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忌の節・怯臆 其之参『彷徨えるもの』

     ③彷徨(さまよ)えるもの



 零子が倒れた────紫藤からそう告げられた瞬間、朱璃は世界が大きく遠ざかってゆくような浮遊感に襲われた。少年の正体を知った驚愕すら吹き飛んでいた。


「いま、どちらに?」

「医務室に」


 〝いむ〟まで聞いた瞬間、事務室の出口へ走った。

 が、そうすると見透かされていたかのように、腕を掴まれる。


「行かせてください!」

「落ち着くんだ。命に別状はない。だが面会を制限している」

「どうしてです⁈」

「倒れたときに、眼鏡が破損した」


 それだけで、すべてを察した。

 零子の霊視能力は、本人でも制御できないほど強い。霊魂を感知するだけでなく、人を見るだけでその思考や過去をも否応なく認識してしまう。だから普段は、力を無力化する特別な眼鏡を着用している。


「目隠しはしているが、精神面でもかなり疲労が溜まっている。倒れたことで自分を責めてもいる。無闇に訪ねていっても捜査のことを考えさせて、気を使わせるだけだ」


 そう言われると朱璃も反論できない。いつも自身より他人のことを考えているような人だ。そんな零子のことを、紫藤は自分以上に理解していると、認めざるを得ない。


(いちばんつらいのは、この人かもしれない)


 深刻そうな顔はいつものことだが、今はとくに眉間のしわが深い。


「すみません……取り乱してしまって」


 踵を返して、部屋のなかの全員に向けて頭を下げる。

 皆、「しかたないよ」という顔をしてくれるが、それでも視線が痛い。

 凰鵡、維、翔、紫藤、顕醒、不動翁、維の兄だという顗、そして自分の計八人。いつにない大所帯で、ミーティングは始まった。


 ほとんどが馴染みの顔ぶれでも緊張する。しかも出席者のうち三人は、斗七山の一角。

 《鬼不動・顕醒》《不動翁・真嗚》《万濤破山の顗》──とくに広くもないこの部屋のなかだけで、いったい、衆の総戦力の何割があるのだ。


「で、顕醒よ……」


 席にも着かずに挙手して発言したのは不動翁。あの顕醒を呼び捨てにするさまは、さっきまで自分達とおちゃらけた遣り取りをしていた少年とはまるで別人だ。


「はい」

「今はおんし(、、、)が支部長代行か?」

「ええ。紫藤さんの助けを借りていますが」


 分かってはいたが、それでも意外だった。

 規定上、零子が執務不能に陥ったさいには、情報アクセス権限において次点の支部員が代行を担うことになっている。つまり顕醒だ。

 彼が事務方をやる姿など想像できないが、さしたる混乱が起きていないのは紫藤が臨時の補佐に入ったおかげだろうか。


 しかし、こうして帰った以上、自分がもといた立場は返還されるはず。

 それが憂鬱だ。正直なところ、顕醒という男に、朱璃はまだ苦手意識を持っている。

 その采配にはこれまで何度も助けられてきた。だが、それらはあくまで現場指揮官としてのもの。しかも自他の危機を顧みなかったり、敵を欺くために味方を利用した疑いも、一度や二度ではない。なにより口数は極端に少なく、表情は皆無。

 そんな人間のもとで、落ち着いて仕事に打ち込める自信はない。だが、否と言えるわけもない。

 そんな朱璃の不安は杞憂に終わった。

 ふむ、と少し考える動きを見せてから、真嗚は言った。


「ここの所属じゃネェが、儂が変わろう」


 顕醒以外の誰もが目を円くした。


「お師匠様が……⁈」


 思わず声を上げた凰鵡に、不動翁はニッと白い歯を見せて微笑む。


「しかし不動翁、あなたは──」

「まぁまぁ」


 紫藤の反論をやんわりと手で抑える。


「儂にも本来の仕事があるが、そっちはいったん落ちついとってな…………休暇のつもりじゃったが、このタイミングでここに来たンも、なんかの縁とは思う」


 不動翁は平素、本部に詰めて独自の任務に就いているという。内容はレベルAの最高機密。とうぜん朱璃に触れられる話ではない。二番弟子の教育を一番弟子に委ねているのも、この任務のためらしいが、その噂を教えてくれた凰鵡すら詳しくは知らなかった。


「応援の捜査員として動くにゃ現場のブランクも溜まっとるし、闘者筆頭で土地勘のあるここの主力を後方に留めとくのも忍びあるまい」


 顕醒と紫藤のあいだに立って、ソファの方を振り向く。室内で最高身長のふたりに挟まれながらも堂々とした佇まいである。外見と中身のアンバランスさに、朱璃の頭はまだ混乱してしまう。


「ここの緊急要項は把握しとる。円滑な捜査のため、支部長代行にと儂が招聘(しょうへい)されたことにすりゃぁカドも立たんじゃろ」


「理にはかなっていると思いますが……」


 紫藤が考え込んでいると、ソファから手が上がった。


「オレも部外者ですが、賛成ですよ」


 顗が発言した。維をそのまま男性にしたような、よく響く明るい声だと、朱璃は思った。


「ケンは支部長ってガラじゃねぇし、みんながビビッて仕事にならねぇ。《智七山(ちしちせん)》の爺さまがやってくれたほうが、ずっと安心ですよ」


 ああそうだ。顗の言葉で朱璃も思い出す。

 智七山──斗七山の華々しさに隠れて目立たないが、闘者の連峰と対をなす、智慧者の連峰。朱璃が尊敬する麻霧零子もそのひとりだ。

 武勇と智慧の両方で七傑に入る──その唯一の存在が、不動翁なのだ。


「まぁ顕醒。まず、おんし次第じゃが?」

「異存ありません」


 現支部長代行は静かに答えた。こうなるのを待っていたかのような即答ぶりだ。


「助かる。おのおのがたは、よろしいかの?」


 沈黙。全会一致を意味するが、そもそも話の次元が違いすぎて判断を放棄している者もいるだろう。少なくとも朱璃自身はそうだ。

 だとしても、気に掛かることがある。


 維の無言──いつもなら、きわどい冗談を交えつつ率先して話し、重くなりがちなミーティングの空気を和らげてくれるというのに。さっきの顗の皮肉に畳み掛けてくることもなかった。

 事態を静観しているにしても、表情はずっと憂鬱げ。こんな姿ははじめてだ。


(お兄さんか、顕醒さんと何かあった? 不動翁さんと仲悪い?)


 そうだとしても、こうまで黙り込む維ではない。


「ほんじゃ僭越ながら、零子ちゃんが戻るまで、儂が支部長代行を務めさせてもらうぞ。朱璃おねえちゃん」

「なに? え──あ、はい!」


 お姉ちゃん呼びに、思わず気安い返事をしてしまった。邪気のない笑顔と目が合う。


「そういうわけで、さっき言った感じに、本部に出す書類、頼める?」

「はい! すぐにやります!」


 全身冷や汗まみれになりつつ、朱璃はタブレット端末を開く。


「いやいや、どうせ事後承認になる。ゆっくりでええよ。それよか……」


 真嗚は零子のデスクに着き、PCを立ち上げて、軽快にキーボードを叩く。ソファ側は見えないが、ロックを解除したようだ。


「……とまぁ、アクセスは出来っが、人事とか機能はさすがに把握しとらん。なんで、横でアドバイスしてくれると、ありがてえ」

「は、はいッ。任せてください」


 色んな意味で背中がむず痒い。「お姉ちゃん」呼びは確定らしい。


「あんがと。それから紫藤くん」


 紫藤が〝くん〟呼びされる状況に朱璃は鼻白む。不動翁の実年齢は一体いくつなのだろう。


「きみも、おねえちゃんと一緒に儂をカバーしてほしい。具体的にゃ、優先度の低い事件の事務処理。当局との連絡役、それから儂が指示する情報の収集に徹して欲しい」


 室内に小さな動揺が走った。闘者ではないものの、紫藤は前衛捜査も務めるオールラウンダーだ。その彼を事務方に徹させるという。

 だが揺らぐ空気を気にもせず、真嗚はPCに向かってひたすらに目と手を動かしている。零子が残した記録と資料を観ているようだが、読む速度が尋常ではない。


「では、受刑者の件の追加捜査は?」

「顗くんに引き継いでもらおう」

「え、オレですか?」


 誰も予想していなかった指名に、本人も目を円くする。


「犯人は討滅されたって聞きましたよ?」

「ところがぎっちょん」


 キーが叩かれ、デスクの引き出しがカチリと鳴って解錠された。

 真嗚の手が小さな試験管を取り出す。衆で採用している証拠保管器のひとつだ。

 なかは空に見えるが、朱璃にはピンときた。


 昨夜、妖種が融解しきる前に採取した肉体の一部だ。すでに消滅しているように見えるが、完全に密封されている以上〝妖種だった成分〟はまだそこにある。紫藤が早くに支部へ戻ったのも、零子にこれを届けるためだった。


「顕醒は視たか?」

「まだです」

「ふうむ、今日来たばっかの儂が視ても、たいしたことは分からん」


 その貴重品を、あろうことか真嗚はデスクごしに投げた。

 レールが敷かれているかのように一番弟子の手元に収まる。声掛けも目配せもない。まさに以心伝心だった。


「どうじゃ?」


 顕醒はケースを軽く握って目を瞑る。零子とはまったく違う〝視方〟をしているのがよく分かる。

 デスクへ歩み寄り、ケースを静かに置いた。


「誰も殺していませんね」


 朱璃のなかを悪寒が駆けていった。ならば、今までの事件の犯人は────


「ホシは別に……んにゃ、あるいは事件ごとに別個、か」


 〝受刑者殺し〟が複数犯だった。だが、前の犠牲者から、零子は今回の襲撃を予見した。それはどういうわけだ。


「他に、おんしの見立ては?」

「呪死者のなごりとよく似ています。発現の仕方が異なるだけかと」


 悪寒が往復してくる。呪殺事件のことは朱璃も知っている。が、まさか受刑者殺しと関連していようとは。


「零子ちゃんも両者に関連ありと睨んでたらしい。儂も同意しよう。両者は根が同じ、という前提で二方面から当たり、真相を突き止めたい」


 ただでさえ大事件だったものが、さらに膨れあがろうとしている。


「で、受刑者殺しのほうが、とうぜん凶暴な妖種に出くわす可能性が高いし、出来れば今度は犯人を捕獲して欲しい。あと手口からして、こっちのほうが佐戸くんの一件にも近道と見る──勘じゃがね。ッてことで顗くんに任したいンじゃ」


 捲し立てるような真嗚の説明が終わって、顗はニヤリと唇を曲げた。


「承知。その勘、アテにさせてもらいますよ」


 バチン、と拳を掌に撃ちつける。


「助かる。さて、呪殺のほうじゃが、維ちゃん」

「……え?」


 即応できていない。見るからに心ここにあらずの維に、朱璃は強い不安を覚える。


「捜査、入れる?」


 返事がない。

「維ちゃん?」

「すみません、アタシ……」


 自分の手首を強く握っている。テーブルの上に注がれた眼は、たぶん何も見ていない。今日の維は何もかもがおかしい。訝る朱璃の耳に、聞いたことのない言葉が飛び込んできた。


「今回は、降りたいんです」


 なぜ──目のまえの維を、朱璃は信じられなくなる。鉄砲弾ともイノシシとも呼ばれるいつもの勢いは影もない。維の皮をかぶった別人なのではないかとさえ思えてしまう。


「ふむ、正直そんな気はしたが、かなり思うところありそうじゃな」

「はい……ホントに、ワガママ言える状況じゃないのは、分かってるんです」

「オレからも頼みます。コイツが動けないぶんは、オレがガッチリ埋めますから」


 苦しげな妹を助けるように、顗が声を上げた。


「ああ、ええよええよ」


 真嗚もあっさりと呑んだ。


「事情は()しとるつもりじゃ。いざとなりゃ儂もおるし、何とかなるじゃろ」


 どういうことだろう。モヤモヤしたものばかりが朱璃のなかに増えてゆく。

 口ぶりからするに、顗と不動翁は維の不調のわけを知っている(そして、たぶん顕醒も)。だが自分には何も分からない。


 悔しかった。維と出逢ってからこの一年、姉のように慕い、数え切れないくらい言葉を交わしてきた。維自身のことも、本人の口から多くを聞かされた。

 それでも、朱璃には心許しきれない顕醒や、今日初めて出会った顗、そして不動翁のほうが、維をよく理解している。零子と紫藤も同じだ。

 当然だろう。彼らは十年以上も前から互いを知っている。朱璃がどれだけ彼女達を想ったところで、入り込めない領域を築いている者達がすでにいる。


 頭では分かっても、どうしようもなく気持ちが荒む。

 零子にとって、維にとって、自分はその程度の存在なのだ、と。


「どういうことなんですか、維さん」


 怒気を殺したような声を発したのは、凰鵡だった。

 前髪のあいだから覗く(まなじり)の険しさに、朱璃は身を震わせる。仲間に対してこんな眼をする凰鵡など見たことがない。


「アンタにも、ほんと、ごめん」


 一方の維は、うつむいたまま視線も向けない。


「……勝手すぎます」


 耳を疑った。


「どういう事情か……知らないですけどッ、零子さんが倒れて、みんな、たいへんなのが分かってて……!」


 抑えきれない荒い息と涙声。

 はじめてだ。凰鵡が誰かを非難するなど──しかも、よりによって維を。

 気持ちは痛いくらい分かる。だが普段の凰鵡なら、こういうときにこそ維を気遣うはず。

 今日は何もかもがおかしい。悪い夢なら、早く醒めて欲しい。


「……もしかして、さっきボクが逢った女の子に関係してるんですか?」


 なにそれ──ここへきて初めて聞く話に、朱璃の心は凍る。この部屋を包んでいる事態の全容がまるで見えない。


「誰なんですか。おぶせはるか、って──」

「凰鵡」


 顕醒の声──いつもと同じ静けさの。

 そのひと言で凰鵡は止まった。止められた。まるで親猫に頸を咥えられた仔猫のように。


「…………すみませんでした」


 眼を伏せ、感情の見えない声で謝る。

 が、その目はすぐにまた、開かれることになる。


「ほんじゃぁ凰鵡……と、翔あんちゃん」


 明るい声が、沈み込んだ空気を無理やり持ち上げる。指名された両者とも、まともに返事も出来ぬまま真嗚を見ていた。


「呪殺の件、ふたりでやってみっかい?」


 ほぼ全員が瞠目した。

 朱璃には真嗚の意図が分からない。維が降りたのは痛いが、その代役が駆け出し闘者と訓練生。しかも翔は負傷中だ。ふたりとはいえ、務まるはずがない。

 そもそも、この支部の主力であるはずの顕醒はどうした。


「不動翁──ッ」

「まぁまぁ」


 声を荒げた紫藤をふたたび手で制して、真嗚は続けた。


「皆の不安は分かる。が、まず顕醒は遊撃手として使いたい。顗くん、ここへの道中、天風鳴夜に遭うたってな」


 息を忘れた──凰鵡、翔、紫藤、そして維も同じだ。


「兄……それ、聞いてない」

「すまん、それどころじゃなかったからな」

「顕醒には言ったの?」

「ああ。あと零子さんにも」

「そう」


 兄妹のやり取りはそれで終わった。私語なのだから本来はつつしんで当然なのだが、それすら維らしくない。


「しかも正体不明の、遊行僧風の人物が奴さんを逃がしたと。かなりの手練れじゃな」


 ぞくり……さらなる戦慄が部屋を駆け抜けた。


「その遊行僧ふぜい……仮に〝雲水〟と呼ぼうか。そやつと天風、一連の事件にどこまで関わっとるかまだ判らんが、警戒と捜索が急務じゃろう」


 朱璃も肯定せざるをえない。幽鬼のように神出鬼没の天風鳴夜が、今度は金棒を手に入れたかもしれないのだ。


「零子ちゃんのメモにも、各事件と天風の繋がりを考慮すべしとある。儂もおおむね賛成じゃ。上手く言えんが、流れを感じる」


 流れ……顕醒や凰鵡がときどき口にする概念。不動の者に感じ取れる因果のようなものらしいが、朱璃にはさっぱり判らない。だから、それを根拠にした判断には、どうしても不安が勝る。


「相手が相手。こっちを妨害するより高みの見物を決めとるかもしれんが……まぁ、おんしに任す」

「御意に」


 顕醒は即答する。やはり、こうなるのを待っていたか、あるいは最初から分かっていたような態度だ。

 任務の内容もほぼ丸投げ。だが、それが逆に師から弟子への信頼をうかがわせる。


「しかし、翔は負傷中です」


 なおも紫藤が食い下がる。


「おじさん、オレなら大丈夫」


 当の本人は包帯まみれの右手をフラフラと振って、握ってみせる。もう痛みもなくなったのかと思いきや、眉間に小さくシワを寄せている。


「ホンマなら療養してもらいてぇがな。呪殺のほうはキッタハッタもあるめぇし、凰鵡に耳と目と知恵を貸すくらいで頼むわい」

「はい。オレでよければ」

「凰鵡、よいか?」

「はい……」


 目を床に落として凰鵡は小さく応えた。維は不参加を認めて翔は駆り出す。その不公平さに戸惑っているのだろうか(少なくとも朱璃はそうだ)。


「よしゃ。配置と方針はとりま決定。各々よろしく頼む。ほいじゃ一旦解散して、顕醒と維ちゃん以外は三〇分後に再集合。スタートッ」


 パンッ、と真嗚が柏手を打った。


「あッ!」


 朱璃は悲鳴じみた声を上げていた。

 凰鵡がまっさきに、逃げるように事務室から出ていったのだ。




(ボク、なにしてんだろう……)


 柵に肘を置き、背を丸め、凰鵡は寒空の町並をぼんやり眺める。今年は春が遅い。

 支部の三階に広がるバルコニー──大きな案件が完了したあとには、ここで慰労の立食会が開かれることもある。


 緊張と閉塞感に耐えられず、ここに逃げ込んでいた。

 とうとう、維をなじってしまった。彼女にも事情があるだろうに、それを慮りもせず、ただ〝維なら許される〟という表面的な不公平さに感情が暴走した。


「よッ」


 不意に、翔が隣に並んできた。

 ──来てくれたの──ひとりにしてよ──

 嬉しさと疎ましさが混線する。


「ひとりのほうがいいンなら、消えるぜ」


 ズルいと思った。翔に「消えて」などと言えるわけがない──本当に消えてしまいそうで。


「ん……わかんない。翔に任せる」

「じつはウザかった、とか、あとで言うなよ」

「言わないよ、もう」


 いつもの調子で冗談を飛ばす翔に、思わずクスッと噴き出してしまう。

 半分は愛想笑い。それでも少し気が軽くなる。


「維さんと、なんかあったのか?」

「そうじゃない……そうじゃないんだけど」


 覚悟していたが、いざ訊かれると曖昧な言葉しか出てこない。言うか否か。言うならどんな伝えかたで? 自分の拙さがもどかしい。


「そっか」


 話す気になったら話してくれ、という翔の姿勢に、感謝と申し訳なさを抱く。


「なんか今日、妙な感じだな。維さんもだけど、顕醒さんだってなんか威圧的で──」

「ボクが悪いんだよ」


 反射的に遮っていた。翔の言葉が真実だとしても、兄を悪く言われるのが嫌だった。

 たしかに言葉も表情も乏しい人だ。そのせいで冷徹だと誤解されやすい。だが意味のないことをする人ではない。

 あれも、感情に逸った自分を諫めるためだと、凰鵡は理解している。

 ……だのに、なぜこうも胸が苦しいのだ……


 静寂が流れる。何を喋ればいいか分からない。話を切ったことを少し後悔した。

 こういうときに沈黙を破るのはやはり翔だ。だが今度の話題も、いいものではなかった。


「真嗚……不動翁さんが、雲水って呼んだ奴」


 ぞくり。寒さが増した気がした。


「鳴夜と手ぇ組んでるって、マジかな」


 遊行僧風の大男。夢で見た怪僧と同じだろうか。自分に予知夢の力はないはずだが。


「わかんない……」


 いまの凰鵡には、それしか言えない。


「……そうだな」


 翔もうなずいた。最初から話す意味などなかったような軽さ。


「オレ、先に戻るわ」

 翔が柵から離れた。

 ──行かないで──何しに来たのさ──

 寂しさと猜疑。


「考えてたら、分からんすぎて三〇分も待てねぇ。顗さんにもまだ挨拶してねぇしな」


 凰鵡はハッとなった。風の音、鳥の声、通りを行き交う車の音が耳に飛び込んでくる。

 柵から肘を離し、翔を追いかけた。


「ボクも行く」


 廊下で横に並ぶ。


「大丈夫なのか?」


 むっ、と凰鵡は唇を〝へ〟の字に曲げて、腰に拳をあてる。


「舐めないでよね。ボクのほうがずっと先輩なんだよ?」


 翔の言い方を真似したつもりだった。

 今の自分がやっても空虚かもしれない。それでも、ようやく地に足が着けた気がする。


 自分は……自分のことと、終わってしまったことばかり、気にしていた。

 だが翔は任務のこと──これからのこと──を考えている。

 悩みながらでも、納得しきれずとも、やるべきことが、いまの自分達にはあるのだ。




「維さんッ」


 凰鵡と翔に続いて部屋を出た背中を、階段前で呼び止めた。


「朱璃ちゃん、凰鵡のほうはいいの?」


 意外そうな顔で、維はこちらを振り向く。


「……向こうは翔くんが行きましたから。それに、今は私、維さんのほうが心配なんです」

「あらあら……」


 渋面で苦笑される。


「こんなこと言われて迷惑かもしれませんけど、私、維さんのことを本当のお姉さんだと思ってます」


 逸る気持ちのまま、朱璃は畳み掛ける。

 いま伝えないと、二度と口に出来ないかもしれない。そんな漠然とした不安があった。


「だから、維さんが何かに困ってるなら、私、力になりたいんです」


 あとから思い返して「くさい科白だ」と自分で恥じ入るかもしれない。この場で「綺麗ごとを」と罵られるかもしれない。

 それでも、紛れもない本心だ。


「…………うん、そうね」


 曖昧な返事に、朱璃は焦れる。 

 だが、維自身も考えながら言葉を編んでいるのだと分かる。次の言葉が出る数秒を、朱璃は必死に堪えた。


「朱璃ちゃんには教えとかないとね。歩きながらで、いい?」


 足が階下へと誘う。


「はいッ」


 朱璃も喜んで(心の半分は不安なまま)隣に並んで階段を降りる。


「アタシが家から逃げたときに助けてくれた闘者の話、したでしょ」


 いつになく声を細くする維に、朱璃は精一杯、耳を傾ける。


「佐戸さんっていう人なんだけど…………殺されたの」


 だしぬけの衝撃に朱璃は言葉を失う。

 佐戸……不動翁も名を口にしていた。

 それなら、維が落ち込んでいるのも道理……と思ったところに、追い打ちが来た。


「その犯人がね……アタシの親父と、上の兄貴ふたりなの」


 声ばかりでなく、息も失うかと思った。

 階段は廊下に変わり、朱璃達の足は玄関に向かっていた。


「たぶん連中は、兄とアタシも狙ってる。ここがバレたかは判んないけど、佐戸さんを殺ったってことは、そうとう強くなってンのかもしれない」


 過去のほうが自分を探しに来るかもしれない──一年前に聞いた言葉を、朱璃はまだ覚えている。


「でも、それなら……」


 なぜ捜査から降りたのだ。恐れていたと同時に、維はこの状況を待ってもいたはずだ。


「アタシ今ね、金剛の神通力が使えないの」

「……どうして」

「怖いからよ」


 嘘に聞こえるほど、維はあっさり答えた。

 維の神通力が念法型というのは、朱璃も知っている──常人からは想像もつかないほどの強い集中力が必要ということも、だ。

 怯みや恐れ、自分の力への疑念などは、発現の大きな足枷となる。


「復讐してやるって格好つけてみても、いざ来てみると簡単じゃないわね」

「それで、お兄さん達に任せることに?」


 責めるような問いかたをしてしまったが、本心では、降りて正解だと思う。維はもう充分に苦しんだ。遺恨は晴らしたいだろうが、無理を重ねてまで闘って欲しくなどない。


「アタシは諦めない」


 え、という驚嘆すら出ない。

 ただ、背筋に寒いものが走っただけだ。


「金剛が使えないンなら、別の技を覚えるわ。間に合うか分かんないけどね」

「降りたのは、そのために?」

「みんなには内緒ね」

「……わかりました。でも、くれぐれも無理しないでください」


 クスッと、維の唇から笑みが漏れる。


「朱璃ちゃん、言うことが零子さんに似てきたわね」

「助手ですから」


 思わず口角が上がってしまう。

 大人の女性として、上司として、そして親代わりとして、朱璃が零子に強い憧憬を抱いているのを維は知っている。

 しかし、そんな維もまた、自分にとっては憧れの存在なのだと、当人は気付いているだろうか。


「ああ、それと……凰鵡が女の子のことを言ってたわよね」


 玄関を抜け、正門へと伸びる石畳を歩く。


「おぶせはるか……でしたっけ」

「零子さんがまとめてると思うけど、昨日の晩、十歳くらいの不思議な女の子に逢ったの。今朝は凰鵡も逢ったみたい。そこで」


 維が、向かう先の正門を指差す。

 何もいないのは見て判るが、つい注視してしまう。


「すぐにいなくなっちゃって、ちゃんと話も聞けてないンだけど、お母さんを捜してるらしいの。その子の名前がこはるちゃん。それで、探してるお母さんっていうが廣距温香──アタシの昔の名前」


 朱璃は無自覚に足を止めていた。


「その子は……」


 維も立ち止まって静かにかぶりを振る。


「違うわ。最初に堕ろした子も、男の子だったしね」


 安心していいのか、すべきでないのか、朱璃には判らない。


「けど、あの子が誰なのかハッキリさせたい。そのためにも、アタシの手でケリつけたいのよ」

「でも金剛に変わる技って……」

「色妖に習うわ」

「え?」


 話が見えない朱璃に、維はやんわりと微笑む。


「何日か通うことになるけど、夜には帰るわね」

「え、あ……おひとりで大丈夫なんですか?」

「ええ。頼もしいボディガードが着いてくれるみたいだしね」


 フッと、維が斜め上に目をやる。

 視線を追って朱璃も振り仰ぐ。

 支部の屋上に、顕醒が佇んでいた。




 医務室には、カーテンで仕切られた病床だけでなく、重傷者用の個室も併設されている。

 その一室の戸を、紫藤は少し迷いながらも、叩いた。


「はい」


 戸の向こうから零子の声が返ってくる。


「紫藤です。入ってよろしいですか?」

「どうぞ」


 扉を開く。ベッドと棚と洗面台を詰め込んだ小さな部屋だ。

 零子は上半身を起こしていた。両眼は包帯で隠されている。枕元には、イヤホンの刺さったポータブルラジオ。今はこれくらいしか気晴らしがないのだろう。


「支部長、横になってください」


 溜め息交じりに、紫藤は隣へと歩み寄る。


「そういうわけにも……」

「礼儀のことでしたら、どうか今は、私に対してだけでも忘れてください。零子さん」

「……そうですね。では、お言葉に甘えて」


 ようやく零子は、背をシーツの上に落とした。


「今はどうなってます? みなさんは大丈夫ですか?」

「ええ、先だって不動翁がおいでになり、支部長代行を顕醒と交代されました」

「不動翁が……⁈」

「やはり、事前の通達はありませんでしたか」


 紫藤は真嗚が来た経緯を話した。

 昨夜、翔から人相を聞き、コンビニのカメラ映像を確認した時点で「まさか」と思ってはいたのだが、それを零子に報告する暇も、本部に確認する余裕もなかった。


「そうでしたか。不動翁も、何かを感じておられるのかもしれません」


 零子の手に、紫藤はそっと自分の手を重ねた。


「いまは自分の体のことを考えてください」

「すみません。つい癖で……」

「分かりますが、我々もあなたの力に甘えすぎました。ラボの皆も、同じことを言っていましたよ」


 嘘ではない。ここへ来る前に、《霊科班》へ妖種のサンプルを渡して来たところだ。科学と霊学の双方から分析を行うチームで、零子のような激烈な能力者こそいないが、他支部のそれにも劣らぬ優秀なスタッフが揃っている。

 ふと、紫藤は腕時計を確認した。


「そろそろ戻ったほうがよいのでは?」


 見えている──否、見透かされているのか。


「かないませんね。何か、もっと気を紛らわせられるものをお持ちしましょう。よければ、小説の朗読音声など」

「いえそんな……ええ、じゃぁ……また、お言葉に甘えて」

「純文学?」

「幻想文学を、たまには洋書で読みたいですね。古典の大長編なんかを」

「すぐに用意します」


 もういちど零子の手に軽く触れて、紫藤は戸口を向いた。


「あ、維さんは……どうしておられます?」

「……彼女なら、捜査から降りました」


 零子が奥歯を噛み締めたのが、顎の動きで分かった。


「深い理由があるようですが、私はなにも」

「すみません。今回は、どうか彼女の思うように、させてあげてください」


 これは支部長ではなく友人としての頼みか……と、紫藤は受け取った。零子も維の事情に通じているようだが、自分の口からは教えられないらしい。


「わかりました。あなたがそう言うのなら」


 今度こそ、紫藤は部屋を出た。




「おや、お早ぅおかえりじゃ。維ちゃんと顕醒はもう出たぞ」


 事務所には真嗚と顗しかいなかった。


「おねえちゃんは維ちゃんの見送り、紫藤くんはサンプルを霊科班に届けにいった」


 名立たる先達が「ちゃん」「くん」呼びされる状況に、翔は目眩を覚える。不動翁とも知らずに働いた数々の不敬で、いずれ首を()ねられないか不安でならない(気付くワケがないだろ、とも思うが)。


「お師匠様──」


 凰鵡がおずおずと口を開く。


「──顗さんも、さっきは見苦しい所を見せて、ごめんなさい」


 しおれるように頭を下げる。


「オレ──僕も、お騒がせして、すみませんでした」


 翔も右に倣う。凰鵡が出ていったとき、反射的に自分もあとを追った。叔父に止められそうになったが、かまわずその脇をすり抜けていったのだ。


「顔、上げろ」


 顗の声に、揃って背筋を戻す。

「いたっ」「うッ」

 額に衝撃がきた。

 顗が、両手の人差し指を伸ばしていた。デコピンされたらしい。

 らしい、というのは、めいっぱい腕を伸ばしても当てられる距離ではないからだ。

 凰鵡のように気でも飛ばしたのだろうか。


「無感情になれとは言わんが、自制心のない奴に、いい仕事は出来んぞ」


 打たれた額に擦り込まれる叱責。口調は穏やかだが、容姿と体格もあって、有無を言わせぬ気迫を感じる。

 ガッシリと角張った顔に、維とよく似た吊り目。そして五分刈り。なかなかの強面だ。背丈も維とそう変わらない。にもかかわらず、肩も胸幅も顕醒より広い。あっちが磨き上げられた大刀なら、こっちは純鉄の戦斧といったところか。


「はい。気をつけます」



 その顗を正面から見据えながら、翔は答えた。

「つっても──」


 すると、顗のほうも勢いよく頭を下げた。


「こっちも妹が迷惑かけた。面目ねぇ」


 怒られるよりもずっと反応に困る。凰鵡も狼狽えている。相手は音に聞く斗七山。自分からすれば雲の上の存在だ。


「顗くん、若者らが困っとるよ」


 どの口が言うかと思うが、真嗚にたしなめられて、顗もようやく頭を上げた。

 初対面となる翔と顗はあらためて自己紹介しあった。最初は身構えてしまったが、真面目さのなかにも、維の兄らしい気さくさが見えて、翔は少し心が緩んだ。


「よしよし。おんしら、捜査の道順は違えども向かう先は一緒じゃ。っちゅうわけで詳細を詰めてぇが……」


 言い淀むと、真嗚は「うーん」と伸びをする。


「なんかまだ問題があるんです?」

「場所を変えてええかの?」

「どこに?」

「食堂」


 「は?」と顗が聞きなおすや、大きな溜め息を吐いて真嗚は背を丸めた。


「げんかーい。腹が減って頭が回らーん」

「ンだよもー。一刻を争うかもってときに、緊張感がねぇな」


 呆れる顗。すると今度は────

 ぎるるる……腹の虫の音が室内に響いた。


「すみません、ボクも……」


 赤面しながら凰鵡が手を上げた。

 そういえば、と翔も思い出したように空腹を覚える。昨夜から何も食べていない。支部に戻るや、そのままミーティングに参加していた。


「ほらの。急くべきときこそ、栄養と睡眠が肝要じゃ」

「ケンの奴はもう出たのに?」

「あやつはええわい。ぶっちゃけ知らん。特別ッちゅうか、なんかもう御しがたい」


 弟子を指して酷い言い草だと思うが、何となく心中が理解できてしまう。むしろ理解しがたいのは、師匠がこれで弟子があれ、という相関図だ。


「はいはい、分かりました。支部長代行の仰せのままに」


 見るからに不服ながら、背中をバンバン叩かれつつ戸口に向かう顗であった。

 が、廊下に出て数歩進んだところで、とうの真嗚が立ち止まった。


「あ、忘れもん。先に行っといてくれい」


 そそくさと、事務所に舞い戻った。


「なんか摑み所の分かんねぇ人だな」


 事務所の戸が閉められたのを見計らって、翔は独り言のように呟く。


「じつはオレ、あのノリがちょっと苦手だ」


 顗も渋い笑みを浮かべる。

 何となく察していた。たぶん叔父もだろう。


「でも凄い人ですよ」


 凰鵡が反論する。弟子としては擁護しておきたいところか。


「そりゃ分かってンだが、な」

「さすがに凰鵡は慣れっこか」


 と翔が言うと…………


「あー、うーん」


 誉めた本人も、歯切れ悪く目を泳がせる。

 なんとも言えない沈黙のまま、三人は食堂に向かった。


「あっ、朱璃さん」


 と、ちょうど階段に差し掛かったところで、朱璃が下階から昇ってきた。




 真嗚はスリープさせていたPCを立ち上げた。

 プリンターも起動して、一枚の資料を印刷する。

 雲水の絵──顗の話をもとに、零子が鉛筆で描いた人相書きだ。


「アンタか? オイラを呼んだのは?」


 答えのない問いを包むように、真嗚は絵を折りたたんで、懐に入れた。


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