ドライブ・マイ・カー
「自動運転、なんてもんくだらない。
男ならマニュアル一択だ」
黒いワゴン車の車内で、ハンドルを握る男が紫煙と共に鼻で嗤う。
「けど、便利じゃないっすか。楽だし、役に立つっすよ」
「便利?役に立つ?お前は何も知らないんだな」
運転席の男は助手席に座る若者を睨みつける。しかし軽薄そうな若者はキョトンとした顔を浮かべたまま言う。
「だって自動でなんでもしてくれる方がいいでしょ?家事も買い出しも、この車の運転だって。それでいいじゃないっすか」
「お前はもう毒されてるみたいだな」
男は呟く。
「毒されてる?ってなにに?」
「企業の連中にだよ。金を集約する肥え太った資本家共に、都合の良いカモにされてんだよ、お前は」
男はそう吐き捨てるが、軽薄な若者は矢張り間の抜けた顔を浮かべるばかりで、何も分かっていないようだった。
その無知さに無性に苛立ちが抑えられない。吸いたくもない煙草にまた手が伸びた。
男が運送会社をクビになったのは、半年前の事だった。
突然の通達だった。いつも通り始業時刻に会社に行き、個人ロッカーから車のキーを取り出そうとした時、机の上に一枚の紙が置いてあるのに気が付いた。
ペラペラの紙切れの上にはこうあった。
タガワ殿
本日行われた正式取締役会議において、貴下と会社との間に締結せられる契約第三項に基づき、貴下の当社に対するあらゆる関係はこれをすべて解除することを決定いたしました。
本日以後、当社所有にかかるいっさいの設備物品に近付くことなきようお願いいたします。
取り締まり委員会は今日までの貴下の会社に対する大いなる業績に心からの感謝の意を表するとともに、契約解除せざるを得なかったことを深くお詫び申し上げます。
・・・なんだこれは。
始めの一文で、最早読む気が失せた。否、読む必要など無かった。
同じような紙の通達がタガワ以外の机の上にも並べてあり、同僚たちが口々にどよめき合っていたからだ。
「おい!どういうことだよ!」
「どうもこうもあるかよ!俺たちはクビだ!」
「こんな急にかよ・・・」
突然の通達に、同僚たちは殆ど暴動を起こす寸前だったが、タガワは動かなかった。ただその紙切れを手に取り、じっと眺めていた。
突然のクビ宣告による困惑よりも、その紙の上に並べられている薄っぺらな文言への怒りよりも、タガワの頭に浮かんだのは感心だった。
こんな紙切れ一枚で、企業は俺の人生を狂わせることができるのか。
強がっている訳でなく、心から感心した。通達書と、それから生じる影響の大きさが余りに釣り合っていない。
天秤に羽毛一枚と大型トラックを載せて「どうやらトラックの方が重いみたいですね」と見せられているような、シュール味すら感じた。
タガワは会社を出た。「全員で上に掛け合おう。こんなのあんまりだぞ」と集まる同僚たちに一言別れを言い、ポケットの中の鍵の重みを確かめながら、自身の大型トラックに乗り込んだ。
【WARNING!】
【不認証搭乗者を検知】
【直ちに降機してください】
トラックが、喋った。
「お前、喋れたのかよ。というか不認証搭乗者って、なんだ?俺とお前は十五年も一緒に荷物を運んだじゃないか」
飽き性のタガワが十五年も文句も言わず貨物運搬を務めたのは、愛着があったからだ。とはいえ愛着があったのは会社でも同僚でもなく、この中古大型トラックだ。
この一台だけは旧世代どころか時代に取り残された生きた化石ともいうべきマニュアル車両で、タガワ以外は誰も乗りたがらなかった。
運転アシストも無い車なんてコイツ以外見たことが無い、めんどくさいだけだ。というのが同僚の言い分だったが、タガワには理解できなかった。
マニュアルこそ男の乗るべき車だ。自身が全て管理でき、何も考えずただ俺のハンドルに忠実に従うマニュアル車。アシスト搭載車両ではこんな風にはいかない。あいつらは勝手に考え、勝手に動く。運転者は只、きまぐれにハンドルを左右に動かすだけだ。
【当機体は、本日付けより九割九分九厘自動で運転を行います。運転者は不要です】
成程。こいつが俺たちがクビになった原因か。
完全自動運転、というやつだ。
庶民には手の届かない高価な新機種車には最近配備されているらしい、と聞いたことがあった。
しかしまさか旧世代式の車を自動運転できるように改造できるようになったのか?
車内を見渡すと助手席に見たことの無い、機械が置かれているのに気が付く。カリカリと音を立ててファンが回っていた。
コイツが俺の車を自動運転に変えたのか。
まさか外付けのハードで、旧世代マニュアル車を自動運転に変貌させられるなんてな。
「じゃあ残りの一厘は何だよ。九割九分九厘自動運転なんだろ?」
【倫理判断です。倫理判断は別の搭載プログラムGreenが行います】
「成程、俺のトラックも賢くなったもんだ」
【当機体は企業の所有物です。俺の、という装飾語は正しくありません】
「俺より賢くなりやがったみたいだな」
タガワは運転席から降りた。
コイツの言う通り、トラックは俺のものじゃない。
「おい、どうせ車の鍵ももう必要ないんだろ?思い出に貰っとくよ」
それから半年後、タガワは矢張りマニュアル車に載っていた。
黒のワゴン車、自動車登録番号M-YX1749。
運ぶ荷物は、暴行を加えられ、顔を青ざめて泣く女子高生に代わっていた。