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皇女と候補生と航宙軍艦カシハラ号  作者: 宇宙だいすき
エピローグ
74/75

72:初夏の風の中

6月6日 1200時 【イザナミ道コロモ市/ギョウケイジ駅】


 駅前に戻ったツナミは駅舎の外にいた見覚えのある犬の隣に、いまはここに居るはずのない懐かしい人――〝コトミ〟――を見た。



 *



 その瞬間から、時間の感覚が止まったようだった。


 一歩踏み出した自分の足が、何だか他人(ひと)のもののように感じられる。

 そんなツナミの視界の中で、コトミは一歩後退ってツナミの顔を真っ直ぐ向いた。

 そして泣きそうな表情(かお)になる。


 ツナミの足が止まった……。



「……タカ… ユキ…――」 細い右手の人差し指が当てられた口許から、やっとのことのように声が漏れ出た。「――うそ…… 何で……?」


 語尾は震えていたが、それでもその声を、ツナミが聞き間違うはずはない――。

 が、彼は訊いていた……。


「コ、トミ……?」


 ツナミは見開かれた彼女の瞳が自分の視線から逃げるよう伏せられたのに既視感(デジャヴ)を感じた。



 どこかから、路線バスがロータリーへと侵入する際の「左へ曲がります」という間抜けな音声が聞こえてきた。



 どういうことなのか、何が起こっているのか、ツナミには理解でき(わから)なかった――。


 ただ、これが白昼夢という〝奇跡〟なのだとしたら、この夢がこのままずっと醒めないでくれと、そう願ってツナミは彼女を見た。


「ホントに……コトミなんだな…――」 あとは、何とかそれだけ口にすることができた。


 しばらく俯いていたコトミは、ようやく小さく頷くと、観念したふうに呟いた。

「そっか…――トコちゃん、だね……」




6月6日 1205時 【イザナミ道コロモ市/市内某所】


「――…それにしても、よかったのかね? こんなふうに黙って二人を引き合わせて……」


 市内の繁華街(ダウンタウン)に停めたレンタカー。

 そのボンネットに浅く腰掛けたハヤミ・イツキが、クリハラ・トウコの横顔に、いまさっき買い求めたばかりのファストフード店のシェイクのストローから口を離して訊いた。


「…………」


 クリハラは手にしたアイスコーヒーの容器にストローを挿すと、自信を持って応えられない問いを投げ掛けてきたイツキに、ちょっとイラついた視線を返す。

 能天気そうなイツキと目が合うこととなった。


「――?」

 イツキはこんなことではめげない。いつも通り(マイペース)だ。


「…………」


 

 ――仕方ない……。


 クリハラ・トウコは、ひょっとしたら〝大失敗だった(やらかした)かもしれない〟という不安を、イツキに伝える羽目になった――。



 * * *



 スプラトイ星系で『作戦行動中行方不明(MIA)』となっていたコトミが、現地軍によって揚収・救助されていた、という事実をクリハラが知ったのは〈オオヤシマ〉へ赴任してくる直前だった。


 あの〈カシハラ〉での航宙で知り合ったミュローンの少女――ベッテから届いたメールが、その第一報だった。


 ベッテは〈オオヤシマ〉のコトミの家に、コトミの母親を訪ねて行ったのだった。――ツナミとの〝約束〟を果たすために。


 そうしたらそこに、コトミが居たと言うのだ…――。



 クリハラとしては、にわかには信じられなかった。

 悪い冗談か、それとも悪戯かとさえ思った。


 それでも、ベッテという少女はそんなことをする娘でないことをわかっていたから、無視して〝ゴミ箱〟に放ることもできずにいた……。


 コトミの実家に通話回線を繋げて――番号は聞いていて知っていた――確かめてみようとも思った。……けれど何故だかそれは躊躇われた。


 自分でも説明のつかない直観のようなものがあった……。



 クリハラがそんなふうに思いつつモヤモヤとしていると、数日後にはベッテ当人が現れて、半信半疑のクリハラは、彼女の口からことの詳細を聞いた――。




 スプラトイで宇宙空間に投げ出されたコトミは、あの8時間後に戦闘宇宙服の代謝抑制モードによる低体温睡眠状態に入り、16週間後に救難信号を受信した航宙艦が接近(ランデブー)し、救助されたのだという……。


 それが本当なら〝奇跡〟だった。


 航宙軍の採用してた新型の戦闘宇宙服には、確かに簡易冷凍睡眠の機能が実装されてはいたけれど、惑星衛星軌道外での発見救出なんてありえないと皆が思っていたし、それに16週もの長期間に渡る睡眠状態の後に覚醒するなんて……そんなこと実例もなければ機能的な保証もないことだった。



 でも、コトミは生還したんだ……。

 

 クリハラにも、目の前のミュローンの少女の嘘偽りのない瞳を見て、ようやくそのことが事実としてうちに入ってきた。


 あとはもう、涙がぽろぽろととまらなくなってしまった。

 コトミが生きていてくれたことが嬉しかった。

 

 あたしの親友は生きていたんだ。――けど、ならどうしてあたしに知らせてくれないのだろう。

 

 クリハラには、それがやはり納得できなかった。



 * * *



「――コトミがね… 〝もう、会えない〟って…… (かたく)ななんだ」


 そのクリハラの言葉に、イツキは難しそうな表情(かお)を向けた。

 クリハラが――『氷姫』という綽名の由来となった――無表情で見返していると、イツキは視線を逸らし、もう一度ストローを咥えなおしてから〝納得し難い〟といった横顔で言った。


「よく理解でき(わかん)ねぇけど…… それってやっぱ、()()()()()会いたくないと……?」


「……そうじゃないよ‼」

 それには、クリハラは思わず声を上げていた。


 その大きくなったクリハラの声に反応したイツキが彼女を向いて、目と目が合った。


「――…ないと……思うよ……」 慌てて声を小さくするクリハラ。



 そう言ったものの、彼女は確かにコトミからは口止めさせられていた。


 〝わたしのことは、タカユキ(ツナミくん)には黙っていて〟と……。



 * * *



 コトミの無事を喜ぶと同時に、連絡をくれなかったことに納得できないでいたクリハラの背中を押したのは、ミュローンの少女、ベッテ・ウルリーカだった。


 コトミの親友である〈クリハラ・トウコ〉は、コトミに会いに行くべきだ――。


 そう言い募る、まだ大人になっていないベッテの真剣さは、クリハラに芽生え始めていたつまらないわだかまりの芽を消し去ってくれた。


 ――あのコには感謝するしかない……。 今ではそうクリハラは思っている。



 クリハラは〈オオヤシマ〉に赴任して最初の休日にコトミの家を訪ねた。


 コトミに会って、泣いて、怒って、抱き合って、元の親友のあたしに戻れたとき――、コトミの目の奥の表情を見れるようになったときになって、ようやくベッテが自分を来させた理由がわかった。


 コトミは、怯えていた。


 ――ツナミくんと会うことを……。


 ううん……。たぶん…、そう思ってしまっている自分自身と、向き合うことに……。



 *



「――あたしじゃ… ダメだったんだ……」

 いつも通り(マイペース)な表情のイツキに観念し、クリハラはそう言っていた。


 怪訝そうなイツキの視線に促されたクリハラは、自分自身の不安を打ち消すように、自分を励ますように言った。

「結局…――コトミを元に戻せるのは、戦術長補(ツナミくん)だけなんだと思う」



 イツキは、そんなクリハラの言葉に、ただ笑って肯いたのだった。





6月6日 1205時 【イザナミ道コロモ市/ギョウケイジ駅】


 このまま駅前で立ち尽くしている訳にもいかなかったからか、コトミは黙って背を向けるとそのまま歩き出した。リードに繋いだコマリを引きずるような勢いだった。


 ツナミは慌ててその背中を追う。


 夢が醒める…――奇跡が終わってしまう――…としても、それはここじゃないだろう……‼

 まだ何も話せてない、ちゃんとアイツの目を見てないんだ……!


 そんなふうに思いながら、ツナミはコトミに追い付くとその背中越しに声を掛けようとして…、できなかった――〝いまわたしに話しかけないでオーラ〟がすごかったから……。


 仕方なしに、黙ってコトミの後をついて歩く――。


 気まずいのを耐えながら、コトミ、コマリ、ツナミの順で歩いていく……。

 行くあてがあるわけではなかったらしい。しばらく町の中をさ迷った末、結局、川の方に出た。


 やってることが昔と変わらない。



 *



「――…なんできたの……?」


 堤防を下りて河川敷に整備されている緑道まで来たときに――、さすがに声を掛けようとしていたツナミよりも先にコトミが口を開いた。


「え?」


 小さなその声に訊き返したツナミに、抑揚を抑えているコトミの声が言った。

「なんできちゃったの…――? わたし…… 会いたくなかった……」


 これには、言葉を失った。――正直、この展開はないと、ツナミは思っていた……。



 あのことから1年――


 失って、もう二度と会えなくなったと思い、奇跡が起こって、目の前にコトミが現れて……。

 ツナミは、願うならばただ一度だけでも、会いたいと願っていた……。


 だから……、てっきりコトミもそうだとばかり…――。



 人通りのない昼下りの川辺の緑道で、ツナミは固まるところだった。

 何とか気持ちを持ち直し、歩調を速める。


 置き去りにされる前にコトミの前に回り出て、その両の肩を掴んで強引に正面から顔を覗き込んだ。

「コトミ! 俺はっ…――」


 大きくなりかけた声の言葉尻を、思わず飲み込んだ……。

 視線を避けて面を伏せたコトミに、両の肩の手を振り払われる。

 その一瞬に覗いたコトミの思い詰めた表情で、ツナミは解ったような気がした。


 怒ってるとか、拗ねてるとか、そういうんじゃない。

 恨まれてるとか、憎まれてるとかじゃ、もちろんない――。

 それは理解できた(わかった)――。長い付き合いだ。


 いまのコイツは、ひどく混乱して、どうしていいかわからなくなって……怯えてる。


 ――あのときと一緒だ……。



 ツナミがそう思い至ったことをわかったふうでもなく、コトミは平静を装うようにして訊いてきた。


「――…トコちゃんから…… 聞いてない……?」

「何を?」


 そう訊き返すしかないツナミに、コトミは小さく深呼吸するように息を吐いて言った。


「わたしね……『空間喪失症』になった ――重度の発症で〝0G〟に耐えられない… もう航宙任務には就けなくなったんだ……」



「…………」 ツナミはコトミの言葉を反芻した。


 ――空間喪失症。長時間にわたる空間識の失調という精神的な衝撃による心的外傷(トラウマ)がもたらす精神障害。空間識に錯誤を感じ始めると発症し、血圧上昇、過呼吸、パニック症状、方向感覚の喪失。酷いと幻覚や幻聴も起こる――。


 航宙艦乗り――宇宙飛行士にとっては致命的と言えた。


 ツナミの〝あのときの判断〟の結果に違いない…――。


 ――…だけど……。



「――だからもう……タカユキの傍にいられない……」

 無理に抑えられたコトミの声に、ツナミも〝気後れがち〟な語調で応えていた。


「だからって……宇宙船(ふね)に乗れなくなったからって、俺は――」

「――わかってないよ……!」


 コトミの返しは、思いのほか大きくて、鋭かった。見下ろした先のコトミの顔は伏せられていて、取り付く島もない。


「タカちゃんはわかってないよ……」 コトミは声を震わせて言った。「――もうわたし、タカちゃんを追いかけること、できなくなったんだよ… もうここから、ずっとタカちゃんのいる宇宙(そら)を、見上げることしかできなくなっちゃったんだよ……!」


 息を荒くして一気にそう言ったコトミは、それでも目線は上げてこなかった。


 そうやって、こういう形で俺のことを責める以外に、もう他に手がないんだろう……。ツナミは理解していた。



 だからツナミは、とことん付き合うことにした。


「コトミ……」 ツナミは、これまでの人生の中でいちばん誠実に聞えるように努めた声で言った。「――それが〝俺と顔を合わせたくない〟っていう、本当の理由じゃ、ないんだろ?」


 コトミの肩が、それと判るほどはっきりと震えた。



 遠くで、またあの間の抜けたトランペットの音が聞こえた。

 輝くように緑の映える河川敷に、強い風が吹く。

 コトミの――また伸びていた――髪が舞った。



「…………そうだね…… わたし… ほんとのこと、言ってない……」


 今度こそ色を失ったコトミの、何かへの執着を失くした声が、観念するように言った。

「――ほんとは…わたし…… あのとき、タカちゃんのこと…――()()()んだ……」


 抑揚のない声で、淡々と言うコトミ…――。

「助けて、って… あんなに呼んだのに……あんなに叫んだのに…… タカちゃん、来てくれなかった……! 気付いたら、わたし…… タカちゃんのこと、呪ってた……」



 コトミが両の手で顔を覆った。潤んだ声が、その手の間から漏れ聞こえてくる。


「…だから……だから、ヤだったの……っ こんな… 嫌なわたしを……知られたくなかったから……」

 あとはもう子供のように泣きじゃくるだけだった。



「コトミ……」


 そんなコトミを、ツナミはそっと抱き寄せた。コトミは一瞬だけ身を強張らしたが、抗いはしなかった。


「俺もコトミのこと、恨んだよ……」 ツナミはコトミの体温をしっかりと感じながら、優しい気持ちになって言った。「――なんで俺一人置いて逝っちまったんだ、って……」


 コトミはツナミの腕の中で黙って聞いている。

 いろいろな想いが脳裏に甦ってきたが、ツナミは素直な言葉でそれを伝えることにした。


「――俺が始めたことに巻き込んで、俺の判断でコトミのこと〝見捨てた〟くせに……そう思ってた」 身じろぐコトミの息をのむ息遣いを感じる。「――…だから、こんなふうにコトミに合せる顔なんて、ほんとはないのかも知れない…――」


 あとはもう、勢いだけだった……。


「――そんなふうに思われるのは当然だけど…… でも、それでも俺は、今日逢えて良かったと思ってる。


 俺はいま、神様にもクリハラにも、感謝してる。

 コトミが嫌だって言っても、俺は引き下がらないよ。諦めない。

 例え呪われてたとしたって、俺はオマエの傍にいたいんだ……。


 ――だから……」



 それ以上言葉が続かなくなって、しばらく反応のない腕の中のコトミに、ツナミは不安になる。


(――くぅぅん……) 足元でコマリが鳴いた。


 ようやく、コトミが小さく言った。

「もう、わたしを置いていったり……しない?」


「しない」 ツナミは断言して返した。「もし先に行くことになったとしても、俺は必ずオマエの横に帰ってくる」


 その言葉に、ようやく力の抜けた身体(からだ)を預けるようにしてきたコトミの体温と体重を感じながら、ツナミはあらためて思う。


 ――だって船乗りは、本当に好いた女の元に、最後は戻っていくものだから……。


 そう思いながら、ツナミはコトミの身体を抱きしめた――。



 河川敷から望む広い空には、往還機の曳く細い雲が伸びている。

 今日、故郷のこの場所の初夏の風の中で、ようやくツナミ・タカユキの中で〝〈カシハラ〉の航宙(たび)〟が終わったのだった。






                           ――…本編 〈了〉

これまでお読みいただき、ありがとうございました。

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