59:銃声
皇女エリンの座乗艦〝皇女殿下の艦〟〈トリスタ〉が帝国本星系にその姿を現したのは、カール=ヨーアン・イェールオース代将大佐の指揮する戦艦〈ベーオゥ〉が主惑星の周回軌道とヴィスビュー星系との接続跳躍点との制宙権をほぼ手中に収めた七月十七日の〇五〇〇時である。
〈トリスタ〉は5Gの最大加速を発揮してそのまま帝都惑星〈ベイアトリス〉への周回軌道に乗ると、4日後の二十一日には〈ベイアトリス〉の赤道直上に浮かぶ軌道エレベータ〈イルミンスール〉の静止衛星軌道港の外郭錨地に投錨を終えて重力懸垂に入っている。
7月21日 1015時
【ベイアトリス衛星軌道港錨地内/トリスタ艦載艇 乗員船室】
「――やはり〈トリスタ〉は、すぐに動くことはできないのですね……」
エリン・エストリスセンは〈トリスタ〉艦載の短艇の艇内で、同艦のガブリエル・キールストラ勅任艦長から既に説明を受けた事柄を今更ながら訊き返すことで確認していた。
「申し訳ありません ――皇 女 殿 下。ここまで無理を重ねております」 〝確認をされた〟キールストラとしても、皇女の心情を察しはしたが現実を返すしかない。「――反応剤、推進剤ともに〝使い切り〟ました。補給の完了に少なくとも5日を要する見込みです」
「そうですね…… 無理を言っています……ごめんなさい……」
それでもエリンとしては諦めきれないのだった――。
ここ〈ベイアトリス〉より2パーセクを距てた宇宙で、皇女の〝国入り〟に際する不測の事態を避けるため敢えて〝囮となる〟こと――それは危険なことだと聞いた…――をしてくれている〝皇女殿下の艦〟〈カシハラ〉のことを想うと……。
このタイミングで短艇は宇宙港の船着き場に入渠した。艇が着床した振動を微かに感じると、ほどなく艇内の船室の小画面に接舷/与圧が完了した旨の通告が表示された。
皇女はすぐには席を立たなかった。
「代わりの宇宙船が必要です……」
一刻も早く、自分が帝都に入ったことを伝えねばならないとエリンは思う。この上は戦う理由はないはずなのだ。もう危険なことをして欲しくない……。
皇女のその想いを『国軍』と〈カシハラ〉の双方に伝える〝使者〟が必要だった。これ以上の軍事活動の停止を呼び掛ける〝使いの役〟が。
「――〈トリスタ〉のように速い宇宙船はあるでしょうか……」
そう落ち着かなげに独り言ちる皇女に、取り合えずキールストラは席を立つことを促した。
* * *
巡航戦艦〈トリスタ〉の戦艦をも凌ぐ巨躯は、強大な推進機関とそれを運転するのに必要な推進剤を収めるためのものである。――巡航戦艦という艦種はその膨大な燃料消費から、艦の総質量の実に4割弱もを燃料積載槽が占めることは珍しくないのだ。
さらには大推力の推進器は軍用の高純度の推進剤を必要とするため、ここ軌道エレベータの商工業港で扱われる民生用の純度の推進剤では艦内の精製設備でさらに精製して純度を高める必要があった。
また現状においては、帝国宇宙軍所属の油槽艦・補給艦は全て『国軍』の手の内にあり〈トリスタ〉への補給は望むべくもない。
外郭錨地に投錨した〈トリスタ〉は直ちに反応剤・推進剤の補給作業に入る手筈を整えたのだが、民生用の反応剤・推進剤を再精製するのに要する時間は如何ともしがたく、キールストラ宙佐のいうように5日ほどを要する見込みだった。
7月21日 1015時 【ベイアトリス軌道エレベータ宙港/船着き場】
軌道エレベータの静止衛星軌道港の船着き場――、その与圧搭乗口の一つから気密内扉を潜って皇女殿下ら一行が姿を現した。
皇女エリンの随行は、アマハ・シホ皇女附武官、ガブリロ・ブラム皇女附法務官、フレデリック・クレーク〈シング=ポラス〉邦議会議員、メイリー・ジェンキンス〈クリュセ〉首相令嬢に加え〈アスグラム〉宙兵隊のカルノー少佐、オーサ・エクステット上級兵曹長他2名、〝皇女殿下の艦〟〈トリスタ〉勅任艦長ガブリエル・キールストラ宙佐とその幕僚2名――計12名。
これに〈カシハラ〉が艦内に収容していた民間人5名を加え17名となっている。
さらにもう一艇の短艇には〈トリスタ〉宙兵隊より戦闘防護服の1個小隊20名が完全装備状態で同道してきていた。彼らは一足早く隣の与圧搭乗口から〝上陸〟を終え、半数が移動経路の警戒警備と軌道エレベータの安全確保のために展開しており、残りの半数が皇女ら一行の出迎えのため堵列していた。
その堵列の並びの先には〈イルミンスール〉の宙港職員並びに宇宙軍所属の航宙管制官らも堵列している。
――星域の最強艦〝強大な〟〈ベーオゥ〉が星系全域に睨みを利かせる中、帝室の〝皇位継承者〟が帝国の主力艦に座乗してその姿を現す……。この理解しやすい〝事態〟が現実のものとなった段階で、ようやく彼らはエリンを自らの仰ぐ体制の主人と認めたのだった。
非常事態でその機能を停止している宙港にあって、最低限の機能維持に人員を残し宙港の中堅幹部職以上の者はほぼ全員が出迎えに出てきていた。
それは〈カシハラ〉の格納庫での〝ささやか〟な舷門堵列とは違い人数としては相当な人出による出迎えだったが、やはりエリンは気後れするでなく慣れているふうに歩を進めている。
「……では〝かそくせいのう〟が〈トリスタ〉以上の宇宙船を手配してくださいますか?」
正規の〝儀礼〟でないこともあって、エリンは堵列の間を行く合い間に側らを歩くキールストラ宙佐に向いて、そう〝要望〟という形の指示を伝えた。 ――やはり〈カシハラ〉のことが気に掛かっていた。使い慣れない用語がたどたどしい。
そんな皇女に対し、帝国宇宙軍主力艦中随一の〝脚自慢〟の艦を指揮するキールストラの回答は、常のミュローンらしさに些か欠けたものとなった。
「――現在のベイアトリスの混乱の中です ……〝5Gでの戦闘航宙に耐え得る艦〟を直ちに、というのは難しいかも知れません」
「解ります……」 そんな宙佐の慎重な言にエリンは理解を示しつつも、遠慮がちな言い様ながら食い下がった。「――ですが、最善が尽くされることを望みます」
「は……」
そうまで言われたキールストラは、皇女をしてそれ程まで〝愛着〟を持たせた〈カシハラ〉という艦に〝勅任艦長〟として嫉妬にも似た羨望の念を抱く。――皇女殿下にとってやはり〝あの艦〟は特別な艦なのだ。
「――皇 女 殿 下」
〈トリスタ〉宙兵の堵列が途切れ〈イルミンスール〉幹部職員の堵列へと変わり、その堵列も切れようとしたときにそう声を掛けられた……。聞き覚えのある芝居掛かったその声に、エリンは目線を廻す――。
訓練された宙兵が反応し壁になるべく進めた歩みの先に――〝不死の百頭竜〟ビダル・クストディオ・ララ=ゴドィの整ってはいるがどこかに愛嬌を残してもいる不敵な顔があった。
「〝船長〟……⁉」「――ビダル!」
皇女の声にベッテ・ウルリーカの素っ頓狂な声が重なった。これにも即座に宙兵が反応しかける。が、それをエリンは軽い手振で制した。――この辺りはミシマにも見せたことのない彼女の風格である。
宙兵らが退き、ベッテ・ウルリーカ・セーデルブラードが小さく面を伏せると、エリンはララ=ゴドィを向いて訊いた。
「――どうしてこちらに?」
ララ=ゴドィの方は、その皇女の背後にいるベッテ・ウルリーカにも小さく肯いてみせる余裕を見せながら、落ち着いて返した。
「〝商談〟で訪れております。――なに、新しい〝扯旗山〟には『連合』からの資金の流れも必要ですのでね……」 そしてスッと真面目な表情になって言う。「――折よく立ち寄ったのですが、どうやらよかった ……お見受けするところ、我らが皇女殿下に於かれましては〝大推力の航宙艦〟をお探しなのでは」
情報の収集は欠かしていないらしく、〈カシハラ〉や皇女の置かれた状況は完全に把握しているらしい。
「……そうです。〝かそくせいのう〟に優れた宇宙船が必要なのです――」 そう応じかけて、エリンはララ=ゴドィの〝言わんとするところ〟を察した。「ああ! もしや〝船長〟の宇宙船とは――」
「――仕事柄〝脚自慢〟の船を使っておりますれば……」
そんなララ=ゴドィに、皇女の表情がパッと輝くように晴れた――まるで子供のようなその表情の変化であった――ことを、その場にいた誰もが新鮮な驚きとともに記憶している。
すると、落ち着いた中音域の声が皇女に投げ掛けられた。
「皇 女 殿 下――」
動きの止まった皇女一行にあって、アマハ・シホが皇女附武官の職責を忠実に果たしたのだった。「……お急ぎを」
それでエリンは、いまや〝腹心の友〟とも言える存在となっているアマハに後事を託すよう肯くと、随行と共に歩みを再開した。
「――とにかく、出航の準備をして待機するように……」 残されたララ=ゴドィには、そのアマハが耳打ちした。「――追って指示が届くよう手配する」
(――ほぅ……) ララ=ゴドィは、そのアマハに感嘆したふうな視線を向ける。
アマハは整った顔に微笑を浮かべると皇女を追ってその場を辞した。見送るララ=ゴドィの視界にベッテ・ウルリーカ・セーデルブラードの顔が入ってくる。
子供から大人への階段を昇りつつある少女の豊かな表情からは、これまでのことを……色々と〝語りたいこと〟があるのを見て取れたが、同じ彼女のその瞳がこうも言っていた――〝いまはまだ戻れない〟と……。
そんな彼女に不死の百頭竜〟は黙って頷くと、静かに微笑んで見送った。ベッテ・ウルリーカもまた、ララ=ゴドィの微笑みに嬉し気に微笑み返して皇女に従って行った。
その後、ベッテ・ウルリーカと皇女ら一行を見送った〝不死の百頭竜〟ララ=ゴドィは、自分の船――〝宙賊船〟〈ラドゥーン〉の着岸する岸壁へと向かう。
出航準備を整え終えた〈ラドゥーン〉の許に、アマハ・シホ自らが皇女の〝メッセージ〟を携えて参上してくることになるのは、これより数刻の後である。
――その時に〝宙賊船〟〈ラドゥーン〉は、〝皇女殿下の艦〟〈ラドゥーン〉となっている。『宙賊航路』で交わされた〝空手形〟は、果たされたのである。
* * *
皇女エリンら一行のうち皇女と随行を許された者は、帝室専用の移動体を利用して一時間ほどで〝地表側の発着場〟へと降り立つ――。
帝国本星の表玄関に〝銃声〟が轟いたのは、地表側の発着場に到着した皇女一行の姿が発着場構内の貴賓室の扉から現れたそのときであった……。




