61:〝今日〟という日
7月21日 1230時 【ベイアトリス軌道エレベータ 基底部/地表側発着場】
「エリン……っ!」 ――誰かの悲鳴……。
「……‼」 ――誰かの呑んだ息の気配……。
「何奴かっ?」 ――誰かの鋭い声……。
――そして……銃声……。
それらが聴こえたとき、エリンの視界は〝黒い〟影で遮られていた。
続く周囲の悲鳴と怒号を耳が拾っている。そのことでエリンは〝どうやら自分が撃たれたわけではないらしい〟と理解した。
目を瞬かせたエリンの視界の中で〝黒い〟影は揺れるように動き、やがて地面に頽れる段になって漸く皇女は、それがガブリロ・ブラムの長身が纏っていた外套だということに気付くのだった――。
既に男はオーサ・エクステットの手によって制圧されており、地面に俯せに押さえつけられている。〈トリスタ〉の宙兵が周囲に群がっていた。
「痴れ者が! ――何者なのかっ?」
宙兵隊のカルノー少佐の鋭い声が上がったときには、男は既に事切れていた。即効性の毒による自殺のようであった。奥歯にでも仕込んでおいたのであろう。
「エリン! ……皇女殿下! ――無事ですか⁉」
その切羽詰まったベッテ・ウルリーカの声で我に返ったエリンは、ベッテの蒼白な顔に頷くと、目の前に膝をついて蹲ったガブリロ・ブラムを屈み込むように覗き込んでいた。――周囲の宙兵が止める間もない。まったく困った要人であった。
ガブリロは下を向いていたが、エリンの気配に苦し気な面を上げた。左の脇腹を押さえているが出血しているらしい。エリンは叫んでいた。
「ガブリロ……ガブリロ・ブラム! ――誰か医者を! 怪我をしています、撃たれたのです!」
「衛生兵っ……」 皇女附次席武官となっているファン・ダウン宙尉が、皇女の声を引き継いだ。「――銃による負傷1! 意識はある、急いで!」
言いながら皇女を負傷者から引き離そうとする。足を止めてしまっているこの状況が危険だからだ。それを反射的に拒んだ皇女にファン・ダウンは言った。
「――皇女殿下! 彼は衛生兵に任せておけます…… いまは一刻も早く〝宮城〟へと急ぐべきです」
その言葉に〝理性が同意できても心情が納得できない〟という表情でいる皇女の手を、苦し気な表情のガブリロの手が触れた。
「――…皇女殿下……」
自らを〝反体制派〟と認むガブリロが〝敬称〟で呼び掛けてきたことに驚きつつ、エリンはその手を握ってやった。
「しゃべらないでください…… 出血しています ……すぐに手当てを――」
「――その女性の言う通りです……」 エリンの言葉をガブリロは遮った。「……〝宮城〟へ……お急ぎを……」
常とは異なる彼のその〝気魄〟にエリンは呑まれた。ガブリロは常よりもさらに白くなったその顔で続ける――。
「……ベイアトリスの王宮は〝権謀術数〟の巣窟だとのこと… 私が赴くまで、決して現王宮の〝御用学者〟らをお側に寄せぬよう……」
エリンは驚いた――。この〝永遠の学生〟を感じさせる法学の徒が、今し方撃たれたばかりだというのに〝先に行け。すぐに後を追う〟と言っているのだ……。
一ヶ月半前の彼からは、想像もできないことだった。
「……わかっています… もとよりこのような状態で宮中の学者は信頼できません。現在のわたしの法務顧問は、ガブリロ・ブラム、あなたしか考えられません」
皇女にそう言われ、ガブリロは精一杯に〝不敵な表情〟を作って言った。「――傷を塞ぎしだい…… 必ず追い付きます」
〝わたしのために、人が死ぬかも知れません……〟
〝でしょうね。でも、そのことからあなたは逃れられません〟 ――〈カシハラ〉の特別公室でのアマハとのやり取りが脳裏に甦る。
エリンは、今更ながら〝腹を括る〟というコトをした。――己の中の〝ミュローンたるを知る〟ための儀式のようにさえ思える。知らず指先が懐の〝銀時計〟に重ねられていた。
「――待っていますよ、ガブリロ・ブラム。必ず追い付いて来なさい。わたくしの法務顧問は貴方なのですから」
そう言ってガブリロを励ますと握った手を離して立ち上がる。ガブリロは衛生兵に抱えられてその場に横になった。
「――さ… 殿下……」
そう言って先を促す次席武官に頷くと、エリンは急ぎ『真空輸送システム』の乗降口へと向かった。
その背を見送った後のガブリロは、側らの衛生兵の袖口を握って訊いている――。
「傷は……深いのだろうか? 出血は……」
白い顔をして震える声でそう訊くガブリロに、年若い女性衛生兵は柔らかな表情で応えた。
「……大丈夫です。弾は抜けてますし、太い血管は傷ついてはいませんから――」
そんな言葉にもまだ安心できない様子のガブリロの手を、彼女は握り返してやる。
ガブリロは精一杯の力で握り返すと、まだ震える声で言った。
「――我ながら、柄にもないことをしてしまった……もう…こんなことはごめんだ……」
そんな〝書生の泣き言〟にも、宙兵隊の女衛生兵は〝おっとり〟と応えた。
「止血すればすぐにでも動けるようになりますよ」 と――。
その言葉の通り医者の手で止血・縫合を終えたガブリロ・ブラムは、次の時刻表の直通便で『帝都』に入り、宮城で皇女ら一行に追い付いている。
* * *
平均速度で時速4千8百キロメートルという超高速で、ほぼ真空にまで減圧されたトンネルの中を走行する『真空輸送システム』の移動体――。
その一等客室区画の中で、エリンはファン・ダウンから〝悲しい知らせ〟を聞いている。
――父、スノデル伯クリストフェルの死に関してである。
ファン・ダウンから聞かされた事実は、やはり毒を仰いでの〝自裁〟ということであった。
覚悟はしていた――。
それでも平静を装うのには努力は必要で、ファン・ダウンの添えた〝苦しまなかったはず〟という言葉には、何らの救いも感じられなかった。そんなこと――本当に苦しくなかったなどと――は、誰にもわからないではないか……。
エリンは目を瞑ると、瞼の裏に父の穏やかな顔を思い浮かべた。
――エリンのことを〝私の小さなソフィア・ルイゼ〟と呼び掛けるのが常であった父伯……。
その父の遺体は冷蔵保存され帝都の私邸の中にあるという。八歳までを過ごしたその場所に、特に感慨はなかった。
ことが終わり次第自らが喪主となって葬儀を取仕切ることを告げると、エリンはファン・ダウンを下がらせた。
暗いトンネルの内部を疾走する移動体――。その車両には窓もなく、全く振動を拾わない広い一等客室区画は静寂に包まれている。
やがてその静寂に耐えられなくなったエリンは、懐より引き出した銀時計の奏でる針の音に耳を澄ませ心を落ち着かせる。
〝この先ずっと、こんなことを続けていくことになる〟…――そう怖れたわたしに、ミシマ・ユウは言ったのだ――。〝そうすることで、見出すことのできる『意義』もある〟と……。
――〝今日〟という日は、まだ半ばを過ぎた辺りである。
* * *
宇宙歴四七九年七月二十一日 午後二時三十分――。
帝都に入ったエリンは、既に『第一人者』の退去した中央街区一帯を管理下に置いた〈近衛兵〉と『王党派』の長老らに出迎えられた。
この時点の〝宮城〟には取り残された『保守派連合』の一部が立て籠もっており、皇女側についた〈近衛兵〉と睨み合ってはいたが、帝都での市街戦に及ぶという最悪の事態にはなっていない。
状況を確認したエリンは、事前にアマハらが起案した通りに各政府機関の報道官から〝エリン皇女支持〟を表明させた上で、新皇帝からの〝言葉〟を待つよう指示する。
その上で、皇女としての〝都入り〟の事実を〝宮城〟内の『保守派連合』残党に伝えさせると、自らは〈近衛兵〉と〈宙兵〉とを伴って〝宮城〟へと足を踏み入れている。
7月21日 1615時
【ベイアトリス王国 帝都/〝宮城〟内 『玉座の間』 周辺】
〝宮城〟は敵味方入り乱れるという様相を呈していながらも、実際には皇女に〝刃を向ける者〟は皆無であった。
ゆく先々で〝最敬礼〟で迎えられ、その後、無血で武装解除に至るという状況が続く中、唯一抵抗の構えを示したのはトシュテン・エイナルを護る〈近衛兵〉――〈近衛猟騎兵連隊〉の選抜近衛中隊の一部であった。
彼らは『玉座の間』を中心に出来得る限りの防御陣を敷いて待受けており、皇女一行を前にしても一歩も譲る気配を見せなかった。
30分に渡って睨み合いが続いたが、午後四時二十分、何故だかそれが忽然と解かれ選抜近衛中隊は陣を引いた。
――そして直後、軍使によってもたらされたのはトシュテン・エイナルの降伏の意思であった……。
そのトシュテン・エイナルは、降伏するに当たって皇女に一対一の会見を申し入れてきた。当然、カルノー少佐を始め周囲の者は警戒をし反対する。
だが当のエリンは〝思うところ〟があるのか、会見を受け入れることを周囲に伝えた。
「危険です! 殿下……」
皇女附次席武官として仕え始めて数時間のファン・ダウンのその困惑の声に、カルノー宙兵隊少佐も同様の表情で頷いている。キールストラとその幕僚が軍務省と参謀本部に向かった現在、この場の最先任指揮官――皇女の身辺警護の責任を負う立場――は彼である。
だがそんな彼らの憂いに、何かを超越したふうな表情でエリンは応じた。
「それはトシュテン・エイナルもまた同じだと思うのです」
そのときのエリンの目を見てカルノー少佐は押し黙った。このようなときの殿下は、引き下がるということをしない。
「しかし――」
それでも食い下がらねばならないと感じている皇女附次席武官に、エリンはきっぱりと言った。
「――わたくしは決めました。これは〝家の問題〟です。彼も〈ベイアトリス〉のミュローン… この期に及んで〝家名〟を汚すことはしないでしょう」
そうしてエリン第4皇女は、トシュテン・エイナルのいる『玉座の間』へと赴いた――。
カルノーは、皇女に防弾ベストの着用と周囲の空間を〈宙兵〉及び〈近衛兵〉とで囲むこと、控えの間にオーサ・エクステット上級兵曹長以下戦闘防護服の宙兵1分隊を待機させることについては何とか承知させている。
徹底的な遠隔探索が実施され、内部の空間にはトシュテン・エイナルだろう反応しかないことが確認されると、エリンは自らの手で『玉座の間』の扉を開けた。――午後五時〇五分のことである。
7月21日 1705時 【ベイアトリス王国 帝都/〝宮城〟内 『玉座の間』】
広い『玉座の間』は寂としていた。が、記憶に留めていたものはそのままであったように思う……。エリンはそのまま『玉座』の前まで進み出でると、『玉座』に座るトシュテン・エイナルに顔を向けた。
「玉座の上から失礼いたします――皇女殿下」
そう蒼い顔の少年に呼び掛けられ、エリンは微笑んで返してみせる。
玉座に在る者が玉座の下の者に敬称で呼びかける――。そのような些か不思議な情景から二人のミュローンの会話は始まった。
「随分と時間が掛かったのですね」 玉座の少年の声は、その繊細な貌そのままに細いものであった。
「〝宮中の習い〟には段取りというものがあるようです」
そう返すエリンの声の方が、むしろ広い『玉座の間』に柔らかく響く。少年は溜息混じりにそっと目を細めた。
「なるほど…… 煩わしいことだ―― どうぞこちらにお上がりください」 少年は玉座から立ち上がると、どこか他人事にも聞こえる声音でこう言った。「――じきにここは貴女のものだ……」
「…………」
エリンは四従弟の待つ『玉座』へと正面の階段を昇った。その所作はなるほど美しく、玉座の前に立つトシュテン・エイナルに羨望の念を抱かせる。
「――僕は貴女が羨ましい…… なんというか……貴女は気高く、自由で ……そして生れながらにミュローンです」
そう言った四従弟の目を、エリンは真っ直ぐに見返した。
「貴方もそうでしょう?」
トシュテン・エイナルは、ふ、と哀しい微笑みを口元に浮かべ、四従姉に玉座を譲ろうと躰を躱そうとする――。
次の瞬間、エリンの視界の中で、少年の細い体が人形の糸が切れたかのように頽れた。
視界の中――。ゆっくりと頽れていく少年の細い体を、唯々、目で追うエリン……。
何が起こったのかわからない……。
「――!」
〝ドサリ〟というその音で漸く我に返ると、頽れた彼の横に屈み込んだ。見た目よりも遥かに軽いその身体を仰向けになるように起こしてやると、わずかに開いたその口元に、赤く伝わる血の一筋を見た。
エリンは苦し気な少年の頭を膝で抱えてやる。そうしてやりながら、彼にではなくむしろ動揺する自分自身に訊いていた。
「貴方、毒を…… どうして…――」
トシュテン・エイナルは、幼さの残るその顔に諦観の表情すら浮かべ微笑んでみせた。
〝――白々しい わたし……〟
「狼狽えなさいますな……」 少女のように優し気な表情が続ける。「――僕……いえ……私も、ミュローンです…… 自分の身の処し方は……ずっと考えてました……」
言葉なくエリンはただ黙って少年の顔を見遣る。医者を呼ぶ声を制するように、少年は続けた。
「――一度このような身の上となれば……私の存在は、帝政にとり不安定な要素となる……それは理解しています……」
〝――そう…… こうならざるを得ないことは、顔を合わせる前から〝わたしたち〟には判っていたことだった……〟
「――こうなったことに……悔いは… ないんです……」
トシュテン・エイナルは、自分自身の言葉に納得するように小さく何度か頷いた。
このときエリンは、掠れる声を振り絞るように言い募るその少年の面差しに、幾人かの親しい人の面影を重ねてしまっていた。――先ず彼と似た背格好のベッテ・ウルリーカの中性的な顔が浮かび、次にそれがミシマ・ユウの繊細な顔に変わった……。それから記憶の中の父の顔が浮かび、そして最後には、エリン自身の顔となっていた…――。
――なんて哀しいのだろう……。 わたしたちは……
そんな思いに蒼ざめた貌で少年の最後を看取ることになった皇女を、少年は優しい表情で見上げた。それから遠い記憶を探るようにして訊いた。
「初めてお会いしたのは、離宮でした…… 覚えて… おいでですか?」
「…………」 現実に引き戻されたエリンは言葉に窮した。 ――正直、彼のことは記憶になかった。
だがそれを……、彼のことを憶えていないということを、何か罪深いことででもあるかのように感じたエリンは、知らず目を臥せてしまう。
そんなエリンを咎めるではなく、只々、少年は淡々と言った。
「――ベイアトリス三家の門閥が集まった夜です……盛大でした。あの夜……身の置き所の無い、惨めな思いの子供を …貴女は……貴女と貴女のお母君だけが… 気遣ってくれた……」
その幾つかの言葉と少年の面差しに、記憶が揺り起こされてくる。
――ベイアトリス三家…… ああ……あれはアルヴィド皇太子殿下の立太子の祝賀の夜だったかしら……。
宮中の煌びやかな世界の端でカーテンの影に隠れるようにしていた子供が漸く脳裏に甦ってきた。
気後れする内気そうなその少年に、確かにエリンは手を指し伸ばしてやったのだった。そうすることが〝望まれること〟なのだと、父母に教えられたことだったから……。
…――膝の上のトシュテン・エイナルが、すっかり弱くなった目線で見上げてくる。エリンは優しい声で頷き返した。
「ええ……いま、思い出しました」
それを聞いて、トシュテン・エイナルは嬉しそうに笑って言った。
「――あの折……姉のように接して頂いたこと…… 覚えています……」
それから大きく息を吸うと、あとは唯エリンの顔を眩しそうに見上げ、黙ってしまった。
その手を握ってやりながら、エリンはただ〝その時〟を待つ。――待つこと以外に、何もしてやることがなかった。
「皇女殿下――」
それからしばしの後、心を殺していたエリンは、トシュテン・エイナルの掠れる声に我に返った。
「はい……」
もう多分、そう応えたエリンの顔は見えていないのだろう。トシュテン・エイナルはエリンの顔を探すように視線を泳がせる。それでエリンは、痩せた少年の身体を起こしてやると、その額に自分のそれをそっと当ててやった。
彼は安心したように吐息を漏らすと、幾許かの遠慮を滲ませた声で囁く。
「〝姉上〟と…… そう呼んでも……よろしいでしょうか……?」
それを拒む理由は、エリンにはなかった。
「……ええ…――」
エリンが囁き返すと、トシュテン・エイナルは放心したように柔らかな表情を浮かべた。
「嗚呼――」 溜息の後はいよいよ力の無い声になった。「――僕も……ミュローンに… なりたかったのです……〝姉上〟の…ような……」
そこで声は途切れた。
「――…トシュテン……?」
もう、返事はなかった。
エリンは可愛そうな〝弟〟を腕に抱いて涙を堪える。
――このような時代に〝帝室に連なる血筋〟などに生れつくことがなければ……、彼もこのような死を迎えることなどなかったのに……。
皇女の他にはもう誰も居ない『玉座の間』の、寥とした広い空間――。
その『玉座』の前で、傍らに誰もいなくなった皇女は、たった一人身を震わせる……。
* * *
宇宙歴四七九年七月二十一日 午後七時四十分――。
ベイアトリス王国第4王女エリン・ソフィア・ルイゼ・エストリスセンは、惑星〈ベイアトリス〉の帝都〝宮城〟において〝ベイアトリス王位〟の相続を宣言した。これを受けて『ミュローン帝政連合』は、女王への帝位の継承を認める法手続きに入った――。
エデル=アデン星域は、〝新たな時代〟を迎えつつある……。




