4:――万事休す、か…
6月6日 1000時 【第一軌道宇宙港/住居エリア外郭部救命設備】
ミシマら一行と少女達は、あの後3時間程の時間をかけて住居エリアの外壁に通じる救命設備内に辿り着いていた。
トーラスの内殻は騒乱状態で身動きが取れなくなっており、見切りをつけた一行は緊急脱出口を降りてここまで来たのだ。途中の隔壁に施されていた平常時の封印は〝ハッカー〟の一面を持つマシバが非合法な裏口コードで解除した。
「お前さ…… 何でこんなコトできるんだ?」
隔壁の操作盤から接続した個人情報端末を外すマシバにイツキが呆れ顔して訊くと、事も無げな表情でマシバが応じる。
「――何でって……そりゃオモシロいからに決まってるじゃないですか」
これにはさすがのイツキも肩をすくめるばかりだった。ミシマも非常事態だったのでこれ以上何も言うつもりはないのか黙っていた。――実際、これで緊急時脱出用の救命艇を使って〈カシハラ〉に帰艦するという発想も実現可能となったわけだが……。
そんなミシマ達の同行者となったエリナスは眉を顰めるでもなく冷静に事態の推移を窺っている。兄だというガブリロの神経質な視線の動きとは対照的だった。
「この救命艇……本当に手動操縦で動かせるのか?」
そう言ってイツキが一番最後からついてくるミシマを振り見やった。ミシマは思案気な表情をしてエリナスの後ろ姿を追っていたが、そう問われると視線をイツキに向けて応えた。
「規格上、港湾に準ずる設備に設置される救命艇は手動で操縦できる必要があるんだ」
「なら操縦は任せてくれりゃいいけどさ」 航宙科ですでに航宙船舶操縦の資格を取得済みのイツキが言う。「――ほんとにロック、解除しちゃうの?」
それにはマシバが割って答えた。
「そちらの方はご心配なく。一切形跡を残さず解除できると思いますよ」
イツキは苦笑し、それから同行の大学生の二人を見た。兄の方は心配そうな表情になって視線を外し、妹の方は困ったような微笑みを返して来た。
この少女――エリナス・ブラムといったか――は、一体何者だろう……。星系同盟市民と言っているが本当のところはわからない。兄と紹介されたこの男だって、果たして本当にそうなのかもわかったものじゃない……。
ミシマは、今朝方に出会ってから行動を共にする事になった学生二人――ブラム兄妹に何か引っ掛かるものを感じてしまう。兄の方は政治思想家だというがそれにウソはなさそうだ。線の細さは活動家向きではなさそうだし終始おどおどとして何が出来るとも思えない。読書人の思想家と言われれば納得できた。
むしろ妹を名乗るこの少女の方が余程に肝が座っていて得体が知れない。兄よりもずっと運動家と言っていいように感じられるし、時折耳に付くミュローン訛りも腑に落ちなかった。
離床前点検と起動ロックの解除のためにイツキとマシバを操舵室に残してキャビンに戻ったミシマは、エリナス・ブラムが一人になったタイミングを見計らって声を掛けた。
「ちょっと乱暴なやり方になってしまって申し訳ないのだけれど、とにかくもう少しの辛抱ですから」
「航宙軍の士官学校には、いろいろな人がいるのですね」
エリナスはミシマを向くと、心から驚きました、というような表情をしてみせた。
「いえ、まあその……」 ミシマは決まりの悪い表情になって応える羽目になった。「――78期卒はおかしいんです……」
彼女が小さく笑う。そんな笑い方一つにもミシマは所作の綺麗な女性だなと思った。
それから何でもないことのように訊いてみた。
「帝国宇宙軍は治安出動の名目で動いているそうです。まるでステーション全域を制圧する勢いですよ、彼ら……」
少女は視線を窓外へと逃がすように向けた。
「――力のある者が力を恃む……迂闊なことですね」
そう呟くように言って視線を落とす彼女の横顔は、何か高貴さのようなものを漂わせている。ミシマは、穏やかな口調で言ってみた。
「しかし連合が情勢を利用するならこのタイミングしかなかった……帝国当局は貴女を捜してもいるのでしょう? ――エリン殿下」
少女はハッとして再度ミシマを向いた。それから、探るような声になって訊く。
「いつから、気付いていたのですか……」
「シング=ポラスに留学中の皇族が居られることは存じておりました」 ミシマは真っ直ぐ見返した。
「……貴女にはミュローンの訛りが微かにあるし、言い回しが少々仰々しい。ですが本当にそうなんじゃないかと思ったのはいまさっきです。
『力なき者が力を頼るは儚きこと。力ある者が力を恃むは卒爾なこと』
…――300年前のミュローンの実力者、アトレイ・フレトリクスの言葉ですね?」
彼女の頬に微かに朱が差していた。
するとようやく年齢相応の表情となった彼女が、一つ息を吐いて観念したように苦笑を浮かべ、小首を傾げてみせる。
「もともとこういう事は得意ではないのです」 エリナスもとえエリンは真っ直ぐにミシマを向いた。
「――…それで、わたしはどうなります? 当局に突き出しますか?」
最後に敢えてそんな言い様をしたのは、逆にミシマを信用してくれているからだろうか。
それで今度は、ミシマの方が困った顔になってしまった。
*
出し抜けに、咎めだてる様な声音がキャビンの二人の耳を打った。
「――困りますね、エリン…… そのように迂闊なことを口にしてもらっては……」
ミシマとエリンがその声に振り返ると、視線の先に銃を手にしてガブリロが立っていた。
「ガブリロ……」 ――エリンが困惑の表情を浮かべる。
「航宙軍の諸君、悪いがこの救命艇を接舷する先は〈オルレアンの乙女〉号としてもらう」
言ってガブリロは、得意げに銃を持つ左手を振って見せた。
どこにそんなものを隠し持っていたのかガブリロは得意満面である。だがミシマは、ガブリロの銃を持ったその手を振るという行いの危うさに、内心でハラハラしている。明らかに素人の手付きだ。ここで暴発なんかして欲しくはない。
丁度その時に操舵室からマシバが姿を現した。
「――ミシマさん、ロックの解除が……」 ガブリロに突き付けられた銃口にそのまま両手を上げ、皆に視線を振る。「――って、コレ……どういうことです?」
「エリン・エストリスセンには我ら〝黒袖組〟にご協力頂く。航宙軍には断じて渡さん……‼」
そういきり立つガブリロは、事も有ろうに銃口をエリンに向けた。
「貴女もご自分の立場というものを弁えて戴きたい!」
エリンは悲鳴を上げるでもなく、ただじっとガブリロを見返している。
と――。
「そりゃいったい、どういう立場なんだい?」
今度はイツキの声だった。彼もキャビンの方へと移動してきて、この場のおかしな状況に固まることになってしまっている。
3人が3人ともキャビンに――万事休す、か……。ミシマは内心で顔を覆った。
「皇女殿下だそうです……」「――マジか?」
両手を上げているマシバが説明すると、やはり両手を上げる羽目になったイツキが目を点にして彼女を見やった。彼女は黙ってガブリロを向いている。
仕方ない。なるようにしかならないか……。ミシマは苦笑しつつガブリロに向いた。
「それで……我々はどうすればいいですか?」
彼女に気圧された様に黙ってしまっているガブリロにミシマが訊いた。ガブリロはミシマに向き直ると必要以上に大きな声で言った。
「取り合えずは大桟橋C-4に繋がれている高速ヨット〈オルレアンの乙女〉号に接舷してもらおう…――〝同志〟の宇宙船だ!」
そんな芝居がかるガブリロに、
「そりゃ構わないけどね――」 イツキが言いにくいことを口にするように返した。「外じゃ〝どんぱち〟、始まっちゃったみたいよ……」
イツキは、傍受した航宙無線で知ることになったその事実をミシマに伝えようと、キャビンに戻って来たのだった。