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忌の節・怯臆 其之壱『去来するもの』

※本作は『降魔戦線』シリーズ(https://ncode.syosetu.com/s8577g/)の4作目です。前作『呪胎編』からの直接的な続編となっております。前作までの内容を踏まえた描写が多数あることをご了承ください。


※本作にはグロテスク及び性的表現が含まれます。


※また宗教的なニュアンスを想起する語句がありますが、本作はいかなる宗教および団体とも関係はありません。


※本作はオリジナル原稿から極端に過激な表現をカットあるいは変更してR-15用に仕上げた【ライト版】です。


 押し殺したうめき声は白い部屋のなかをさまよい、出口を見いだせないまま潰えてゆく。

 女は身をよじるが、肉体を縛める何本もの鎖が逃げることを許さない。


 否、鎖と言うには、それはあまりに生物的だ。ゴムのように柔軟。そして、みずから蠢いて獲物を締め付ける。

 触手──それが蜘蛛の巣のように、部屋じゅうに張り巡らされていた。


 その巣の中央からは、男の頭が生えていた。首から下はすべて触手。蜘蛛というよりは、おぞましいタコのような怪人だ。苦しむ獲物を見おろしながら、下卑(げび)(わら)いと(よだれ)を垂らしている。


「お、おとなしくなってきたな?」


 タコ男とは別の声。磔にされた女をいたぶる、ビー玉を乱雑に埋め込んだような、巨大で、奇怪な拳。

 その持ち主も、拳にふさわしい怪漢だった。ボコボコと不自然に隆起した、不揃いな葡萄のような巨躯。その瘤のすべてが異常に肥大した筋肉だ。

 女の肉体も相当に鍛え抜かれたものだが、この葡萄男の前では「華奢」としか言いようがない。


 この数時間、男達は休むこともなく、女を責め(さいな)んでいた。

 女のほうは、もう満身創痍だ。


「どうだ温香(はるか)ぁ。俺のとこに帰ってくる気になったか?」


 葡萄男は嘲笑う。


「だれが……ッ、殺してや、る……!」


 男を拒絶する女の口に、触手が割り込む。

 首を振って逃れようとしても、喉の奥にまで潜ってくる。

 息苦しさで全身が強張り、硬くなった腹筋をさらに殴られる。


「随分と見ねぇあいだに、根性が拗くれてやがる。もっと教育が要るなぁ」

「腕も脚もムキムキになって、オレも好きじゃねぇナ」


 葡萄男が乱打し、タコ男も触手を増やして、締め付けを激しくする。

 女にとってはまさに地獄だ。それでも今は耐えるしかない。

 そして信じるしかない。


(ほんと、ごめんね……顕醒)


 罪悪感に心を閉ざす一方で、女の奥底は、徐々に抑制が効かなくなる。


(駄目、もう……抑えらんない……)


 何かが弾けようとしていた。


「おあら温香ァ! 俺を愛してるって言えよ!」


 女のなかで、痛みと苦しみが限界に達する。


(温香……? ちがう、アタシは──アタシはァッ‼)


 腹の底で、維は絶叫した。




 忌の節  怯臆(きょうおく)


   ①去来するもの



 ──数日前。


 解体用鉄球のような一発が、脇腹を陥没させた。


「…………‼」


 叫びは、顔を覆う触手に阻まれる。

 これでいい──老人は安堵した。折れた肋が肺に刺さった。口を割るまえに死ねる。


「やり過ぎだぞ」


 初老の男が声を上げた。


「チッ。おらジジィ、死ぬまえにさっさと吐けや」


 脇腹を殴った男が傷口に拳を捻じ込んでくる。巨大な拳だ。そのパンチをガードした腕は、あえなく叩き折られた。

 両脚の腱も、初老の男に断たれた。触手の支え無しでは立っていられない。

 ほかにも数十箇所を斬られ、刺され、殴打された──ご丁寧に急所を外されて。


「喋れねぇだろが!」

「お、おう、すまねぇ」


 背後にいる男が謝り、轡がゆるむ。

 この触手にも、さんざん邪魔された。他のふたりとの接近戦を余儀なくされたのも、こいつのせいだ。

 ──違う。最大の敗因は、油断だ。

 男達とは、以前にも一対三で闘った。勝負にすらならなかった。だから慢心した。

 その三人がまさか化けるとは──ひとりは筋肉を異常発達させ、ひとりは体を触手の群れに変え、ひとりは腕から刃を生やした。


 ヒトにあり得ざる肉体を使って、連中は雪辱を果たし、自分を拷問に掛けた。だが、あまりの口の堅さに痺れを切らせ、加減を間違えたというわけだ。

 もはや肺を膨らますのは空気ではなく血液。窒息が進んでゆく。それでも恐怖はない。


 自分は老いた。不本意でも、この世界で死にかたに贅沢は言えない。次の世代も着実に育っている。多くの若者が全盛期の自分を超えた。

 とくに縁あった兄妹のうち、兄のほうは最強格の七指にまで昇った。妹のほうも、幾分の波乱を経ながらも、良き拠り所を得られたと聞く。


「その人、死ぬの?」


 場にそぐわない声で、感傷から引き戻される。

 ワンピース姿の、痩せた少女だった。


「こはる、見るな」


 初老が少女の眼前に立って、目隠し役になる。


「お母さんのこと、教えてくれないの?」


 それでも少女は前に出てくる。虚ろな眼が老人を見あげる。


「私のお母さん、どこにいるんですか? 教えてください。お願いします」


 ぺこりと頭を下げた。礼儀正しいが、声も所作も機械的で、子供らしさがない。

 老人には答えられない。


「あ、ごめんなさい。しゃべれないのね。じゃぁ……」


 少女は口を大きく開けた。

 喉の奥から、絹糸のようなものが、何本も伸びてきた。

 驚愕と困惑のうちに、老人の意識は途絶えた。


     ***


 真夜中の街には、真夜中だからこその活気がある。

 眠らない繁華街を歩くのが、ゆいは好きだ。

 光や音、空気に触れているだけでも、心が落ち着く。


 つい先だって、この地域での任務が終わったところだった。女子高生が、自宅マンションのベランダから転落死するという、痛ましい事件だ。


 当初は自殺と思われたが、薬物使用の可能性から司法解剖が行われたところ、奇妙な事実が判明した。

 彼女は、転落する前に死亡していた。

 内臓が原因不明の腐敗を起こしていた。本来なら生きていられる状態ではない。


 所轄署から衆に調査依頼が入り、第一支部の長、麻霧零子の指令を受けて、維は二時間前に現地へ急行。被害者の下見を行い、名残を発見した。

 下見とは〝死体を見る〟……名残は〝霊的痕跡〟……どちらも衆で使われる符牒だ。


 維の専門は物理的戦闘だが、訓練によって高い霊感も会得している──零子はじめ、神通クラスの能力者が集う衆のなかにあっては、せいぜい中の上というところだが。


 当局側にも霊感能力を持ったメンバーはいるが、そちらは世を騒がす大事件で出払っているらしい。

 いわく〝囚人殺し〟──その名の通り、犠牲者は刑務所内の受刑者。衆の関係者が動いているのは、裏で妖種事件と認定されているからだ。


 そっちにこそ自分のような闘者が必要では、と訝りつつも、件の自殺者を視て、納得した。

 耐性の問題だった。中の上ていどの霊感でもひと目でそれと判るが、闘者クラスの訓練を積んだ者でなければ、正視できたものではない。


 〝呪い〟だった──それも、維でさえ肌が粟立つほど強力な。

 内臓を腐らせたうえで生き存えさえ、苦しめて殺す。

 まさに《呪殺(じゅさつ)》だ。どれほどの霊力と怨念があれば、こんなことが可能なのか。


 まして犠牲者は十八歳──大鳥(しょう)と同い年で、高校卒業も目の前。この若さで、なぜこんな死に方をしなければならない。

 呪者の正体や、呪術の種類を特定するだけの力は維にはない。立ち会いの警官に、遺体の一部を支部へ送るよう要請するに留まった。


 零子への報告は電話口で済み、任務は一応完了。他の案件もないが、まっすぐ家に帰ろうという気が起きない。

 顕醒けんせいを誘ってみたが、向こうも任務中だった。朱璃しゅりも珍しく別所での勤務に就いているらしいが、そうでなかったとしても普段ならとっくに寝ている時間だ。

 凰鵡は自宅にいるだろうか。しかし会いにいっても、最近はいい顔をされない。


 こうなったら、どこか賑やかな飲み屋を渡りつつ、朝まで梯子してやろうか。

 とにかく今は、ひとりになるのが嫌だ。さっきの遺体が心をざわつかせる。


(え──?)


 ふと、往来のなかに奇妙なものを見た。

 飾りげのないワンピースを着た、少女。

 ロリータファッションの小柄な女かと一瞬思ったが、化粧っ気のない素顔はどう見ても十歳くらいのものだ。

 ビルの壁に背をあずけ、目の前を通り過ぎてゆく大人達を、しげしげと眺めている。

 親らしき同伴者の姿はない。迷子か、置き去りか。

 維は人混みをすり抜けて、少女の隣に身を屈めた。


「こんばんは」


 直球で挨拶。迷子への声の掛けかたなど知らない。だいいち、こんなピアスだらけの大人がどんな第一声を発せば怪しく見えないのか。なら、むしろ小細工は弄さない。

 少女は維を見て、少し驚いたような顔をする。


「あ……こんばんは」


 数秒して、少したどたどしく挨拶し返した。


「あなた、迷子?」

「お母さん……探してるんです」

「ここではぐれたの?」


 首が横に振られる。


「ずっと……前に」


 少女の話は、維の予想とまったく異なる道を歩きはじめた。


「どれくらい前?」

「私が、生まれてすぐだって……」


 凰鵡のことが重なって、いっそう心が痛む。なんとか力になってあげたい。


「それは、お父さんから聞いたの?」

「はい」

「お父さんは、おうちにいるの?」


 無言。家に帰りたくない理由があるのか。

 虐待の可能性がまっさきに浮かぶ。初春とはいえ、少女のワンピースではまだ寒い。まして真夜中。見える範囲に暴力を受けた形跡はないが、肌の血色はあまりよくない。肩口で乱雑に切りそろえられた髪には枝毛が目立つ。


 育児放棄か──だとしたら、家に帰すような真似はしたくない。かといって、ずっとここに居座っているわけにもいかない。


「アタシは維。あなたは?」


 姑息だなと思いつつ、雑談に逃げようとする。懐柔するわけではないが、信頼を得たうえで、上着のひとつでも買ってあげたい。


「こはる」

「こはるちゃんね」

「うん。おぶせこはる」

「おぶせ?」


 ど……っ、と、維の鼓動が、鈍く跳ねた。


「お母さんの名前は?」


 ほとんど反射的に訊いていた。


「はるか」


 街の喧騒が消えた。

 おぶせはるか──無音のなかに、少女の告げた名前が木霊する。


「お姉さん、知ってる?」


 雑音がもどった。


「ごめん。知らないわ。──⁈」


 ジャケットの胸ポケットが震え、維はあやうく悲鳴を上げるところだった。

 スマートフォンの着信だ。普段はこんなに驚いたりしない。


「あ、ごめんね。ちょっと待って」


 助けを求めるように端末をひらく。

 顕醒からのメール。駄目もとで『任務が終わったら報せて』と頼んでおいたのだ。

 今すぐにでも逢いにゆきたい。

 だが、この子を置いてもいけない。


「え……?」


 維は目を円くして、周囲をなんども見回した。

 少女はどこにもいなかった。


(あの子──)


 探したくても、出来なかった。


(──誰なの?)


 維の足は震えていた。




 闇が濃い。


(ここ……どこ?)


 何も見えない──自分の体さえ。


(みんな。兄さん……維さん)


 呼び声は、虚ろに吸い込まれる。


しょう! 朱璃(しゅり)さん!)


 ありったけの叫びも、響いて、散って、溶ける。どこにも届かない。

 本当に口で発したのか、心で思っただけなのか、曖昧な余韻が残る。

 が、何かが返ってきた。


(大丈夫、怖がらないで)


 声ではない声。無意識で自分に言い聞かせたのだろうか──じっさいそのとおりに、不安が和らいできた。

 そして、安堵は即座に破られた。


 ガシャン──金属の打ち合う音。

 凰鵡の脳裏に、錫杖(しゃくじょう)遊環(ゆかん)が浮かぶ。行者でもいるのか?


 ガシャン……音が近づく。

 闇を擦り抜けるように、そいつが現れた。

 顔を隠す円笠と覆面。長く太い錫杖──行者という点では正解だった。


(う、あ……あ……⁈)


 その威容に、凰鵡は怯え、すくんだ。

 兄を超える巨体だ。二メートルはあろう身の丈。肩幅もずっと広い。

 それに、全身から発せられる得体の知れない気迫。

 妖気──殺気──怒気──そのすべてか、どれでもないか。


(あ……わああーッ‼)


 凰鵡は背を向けて走った。

 足が空転する。藻掻くような無様な動きで逃げ惑う。

 ガシャ……ガシャ……遊環の音がゆっくりと追いかけてくる。

 凰鵡は振り返らない。死に物狂いで手足をバタつかせる。だが、いっこうに進めない。

 ガシャン──すぐ後ろ。



「凰鵡ッ!」


 見慣れた天井。嗅ぎ慣れた布団の匂い。


「凰鵡、大丈夫?」


 そして聞き慣れた維の声。

 胸が痛いほどの動悸。

 ああ……溜め息が震える。


「怖い夢、見たの? すごくうなされてたわ」


 ベッドのかたわらに膝を突いた維が、心配そうに見つめてくる。


「維さん。なんで、いるんです……?」


 開口一番、失言だと悔いる。


「え? ああ、いま寄せてもらったとこ」


 ここは郊外にあるマンションの一室──凰鵡と顕醒の家。

 維が遊びに来るのは、昔からのこと…………


「顕醒も案件が片付いたみたいだし、久々に、こっちに来たくなって」


 ただ、来訪の頻度はここ数ヶ月でめっきり減っている。

 兄達は相変わらず多忙だが、不仲ではない。自分のせいだ。

 気付かれている──口にしないまでも、凰鵡は確信していた。

 そして、気を遣われていることにも。


「兄さんは?」

「零子さんからの電話で、ベランダに出てる。アタシはリビングにいたけど、アンタの声が聞こえてきて……勝手に部屋に入ってごめん」

「いえ……ご心配お掛けして。ボクは大丈夫です」

「本当に?」

「ええ」

「ならいいんだけど……もし、何かつらいことがあるんだったら、なんでも言って。力になる──」

「大丈夫ですッ」


 思わず、険しい声を出してしまった。

 維になにを言えというのか。言って……どうなるというのか。


「どうした?」


 部屋の戸口に兄がいた。


「凰鵡がうなされてたの」


 維が応えると、兄は軽くうなずく。


「ボクは大丈夫です。零子さんからの電話、任務ですか?」


 この一分足らずで何度「大丈夫」と言ったか。夢で聞いた声を反芻しているかのようだ。

 だが夢と違って、言葉とは裏腹に、心は落ち着かない。


 悪夢は珍しくない。それでも、自分の夢はいつも分かりやすい。直面している困難や、抱えている不安、そして欲望が素直に現れる。

 今回のは、まったくの異質だ。


(あの行者みたいなの……)


 心当たりがない──漫画や映画で見たおぼえもない。


「凰鵡?」

「え?」


 維と兄がこちらを見ていた。


「聞いてた?」


 聞いていなかった。


「アタシらは支部に行ってくるね」

「ならボクも」

「寝てなさい。喚ばれたのはアタシらだけだから」


 凰鵡は視線を部屋のすみに泳がせる。また自分だけ除け者か。


「……本当に大丈夫? 体調悪いならアタシは残るけど」

「兄さんと行けばいいじゃないですか」


 言ってからハッとなる。

 違う。こんな露骨な嫌味を吐いてどうするのだ。

 維への一言半句にいちいちトゲが生える。舌に呪いでも掛かっているのか。


「……すみません。ボクは大丈夫ですから。本当に」


 慎重に言葉を選ぶ。


「そう……じゃぁ、しっかり寝てね」


 維のほうも言葉を選んでいる──そう感じた。それだけで、またイライラする。

 凰鵡は無言でうなずいた。とにかく、これ以上、話したくない。


 願いが通じたのか、互いのあいだに張られた気まずい糸を振り切るように、維は部屋を出ていった。玄関の扉が閉ざされる音がして、ふたりの気配が離れてゆく。


「あー」


 大きな溜め息を吐いて、布団に入り直した。

 …………眠れない。思考がグチャグチャで、まったく落ち着かない。まだ夢の続きを観ているような気分だ。維への非礼を後悔する反面、彼女のことがどうしようもなく疎ましい。

 嫉妬だと、頭では理解している。心の何処かには、以前のように甘えたい自分もいる。

 その葛藤で、余計にイライラする。


(ああ、そうか)


 唐突に思い至った。


(面倒だなぁ)


 下腹部をさする──あんまり困らせないでよ、と諭すように。




 月明かりの山野を、影が駆ける。

 《雲脚(うんきゃく)》──衆で用いられている神速の走法。達人となれば音も風も立てず、気配も断ち、堂々と街なかを突っ切ることさえ出来る。


 その影がまさにそうだ。鳥獣の眠りを妨げず、木の葉の一枚も揺らさない。物理の世界から解き放たれて飛び回る幽魂のようですらある。


 五分刈りの青年だ。作業ジャケットとジーンズの上からでも分かる隆々とした体躯。キレの鋭い双眸で行く先を迷いなく捉えつつも、眉間の皺には内心の焦りが見える。


「うん?」


 (いぶか)しむように小さな声をあげ、青年は出しぬけに進路を変えた。



 彼が、なぜそのとき、そこにいたのか、それを説明出来る者などいない。

 本人にもさしたる理由はなく、〝たまたま通りがかった〟だけだったのかもしれない。

 いずれにしても、山の中腹から突き出た岩棚のうえに佇んで、天風(あまつかぜ)鳴夜(なるや)は、彼方まで連なる夜の山稜を眺めていた。


 そこに、最初の(おとな)いがあった。

 ガシャン──錫杖(しゃくじょう)遊環(ゆかん)が鳴る。この瞬間まで、鳴夜には一度も聞こえなかった。


「……どなた?」


 振り向いた美眉が、威容の稀人に(ひそ)められる。


「顕醒……ではない?」


 身長二メートルはあろう、遊行者姿の巨漢だった。円笠の下にも覆面を被っていて、人相は杳として知れない。


「私に、なにか御用ですか?」


 その問いに答えが返るより早く、二人目の来訪者がその場に現れた。

 山中を疾駆していた青年である。


「あ? ああ?」


 一瞬困惑した表情になるも、鳴夜を見る目に、たちまち殺気が燃えた。


「おっと、これはまずい」


 鳴夜が言い終える前に、青年が飛び込んできた。

 爆音と衝撃が夜空に登り、山を揺るがし、岩棚にヒビを入れた。

 頭から突っ込んだ姿勢のまま、青年は目を瞠っていた。

 渾身の突撃は、鳴夜の前に割って入った怪僧の右掌に止められていた。

 否……掌の前に、見えない壁があるようだ。


「よく分かりませんが、ここはご厚意に甘えますよ……遊行者さん(ピルグリム)


 礼もそこそこに、鳴夜は飛び降りた。

 空中で蟲の群れに変じ、夜に紛れる。


「待てや──くそッ!」


 大男に止められている状態から、青年は無理やり踏み込んで、肘を突き込む。

 鋼鉄の掌だろうが、念力の壁だろうが、力で粉砕してやる。という鋼の意志に満ちた一発だったが────


「おうッ⁈」


 撃った瞬間、青年は後ろに吹き飛んでいた。

 重心を落として踏ん張り、追撃に備える。

 が、来ない。


「……てめぇ何もんだ?」


 ガシャン──返事の代わりに、大男は錫杖で、足下をひと突き。

 岩棚が割れた。

 轟音を立てて、岩片が断崖を滑り落ちる。そこに佇んだまま、怪僧は遥か下方の──奈落のような森の闇へと、消えていった。

 そのさまを、青年は断面のうえから見送るほかなかった。




 午前三時近くになっても、コンビニエンスストアの店内は光に満ちている。


 大鳥翔は窓際のイートイン席でスマートフォンを眺めていた。ときおり指で画面をフリックする。電子書籍の小説だ。

 瞳は文字を追いつつも、文の意味を頭に入れてはいない。


 意識は窓ガラスの先、車道を挟んで横一面に広がる背の高いコンクリート塀に注がれている。翔からは見えないが、塀の向こうには体育館のような建物がいくつも並んでいる。

 はるか彼方の正門に掲げられた館銘板には、『刑務所』の三文字。

 今からここで捕り物が行われようとしていた。ただしターゲットは脱走者ではない。


 連続受刑者殺害事件、通称〝囚人殺し〟──最初の事件からたった二週間で被害者はすでに六人。彼らに接点はないが、いずれも犯罪者という点で共通している。

 問題は犯行現場である。刑務所の独房、少年院の共同房、措置入院中の個室。万全のセキュリティが敷かれているはずの施設の内部だ。


 当初は他の受刑者や職員による犯行が疑われたものの、さりとても犠牲者の殺され方は、ヒトの業ではなかった。

 骨ごと引き裂かれ、肉片が天井に張り付くほどの大損壊である。粉砕機にでも掛けたのかという惨状に関係者は大いに困惑し、現場の状況については報道規制が敷かれた。


 すると間をおかず、他所でも収監者が相継いで怪死。世間では施設の安全性に対する非難や、不祥事隠蔽のための口裏合わせが行われているとの流言が飛び交った。

 また、心神喪失を認められて無罪判決と措置入院に処されていた者も犠牲になったことで、一部からは「真の断罪者」と犯人を称賛する声も湧いていた。


 だが、その一件で、ホシはとうとうカメラの前に正体を曝した。

 闇の塊のような真っ黒い影──それが部屋の壁からヌッと現れ、犠牲者にのしかかり、身を斬り裂き、噛みちぎり、拷問のように責め苛みながら殺害し、また壁へと消えた。

 当然、映像は公開されていない。


 これを決め手として、当局は事件解決を衆に依頼。犠牲者の遺体を検視した零子によって、犯人が次に狙う収監者が明らかにされた。その標的はいま、塀の向こうでなにも知らずに眠っている。

 衆は当局と連携しての待ち伏せを決行。近隣の所轄に属するメンバーや、事情に明るい関係者を集めて包囲網を敷いた。そこに、もと警官である紫藤しとうと、訓練生であり紫藤の助手を勤める翔も加わったのだ。


 「犯罪者守るって、なんか複雑な気分だな」

 いささか釈然としない翔だったが────

 「私刑を許せば、世のなかは殺した者勝ちになる。いずれ冤罪で死者が出るぞ」

 叔父にそう諭され、溜飲を下げた。


 いま翔は〝終電を逃してコンビニに居すわる若者〟に扮している。訓練生という立場と、年齢を考慮されてのことだ。叔父も含め、参加者のほとんどは屋外に潜んでいる。初春の深夜とあって気温は摂氏三度。


 イートインの一席を長時間占有しているが、店員に怪しまれる心配はない。気配を断っている……のではなく、店舗にも手が回されているからだ。

 店員も本来の勤務者ではない。朱璃である。

 零子への連絡係と、翔のサポート役だ。店員に扮せるよう、業務内容もみっちり予習したという。来客にもそつなく対応してみせる姿は、経験者かと思うほど手慣れて見える。

 とはいえ、深夜のワンオペ。顔もスタイルもいいだけに、不埒な輩に絡まれないかが翔には心配だ。


「あんちゃん、始発待ち?」


 いきなり声を掛けられ、翔はガタリと椅子を揺らした。

 人懐っこそうな瞳と見つめ合う。

 少年だった。一瞬、凰鵡の変装かと思ったが、まるで別人。もっと幼くて小さい。ネコ耳状の突起が付いた大きな帽子。髪は栗色で、襟足はセミロングといったところ。


「ひょっとし、店員のおねえちゃん狙ってんの?」


 ドリンクのウォークインをチラ見して、小声で訊ねてくる。とうの朱璃はその裏で商品の補充をしていて見えない。


「ちげーよ」

「ホントにぃ?」


 ずいぶんと馴れ馴れしく、そして図々しい。


「マジで始発待ち」

「ふーん」


 頭のうしろで両手を組み、ニヤケ顔を向けてくる。


(鬱陶しい……)


 あやうく口にしかける。子供は好きな方だが、距離感を無視して詮索してくる手合いは、老若男女問わず苦手だ。


「お前こそ、こんな時間に何してんだ」


 訊かれてばかりも癪なので、仕返しをする。


「まだ中学生くらいだろ。家出中か?」


 見た目は小学生だが、ちょっと色を付けてやった。


「お、正解。ここンとこダチの家回っとったけど、今日はアテが外れてよ。あんちゃんの家、近め? 泊めてくれんかのう?」

「遠め。泊めてやらない」

「えー、殺生な」

「お前がどんな状況か知らねぇけど、未成年連れて帰ったら、オレが犯罪者になんの──そっちの頼みでも」

「うげー、めんどうじゃな」

「だからおとなしく帰るか、親に文句があるんなら児相だか警察だかに駆け込めよ。それでダメなら、グレるのもしゃあねぇだろうけど」

「そう……じゃぁ、おとなしく帰るからよ、なんか馳走(ちそう)しとくれよ」


 どこまでも図々しい。そのうえ口調がやけにジジむさい。最近の流行りなのか。

 真夜中にうろつかねばならない境遇には同情するが、物乞いのような遣り口にホイッと金を出すのが最良とも思えない。

 一方で、自分は任務中の身。手っとり早く追っ払えるなら、そうしたくもある。


「うゎぉ、あんちゃん太っ腹ぁ」


 結局、千円札を渡していた。


(バカかオレは……いや、もういいや)


 朱璃が見ていたら、なんと言われただろう。


「飯買って帰れ。二度目はねぇぞ」

「おっけおっけー。あんちゃん優しいね。サンキュー愛してるよ」


 本気なのか冗談なのか。どっちにせよ小馬鹿にされている気分だ。


「あ、恵んでくれたお礼に」


 席を離れた少年が立ち止まって振り向く。


(わし)、人相占いが得意なんじゃが……あんちゃん、女難の相が出とるよ」


 そう言うと、ニッと笑って陳列棚の陰に消えた。


(なんなんだ、アイツ……)


 ふと、違和感が湧いた。

 店に出入りする客は(横目ではあるが)しっかりと確認してきた。が、あの少年が入ってきたところを、見たおぼえがない。

 そのときだった。

 ザッ──耳の小型インカムにノイズが走る。


「こちら五時地点」


 叔父の声。時間は、刑務所から見た方角を指す。翔は六時地点だ。


「影が塀に向かっている。大型犬のようだが不鮮明。街灯を避けている……」


 はじまったか。緊張で喉が絞まり、息が速くなる。

 影──鍛えられた叔父の目で見えないなら、通常の生物ではあるまい。


「──消えた。やはり目標は壁をすり抜ける」

「了解。迎撃班備えろ」


 叔父が見送ったのは既定どおり。本隊は最初から所内にいる。狙われている受刑者の周囲を固め、引きつけてから即座に囲んでしまおうという作戦だ。相手の正体と侵入方向が判らない以上、所外で仕掛けるのはむしろリスクが大きい。


「来たぞ!」


 物音、呻き声、そして銃声。


(やったか⁈)


 次の瞬間、期待は破られた。


「六時の方向に逃走!」


 椅子を倒す勢いで席を発った。


「翔! 無理をするな!」


 叔父が叫ぶ。こっちの動きなどお見通しか。


「なるべく食い止める!」


 叫び返し、自動ドアの開く遅さに空前の苛立ちを覚えてから飛び出した。

 そのときにはもう、それは約二〇メートル先の塀から頭を出していた。

 あろうことか街灯の直下。にもかかわらず、そいつは闇の塊だった。光の反射率がゼロ。輪郭は犬のようではあるが、いびつだ。

 全身を揺らめかせながら、まっすぐに向かってくる。翔を敵と認識しつつも、逃走ではなく闘争を選んだということか。


(舐めんな──!)


 翔も懐から拳銃を抜いて、迎え討つように走る。

 ガバッ、と異形の影が縦に拡がった。

 とっさに身をひねった。

 体のすぐそばを、夜よりも黒い腕の群れが駆け抜けてゆく。

 何本もの触手──過去の悪夢が甦る。


(なんでどいつもこいつも!)


 怖気を怒気で振りはらい、脇腹めがけて引き金を絞った。

 手応え。影の飛沫が血のように散る。


「うッ⁈」


 翔の右手も血を噴いていた。

 妖種の前肢があり得ない角度に曲がって、釘のような爪で貫いてきていた。

 勢いに押し倒され、うつ伏せでアスファルトに叩きつけられた。顔は左手でブロックしたが、胸をまともに打った。息が詰まる。


(最悪ッ!)


 右手が磔になっている。腕全体が灼けるようだ。

 銃は──叩き落とされて、視界の外。

 ざわ……と頭上で手の群れが蠢く気配。


「一飯の恩義ぃ!」


 威勢のいい声と一緒に、何かが風を切って飛んでくる。

 バリン──ガラスの割れる音がして、ひどく匂う飛沫が降り注いだ──酒だ。

 妖種が仰け反り、右手から爪が抜けた。

 否、飛び込んできた人影が引き抜いていったのだ。

 ボッ──その瞬間、頭と思しき部位が破裂した。続けて胴体と、下肢にも大きな穴が穿たれる。

 闇色の肉片を撒き散らして、妖種はドッとアスファルトに倒れた。


「翔、無事か⁈」


 叔父が駆け寄ってきた。いまの三発は、必中の魔弾だったようだ。

 だが、その前に助けてくれた声は…………


「翔くん、大丈夫⁈」


 朱璃もコンビニから飛び出してきた。


「ッて、え、お酒臭い⁈」


 鼻を覆い、怪訝な目を向けてくる。

 翔自身も困惑しつつ、身を起こしてあたりを見回す。叔父と朱璃以外、誰もいない。


「翔?」

「なぁ、オレのほかに誰かいた?」

「いいや」

「見てない。あ、翔くん、手! ひどい──見せて」


 傷に気付いた朱璃が右手を取る。

 そして首を捻った。


「え……血、止まってる。翔くん、こんな傷、あった?」

「いや…………」


 翔にも、ワケがわからなかった。


「う──ぇッ」


 突然の悪臭に、朱璃が目を白黒させて嘔吐く。翔も腕で鼻を覆った。

 倒れた妖種が、融解をはじめていた。




「こんな時間に、お呼び立てして申し訳ありません」


 事務室へとやってきた維と顕醒に、零子はまっさきに詫びた。


「気にしないでくださいよ。いつものことですから」


 維は苦笑して受け流す。


「それよか零子さんこそ大丈夫です? 休めてます?」


 灰色の眼鏡でも隠せないほど、支部長の顔には疲れが見える。いつもならバッチリ決めているナチュラルメイクも今はなく、ほぼ素面の状態だ。それだけ時間に余裕がないのか。


「大丈夫ですよ。どうぞ」


 零子の手が応接セットを示す。


「はーい──えッ」


 そちらを向いた維の目が皿のように円くなって、嬉々と輝いた。

 ソファに座していた五分刈りの青年が、立ち上がって「よッ」と手を上げた。


(にい)ッ!」


 維は駆け寄った。並んでみると背はほとんど変わらない。が、肩幅や手足の太さは男女差を加味しても桁違いだ。

 (がい)──かつて維とともに生家から逃げ出し、衆に入った実の兄である。


「元気そうだな。ケンも……相変わらずか」


 大きな手で妹の肩を叩き、その恋人の背中はバチンと張る。


「隠れてるなんて人が悪い。びっくりしたぁ」

「まだまだ、だな。ケンは気付いてたぞ」

「えー、やられた。でも、なんで急にこっちに?」


 兄妹ではあるが、所属している支部は異なる。維は第一区、顗は第三区。気軽に来られる距離ではない。だいいち兄貴が来ただけで真夜中に呼び出されるものか。


「それがな……」


 案の定、顗は表情を曇らせる。


「まぁ座れよ」


 部屋の主を差し置いて、妹らをソファに促す。

 片側に零子と顗、反対側に顕醒と維。テーブルを挟んで、いつものミーティングのスタイルになる。


「こっちでも呪死者(じゅししゃ)が出たんだってな」


 顗が口火を切った。

 呪死者──呪いによって殺された者のことだ。


「こっちでも?」

「正確には──」


 維に応えるともなしに、零子が捕捉する。


「この三〇時間のうちに、第一区だけで十二件が確認されています」


 維は目を剥く。十二件……たった三〇時間で。


「そんなに……アンタの任務もそうだったの?」


 問われた顕醒は静かにうなずいた。


「その事件、もともと七日前にこっちで始まったやつなんだ」

「え、なにそれ初耳」

「他支部とは、支部長クラスでの共有事項だったからな」


 納得した。珍しいことではない。


「じゃぁ広域捜査になったってこと? 呪いが移動したの?」

「ああ。オレのほうでも最初から準広域扱いだったんだが、原因が分からんまま、こっちに逃しちまったらしい」

「兄が手こずるなんて相当ね」

「いや、オレはもともと担当じゃなかった。情報部と、建海(たてみ)佐戸(さど)さんが連携して捜査してたんだ」


 建海子局(こきょく)の佐戸──その名を聞いて、維は眉を上げる。

 子局とは衆の派出所のようなものだ。支部の管区境や過疎地域などをカバーするため、民家風の施設にごく少数のメンバーを居住させて、地域の妖種問題に対応している。必然的に、子局員には経験と実績、そして信用を兼ね備えたベテランが選ばれやすい。

 佐戸はその典型的なタイプだ。戦闘力こそトップ集団に譲るも、捜査も交渉もこなせるオールラウンダー。人柄もよく、当地の住民とも良好な関係を築いているという。


「佐戸さん元気? 最近、ぜんぜん連絡してないのよ」


 維とも知らぬ間柄ではない。むしろ人生を振り返ってみれば、ある意味では顕醒より重要な存在だ。


「それがな……落ち着いて聞けよ」

「え? うん」


 真剣な顔つきになった兄貴に、維は覚悟を決めた。


「佐戸さんは、殺された」


 佐戸さんは殺された────

 兄貴の言葉が聞き慣れない言語のように、頭のなかでぼんやりと反響する。

 やっぱり……と思いつつ、マグマのように湧き上がる感情が諦観を焼き尽くす。

 この世界では、知り合いの死は珍しくない。人によっては哀しみや怒りが麻痺することもある。維は、そうではない側だ。


「殺された……誰に?」


 もとから鋭い眦が、いっそう吊り上がる。狂犬、鉄砲弾、鉄のイノシシ……酷い渾名の数々を生んだ維の闘志が、早くも暴れ出す。

 だがその気焔は吹き消された──維にとって何よりも忌まわしい名前に。


宗豪(そうごう)の奴らだ」


 息が詰まる。

 だが過去からの瘴気は、それだけに留まらなかった。


「現場から指紋が出た。武流(たける)阿都志(あつし)もいた」

「うそ……」


 口をついて出た言葉は、自分でも情けないくらいに弱々しい。

 武流……阿都志……心に刻まれた疵をえぐる、二度と聞きたくなかった名前。


「だってアイツら、佐戸さんに……」

「殺しかたがヒトのものじゃなかった。連中、妙な力をつけたか、かなりの妖種と組んだらしい」


 ざわり。悪寒と吐き気が維を襲う。


「それで、兄がこっちに来たってことは……」

「まだ分からん。連中が来てる確証もない。けど佐戸さんを殺ったんなら、お前を狙ってもおかしくない」


 自分が狙われている? 信じたくない。

 同時に、信じたくないと感じている自分自身のことも信じられない。いつも強気な〝鉄砲弾〟は何処へいったのだ。


「維さん」


 零子が体を前に出して、維の手に触れた。


「大丈夫。大丈夫ですよ。私達も一緒です」


 静かだが、力強い言葉。


「そうだ。お前ひとりの問題じゃねぇ」


 顗も零子に同意する。

 今の自分はひとりじゃない、無力でもない。

 もとはといえばこの機を待ってさえいたのだから、むしろ好都合ではないか。

 そう思っても鼓動は落ち着かない。深呼吸も意味がない。頭で理解しても、心が追いついていない。


「オレだって標的かもしれん。こう言うと零子さんに怒られそうだが、佐戸さんの仇は討ちたいし、もともと連中には借りもある。オレひとりで全員ブッ潰してもいいが、それだと、お前が納得しないだろ?」


 顗の目は鋭く尖りつつも、笑っているように見える。兄妹で目はよく似ていると、周りから言われる。


「……そうね」


 ふふ、と兄の真似をするように、笑みをこぼしてみる。

 連中がどんな力を得たにせよ、顗なら間違いなくひとりでやれるだろう。

 《斗七山(としちせん)》──闘者最強の七人。顕醒とおなじく、顗もまたそこに名を連ねている。自分になにも報せないまま、すべてを終わらせることだって出来たはずだ。

 だが話してくれた。それは顗の誠意だと思う。


「そんなことしたら、兄をド突いてたわね。アタシにもやらせろ、ッて」


 顕醒の腕を握りながら、なんとか普段の自分らしい言葉を吐く。

 姿を現した〝過去〟は予想以上におぞましいものだった。打ちのめされていることを認めないわけにはいかない。

 それでもなお、〝過去〟に背中を見せたくはなかった。


「まだ、あるんでしょ? こんな時間に呼び出した理由」

「ああ……」


 顗は少し言い淀んで、話を戻した。


「最初にした呪死者の話な。オレがこっちに来たのは、その件を引き継いで追ってきたのもある。どうも、呪殺と宗豪らは繋がってるらしい」


「連中が、呪いの元凶?」

「いまのところは不確定です」


 顗に変わって零子が応えた。


「のちほど、顗さんにいただいた資料から詳しい検視を行いますが……佐戸さんが殺害されたのと、こちらで呪死者が出たタイミングが合いません。ですが第三区の鑑識によれば、一連の呪死者と佐戸さんの現場、両方から得られた名残は、よく似ているとのことです」


「それと、妙なことがもうひとつ。連中と一緒に子供がいたらしい。たぶん女の子だと」


「女の子……」


 街で逢った少女──おぶせこはる。

 本当は、宗豪の名を聞いた時点で思い浮かんでいた。だが、考えないようにしていた。偶然のいたずらか、ストレスが見せた幻覚だろうと。


 ──お母さんは、おぶせはるか。


 顕醒の腕を、強く胸に抱き寄せた。


「維? どうした?」

「アタシ、その子に逢ったかも」


 顗も零子も、目を円くする。


「いつだ? どこで?」

「さっき……三時かな。えっと、どこだっけ……」


 頭のなかがぼやけて、うまく思い出せない。


「維さん、深呼吸して。最初から、ゆっくり話してください」


 零子が隣に座った。促されながら、維は言葉を切りつつも、少しずつ話した。

 〝おぶせはるか〟が母親だと言う、〝こはる〟という名の少女。

 ひょっとして、あのとき、すぐ近くに連中がいたのか。そう思うと寒気が止まらない。


「産んでない。アタシ……絶対に産んでない」

「ええ。ええ、知っています。ここにいるみんなが分かっています」


 おぶせはるか──廣距(おぶせ)温香(はるか)

 この部屋の全員が、その意味を知っている。

 維が産まれたときに授かり、そして十数年前に捨て去った、かつての名前だ。

 だが〝廣距こはる〟が何者なのか……それは、まだ誰にも分からなかった。

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