7:皇女の乗艦
エリン皇女と〝黒袖組〟のガブリロ、それに航宙軍士官候補生3人の乗る救命艇は、〈カシハラ〉によるパルスレーザの発砲後しばらく様子を見てから宙港――大桟橋周辺の空域に侵入していた。
すぐにでも〝黒袖組の宇宙船〈オルレアンの乙女〉号〟に向かうと主張するガブリロを、全員で何とか諫めた結果だった。
最初、銃を手に主張を押し通す構えのガブリロだったが、最終的にはパイロットのイツキに戦闘空域での航宙を拒否されてしまうと、航宙船舶の操縦ができない彼としては譲歩せざるをえなかった、というわけである。
6月6日 1130時 【第一軌道宇宙港/港内 救命艇 操舵室】
港内には既に帝国宇宙軍の機動機の姿はなかった。
ようやく組織の用意した宇宙船を目視できる位置まで辿り着き、視界にその恒星間大型ヨットの輝く船体を収めてすっかり高揚したガブリロがさっそく通信を試み始める。しかしヨットからの応答はなかった。
「――ミシマ……?」「…ああ……」
そんなガブリロの座る副操縦席の隣のイツキとその後ろに立つミシマの二人が大桟橋のC-4に接舷されている大型ヨットの異変に気付いたのは、接舷のために相対速度と角速度の同期を終えて操舵室の窓から船体を視認した時だった。
港内には相変わらず強力な電波障害が発生していて、宇宙港管制からの誘導を期待するべくもなかった。だからイツキは手動操縦でヨットを定点監視できる位置に捉えたのだが、そこから高速ヨット〈オルレアンの乙女〉に先客――既に横付けされた小艇――がいるのを確認すると眉を顰めた。
ガブリロの話と違うし、何より完璧な輻射管制を行っているその漆黒に染められた船体が何とも胡散くさかった。〝嫌な感じ〟しかしない……。
ミシマは狭い操舵室内の操縦席と副操縦席の間からガブリロの座る副操縦席の制御盤に手を伸ばす。小型の救命艇には対加速度慣性制御なんてないので艇内は無重力状態である。
ガブリロはヘッドセットを装着したまま、無理な姿勢で操作に手こずるミシマを迷惑そうな表情で見やっていたが、そのガブリロについに操縦席のイツキが声を上げた。
「――〝お兄さん〟… ちょっと申し訳ないんだけど、ミシマに席、譲ってもらえないかな? なんだかヤバいことになってそうだ」
イツキとしては本人のいう所の軽妙な語り口のつもりだったが、それはガブリロの癇に障ったようだった。表情を硬くしたガブリロが再び懐の銃に手を伸ばす。
「この場の指示は私が執ると言ったはずだ! 勝手な行動は――」
しかしそのセリフはミシマが遮った。
「――ガブリロさん、ヨットへの呼掛け、続けてください」
まだ状況を飲み込めずにいるガブリロを軽く押し退けるようにして、ミシマが副操縦席制御盤の正面に滑り込んだ。
「接舷してる。完全な輻射管制…… でも機関は動いてるだろうな……」
「ミュローンか?」 ――イツキが訊いた。それは確認の色を帯びている。
「……じゃないかな」
ミシマも同意するといった感じの目線を返す。「――あんな特殊仕様の小艇、ミュローンか『地球』の特殊部隊くらいしか保有してないだろうからね」
〝ミュローン〟や〝特殊部隊〟といった単語とその不穏当な物言いに反応したガブリロが、不安そうな表情になって言う。
「な、なんだ? ミュローンと言ったか? いっ、いったい何がどう……」
「ミュローンの特殊部隊ですって?」
そのセリフは、今度はマシバの声に遮られた。「――〝黒袖組〟の宇宙船、制圧されちゃってますか?」
無重力状態下の艇内で、士官学校では実技系教練の最下位及第生――落第一歩手前のマシバだったが、それでもガブリロよりは余程器用な身のこなしで操舵室に流れて来た。
「おそらく、ね……」
コンソールの操作を止めるでなくミシマが応える。「――のこのこ出てったら捕まるだろうな……」
「狙いはお姫さん?」 こちらも制御盤の操作が忙しくなってきたイツキがミシマに訪ね合せてくる。
「多分……」
――と、そこでミシマが手を止め、真剣な目でイツキを向いた。「――お前さ、それ〝不敬〟だぞ」
言われて初めて、イツキは神妙な顔つきになってミシマを見返した。
星系同盟に属す彼らの母星系『オオヤシマ』は、〝元首を持たぬ〟立憲民主制を敷いているのだが、そもそも帝政連合の下で自治権を認められた自治領国である。ミュローンの君主こそ戴いてはいないものの、対外的には帝政連合が外交軍事を代表しており、皇帝は形式上宗主国の元首と位置付けられていた。
オオヤシマの国家公務員たる彼らがミュローン皇女を『お姫さん』呼ばわりすることは〝不敬〟であった。
イツキが珍しく反省の表情を浮かべた。
そんなイツキとミシマの間に、如何にも若輩面したマシバが割って入ってきて言った。
「席、替わります」 言って操舵室の天井に収納されていた予備座席を引き出してミシマに示す。
「――ミシマさんは予備席に ――お客さんはキャビンの方へ……」
操縦はともかく航法はマシバの方が得意だった。ミシマとマシバが空中で躰を入れ替えるように移動する。
しかし〝お客さん〟――ガブリロの方は抵抗する素振りをみせた。
「な、何を言っているんだ…… ここは私が……お前たち、まさか我々をミュローンに――」
「あのさ‼」
イツキが反応するよりも早く、それにはマシバが応じていた。
「アンタにここに居座られたら迷惑なだけなんだよ! わかる⁉ アンタ何もできないでしょう? ここはミュローンの手から逃げるのが先でしょうに!」
襟首を掴みそうな勢いだった。
「――何があっても皇女殿下をミュローンから守るのがあなたの役目なんでしょ? なら自分の仕事をしなさいよ」
その気魄に押されるようにガブリロは操舵室を後にした。
ミシマとイツキは目を見合わせてから彼の背中を見送った。
ガブリロが何とかキャビンへと流れていくと、既にエリンがシートベルトで身体を固定し終えていた。
目線が合ったがガブリロは何も言わず自分の方から目線を下ろした。彼女から離れた席に収まってシートベルトを引き出す。
――もうこれ以上、誰かの足を引っ張るようなことはできない……自分のできる最低限の仕事をしなければ……。
そう思うガブリロがシートベルトの装着を終えた時、救命艇が加速を始めた。
6月6日 1135時 【航宙軍艦カシハラ/戦闘指揮所】
戦闘指揮所の砲術長の席に座った士官候補生准尉クリハラ・トウコには、主管制士のシンジョウ・コトミとツナミ戦術長補の会話を聞くことが出来た。
親友のコトミは船務科で船務長補に次ぐ立場の主任管制員を務めてるから、艦全体の情報は彼女の許に集まってくる。そこから取捨選択して戦術長補に伝えるわけで、言わば〝女房役〟と言える。
――そんなこと言ってあげたらコトミ、顔を赤くして、それでも満更でもない表情になるかな。
そういうことには判りやすい反応となる親友の声と、生真面目かつ融通の利かない同じ戦術科の〝上役〟――現在は艦長代理を務めるツナミ戦術長補との遣り取りに耳を聳てる。
いまは元々不調だった慣性制御システムの修理のために本星系から派遣された3人の技官の件を報告してるところだった。
「――ではオダ1級技官以下2名にはそのまま乗艦してもらえるんだな?」
「ん。すでに収容、終えたって」
「……それは…――助かった」
その声の調子はツナミ戦術長補の正直な表情を思い描かせた。――戦術長補は気を抜くとすぐ表情に出る……。
でも正規乗組員が一人もいなくなってしまった現状、年長者が居てくれるというのは戦術長補にとっては心強いだろうな、とは思う。
あのオダ技官は自己主張のない落ち着いた感じだったし、機関長が帰ってこない中、艦に機関を任せられる工学専門職が乗艦してくれたってことはやっぱり大きいと思うのだ。
「――それと、民間人収容の打診が来てる。星系同盟の非公式のルートでだけど……」
それにしても、案外コトミは秘書に向いてるのかも知れない。自分には真似できない――とくに戦術長補みたいなのが相手じゃ……、とクリハラは思う。
「戦術長補――」
そのとき電測の制御卓に着いていたタカハシ准尉がツナミに声をあげた。
「なんか宙港の中がおかしな事になってる……」
「おかしな事……?」
訊き返すツナミにタカハシは自分の制御卓上のモニタの画面を、メインモニタの一角に小窓出力するよう操作した。
メインモニタの大スクリーンに、救命艇を追い回す所属不明の戦闘用小艇が映った。
――確かに変だ。
クリハラもそう感じた。救命艇は艇首の辺りから断続的な発光を繰り返していた。
「何だ、あの光……?」
「航宙灯が故障でもしてるのかな?」
タカハシは真剣な顔でのんびりしたことを呟いた。
でも、それを言うならそもそも小艇の方は航宙灯を一切灯してない……。そこは気付かないんだ。
クリハラはそう思う。
「おい、あれ……」 少ししてツナミが言った。「――モールスじゃないか⁉ タカハシ、メインモニタに拡大、急げ!」
その指示に従い、タカハシが先の小窓出力の映像をメインモニタの大画面に切り替える。
モールスか……‼
クリハラは感心してツナミ戦術長補の顔を見て、それからメインモニタの光点の明滅に視線を戻した。
それはもはや学校の教科でしかお目に掛かることのない航宙従事者伝統の可変長符号化された文字コードだった。
――…ツナミくん、解読できるんだ……けっこうオタクだ、侮れない……。
「やっぱりモールスだ! …――ありゃミシマたちだよ‼ ボートに乗ってる! ――…あの小艇は……ミュローンの…特殊部隊らしい…―― は⁉ こっちで排除してくれと言ってきてる……」
画面の中の光点の明滅を一心不乱に解読する戦術長補の横で、クリハラは引っ掛かる単語を耳に拾い小さく眉根を寄せた。
――特殊部隊? ……排除?
それでクリハラは内心の不安が表層に表れてこないその顔でツナミを見て、それから三度モニタに視線を遣った。メインモニタの中では、小さな救命艇がまるで木の葉の舞うようにして黒く塗られた小艇から逃げ回ってる。
あの操縦は多分ハヤミくんだ……。
一見、動物的なカンで動き回っているかのように見えるその動きだったが、その実、彼なりの計算がちゃんとある。そんな機動を士官学校の術科で何度か目にしていて、クリハラは〝やりにくい〟相手だと記憶していた。
――でもいつまで保つかな…… ――でも……
追いかけている小艇と違い対加速度慣性制御のない救命艇では、あんな無茶な操縦に体力が続くわけがない……。
「砲雷長――」
やはり呼掛けられることになったと、クリハラはツナミを向いた。
ツナミは命令調で言った。
「左砲戦用意……火器管制レーダ照射、パルスレーザで目標を追尾」
その言葉にクリハラは内心の思いを押し隠し、砲雷長役のいつもの表情になって復唱する。
外目にその顔は、何も変わっていないようにしか見えないのだが、そうするのが彼女の常だった。
――…撃つ、の?
今日はもうこれで2度目になる。
ただ今回は、抑え切れなかった不安の視線を戦術長補に見透かされたようだった。
ツナミはそんなクリハラの逡巡する視線に気付くと、彼女を落ち着かせるように大きな声で言った。
「所属不明の小艇をロックオンしてボートから引き剥がす」
そして頷いてくれた。
それでクリハラも頷き返して復唱する。
クリハラは砲雷長役として照準を所属不明の小艇に合わせた。戦闘指揮所内の各種モニタが状況を刻々と伝えてくる。
FCレーダの照射が始まって数秒の後、小艇はパルスレーザの砲身に追尾・指向されていることを確認したのか大きく退避行動に入り、やがてトーラスの影に消えていった。
――これでミシマくん達の乗る救命艇を〈カシハラ〉に収容できる。
内心で息を吐きクリハラはツナミの方を向いた。そのツナミが――たぶん自分自身に――小さくガッツポーズしているのを見た。
戦闘指揮所内に安堵の空気が流れる。
この時になってクリハラは、そっと気遣ってくれるコトミの視線に気付き、それから自分の足が小さく震えてるのに気付いた……。
6月6日 1155時 【航宙軍艦カシハラ/戦闘指揮所】
「――えっ? それって本当なの⁉ そうなんだ……ん、わかった伝える……」
まだ全艦の第1配備が解かれない〈カシハラ〉――。その戦闘指揮所の主管制卓で、シンジョウ・コトミ准尉は上げかけた声を慌てて顰めた。
「なんだ、何か問題か?」
救命艇を収容した左舷格納庫からの連絡を受けたコトミの不明瞭な応答が耳に入った艦長代理のツナミ・タカユキは、思わず振り見やって訊き返した。
少し神経質な口調になっている。
「あ、いえ――ミシマ船務長補からです。救命艇に同道するVIPあり――」 コトミが慌てて応える。
「艦の指揮権者たるツナミ准尉には格納庫まで来て欲しいとのことです……」
「……VIP?」
ツナミは怪訝な表情でコトミを見返した。その〝指揮権者たる〟という持って回った言い回しも解せない。そんなツナミにコトミが困ったような表情で答えた。
「その…… 帝国の……皇女殿下だそうです……」
戦闘指揮所中が息をのんだ。ツナミも言葉を失い、心の内で目線を泳がせる。
――高貴な生まれの姫君がホントに乗艦してきた。こうなるとあれか……件のミュローン艦の指揮官は、きっと『仮面の男』に違いない……
ツナミは、改めてそんな埒もない思いに囚われた。――もうなるようになれ、だ。
6月6日 1200時 【航宙軍艦カシハラ/左舷格納庫】
左舷格納庫では、接舷を終えた救命艇の昇降口の前に直立姿勢のミシマがいた。――相変らず絵になる男だと、そんな同期の首席を見て次席のツナミは思う。
ミシマはツナミの姿を確認するとハッチ内へと何事か告げた。ほどなく一人の少女が、そのほっそりとした姿を現した。
少女の出で立ちは貴族的な華美なものでは全くなかったが、その毅然とした顔立ちはなるほど貴族的だと、ツナミのみならずその場の候補生らには思えた。
そんな少女はツナミを見やると微笑みを浮かべる。
ツナミは航宙軍式――右上腕を斜め前45度に出して肘を張らない挙手の敬礼で出迎えた。
「航宙軍練習艦〈カシハラ〉へようこそ。指揮を預かる士官候補生准尉のツナミ・タカユキであります」
ハッチ前に並んで出迎えるミシマ、イツキ、マシバ、それに皇女殿下の出迎え対応のために呼んだ主計長補のアマハ・シホ准尉を含めた格納庫内の全員が頭中の敬礼で出迎えた。この状況下で精一杯の礼式だ。
少女――エリン皇女殿下は左胸に右手を添えて答礼した。そして少し戸惑うように、恰も傍らに控えているかのように立つミシマに小さく訊く。
「乗艦の許可を願えばよいのでしょうか?」
それでミシマがわずかに肯いたので、後はツナミが引き取った。
「乗艦を許可します、皇女殿下――どうぞ〈カシハラ〉へ」
ツナミが皇女殿下のその後の対応をアマハ・シホ准尉に任すと、アマハ准尉は皇女に先立ち、恙無く特別公室へとエスコートしていった。
ボートのハッチ前には、ミシマたち三人の候補生と〝黒袖組〟のガブリロ・ブラムが残された。
こうしてミュローン帝政連合の皇位継承権者エリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセンは、航宙軍の練習艦〈カシハラ〉に入った。
一方、時を同じくして右舷の桟橋からの搭乗橋に接続された与圧室にもVIPの一行が到着している――。
6月6日 1200時 【航宙軍艦カシハラ/右舷与圧室】
「――…ですから、いま艦長に代わり指揮を執っておりますツナミ候補生准尉が参りますので……」
右舷の与圧室ではちょっとした押し問答となっていた。
砲雷長のクリハラに選抜された人員を率いて警護を固めに来たヨウ・ミナミハラは、そこでシング=ポラスの邦議会議員であるフレデリック・クレークの相手をすることとなり、その傍若無人の振る舞いに辟易させられる破目になった。
「候補生だと? だれか士官はいないのかね? それでは全く話にならん――すぐに艦長に連絡をつけ給へ。まったくもって失礼とは思わんのかね? こちらはクリュセ政府のジェンキンス首相のご息女で、私はシング=ポラスの上院議員でもあるんだ。本来なら栄誉礼で迎えられても――」
「クレーク議員……」
そんなクレーク議員の長口舌を、困ったような表情のメイリー・ジェンキンスが遮った。「――私も議員も公務で参ったのではありません。航宙軍の方もお困りになってます」
まだ二十歳にも満たない女学生にそう言われてしまい、さすがにクレークは黙るより他ない。
ミナミハラが助かりました、という表情でメイリーを見やると、彼女は申し訳なさそうに居心地の悪そうな表情をして、小さく振って応えた。ミナミハラも彼女と同じ表情になってもう一度軽く頭を下げた。
それから連れの褐色の肌をしたスタイル抜群の女性に視線を遣る。その褐色の肌の彼女も肩を竦めて返した。
メイリーたち一行は4番連絡橋から1番連絡橋への逃避行をどうにか無事に成し遂げていた。連絡橋まで辿り着くとやはり父ジェンキンスの知名度は有難く、一行はすぐに中央宇宙港の大桟橋まで上げて貰うことができたのだが、そこで〝同類〟――クレーク邦議会議員の一行と同道することとなったのだった。
クレーク議員の自意識の高さは過剰というレベルのもので、メイリーにとってこういう手合いが一番苦手である。が、ともかく一刻も早く航宙軍の航宙艦に一行を収容してもらわなけれならない。またしても父の名を振り翳さねばならないことに内心で溜息を吐きつつ、彼女は議員と共に航宙軍練習艦〈カシハラ〉に避難市民の収容の交渉のため出向いているという訳だった。
いまこの場には、メイリーと議員の他、アンナマリー、議員の主治医のラシッド・シラ、同じく議員の友人で実業家のネイハム・レロー、それにフリージャーナリストを名乗るマシュー・バートレットの6人が艦長の代理という士官候補生の判断を待っていた。