にない淡い色を見せられたような心地がした。
異国から一人で来た妻を出迎えたとき、ふるふると震えているエレーヌに胸がうずいた。気を失ったときには、憐れでたまらなくなった。
このはかない妻を大切にしたい、ゲルハルトは強くそう思った。
ゲルハルトがエレーヌを怖がらせている、と側近のアレクスに言われたときには戸惑った。
ゲルハルトには妻にどう接すれば良いのかわからなかった。
大切したいが、どうやって大切にすれば良いのかもわからない。
とりあえず、帝国語を解さないと知って通訳を付け、医師をあてがい、護衛騎士も手厚くつければ、「男ばかりに囲まれて、エレーヌが可哀相だった」とミレイユに言われてしまった。
折よくブルガン国王が通訳をこなせる侍女、ディミーを遣わせてくれたので、エレーヌの対応はディミーに頼ることにした。
初夜には、怖がらせないように精一杯に気を配ったつもりだった。
「エレーヌを大切にする、怖がることはしない」
そう伝えるも、エレーヌはゲルハルトを怖がって、ベッドカーテンの後ろに逃げ込んだ。
エレーヌは、涙を流しながら言った。
『私はあなたが恐ろしくてたまりません。もう二度と近寄らないで』
そして、自分の寝室へと逃げて行った。
取り付くしまもなかった。
また、エレーヌは、『一人で過ごすのが好きであること、貴族との交流は一切したくないこと』とディミーが伝えてきたために、ゲルハルトもエレーヌの部屋を訪れず、ハンナにも用のあるとき以外は近寄らせず、そっとしておいた。
それでも、毎日、エレーヌに贈り物を届け続けた。贈り物は自分で選び自分で部屋に届けに行ったが、たまたまアレクスに届けさせた日に限って、エレーヌが廊下に出てきたと知り、タイミングの悪さを呪った。
結婚して一か月経つ頃には、さすがに貴族からの不満が大きくなった。
「国王は王妃を甘やかしすぎだ」
「いい加減、挨拶くらいさせるべきだ」
それで、晩餐会を開くことにした。
臆病な少女に見えていたエレーヌは、一か月の間に、見違えるほど成長していた。痩せて痛々しかった体はふっくらと丸みを帯びていた。
ゲルハルトの選んだ紫色のドレスを優美に着こなし、贈ったアクセサリーはエレーヌを大人びて見せていた。
金髪を高く結いあげて、とても美しかった。どこか敵対するような目でゲルハルトを見てくるが、その目つきすら小気味よく感じ、ゲルハルトの胸がうずいた。
エレーヌに手を差し出すと、エレーヌはしっかりとゲルハルトの手に自分の手を乗せてきた。
「必要な物はないか」「一人で退屈していないか」と訊いても、『はい』と返事があるだけだった。
エレーヌは、太后や貴族の妻に向けて、刺繍のハンカチを用意していた。その気遣いがとても嬉しかった。
しかし、喜びもつかの間、エレーヌは貴族に向けて、こう言った。
『私はこの国が嫌いです。一刻も早く国に戻りたいです』
随分と傲慢だった。ブルガンは確かに由緒正しい国で、新興国のラクアを見下したくなるのだろうが、あまりにも礼儀がない。
当然のように、貴族らはエレーヌの発言に明らかに気分を害していた。温厚なカトリーナの眉も、ピクピクと震えていた。
エレーヌは『晩餐会が耐えられない。部屋に帰りたい』と言ってきたが、ゲルハルトは首を横に振るしかできなかった。ここで帰せばエレーヌはますます評判を落としてしまう。
そのとき、まさか、エレーヌが「ラクア語を習いたい」と言っており、それを拒絶したと受け取ったとは、そのときのゲルハルトには知る由もなかった。
ただただ、ゲルハルトには、晩餐会でつらそうに涙をこぼすエレーヌが憐れでならなかった。




