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典の節・懦闇 其之壱『祟られるもの』


典の節  懦闇(だあん)


   ⑦祟られるもの



「ごめん、なさい……ほんとに、ごめん、なさい…………」


 奈月の声は小さく、くぐもっていて聞き取りづらい。担当医も集中して耳を傾けている。

 涙声のせいだけではない。頭の下部から胸にかけて、指のような突起が何本も生え、ただでさえ歪んでいた口の動きをさらに鈍らせていた。声帯にも影響が出ているらしい。

 翔との面会後に、変異が加速したのだ。室内に隠されたカメラにも捉えられている。

 考えられる原因はひとつ──彼女は、朱璃を呪った。


 人を呪わば穴ふたつ──誰かを呪えば、その代償は自分に返ってくる。

 そして、この呪いの代償は、呪者の肉体を歪めることらしい。


「私よりずっと綺麗で、大鳥くんとも仲がよさそうだったから、羨ましくなって」


 身勝手な嫉妬から朱璃を傷つけられても、凰鵡には奈月を憎めない。


「殺したくなんかないんです。信じてください。でも、羨ましいって思ったら、どんどん自分が惨めになって……悔しいのが止まらなくなって……」


 嫉妬など、誰しもが抱くありふれた感情だ。それが暴走して、簡単に怨みへ、殺意へ、呪いへと紐付く。そうなってしまった奈月を、凰鵡は可哀相だと思う。彼女もまた何かの呪いを受けているのかもしれない。

 もとに戻してあげたい。だが妖種学にも霊学にも暗い凰鵡には、どうすればいいかまるで分からない。


「頭のなかで声がするんです」


 奈月の声に、凰鵡はハッとして現に戻る。


「どう言ってるのかは分からないけど……その声が、私を勇気づけてくれるんです。怨みとか、つらさとかを晴らすのを、後押ししてくれる感じで……浦田さんのときも、お母さんのときもそうだった。ずっと自分の心の声だと思ってました。けど、いまは違うって思います。自分とは別の、誰か大勢が、私が、人を呪うのを、応援してくれてたんです」


 凰鵡の心が冷えた。

 自分ではない誰かの声。悪魔の囁きとでも言うのか。それを理由に人を殺した者もいたらしいが、零子によれば、九割以上はなんらかの病による幻聴だという。

 奈月は、一割未満のひとりなのだろうか。それに〝大勢〟というのはどういうことだ。


「凰鵡」


 師の声で、凰鵡はまたも現を抜かしていたことに気付く。

 真嗚も最初から室内にいたのだが、奈月を混乱させぬよう、完全に気配を断っていた。


「儂は先に戻る。残りは、あとで聞かしてくれぃ」


 はい、と凰鵡が呟くと、師はそのまま、静かに部屋を出ていった──扉の開閉音すら、凰鵡以外のふたりには気付かれなかった。




 朱璃の血は完全に止まっていた。真嗚が内功を使うまでもなく、出血痕は何ごともなかったように塞がり、眼底の血も数分で引いた。眼球への影響もないという。

 すべてが幻覚だったかのようだが、流れ落ちた血の跡が疑うことを許さない。

 それでも、警戒のために医務室のベッドをあてがわれ、翔と零子が付きそっている。


(もう二度と来ないでよ)


 自分より零子のほうを心配してしまう。個室に戻るようタヌキ先生からも紫藤からも再三に請われたものの、頑として応じない。まだ目隠しはしているが、次にあの影が現れたら、間違いなく自分で取り払ってしまう。

 と、そんな朱璃の心遣いも、直後に粉砕されてしまうのだが…………


「オレのせいだ。本当にすまねぇ」

「はい、わかった。それまで」


 頭を下げる翔に、朱璃はピシャリと打つように(だが明るい声で)言い放った。


「つぎ謝ったら肉まん奢ってもらうし」

「奢るわ」

「あのねぇ」


 翔はずっと自身を責めている。損な性格だと思う。

 凰鵡と真嗚が確認しにいったが、あの影が奈月であろうことは朱璃にも予想がつく。

 彼女の生霊だ。死者の霊にくらべて、生者の霊というのは格段に力が強い。霊力とは生命の力であるから、命ある霊のほうが命なき霊に勝るのは当然だ。

 ただ霊力は肉体に遍在していると同時に囚われてもいて、体から出るのが難しいぶん、生霊の例は非常に少ない。


 奈月の〝呪い〟が今回の事件の典型例だとしたら、呪殺の加害者はみな、生霊を発しやすい体質になったということだろうか。

 と、医務室の扉が開かれた。


「ただいみゃん」


 真嗚が戻ってきた。見た目のせいで違和感は薄いが、翁と呼ばれる歳とは思えぬ口調に気が抜けてしまう。


「おかえりなさい。いかがでしたか?」


 真っ先に零子が訊ねた。事件と捜査の状況は朱璃達がおおむね教えていた──教えさせられたというべきか。


「あんちゃんの言うとおりじゃったよ。聴取はまだ続いとるから、もちょい何か出るかもしれんが、凰鵡に任してきた」


 真嗚らが出る前に、翔が予想を立てていた。

 嫉妬──朱璃にとっては理不尽極まりない。凰鵡を巡ってならともかく、翔のことで怨まれるなどお門違いもいいところだ。保護時の説得にも従順に応じたというから、奈月は存外、昔から翔に気があったのかもしれない。


「零子ちゃん、調子はどうじゃ?」

「ええ、おかげさまで」


 元気そうに聞こえるが、朱璃には不安でたまらない。


「休んどいてもらいてぇが、その気はなさそうじゃな。んじゃ、ひと仕事だけ頼めるかい?」


 零子以外の全員が目を円くする。


「医師としては容認できません」


 タヌキ先生が反意を示す。不動翁が言うならと口籠もっていた自分とは、さすがに違う。


「いいんですよ先生、私も充分に休みましたから」

「視てもらうンはひとり。一瞬でええ。メガネの換えも、まだ来てねぇしな」

「では、誰を?」


 ベッドのそばに立った真嗚の手が、朱璃の肩に置かれた。


「おねえちゃん」

「朱璃さん、失礼します」


 え、と口にした瞬間には、零子が待ってましたとばかりに包帯を解いていた。


「つ……!」


 瞼をとじて、体をくの字に曲げる。


「零子さん!」


 慌てる朱璃達を遮るように、真嗚がものすごい速さで包帯を巻きなおした。


「彼らが見えたか?」

「ええ……朱璃さんを通してなかったら、危なかったかもしれません」


 ふたりだけの会話に、朱璃も翔もついてゆけず顔を見合わせる。


「彼らってなんです?」


 翔が訊ねた。


「呪殺者──生霊飛ばした連中、ムショ襲った連中……全員かな?」


 問いで締めた真嗚に、零子がうなずく。

 それでも朱璃達には意味が呑みきれない。


「零子ちゃんに、視てもらったんはな……」


 ふたりの混乱を見て取って、真嗚が言葉を加えた。


「おねえちゃんに付いた、奈月ちゃんの名残じゃ」


 それは分かる。退けたとはいえ、じかに影響を受けた以上、自分に痕跡があるのは不思議ではない。


「けど、それでなんで他の奴らまで」

「呪殺と受刑者殺し──つまり〝呪い〟の力を持った連中な……全員、精神が共有されとる」


 零子がまたうなずく。

 これには朱璃達だけでなく、タヌキ先生も驚きを隠せない様子だ。


「それは、テレパシーのようなもので常に繋がっているということですか?」

「そう────びゃッ⁈」


 タヌキ先生の問いに答えようとした瞬間、真嗚が目を剥いてピョンと跳びはねた。

 懐からバイブレーションの音がする──着信らしい。


「何十年使ってもコレ慣れんのう。あ、病人のそばじゃが、容赦願うよ」


 汗も浮いていない額をわざとらしく拭って通話に応じた。


「ああ紫藤くん、どうねそっち」


 と言った直後には、顔が真剣味を帯びた。


「わかった。ミーティングを開こう。今度ばかりは事務所じゃ。ご苦労さん」


 紫藤のほうで、なにか進展があったらしい。

 事件がまた動こうとしている。




 三分前──事務所前のラウンジの一席。

 紫藤は一心不乱にノートPCを操作していた。PCのわきには、空の紙コップが十何段と重ねられている。すべてブラックのコーヒーだ。

 他に誰もいないときには、ここで作業をする癖がある。事務所の使用許可も得ているが、外の光があるほうが落ち着く。

 だが、そんなものは気休めにもならないほど、紫藤の心は暗雲に閉ざされていた。


 送られてくるデータを開くたびに、不気味な確信が色を濃くしてゆく。

 当局から寄せられる映像はすべて、街なかに置かれた監視カメラの記録である。めぼしい部分はすでにトリミングされていて、目的の被写体にもマーカーが入れられている。


 住宅地の一角。道路の奥から、ふたりの女性が歩いてくる。ひとりは中年、もうひとりは若い。

 『合致──飯生木奈月』

 被写体に顔写真が添えられて、姓名と簡素なプロフィールが加わる。

 『呪死者との関係:中学時の同級生。現在:衆第一区支部に保護』

 となりは母親だ。奈月は手を引かれつつ、うつむき、とぼとぼと歩いている。


 日付は三日前。診察のために母親同伴で精神科に通っていたことが判明している。カメラの位置情報と、歩く向きからして、その帰路だろう。

 ふと、画面手前からワンピース姿の少女が現れる。奈月よりも幼いようだが、後ろ姿で顔は見えない。

 互いを意識せぬまま、ふたりはすれ違う。

 が、その直後、奈月の頭から、影のようなものがブワッと膨れあがって、消え去った。

 それを察したかのように、ワンピースの少女が奈月に振り向く。


 紫藤は次の映像に移る。

 『合致──橋本隆。呪死者との関係:勤務先の部下。現在:失踪』。

 掛けたバス停のベンチの隣にワンピースの少女。


 『合致──佐々山友香子。呪死者との関係:交際相手。現在:失踪』。

 公園の遊歩道でワンピースの少女とすれ違う。


 『合致──西口滝彦。呪死者との関係:隣人。現在:失踪』。

 自転車で走行中にワンピースの少女と接触(透過して何ごともなく走り去る)。


 『合致────呪死者との接点──失踪』

 その繰り返し。

 紫藤は机の上のスマートフォンを取り、発信ボタンを押していた。


「ああ紫藤くん、どうねそっち」


 不動翁が出る。


「廣距こはるです。彼女が……呪いの感染源です」




 過疎化の進む住宅街の隅に寂れて、雑草も生え放題となっている公園。

 初老の男と、十歳ほどの女の子のほかには、ひと気もない。

 錆びた鎖で手が汚れるのも気にせず、少女は熱心にブランコを漕ぐ。男はベンチから、それをただ見守っている。


 彼らを遠目から見とめた瞬間、顗は薄ら寒いほどの興奮と、虚しさを感じた。

 気配も断たず、ベンチへ歩みを進める。

 初老がすぐに気付いた──仮にも武闘家としての危機感が、注意報を鳴らしたか。

 褪せたダウンジャケットからのぞく首筋。手の厚さ。こちらをうかがう眼光。抜け目なく動き出しそうな居住まい。少し観察すれば、一般人の目にも、只者でないとわかる。

 だが、顗は男を憐れんだ──老いぼれたな、と。


 昔は顔を見るのも恐ろしいくらいだった。いまは真正面から見据えても、冷や汗ひとつ湧かない。

 顗は十歩ほど離れた場所で立ち止まり、初老は驚いた顔で立ち上がった。


露斗(あきと)……?」


 チッ、と顗は舌打ちする。その名で呼ばれるのは当然だが、いざ来ると虫唾が走る。いい思い出などほとんどない名前だ。


「テメェだけか?」


 顗の物言いに、父──廣距宗豪──は、あからさまな苛立ちを顔に浮かべる。だが昔のように殴りも、怒鳴りもしない。

 少女のいる手前か、それとも、(さげす)んでいた三男の変貌に戸惑っているのか。

 背丈こそ実父に追いつけなかった顗だが、肉の幅なら、向こうの全盛期すら軽く凌駕している。


「お前こそひとりか。温香はどうした?」

「なんで連れて来なきゃならねぇよ」


 呼び出されたわけでもない。待機中と外出許可をいいことに、街じゅうを駆け回って、偶然にもこの男を見つけ出したにすぎない。


「おじいちゃん。この人、お母さんの知り合い?」


 少女がブランコを降りて、宗豪へと駆け寄ってきた。

 ワンピース……ではなく、古びた厚手のダッフルコートを着ている。

 だが間違いなく、昨晩、翔に見せてもらった少女だ。宗豪の陰に半身を隠しつつ、顗を見つめてくる。怯えなのか憎悪なのか判らない、生気を感じづらい眼をしている。


「ああ、こいつがね。お母さんを遠くに連れてったんだよ」


 とたんに、こはるの眦がキッと吊り上がる──その眼は維に少し似ている、と顗は思ってしまう。


「この人がお母さんを騙して、お父さんからお母さんを取ったのね」


 驚き半分、呆れ半分。よもや、そんなストーリーが出来上がっていたとは。しかも、どうやら顕醒については把握できていないらしい。


「くだらねぇ洗脳したな。武流か阿都志が、どっかの可哀相な女に産ませたンだろが」

「黙れ」


 宗豪の語気が強まった。


「こうなったのも、全部お前のせいだ。あのあと家族がどれだけ苦労したか」

「泣きごと聞いて欲しくて、オレらを探しに来たンじゃないだろ。さっさと自慢の息子らも呼べよ。それか、オレごときテメェひとりで充分か?」


 ばきり……指を鳴らして、顗は拳を握る。


「あ……?」


 その瞬間、周囲の違和感に気付いた。

 近くの車道、鳥の声、風、揺れる木々──の、音がない。

 ハッとして見あげれば、青でも赤でも、また紫でもない奇怪な色に染まった空。


(異空間……?)


 ザッ、と足音が聞こえた。

 視線をおろしたときには、宗豪が懐に入り込んでいた。突き上げてくる拳からは、無数の鋭いトゲが生えている。

 針山の一撃を、顗は顎でまともに受けた。


「お……あ……⁈」


 呻いて(ひざまづ)いたのは、宗豪だった。

 針はことごとく潰れ、手首と肘も、曲がり得ない方向に曲がっている。

 顗のほうは、まるで動じた様子もなく、苦しむ実父を睥睨(へいげい)している。

 金剛──維と同じ神通力を、顗もまたマスターしていた。


「聞きたいことが増えた。さっさと全員呼べよ」

「く、そ……!」

「おじいちゃん!」


 尻餅をついて後退る宗豪に、こはるが駆け寄る。


「こはる、来るな」

「お母さんを返して、お願い!」


 顗はまた舌打ちをする。まるで自分が悪役のようだ。

 が、二人への同情は、直後に霧散した。


「返してくれないなら、死んでよ!」


 叫び声と一緒に、こはるの口から無数の生物が湧き出した。空を飛ぶもの、地を這うもの、何百何千という、どんな図鑑にも載っていない蟲が、顗に襲いかかる。


(こいつ──⁈)


 顗はとっさに雲脚を使った。

 後退ではない。たった一歩の前進である。


「砕!」


 駿足の走法から、大地を割らんばかりの震脚につなぎ、裂帛とともに諸手を突き出す。

 ゴウッ──風のない空間で大気がうねった。蟲の群れを呑み込んでミキサーのように千々に砕き、宗豪達をも吹き飛ばす。

 顕醒のような気弾ではない。

 腕の一閃から生みだされた衝撃波だった。


 顗のマスターした、もうひとつの絶技。二つ名にもなっている《万濤破山(ばんとうはざん)》──雲脚で発生する移動エネルギーのすべてを衝撃力に転化するという、攻撃型の闘法である。


 原理は単純に聞こえるが、会得するには雲脚はもとより、金剛の熟達、優れた反射神経、並外れた筋力、相応しい体格……と多くの資質が要求される。


「……クソッ、バケモノか!」


 こはるをかばって数メートルを背中で滑った宗豪が吐き捨てる。


「こっちの科白(せりふ)だ。トゲ野郎」


 顗は拳を引いて第二撃の体勢に入る。

 正拳突きの構え。父からも兄からも、この技の受け手として、さんざんにこき使われた。意趣返しの一撃で、今すぐにでも目の前の男をバラバラにしてやりたい。


「その子についても、洗いざらい吐いてもらおうか。それか、まずお前から消えるか?」


 完全に敵役の科白だ。内心では焦っているのが自分でわかる。

 人間界にいない蟲を吐く──その妖種は他者に擬態したり、憑依することも出来ると聞いた。なら、そこにいる廣距こはるこそが、天風鳴夜なのか。


 捕獲するか。いや、相手はあの顕醒の手すら擦り抜けた相手だ。手緩い真似はせず、後顧の憂いを断つためにも、ここで宗豪もろとも討滅すべきか。

 その場合、維に何という? この異空間の正体は?

 迷いから、相手に数秒の猶予を与えたことを、顗はのちに悔やむことになる。


「つ⁈」


 背後から、手足に何かが巻き付いた。イカの足か、植物のツルか。

 否──第三支部ですでに聞いている。佐戸を殺した連中のひとりだ。


「阿都志ィ!」

 殺意をみなぎらせて体をひねる。

 そこを狙ったかのように、顔面を薙ぎ払われた。

 ショベルカーのアームで殴られたような一撃だった。触手が解かれ、顗は土砂を散らしながら地面を転がった。


「づぅ! なんだこいつ⁈」


 それでも顔をしかめたのは、殴ったほうだった。

 一八〇超えの高身長に、顗にも匹敵する肩幅の持ち主だ。


「ああ? あいつ、まさか露斗かよ?」


 もうひとりの男が頓狂な声を上げる。こちらも背丈は一七〇を軽く超えている。スルスルと縮んでゆく触手が、せり出た腹の肉に収まる。


「お父さん!」


 巨躯のほうに向けて、こはるが叫んだ。

 それが廣距武流。もうひとりが弟の阿都志だ。


「銅像見てぇなツラしてやがった」

「まじ? けど今ので首折れたくね?」


 などと言い合っているさなかにも、顗は悠々と立ち上がっていた。


「ようやく出たな」


 首は無事。殴られた頬には、一部の腫れもない。


「しかも後ろからたぁ、相変わらずしみったれた奴らだな」

「ああ? てめぇ、誰に口聞いて──ッ⁈」


 バチン──毒づいた武流の顔が、見えない拳に殴られる。

 顗の拳から飛んだ衝撃波だ。


「誰? 人間捨ててもチンケな技しか使えねぇゴミだよ」


 ちっ、と武流が舌打ちする。それを見て、今後は控えようと思う顗だった。


「んだぁ今のは? クソが。殺すか」


 武流の体が膨れあがる。あり得ない箇所の筋肉がいびつに隆起して、不出来な葡萄のような肉体が出来上がる。

 阿都志も何十本という触手を腹から拡げて、こちらの様子をうかがっている。

 宗豪も立ち上がっていた。肘には蟲がたかっている。傷口を治しているようだ。


(佐戸さん。仇、討ちます。維……悪いな)


 一緒にやろうと言ったが、千載一遇の好機。あとで殴られるとしても、逃す道はない。


「こないだ殺ったジジイよりは、よっぽど歯ごたえがありそうだな」

「ていうかよ、温香足りねぇじゃねぇか。温香出せよオイ」

「パーティかなんかと勘違いしてんのか、テメェら。そっちこそお袋どうしたよ。まさか母親にまで逃げられたか?」


 なにやら禁句だったらしい。

 廣距家から殺気が爆発した。


(来いや──!)


 諸手を腰だめに構える。

 その時だった。

 ダンッ──全員の、ちょうど中央に、影が降り立った。

 唐突さと、異様な圧力に、その場にいた誰もが息を呑んで固まる。


(こいつ⁈)


 ガシャン、と怪僧が遊環を鳴らす。

 雲水──なぜ、ここにいるのだ。

 このたった数秒のあいだに、次々と謎が増えてゆく。

 そして顗はここへ来て、はじめて脱出を考えた。

 雲水が廣距の味方かどうかは判らないが、もしそうなら、彼我のパワーバランスが逆転する可能性はある。


「ああ⁈ んだテメェ! ──おあ!」

「げぇ⁈」


 怪僧に突っかかった武流と阿都志が、いきなり地面に這いつくばった。目に見えない圧に押し潰されているようだ。

 宗豪のほうは一歩も動かない。下手に動けばこはるが巻き込まれると踏んだか。

 結局、雲水はそんな祖父と孫娘を置いて、顗へと向いた。


「ちょうどいい、オメェさんにも訊きたいことが山盛りなんだよ!」


 顗は今度こそ、腰に溜めていた拳を突き出した。衝撃波が地面を抉って雲水を撃つ。


「うお⁈」


 直後、その波に顗自身が呑まれていた。

 撥ね返された──どういう術を使われたかは分からないが、金剛で身を固め、真空の暴流に耐える。巻き上がる土煙で視界が奪われる。

 がしゃん──遊環が、もういちど鳴らされるのが聞こえた。


「──あ?」


 視界が晴れた瞬間、顗の思考は停止した。

 廣距家と雲水の姿は、どこにもない。

 青空の下に、顗は舞い戻っていた。

 懐の端末が支部からの呼び出しを告げていた。



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