5:『非常事態宣言』
6月6日 1100時 【第一軌道宇宙港/4番連絡橋】
下宿を出たメイリー・ジェンキンスらは、トーラス型コロニーの内壁に沿って伸びる主要通路を、宇宙港へと昇る連絡橋――通称〝スポーク〟――の基部を目指し進んでいた。
周囲では同じ様に避難する住民らがおり、あちこちで発生しているデモ隊と治安当局との衝突で通路が封鎖される度に右往左往させられて、そろそろ身動きが取れなくなっていた。
そろそろ闇雲に動くのに不安を覚えてきたメイリーとアンナマリーは、手近なネットワーク端末から情報を得られないかと若くしてその分野の才能に溢れるキンバリー・コーウェルを頼ったのだったが、いまそのキムが4番連絡橋に接続する主要通路の歩道部に設置された固定回線ブースから〝これ以上は収穫なし〟とばかりに端末を繋いでいたコードを引き抜いて戻ってくるところだった。
メイリーは不安げになりがちな表情を、他人にはそう見えないよう努力しながら訊いた。
「だめ?」
「ぜんぜん――ハブへの連絡橋は1番系統以外は全閉鎖だって……」
「じゃここから宇宙港までは無理ね……」
1番スポークはここ4番スポークから中心部を挟んで反対側――3キロメートル程先となる。
下宿を出てもう2時間ほど経っているが宇宙港への道行は一向に進んでいない。周囲ではデモ隊と当局との小競り合いがいよいよ激しくなり、身の危険も感じられる。
「――お姉ちゃん……」
メイリーの膝元で少年――イラーリが小さく声を上げた。まだ6歳だと言う男の子は、不安そうな表情で辺りをきょろきょろと窺っている。
「大丈夫よ。すぐ、もっと安全な場所に移るから……」
メイリーは少年の手を握る力を少し強くしてやった。キムが頭の上のお気に入りの風船帽の向きを直してやると、イラーリは少し落ち着いたようだった。
ここまでの道中でメイリー達の道連れは増えていた。
キムの大学の学友のクリスタとその従姉弟たち――アルレットとイラーリ。近くの馴染みのパン屋の老夫婦――ビルギットさんと妻のマーサさん。それに新婚で生まれたばかりの赤ん坊を連れたレイチェル・ヴォーセル。
そんなメイリー達は周囲の破壊と混乱とを避けて、あちらこちらを風に飛ばされる帽子か何かのように、それでも何とか宇宙港を目指している。
アンナマリーが駆け足で戻ってきた。
彼女はいつも忙しない、とメイリーは思う。
アンナマリーは一行の元に駆け寄ると、メイリーにだけ聴こえる声で言った。
「宙港に航宙軍の軍艦が入港しています。一先ずそこに行きましょう」
「軍艦に? ――でも、ここからは宇宙港に上がれないと……」
「それが一番安全です ――話を通しました。特別に上げさせてもらえます」
そう言ってアンナマリーは皆を立たせる。
メイリーもまた他の人達に聴かれないよう、そっと彼女に訊いた。
「よく話が通ったわね……」
「……〝ジェンキンス〟の名でねじ込みました」
たちまちメイリーの表情が曇る……。
――また父の名か……。
そんなメイリーを見たアンナマリーだったが、見て見ぬふりをしてにべ無く言う。
「――そんな顔しないでください。使えるものは何でも使わないと」
「…………」
メイリーは小さく息を吐いた。
その時、主要通路の先で、4番連絡橋前に居並んでいた警備の列に大きな炎の柱が生じた。
握っていたイラーリの手の力がグッと強くなる。アルレットの悲鳴にレイチェルの赤ちゃんが反応した。
「――爆弾なの⁉ ……コロニーの中でそんなものまで」
アンナマリーの口から驚きの声が漏れる。メイリーは周囲を見やった。
この距離まではっきりと熱量を感じさせるほどの炎は、大音響の破裂音と共に周囲の群衆を一気にパニックに陥れた。
少し前に帝国政府によって『非常事態宣言』が発せられたというが、少なくともここに限っては、それは正しい認識だとメイリーは思った……。
――もう、ここから宇宙港へは上がれそうにない。
「皆、こっちへ!」
メイリーは皆を率いて、先ずはその場を離れた。
「ともかく、宇宙港まで上がれるスポークに行かないと……」
メイリー・ジェンキンスの、女子供と老人ばかりの逃避行は続いている……。
6月6日 1100時 【航宙軍艦カシハラ/戦闘指揮所】
「ツナミ准尉……ツナミ准尉……! ――タカユキ‼」
ツナミ・タカユキは、自分が呼びつけられていることに気付くのに少しかかった。
ようやく我に返り声の主を求めて主管制の制御卓を振り見やると、同期で幼馴染でもあるシンジョウ・コトミの、奥二重でしっかり者の性格がよく出ているその顔が心配そうにこっちを向いていた。
――俺としたことが、少し意識が跳んでいたらしい……。
「な、何だ?」
「報告―― 敵接舷戦闘支援機を排除、3機とも撃墜しました。帝国宇宙軍小艇が退避していきます」
コトミはすぐに航宙軍士官候補生の表情に戻り状況を報告した。ツナミはすぐさま現実に引き戻してくれたことに感謝しつつ、頷いて返す。
「――小艇はいい、放って置け」
「戦術長補! チャンネル99を‼」
艦橋内のモニターの一つを見ていたタカハシ・ジュンヤが、そう声を上げてツナミに注意を促す。
――チャンネル99……? 今度はなんだ……?
それはエデル・アデン星域全域をカバーする国営放送チャンネルだ……。
ツナミは言われるままに戦闘指揮所内の複合モニタの一つに目線をやった――。
『……先程、帝政連合政府より、第一人者フォルカー卿の名で非常事態宣言が発せられた模様です、繰り返します――』
――何だよ、これ⁉ ツナミは事態の行方が全く読めないこの展開に、正直、笑いそうに……いや、言葉を失った。
官製報道は〝反〟体制派による大規模な反乱の企てがすでに当局によって把握されており、先に逮捕されたアルヴィド皇太子も乱に連座している可能性の高いことを伝えていた。
――銀河標準時の六月六日現在、星域全域で『国軍』の準軍事展開がなされており、星域内の全ての軍事・準軍事組織は『国軍』の指揮下に置かれるという。これらの中には、当然、星系同盟航宙軍も例外なく含まれる。
「本星系からは…… 艦隊本部からは何か云ってきてないか? ――領事館に出向かれた艦長の方はどうなんだ?」
ツナミは戦闘指揮所内の誰にともなく訊いた。応えたのはやはり主管制員のコトミである。
「電波干渉による妨害と電波管制で、外部とは何も連絡が取れません……」
「――砲雷長! 戦術科と船務科から何人か人選して、桟橋からの搭乗橋の警備を増やしてくれ」
ツナミは最悪の事態に備え、直属の戦術科幹部のクリハラ准尉に指示を出す。「――当局が陸兵を繰り出して艦を接収にくるかもしれない」
「了解」 クリハラが席を立ちつつ訊き返してきた。「――あたしが行った方がいいかな?」
「いや、砲雷長はCICに ――ミナミハラ、行ってくれ」
「ん…… わかった」「了解した」
クリハラはコトミと視線を交わして制御卓に向き直り、戦術科員のミナミハラが戦闘指揮所を立って出て行った。戦闘指揮所に残ったクリハラは、乗員名簿を開いて対象者の個人情報端末に呼び出しを始める。
――一先ず、打てる手は打たねば……。
ともかく、本星系か艦長らと連絡が取れるまで艦は明け渡しはしない。
ツナミ・タカユキは、この時、そう決意を新たにしている。