山河、初めて暗し
夕闇が迫るなか、空に残るわずかな夕焼けが応天城の西の城壁を赤く染めたが、すぐに沈む夜の帳に呑まれていった。応天府の皇城では、灯された宮灯が蛍のように瞬いているが、不安と陰鬱に包まれた都を照らすには力不足だった。建文帝・朱允炆は奉天殿の石段に佇み、遠ざかる最後の光を見つめながら、胸の内ではさまざまな思いが波のように渦巻いていた。目を閉じると、祖父・洪武帝の臨終の言葉が耳に蘇り、即位以来、変転する政局の光景が次々と脳裏をよぎった。
洪武三十一年の盛夏、太祖が崩御し、わずか二十歳の朱允炆が応天で急遽即位した。若き皇帝の治世は一見平穏に見えたが、水面下では巨大な危機がひそんでいた。新帝は年若く、諸王たちはみな皇族でありながら、各地に封じられて兵を持ち、独自の勢力を築いていた。皇権を確立すべく、朱允炆は古の賢帝にならい、藩王の権力を削ぐ「削藩」の政策を決断した。
朱允炆は、残された藩王の中で、最も軍勢が強大で、最も警戒すべき存在が北平の燕王・朱棣であることを深く認識していた。燕王は数々の戦功をあげた歴戦の勇将であり、皇帝の四叔にあたる人物だった。
削藩政策の初期、朱允炆は朱棣を宥めるべく、厚遇をもって接し、恩義を示した。だがその誠意は燕王に疑念を抱かせるだけであった。朱棣は、兄弟たちが次々と廃位されていくのを目にして、いずれ自らにも火の粉が降りかかると確信し、密かに兵を蓄え、機を窺うようになった。
表面上は病を装い、朝廷に従順な姿勢を見せていたが、裏では腹心を派遣して情報を収集し、夜を徹して謀反の準備を進めていた。朝廷内ではその動きを察する者もいたが、朱允炆は重臣たちの言葉を信じ、あえて先手を打つことはなかった。
その予感は、ついに現実のものとなる。建文元年七月、北平にて大事件が勃発した。燕王・朱棣は自らの王府である麒麟殿にて軍を集め、「君側の奸を除き、国難を靖んずる」として挙兵、謀反の旗を翻したのである。
朱允炆は怒りに震え、ただちに各地の軍を動員し、反乱の鎮圧を命じた。ここに「靖難の役」が勃発し、北から南へと戦火は瞬く間に広がっていった。
靖難の役が始まるや否や、朝廷軍と燕軍は幾度も激戦を繰り広げた。初期の数ヶ月間、朱棣の軍は劣勢に立たされ、北平城の防衛線すら危うくなる場面もあった。しかし、建文帝は将の任命を誤り、度重なる失策によって機を逃すこととなる。
まず、老将・耿炳文は白溝河の戦いにて燕軍に敗れ、軍勢は大きな損害を被った。続いて、数十万の大軍を率いた曹国公・李景隆は、北平を包囲したものの、朱棣の巧妙な策にはまり、鄭村壩にて惨敗を喫する。彼の軍は壊滅的な損失を受け、朝廷の主力は一挙に瓦解した。
以後、朝廷は司令官を何度も交代した。盛庸や徐輝祖といった忠勇の将が一時は燕軍を東昌などで退けたものの、戦略判断の過ちや補給の遅れ、朝廷内の意見対立によって勝機は次第に遠のいていった。朱棣はその隙を突いて体勢を立て直し、ついには危機から脱して反撃の狼煙を上げる。
四年に及ぶ戦争の中で、燕軍は着実に力を増し、北から南へと進軍を重ねていった。大同、徐州を攻略し、やがて淮河を越えて長江に迫る。
建文四年六月、江北を守る都督・陳瑄が突然寝返り、朱棣に降伏した。この裏切りにより、燕軍は無血で長江を渡り、南京(応天府)への南進が現実のものとなる。
道中、各地の郡や県は抗戦する者もあれば、朱棣の名声に屈して降る者もいた。江南にはもはや燕軍を阻む城はなく、明朝の開国の都・応天府は、孤立無援のまま、十万を超える燕軍に包囲される運命にあった――。
夜が更け、応天府の皇城は沈黙に包まれ、風が松林を渡る音だけが耳をかすめる。奉天殿の石段に一人佇む建文帝・朱允炆は、はるか西方に連なる敵軍の篝火を見つめていた。それはまるで星が地に落ちたかのように、夜空を赤く染めていた。
この数年、彼の心には重くのしかかる悔恨と疑念が渦巻いていた。幼くして即位し、藩王の力を削ぐべく決断した「削藩」政策。その結果は、兄弟たちの叛乱と朱棣の挙兵を招き、天下は戦火に包まれた。忠臣と信じた黄子澄は重病で床に伏し、奮励していた斉泰は募兵に出たきり消息が途絶え、今では心を許せる臣下すらまばらである。
乾清宮では、御前会議が夜更けまで続いていた。文武百官は重い沈黙の中、方孝孺が一歩進み出て奏上する。
「陛下、この城は既に包囲され、兵力も尽きつつあります。ご決断を願います!」
それに続き、戸部尚書の夏元吉が地に膝をつき、涙ながらに言上する。
「陛下に東巡を願い奉ります。臣らは後方を守り、陛下の再起を助けん!」
だが、それに異を唱えるのは一人の武将であった。
「陛下は天命を受けた皇帝、城が未だ堕ちぬうちに逃げ出すことは、天下の信を失うことになります。ここでこそ、玉座にて運命を共にされるべきです!」
堂内は一瞬の静寂に包まれる。
やがて、朱允炆は重い沈黙を破り、低くしかし揺るぎない声で口を開いた。
「朕は、祖宗の基業と共に生きる。城があれば、朕も在り。城が堕ちれば、朕も共に滅びよう。」
その言葉に、百官は言葉を失い、方孝孺は泣きながら平伏した。
朱允炆はゆっくりと御座を下り、山河社稷図の前に立ち尽くす。燃えるような地図を見下ろしながら、彼はかすかに唇を引き締めた。その目にはもう迷いはなかった。
その時、太監が殿内に駆け込み、ひざまずいて報告する。
「陛下、水西門の方角に敵の動きがございます。火光が見え、夜襲の兆しありと存じます!」
朱允炆はすぐに命じる。
「各部隊は動揺することなく持ち場を守れ! 夜半に襲ってくるのなら、これ幸い、迎え撃てばよい!」
その声には、もはや退路のない者の烈しき覚悟が宿っていた。
御前会議で忠誠を誓う声が響く一方で、皇城の西隅では、まったく異なる密議が静かに進行していた。
王府の書斎にて、谷王・朱橞は側近を退け、数名の腹心と密かに膝を突き合わせていた。蝋燭の火が揺れ、壁に映る彼の影は不穏に伸びている。彼は低く、しかし断固たる声で言い放った。
「皇帝陛下の命運は尽きた。宗室の我らも、今こそ決断せねばならぬ。己の身を守るためにも、順応の道を選ぶべきだ。」
側近の一人が顔色を変えて言った。
「殿下、それは……まさか、燕王を迎え入れるおつもりですか?」
朱橞は唇を固く結び、しばし沈黙したのち、低く答える。
「金川門の守将、李景隆に密使を遣わせよ。明朝の暁、門を開き、燕軍を入れる。これは宗室を護るための道だ。」
その手はわずかに震えていた。決断したとはいえ、それが死地に通じる可能性を誰よりも本人が理解していた。
一方その頃、応天城のあちこちでは庶民たちが安眠を得られずにいた。
街の裏通り、破れ寺の中、そして城隍廟の前。逃れてきた民が身を寄せ合い、寒さと恐怖に震えていた。母が幼子の口を塞ぎ、泣き声を外に漏らさぬよう懸命に抑えている。井戸端では、白髪の老人たちが低く囁く。
「大明は滅ぶのかもしれん……」
「藩王を削ったがために、この有様じゃ。内輪もめが民を苦しめるとは……」
誰かが小声で言った。
「聞けば、燕王の軍は民を害さぬと……いっそ城が開かれた方が……」
その言葉に、別の者が慌てて口を塞いだ。
「口を慎め!」
闇の中、誰もが顔を見合わせ、目に浮かぶのは不安か、あるいは淡い希望か。夜は静かに、だが確実に更けていく。
彼らの誰もが、明日が平穏か修羅か、知らぬまま身を寄せている。
そのころ、城外に広がる燕軍の大営では、まったく異なる空気が満ちていた。
中軍の大帳の中、朱棣は鎧を纏い、軍議の席に毅然と立っていた。配下の諸将が両脇に並び、誰一人として声を発しない。軍机の上の沙盤には城の全貌が広がり、灯火がその上に揺れている。
「伝令を出せ。五更には全軍進発。夜明け前には必ず応天城を落とす。孤自ら、城頭に登る。」
朱棣の声は静かだが、鋼のように硬く、帳内に緊張が走る。
「応っ!」
将軍たちは一斉に応じ、誰もが長きに渡る戦の終焉が近づいていることを悟っていた。朱棣は帳幕を払い、外の黒き大地を見渡す。南の空に、応天の輪郭がうっすらと浮かび上がっていた。夜風が背後の帥旗をはためかせる。
「允炆よ、明日の日の出は、貴様の終わりであり、孤の始まりだ……」
そう呟くと、彼は振り返らず、闇に溶け込むように歩き去った。
その中軍から少し離れた一つの帳には、僧衣を纏った男が静かに座っていた。
道衍 朱棣の軍師、かつての姚広孝である。
彼は膝を組み、経を唱えていた。口は仏号を静かに繰り返し、瞼の裏には血の河と焦土が浮かんでいた。
「天命は定まっている。人の力では抗えぬ……だが、この戦の果てに、せめて民が早く安寧を得られるよう……」
その瞬間—
天空を裂くような白い光が走った。
「ゴロゴロゴロ……」
続く重い雷鳴が、応天の空を震わせる。黒雲が渦を巻き、まるで城を飲み込もうとしていた。
暴風が帳を揺らし、遠くで馬が不安げにいななく。
朱棣の宿営、道衍の誦経、そして城内のすべての命が、この雷光とともにひとつの宿命へと導かれていた。
建文四年、六月十三日、未明。
それは大明の運命を決する、血と炎の拂晓であった。