58:ヴィスビュー
ヴィスビュー星系――。
帝国本星への玄関口――帝国の喉元――である星系は『自由回廊』北辺における交易と軍事の要衝であり〝帝国軍の港街〟として知られている。事変が起こることがなければ航宙軍の候補生を乗せた練習艦〈カシハラ〉が目指していた寄港地だった。
いまは〝皇女殿下の艦〟となっている〈カシハラ〉がヴィスビュー星系の辺縁に跳躍してきたのは銀河標準時で七月十四日二一三〇時である。このとき、皇女エリン・エストリスセンの座乗する〝皇女殿下の艦〟〈トリスタ〉は未だイェルタ星系内をベイアトリスへと繋がる跳躍点へ向け航行している。
この時点において〈カシハラ〉には皇女エリンの〝国入り〟の首尾などは知り様もないことであるが、この艦は〝皇女殿下の艦〟の先任順で最上位の艦である。〈カシハラ〉は、その成功を前提として所定の行動に入っている――。
先ず機関長オダ・ユキオ技官の進言を容れ跳躍機関――次元波動反応炉を停止・閉塞している。
〈カシハラ〉の航宙はここヴィスビューに浮かぶ航宙軍の自航軌道船渠〈アカシ〉で終えることに決した。これ以上の跳躍の必要はないのだから、被弾時の被害極小の観点から反応炉の停止・閉塞は理に適う。
だが、そうすれば〈カシハラ〉の恒星間航宙艦としての命脈は尽きることになる。波動反応炉の再起動には莫大な費用を要することもあり、再び反応炉に火を入れることは難しいかも知れない……。
それを解った上で、艦長は反応炉の閉塞を決断した。それから跳躍機関を運転するのに用いる反応剤の残量の全てと冷却剤の一部を、推進剤へと再精製している。そうしたところで推進剤の残量は8%程度補われるだけであったが、そのまま宇宙空間に投棄するよりはマシであろう……。再精製後、精製設備も同様に運転を停止させることになる。
〈カシハラ〉の跳躍に前後して、『国軍』の動きも活発化している。帝国本星系との重力流路の跳躍点周辺の空域に『青色艦隊』所属の先遣艦が遊弋してきており、ヴィスビュー星系に配備されていた軽艦艇は出航可能なものは全て抜錨した。その全艦が〈カシハラ〉の在るコーダルト星系への跳躍点への軌道に向け遷移加速に入っている。
跳躍機関を持たない哨戒艇、警備艦、コルベットの類い――総計10隻ほどがそれである。
一方、ヴィスビュー星系内の〝星系同盟領〟――自航軌道船渠〈アカシ〉――からも、警備任務に派遣されている3隻の護衛艦が抜錨発進しつつあった。
7月14日 2150時 【帝国軍艦ヴィーザル/第一艦橋】
「航宙軍の離脱艦に〝動き〟はないな?」
第一艦橋の艦長席で、ミカエラ・イッターシュトレーム中佐はよく通る中音域の声で艦橋詰めの管制士に確認した。
「はい ――跳躍後、慣性航行を続けています」
「よろしい。引き続き観測を続けなさい」
帝政本星より『回廊北分遣隊』の先遣艦として最初にヴィスビュー星系へと跳躍してきたのは、帝国宇宙軍『青色艦隊』所属の3等級航宙艦隊駆逐艦〈ヴィーザル〉だった。
帝国軍中佐ミカエラ・イッターシュトレームの指揮する〈ヴィーザル〉は、比較的旧式化した艦で構成される『青色艦隊』後備戦隊の駆逐艦戦隊の中にあって、戦隊の旗艦として配備された〝艦齢の若い〟艦であった。
嚮導艦としての機能を期待されていた〈ヴィーザル〉は、小型巡航艦に匹敵する性能を有していた。
その能力を買われてアルテアン少将麾下の『回廊北分遣隊』に引き抜かれたのだが、ミカエラには正直、これが面白くなかった――。
分遣隊に〈通報・哨戒艦〉が必要なことを旗艦艦長のラルス=ディートマー・ヴィケーン大佐が進言したことでそうなったわけだが、麾下の駆逐艦戦隊の各艦と切り離された上、駆逐艦戦隊司令のルンド大佐――アルテアン少将の〝お友だち〟だ…――も乗艦したままというのは、何とも遣り辛い。
そもそも〝雑役艦〟が艦隊駆逐艦ただ1艦では、いったい何をどうしろというのだ。彼女は苛立ちを憶える。
そんな苛立ちの中〝件の叛乱艦〟の跳躍を確認したのであるが、先遣艦の各艦はアルテアン少将の到着まで現状の維持を強く求められていた。追跡対象の艦の跳躍直後の無防備な状態に付け入らず、行動を掣肘することをしないというのは帝国軍人として何とも歯痒い。苛立ちは募るばかりである。
7月15日 0015時 【航宙軍 自航軌道船渠 アカシ/中央制御室】
帝国本星への玄関口――〝帝国の軍港の街〟であるヴィスビュー星系にあって、その存在を〝星系同盟領〟と認められている〈アカシ〉は、同星系の第6惑星の第5衛星を力点にした重力懸垂によって安定軌道を保っている。
その半恒久的な〝人工天体〟には〝領宙〟を哨戒・警備するため3隻の護衛艦が配備されていたのだが、派遣基地隊司令のナカガミ1等宙佐は帝国軍の〝動き〟を関知するや直ちに対応した。
〈アカシ〉配備の護衛艦のうちで既に哨戒任務にあった航宙護衛艦〈ホタカ〉に加え、ローテーション外で接舷停泊中であった同〈チクブ〉〈コウヅ〉にも抜錨発進を命じ、護衛隊の全艦を領宙に展開させたのだった。
『――では領宙警備行動の範囲内での対応、ということでよろしいな?』
〈アカシ〉の中央制御室の大型スクリーンには航宙護衛艦〈コウヅ〉艦長クサカ1等宙佐――護衛隊司令を兼任――の顔が小窓出力されている。クサカ1佐は、抜錨発進直後の忙しい最中に派遣基地隊司令のナカガミ1佐にそう確認をした。
「現状ではそれ以上の対応はできないでしょう ――建て前上〈カシハラ〉は航宙軍を離脱した反乱艦ということになっていますから」
ナカガミ司令は自らの煮え切らぬ回答にクサカ1佐が内心で顔を顰めただろうことを知っている。いま〝建て前〟と言ったが、それ以前に〝現有戦力〟では帝国軍と事を構えることなどできはしない。
『まぁそうですが…… 〝彼ら〟が領宙に進入を果たす前に保護を求めて来たらどうなります?』
訊かれたところで応えようもないことを……。
今度はナカガミ司令が内心で顔を顰めた。クサカ1佐にしたところで〝我々〟には何もできないことは承知しているはずである。
3隻のオキ型護衛艦は、航宙軍所属の恒星間航宙能力を持つ艦型としては最も小型なものである。
跳躍機関を備え2パーセクの跳躍こそ可能 (5等級艦)ではあるが、戦闘艦艇としては哨戒・警備任務程度を想定しているに過ぎない。つまりは戦闘用の艦艇ではなく、あくまで軽武装の哨戒艦艇なのである。
「その場合は〝無視〟してください……」 ナカガミ司令は結局、言った。「――〝未確認艦〟は、こちらが確認できないうちに領宙に姿を現した、ということになっていないと〝困る〟ことになる……」
そこまでを聞いて、小窓の中のクサカ1佐は黙って敬礼をした。ナカガミ司令が答礼し、回線が切られる。
本星系からの指示はあくまでも星系同盟領宙内での星系同盟市民の保護であり、保護の対象は星系同盟船籍、同市民及び星系同盟の貨物を運搬する外国船舶など星系同盟が関与するものである。
これらの条件を一つでも満たすことが出来なければ、可能な限り〝条件が満たされるまで態度を保留し続ける〟――無視をして時間を稼ぐ――ことを求められているのだ。
――〝阿漕なこと〟だ……。
ナカガミ司令もまた、事態の推移を見守るしかないことに苛立ちを感じている。
7月15日 1820時 【H.M.S.カシハラ/艦橋】
「蜂の巣を突いたような感じなんだろうな…――」
〝皇女殿下の艦〟〈カシハラ〉の艦橋で、航宙長のハヤミ・イツキ宙尉は副長のミシマ・ユウ上席宙尉に言った。
見上げた先、艦橋据え付けのメインスクリーンには、航宙科観測部が観測した帝国軍および航宙軍艦艇の位置情報と加速ベクトルが映し出されている。
コーダルト星系からの跳躍の際に懸念されていた帝国宇宙軍艦艇との〝不期遭遇戦〟は一先ず生起しなかった。周辺空域に有力な航宙戦力が存在せず自艦が脅威に晒されていないことが確認されると、〈カシハラ〉はすぐに〈アカシ〉への軌道に乗ることをせず〝戦闘航宙の準備〟に時間を使っている。
その間、ベイアトリス星系からの跳躍点には『青色艦隊』所属の先遣艦と思しき軽艦艇の姿が確認され始めていた。――先ずは艦隊駆逐艦の姿が確認され、以降、巡航艦クラスの反応を順次確認している。日を跨いだ1820時現在、その数はフリゲート3、駆逐艦1となっていた。
「――〝帝国の喉元〟にこんな不逞の者どもが乱入してきたわけだからね」 副長はそう受けて言って口の端を上げてみせる。
その〝人の悪い笑み〟にイツキも笑い返す――。もっとも、イツキにはミシマほど肝の据わった笑い方はできなかった。
星系中の戦力が〈カシハラ〉を追跡するために構えている……。時間が経てば、星系の外からより有力な艦も現れることになるだろう。
〝皇女殿下の艦〟の航宙長として恥ずかしい艦の動かし方はできない。今更ながらそんな重圧を感じることになっているイツキである。
そんな内心を隠しつつ、イツキは側らの副長を横目に見遣った――。
「しかし〈アカシ〉の方には、ホントに接触しなくていいのか?」
イツキは艦橋内に立つ副長――ホントに絵になる男だ……――に言を継いで言った。
航宙長としては〈アカシ〉の側に受入れの意思が有るか否か、そこのところがやはり気になるのだ。
「それは現在時じゃない……」 そんなイツキにミシマは落ち着いて応えてみせる。「――いま接触を求めたところで〈アカシ〉としては黙殺するか、下手をすれば〝帝政の側〟として対応しなければならなくなる ……時宜を見て、然るべき時に動く必要があるのさ」
それからミシマは艦橋内の士官らに幾つかの指示と確認をすると、メインスクリーンの戦力配置へと視線を戻した。
航宙長は、そんな同期首席をいつにも増して頼もしく思う。
エリン皇女殿下を〈トリスタ〉に送り出してから彼は変わった。何がどう変わったというのは説明しにくいが、敢えて言うなら〝判断に遠慮がなくなった〟ように思える。
艦長のツナミも変わった。彼は徒に判断を迷うということをしなくなった。
この二人が指揮を執るのであれば〝皇女殿下の艦〟は行く手に如何ほどの帝国軍が待ち受けていようと、その網の目を掻い潜って目的の地まで辿り着ける――。現在の彼らには、そんな気にさせる何かがあった。
そんなタイミングで艦橋の気密扉が開き、艦長のツナミ・タカユキが入室してきた。
艦橋詰めの士官らの敬礼に答礼しつつ、艦長は副長に訊く。
「――装載艇の改造の方は?」
「まだマシバの手を離れてないようだ――」
そうミシマが答えたとき、そのマシバ・ユウイチ技術長から報告が上がってきた。
『艦橋-右舷格納庫、マシバです…… 装載艇の改造終了。艦内各サブシステムとの連携、確認終えました ――首尾は上々、行けます』
相変わらずの軍人らしからぬその言葉使いに主管制卓のイセ・シオリが微かに口を尖らせた。彼女はようやく元の彼女に戻りつつある。
技術長の報告にツナミとミシマが頷き合っていると、拡声器が別の音声を放った。
『艦橋-CIC、砲雷長より報告』
戦闘指揮所のクリハラ・トウコからだった。『――宙雷発射管より弾頭換装作業完了。甲板部作業を終えます』
ツナミがそれに応える。
「CIC-艦橋、了解 ――砲雷長……ユウキとミナミハラに〝ご苦労だった〟と伝えてくれ」
『艦橋-CIC、了解』
こうして〈カシハラ〉の〝戦闘航宙の準備〟は、着々と進んでいっている――。




