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証の節・蹉跌 其之弐『糾われるもの』


   ⑤(あざな)われるもの



 広場のベンチから駅舎の大時計を見上げて、凰鵡は溜め息を吐く。

 空の半分は群青色。もうこんな時間か……あるいは、まだこんな時間か……どう思えばいいか判らない。


 飯生木奈月が保護された時点で、凰鵡と翔は所定のノルマを達成したとみなされ、待機を言い渡されていた。

 保護とはいうが、実情は収容に近い。いまも彼女は厳重な監視のもと、医療班と霊科班の双方から解析を受け続けている。


 支部長が動ければ一瞬で判るのに──とは、誰もが頭のどこかで思っていることだろう。だが捜査の進捗が遅いと感じるのは錯覚だ。零子ほどの能力者は、世界にも数えるほどしかいない。彼女がいないこの状況こそが、本来ならスタンダードである。

 それに、第一支部の霊科班が他支部に劣ると聞いたこともない。ただ、零子の霊視が強すぎるのだ。本人の性格もあって、多くの仕事が彼女個人に流れてしまっている、という班員の不満はどこかで耳にしたことがある。


 自分達も、翔のおかげで呪者のひとりを即座に確保できた。奈月の姿には胸が痛むが、成果の点では良い流れが来ている気がする。

 が、探し回ればもうひとりくらい見つかるのでは、という提案は師に止められた。


 「流れに乗りてぇのは分かるが、急くねぃ」


 あとは解析の結果を待って、確実に確保していきたいという。天風鳴夜や雲水に出くわす可能性も考えると、下手に動き回るのも得策ではないとか。


「おまたせ」


 いつの間にか地面へ落としていた視界に、ソフトクリームが差し込まれる。

 顔を上げて、凰鵡はホッとする。


「ありがと」


 翔の手からアイスを受け取り、さっそく先端を唇で挟む。


「寒くないの?」


 隣に座った朱璃が不安そうに訊ねる。


「大丈夫。ボク、寒いほうが好きだから」


 今日は夕刻からの冷え込みが激しい。食べる自分も自分だが、売っている方もそうとうな物好きだ。

 駅前広場には今日も、名物といわれるキッチンカーの列ができている。待機中でも外出許可はもらえるため、一応の終業を迎えた朱璃も誘って、散歩に来たのだ。

 翔は立ったままコーヒーをすすり、朱璃も揚げたてのチュロスを少しずつ囓っている。


 こうして三人揃うのは、いつぶりだろう。

 翔は受験を終えるや、助手として現場に出されるようになった。訓練も激しさを増しているようだ。朱璃も事務員のみならず、連絡役や独自の研究など、出来ることを着実に増やしている。ふたりとも多忙であると同時に、それに見合う成長を遂げてもいる。


 自分だけが、翔の来た半年前から……いや、朱璃と出逢った一年前から、何も変わっていない。肩書きは正式な闘者となり、単独での任務を受けるようにもなった。だが任される仕事は危険性の低い調査や監視。それでさえミスを犯す始末で、闘者としてのランクはいまだに下位のままだ。

 だから、ふたりと一緒にいられる嬉しさの反面、その輪のなかで、凰鵡は肩身の狭さを覚えずにはいられない。


 奈月の保護にしても、自分はなにもしていない。翔に着いていっただけだ。

 その翔も、奈月を保護してからは口数が少ない。同級生が犯人だったことへのショックだけではなかった。


 「あのとき何もできなくて、ごめん」


 その謝罪の意味は、ついさっき教えてくれた。

 奈月がいじめを受けていたころの話だ。浦田達の手口は巧妙で、教師はおろか、他の生徒の目があるときには、決してその素振りを見せなかった。それでも、なんとなく察している者もいた。翔もそのひとりだった。

 そして、疑惑が深まる出来事があった。


 ある日の放課後、たまたま教室に大事な忘れ物をして学校に戻った翔は、廊下の先の女子トイレへと入ってゆく浦田グループと、奈月の後ろ姿を見かけた。浦田達はお喋りに夢中で、翔の存在に気付きもしない。奈月だけが振り返った。

 助けて──彼女の眼がそう言っているように見えた。


 しかし、当時の翔には、疑惑だけで女子トイレに突入する胆力も、舌先三寸で奈月を連れ出す機転もなく、まして直感に従って動けるだけの自信もなかった。モヤモヤしたものを胸に抱え込みながら、校舎をあとにするしかなかった。

 その夜、珍しく家にいた拓馬に「顔が浮かない」と言われなければ、見たことを一生〝見なかったもの〟にしていたかもしれない。


 思いきって父親に話したことが原因かはさだかでないが、翌日から奈月は学校に来なくなり、ふたたび会うこともないまま、卒業を迎えた。彼女の不登校からいじめの噂が湧き、浦田達もばつの悪さを感じたか、誰かが新しい標的にされたという話もなく、疑惑は疑惑のまま、皆の記憶のかなたへ流れた。


 それでも、あの一瞬を看過したことが、翔の心にはしこりとして残っている。それはきっと、奈月に「大鳥くんは悪くない」と言われた今も消えていない。


「あれ? みんなでどしたの」


 不意の声に、三人して顔を巡らせる。

 サンドイッチのようなものを手にして、維がいた。


(なんで……この人、遊んでるの?)


 と、毛が逆立つ凰鵡を制するように────


「維さん!」


 朱璃が駆け寄った。


「お疲れさまです。調子はどうですか?」

「うーん、まぁまぁってとこかな」


 苦笑いしながら維はサンドを食む。


「そっちはどう?」

「心配しないでください。順調ですよ」


 朱璃もほがらかにチュロスを口にする。笑えるほどの進展はないはずだが、維を安心させたいのだろう。


「それ何? サンドイッチ?」


 翔が維の獲物を目で指す。


「キューバサンド。チーズとマスタードましまし。ひとくち食べる?」

「いいよ。晩飯近いし」

「顕醒みたいなこと言うのね。こんなの前菜よ」

「維さん」


 思いきって、凰鵡も声をかけた。


「どうして、今回は──あ」


 溶けたアイスが手に垂れた。慌てて、むさぼるように食べる。

 維の眼が空に泳ぎ、朱璃に向いて、こっちへと帰ってくる。


「……どうしてもね、討たなきゃいけない仇があるの」

「佐戸さんのことですか?」


 彼の死についても、朝食後に共有された。維との関係は知っていたため、凰鵡にとっても大きな衝撃だった。


「佐戸さんもそうだけど、アタシ自身のこともね」


 その言葉の意味が、凰鵡には分からない。


「ごめんね。アタシも早く合流できるよう頑張る」


 維がしゃがみ込んで、凰鵡の頬をハンカチで拭った。アイスが着いていたようだ。

 子供扱いされているようで腹が立つ一方、その奥底から、懐かしさが込み上げてくる。

 ずっとずっと幼いころ……物心着いたときにはもう、維の存在はすぐ近くにあった。

 手を引いて歩いてくれた。汚れた顔を拭いてくれた。漏らせば服を取り替えてくれた。柔らかな歌と胸で眠らせてくれた。悪さをすれば叱ってくれたし、出来たことには誰よりも褒めてくれた。ある意味では兄以上に世話をしてくれて、可愛がってくれた。

 兄と結婚して一緒に暮らしてくれたらいいのに──幼心に、そんな夢さえ抱いた。


 それなのに、なぜ自分は、こうなってしまったのだろう。

 時が流れ、心が変わる──これが大人になるということなのだろうか。

 だとしたら、嫌だ…………


「あの子、来てるわ」


 意識が現に引き戻される。

 言われてはじめて、右手から視線を感じた。

 視界の端で確かめると、広場を出た歩道の往来に紛れて、あのワンピースの少女が、こちらを見つめていた。


「さて、どうしよっか」

「維さんは、どうしたいです?」

「アタシ、あの子に話さなきゃいけないことがあるの。アンタにもね」

「……ボクに?」


 維は少女のほうを向き、笑顔で手招きした。

 翔と朱璃も彼女の存在に気付いて、少し驚く。

 最初は戸惑っていた少女だが、凰鵡も手を振ると、ようやく歩み寄ってきた。


「こんばんは、こはるちゃん」

「こん……ばんは」


 少女は様子を覗うように、うつむく。


「まだ、お母さん探してるの?」


 うつむいた頭が、さらに沈む。


「おぶせはるか、っていうのよね」


 もういちど、少女は深くうなずく。

 その両手をやんわりと取って、維は静かに告げた。


「前は知らないって言ったけど、あれは嘘。ごめんね。ひとり知ってるわ」


 すっ、と覚悟を決めたような呼吸。

 だが相変わらず、維の声は優しいままだった。


「アタシが、おぶせはるか」


 凰鵡は目を円くして、維の横顔を見つめた。

 翔も困惑していた。朱璃だけは唇を固く結んで事態を見守っている。


「けど、その名前は、十何年も前に変えたの。いまのアタシの名前は維。あなたが探していたのはアタシかもしれない。けど、アタシは子供を産んだことがないの。だから、こはるちゃんのお母さんじゃない……と思う」


 少女はじっと維を見ている。なにを思っているのかは窺い知れない。

 そう思った次の瞬間、意外な言葉が返ってきた。


「そんな気が、してました。ごめんなさい」


 少女の顔は晴れない。予想が外れて欲しかったと言いたげだ。


「あなたの、お父さんの名前は?」

「……たける」


 一瞬、維の(まなじり)に強い殺気が走ったのを、凰鵡は見逃さなかった。


「そう」


 維は視線を地面に落とし、瞼を閉じた。

 数秒間の重苦しい沈黙──誰もがその緊迫から抜け出すすべを探しながら、心の底では、誰かの言葉を待ち続けているようだった。


「よしッ」


 期待に応えんとばかりに維が顔を上げた。

 そして、全員が目を点にした。


「こはるちゃん、アタシと遊ぼう」


 誰かが思考力を取り戻すより早く、維はポカンとしている少女の腕を引っぱるように、夕刻の繁華街へと歩き出した。


「え、ちょ維さん⁈」

「どうなってんの!」

「アンタらもおいで。アタシの奢りよ!」


 最後の一語が決め手かいなか、朱璃と翔が維を追う。凰鵡も、そのあとに続いた。

 維がなにを考えていて、少女は何者なのか。分からないことだらけだ。だが一方で、今朝から心に垂れこめている重苦しい霧が、少し晴れた気がした。

 有無を言わさぬ勢い。強引さと明るさ。ようやく、いつもの維が帰ってきた。


 街は昼の生業を終えた人々で賑わいを増し、いよいよ陽も落ちて、煌めくネオンが夜の風情を濃くしてゆく。

 服屋、靴屋、アクセサリーショップ──人の波を抜け、光の渦から渦へ、飛び込んでは飛び移る。維に連れられて一時間もするうちに、少女は印象をがらりと変えていた。ワンピースは新調され、その上にはギンガムチェックのインバネス。底のすり減ったパンプスはショートブーツに。髪はギブソンタックに編まれて、蝶型のバレッタを添えられた。

 押し着せるように維がコーディネートしていったのだが、振り回される方もまんざらではない様子だった。


「なんか、ホントに母と娘ってかんじだな」


 勢いで着いてきたものの、見守るしかやることのない翔の呟きに、凰鵡は不思議な気持ちでうなずく。

 最近では足が遠くなったが、この繁華街には自分も馴染みがある。維に連れ回されたことも一度や二度ではない。リボン付きの可愛い服を着せられかけて逃げたこともある。今ではちょっとした笑い話……のはずが、今日に限って、思い出してもクスリとも出来ない。


 朱璃も早々に維達のあいだに溶け込んで、すっかり女子三人組の輪ができあがっている。可愛いものや、キラキラしたものに素直に心ときめかせている彼女達を、凰鵡は少し羨ましいと感じた。コスメショップで、リップのサンプル品を挿してもらうこはるを見ながら、自分も化粧をしたらどうなるだろう、と思いを巡らせて、戸惑ってしまう。


 所在なさと、押し寄せるような香水の香り、四方から飛んでくる視線に耐えられず、結局はこはるのメイクアップが終わる前に、気配を断って店へ出た。

 軒先では、最初から外にいた翔が、スマートフォンに指を走らせていた。


「おかえり。維さん達は?」


 凰鵡に気付いて、一瞬、視線を上げる。左手はひっきりなしに文字を打っている。


「もうちょっとかかりそう。紫藤さん?」

「当たり。帰りが遅いからって心配された。だから現状と、こはるちゃんのことを、な」


 ふたりして苦笑する。紫藤の性格上、心配されたのは事実だろうが、軽いお叱りも含まれていたかもしれない。外出許可を得ているとはいえ、自分達は待機中の身だ。遊んでいていいわけではない。


「ボク達はそろそろ戻った方がいいね」

「んー」


 凰鵡の提案に、翔は口もとを手で覆い、考える。


「オレは戻る。向こうでも進展があったらしくて、そっちを聞いてくる。凰鵡は三人に着いててくれねぇか?」

「ん? いいけど……」

「わりぃな。こはるちゃんのことも気になるし、維さんも本調子じゃないっぽいしな。みんなには、私用でおじさんに呼ばれたって言っといてくれ」


 翔の言うことはもっともだ。こはるの正体については、凰鵡のなかでも、まだ疑惑が消えない。

 だが、女性陣に入り込めない自分を置いてゆくなど、随分と酷な提案だ。翔は自分に面倒を押しつけて、ひとりだけ帰ろうとしているのではないか。


(ちがう──)


 その理屈なら、翔はもっと肩身の狭い思いをしているはずだ。


「うん、わかった。気をつけてね」

「ああ、そっちもな。こはるちゃんに、また会おうって言っといてくれ」


 と言い残して、翔は雑踏に消えようとした。


「あ、翔──」


 その背中に声をかけて…………


「ん?」

「ごめん、今じゃなくていいや」

「ん……じゃ、あとで」


 そのまま見送った。

 ──ボクが、お化粧してみたいって言ったら、どう思う?

 口に出なかった言葉が心に跳ね返ってくる。

 そして、訊かなくて良かったかもしれないと、胸を撫で下ろす。言ってしまうと、翔との関係が壊れてしまうかもしれない。その可能性が、凰鵡にはたまらなく怖い。


「凰鵡、ごめんね。おまたせ」


 と、店から維達が出てきた。


「おかえりなさい。わッ、こはるちゃんスッゴい綺麗!」


 当初はお世辞にも顔色がいいと言えなかった少女はいま、街の灯りにも負けないくらい輝いていた。

 メイクの効果だけではない。本人の表情も、別人のように明るい。


「あ、ありがとうございます。あの……マニキュアも、してもらってたんです」


 凰鵡からよく見えるよう、両手を顔の前に揃えてみせる。

 白い筋の目立っていた爪は、それぞれが異なるパステルカラーに──しかも並べると虹色になるよう──彩られている。


「可愛い。似合ってるよ」


 凰鵡が褒めると、こはるは恥ずかしそうに視線を逸らしながら微笑む。

 まだ感情を抑え気味ではあるが、ここまでのわずかな時間が、彼女にとってどれほど楽しいものだったかが分かる。


「翔くんは?」

「紫藤さんに用事があるって、先に帰ったの。こはるちゃん、また会おうって」


 こはるも笑顔でうなずく。ほとんど後ろから着いて来るだけだった翔だが、彼女ともいくつかは言葉を交わしていた。


「あら、残念」


 維が溜め息をつく。


「せっかくアタシが美味しいもの御馳走してあげようとしてたのにねぇ」


 残って正解だった──美味しいものと聞いて凰鵡は心躍らせ、采配した翔に、心のなかで手を合わせた。




 繁華街から支部まではそれほど離れておらず、翔が修めた初歩程度の雲脚でも、五分と経たずに帰りつける。右手の痛みがぶり返すこともなかった。

 ミーティングの会場は、やはり食堂。ボックス席にはすでに叔父、顗、真嗚の三人が揃っていた。凰鵡も朱璃もいないため、輪に加わった翔は年齢でも身分のうえでも、ひとり圧倒的に下の立場となる。朝の何倍も緊張する。これで顕醒までいたら、胃に穴が空いていたかもしれない。

 このプレッシャーを凰鵡も切り抜けてきたのだ、と自分を奮い立たせる。


 街をぶらついていたことへの叱責を覚悟していたが、これはさいわいにも杞憂に終わった。逆に、こはるの情報を伏せていたことを謝罪され、凰鵡を残してきた判断には賛辞をもらった。

 が、翔の高揚は、顗に捕獲された妖種から判明した事実で消え去った。


「きみの同級生と同じだ。彼もヒトだったよ。変異が著しくて、もう喋ることも出来ないが」


 身体や家屋内を調べた結果、彼が三番目の受刑者殺しの犯人であることも確定したという。


「じゃぁ……オレらがやったのは」


 昨夜、叔父に撃ち殺されたのは、呪者の怨念で呼び出された妖種ではなく、〝怨念によって妖種化した呪者本人〟だったわけだ。


「翔、すまない。また、こんなことになってしまって」


 隣に座った紫藤が頭を下げる。

 翔は静かにかぶりを振った。ヒトを撃った。まいったことに初めてではない。だが、慣れることなど出来ようはずもない。


「残りの犯人は? まだ何人か、いますよね」


 気持ちを切り替えようと、真嗚に訊ねる。


「顗くんが家を見つけてくれたが、どこも留守じゃった」


 いわく、事件の数日前から家族を残して行方不明……もとから独居で隣人にも失踪を気付かれていない……同居人の惨殺体を置いて……と、状況はさまざまだが、いずれも〝いた気配〟だけで、姿は確認できなかったという。ついさっきまでそこにいた形跡が残る家もあった。


「もとに戻れず、帰るに帰られんのかもしれんが、すでにおっんどる可能性もあるな」

「動機は、やっぱり……」

「怨恨。みぃんな被害者やら遺族やら」


 真嗚は深い溜め息を吐く。見立てどおりだったわけだが、これほど当たって嬉しくないものもない。

 と、厨房から料理が運ばれてきた。翔が合流した直後に、それぞれが注文したものだ。


「よしゃ、食うぜ皆の衆。空腹は憂鬱の味方、問題解決の敵じゃ。いただきにゃんす」


 真嗚が我先にと分厚いステーキにかぶりつく。朝もほぼ肉だったので、食性は本当に猫に近いのかもしれない。

 翔もカツ丼に箸を付けようとして……懐の振動に手を止めた。

 箸を置いて画面を開く──凰鵡からのメッセージと画像だった。

『維さんに御馳走してもらってる。翔ごめんねー』

 レストランのテーブルを囲んでカメラに笑顔を向ける四人。楽しくやっているようだ。こはるも維の隣で小さくピースしていて、微笑ましい。


「無理に帰って来なくてもよかったんだぞ?」


 叔父に図星を突かれてしまう。

 和気藹々とした向こうの空気が少し羨ましいが、任務のためと思えば悔しくはない。


「おお、向こうは華やか、こっちはむさ苦しいかぎり。あんちゃん、せっかく両手に花やったもの、惜しいことを」


 前の席のふたりにも見せれば、真嗚がニヤニヤしながらからかってくる。昭和のオヤジじみた下世話さに、この童顔妖種が〝爺〟であることを思い出す。


「こン子がこはるちゃんか。聞いてたよりえらく垢抜けとるな。邪気も感じられん」

「まぁ、維さんと朱璃ちゃんにコーディネートされましたしね。親子っていうか、歳の離れた姉妹みたいでしたよ」


 チラリと顗に視線を泳がせる。維が降りた理由はまだハッキリ聞かされていないが、朝の様子からして、顗が妹の身を案じているのは間違いない。こうして楽しげな姿を見れば、少しは安心もできるはず。

 だが、その顗は眼を細め、(いぶか)しむように画面を睨んでいた。


「顗さん?」

「あ? あ……すまん。維は、なんで駅前にいたんだ?」

「なんか、やることがあるみたいですよ」


 朱璃の訳知りぎみな言葉や、維自身の態度から「ただ休んでいるわけではない」と翔は察していた。


「やること、か……」


 考え込むように小さく唸って、顗は翔のスマホから身を引いた。

 嫌な予感がした。この写真、顗に見せるべきではなかったかもしれない。




 食事のあと、凰鵡達はゲームセンターへ移っていた。


「え、朱璃さんすごっ」


 パンダのぬいぐるみが吸い込まれるように穴へ落ちるさまに、凰鵡は目を円くする。

 軒先に並んだクレーンゲームだ。服選びの際にも前を通っていて、こはるが筐体をチラチラと見ていたのには凰鵡も気付いていた。だが、見ぬフリをしてしまった。

 不得手なのだ。自力で景品を得られたためしがなく、いつも悔しい思いをしている。

 それでも、レストランを出てからも、こはるの目が名残惜しそうに通りの向こうへ泳ぐものだから、つい「行ってみようか」と誘ってしまった。

 言った限りは自分が、と意気込むも、やはり取れなかった。五〇〇円で六回の挑戦が可能だったが、三回連続で無力を露呈した。


 「よし、アタシがやったる」


 苦戦する弟分を見かねて維が選手交代した。吊り上げたぶん凰鵡よりは手応えはあったが、穴に落とすまでに落下すること二回。本人いわく「ブランクが溜まってて、コツを忘れた」らしい。

 最後はこはるにもやらせてみたが、当然と言うべきか、奇跡もビギナーズラックも起こらなかった。

 やっぱりダメか、と落胆し、こはるに申し訳なく思っていると────


 「いいわ、大人の力、見せてあげる」


 維が財布から一万円札を取り出す始末である。こはるに取ってあげたいというより、ただ負けず嫌いに火が付いた様子だった。

 が、維が両替機へ走るより先に、思わぬ伏兵が現れた。


 「ちょっと、わかったかも」


 朱璃である。投入額はたったの二〇〇円。

 その初手でキャッチャーのアームに獲物を引っかけて角度を調節し、二の太刀で文句なしのホールド。開口部へシュートしたのだった。


「はい、どうぞ」


 丁寧に両手で取り出したパンダを、朱璃はこはるに差し出す。


「え、あ……すみません」


 信じられない、と言うように目を円くして、こはるは遠慮がちに受け取った。


「こういうときは〝ありがとう〟でいいんだよ。こはるちゃん」


 優しく笑って、朱璃が諭す。


「あ……はい、ありがとうございます」


 少し照れくさそうに言い直して、少女はパンダを抱きしめた。


「朱璃ちゃんアタシにもなんか取ってよ」

「今みたいに上手くいくかな。でも、他のも気になるし、いいですよ」

「やった。じゃぁ替えてくる! ここで待ってて」


 結局、維は両替機をもとめて店の奥へと消えた。


「よかったね」


 良いトコなしの立つ瀬なさを紛らわすように、凰鵡はこはるに声を掛けた。


「……はい。凰鵡さんも、ありがとうございます。大事にします」


 パンダの頭の向こうから上目遣いに視線を合わせて、こはるは微笑む。

 その笑みが、とつぜん、途絶えた。


(なに──?)


 凰鵡もその気配を感じ、背後を振り仰ぐ。


「どしたの?」


 朱璃が訝しむ。普段なら彼女を守ろうとして前へ出るところだが…………いまの凰鵡には、それが出来なかった。


「あ……ああ……」


 毛穴という毛穴が、ねばつく汗を噴いた。

 煌びやかな繁華街の彼方──タワーマンションの屋上。

 夜空に溶け込むように、そいつは佇み、間違いなく、こちらを見下ろしていた。

 かなりの距離があるにもかかわらず、かつて覚えたことのない圧に、指一本とて動かせなくなる。

 否……威圧されているのではない。自分が一方的に萎縮しているのだ。


(本当にいた……)


 遊行者風の大男──悪夢の顕現か、醒めない夢か。

 だが、なぜこうも、あの男が恐ろしい。何ひとつ思い当たらない。

 正体不明の恐怖が困惑を生み、困惑は恐怖をさらに加速させる。負の循環に、凰鵡は立ちすくむしかなかった。


「凰鵡……?」


 戻ってきた維が凰鵡の異変に気付く。

 視線を重ねて、同じように息を呑んだ。

 そして、さらなる混乱が、全員を襲った。


「──え、こはるちゃん?」


 朱璃の声で、ふたりは我に返った。


「こはるちゃん!」


 今のいままでそこにあった少女の姿が、どこにもない。

 逃げた? だが、音も、風も感じなかった。


(まさかアイツが──⁈)


 ふたたび夜空を仰ぐ。

 雲水の威容もまた、摩天楼の頂から姿を消していた。

 まるで、最初からすべてが幻だったかのように。



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