51:待ち伏せ
7月5日 1150時 【H.M.S.カシハラ/主幹エレベータ 乗降ロビー】
〝皇女殿下の艦〟〈カシハラ〉勅任艦長ツナミ・タカユキは、艦内における自らの定位置である艦橋に至る主幹エレベータの乗降ロビーのところで、その少女――ベッテ・ウルリーカ・セーデルブラード――の顔がゆっくりと持ち上げられ自分の方に向くのを見た。
どうやら待ち伏せられていたらしい。
十代前半の、気性の激しい彼女の中性的な面差しの中の蒼い瞳が、いまは気後れ気味に小さく揺れていた。
あれから――シンジョウ・コトミが帰ってこなかったあの日から――、この海賊の愛妾を自称するミュローン貴族の少女とは言葉を交わしていなかった。
やはり言葉を交わすことで〝事実〟を――彼女が原因でコトミが帰らぬ人となったことを受け入れるのが辛かったからだ……。
いまツナミは、ベッテ・ウルリーカの思い詰めた表情に見上げられて、それが〝赦しを求める十代の少女〟の小さな心を拒絶する行動だったことに、今更ながら気付かされた。
――コトミがいたなら、艦橋の片隅に引っ張ってかれて小一時間の説教、だな……。
そんなふうに思いつつ、ツナミはコトミが救った少女に向き合うときが来たと、彼女の前で歩みを止めた。
「艦長……さん……」
勇気を振り絞るようにして口を開くベッテ・ウルリーカを、ツナミは自分でも驚いたほどの優しい声で遮った。
「――情報端末はある?」
「え……? あ、コレ――」
いきなり会話の主導権を〝持って行かれた〟形となったベッテ・ウルリーカは、訳も解からずに自分の端末を取り出した。
「いま艦は忙しくて時間がないから、ここで話す――繋ぐよ」 それを見て、ツナミは自分の端末を取り出すと無線通信を介して相互接続の操作をしながら言った。
「――アレは君が気に病むことじゃない ――子供が自分で自分を責めるのはいけない。それじゃコトミが顔を曇らせる……」
「…………」 それでもベッテ・ウルリーカは下唇を噛むように目線を下ろした。手元の端末の画面には見慣れぬ住所らしき文字列があった。「――コレは……?」
恐る恐るそう訊いたベッテ・ウルリーカに、ツナミは応えた。
「この場所に、シンジョウ夫人――コトミの母親――が住んでる……」
「……お母さま――」 ベッテはハッと小さな肩を震わせる。
そんなベッテ・ウルリーカに、ツナミは優しい声で続ける――。
「いまは難しいだろうが、気持ちに整理が着いて落ち着けたら、一度会って話してやって欲しい――。シンジョウ・コトミの最後とアイツが救った少女のことを……」
〝最後〟という単語には、ツナミよりもむしろベッテの方が反応してしまっていた。そんな彼女に、ツナミは長身を屈めて目線の位置を彼女のそれに合わせて言う。
「艦長として、同郷の同僚として、いつかは俺も話しに行くことになるが、それとは別に、君の口から伝えられることを伝えてくれたら嬉しい……と思う ――お母さんは、少しでもアイツのことを知りたいと思うんだ……」
そう言うツナミの表情はまるで少年のようで、悲しみを乗り越えようとする者の真摯な眼差しがベッテの瞳を射竦めた。
ツナミは一つ頷いて、ベッテに言った。
「――勿論、これは無理強いじゃない ――頼まれて欲しいんだ……」
少し時間をもらうようにツナミを見返していたベッテは、やがて決心した……。
「…必ず……」 思ったよりも自分の声が小さかったことに、もう一度息を吸い込んでから言い直す。
「――必ず……行きます…… お母さまに会って……伝えます……」 涙が溢れてきて途切れ途切れになりがちながら、ベッテは真っ直ぐにツナミに向いて、必死になって言葉を繋いだ。
「――コトミのこと…… 助けてもらって……感謝してること……〝ありがとう〟って……」
そう言い、年齢相応に顔を涙でぐしゅぐしゅになったベッテに、ツナミはハンカチを差し出す。
「…………」
そんなツナミを、これまでのイメージと結び付かないベッテはただ見上げるばかりだったが、やがてバツの悪そうに苦笑するツナミの声を聞いた。
「――何? ちゃんと洗ってあるよ」
それで漸く、真白いハンカチに手を伸ばす。
ツナミはハンカチを手渡すと、慣れないことを遣って見せた、と気恥し気に笑ってみせ、艦橋へと歩みを進める。数歩行ってから肩越しに振り見遣った艦長が言った――。
「早くあの〝勝気な〟顔、取り戻せよ―― 君には皇女殿下をお守りしてもらわなきゃならないんだからな」
そう言って艦橋へと消える艦長をベッテ・ウルリーカは見送った。
――絶対に守らねば、と心に決めた約束を一つ……二つ、しっかりと胸に抱いて……。
*
艦橋に入室すると、当直指揮に当たっていたハヤミ・イツキ航宙長が片手を上げて挨拶してきた――。どうやら当人は〝略式の〟敬礼のつもりらしい。
ツナミがイツキの側まで寄って行くと、イツキは上げた右手を軽く握る。
その握った右手に、ツナミも軽く握った右手をコツンと当てて返した。
そんなツナミに、イツキは笑って言った――。
「どうやら完全に立ち直ったようだな」
それには今度こそツナミも、完全にふっ切れた――それでもどこか憂いのある――目でイツキを見返した。
7月5日 1230時 【H.M.S.カシハラ/情報支援室】
幹部士官の招集で直交代が遅れてしまったことを申し訳なく思いながら、マシバ・ユウイチは情報支援室へと入室した。
広めの部屋――練習艦である〈カシハラ〉はどの部屋も概ね広く造ってある――の中の端末卓の一つに、いまは非直のキンバリー・コーウェルがすっかり冷めたココア――彼女はいわゆる〝猫舌〟だった――を啜りながら座っていて、眼前に浮かび上がった幾つかのアイコンを操っている。
マシバはそんな彼女の隣を歩き、自席へと腰を下ろしながら言った。
「わるい、予定外の幹部ミーティングでさ……」
言われた方のキムは、立体複合ディスプレイ――立体よりも平面を好むマシバと違い彼女は空間認知が上手かった――から視線を上げず、気のない返事を返してくる。
「……んー ――別にいーよー…… コレ、終わらしちゃいたかったから……」
まったりとしながら、それでも適度の集中を保って作業に没頭している十七歳の少女は、マシバの存在を〝まるで空気か何か〟ででもあるかのように扱う……。
――ま、いつものことか……。
マシバは自席の端末から接続操作をしながら、先の幹部会合での『決定事項』をどう彼女に伝えたものか、とわずかに思案顔になる。
つい先ほど艦橋に急遽招集された各〝分隊長〟格の幹部士官らに、艦長はエリン皇女殿下の帝国軍艦〈トリスタ〉への移乗を告げた。それに伴い艦内に収容した民間人――機関エンジニアを除く8名――も、艦を離れることになった。当然、キムも〈カシハラ〉を離れることになる。
マシバはあらためて、作業に没頭するキムを盗み見た。
この一ヶ月余りでいくつもの作業を共同でこなしてみると、彼女の才能には本当に驚かされた。
連結される情報の広がりの中から幾つかの解釈をいきなり導き出す彼女のスタイルは、どちらかと言えば細部の情報を積上げる自分のそれとは真逆であり、コレを彼女ほど上手くやってのける人間をマシバは他に知らない。
――興味深い存在だった。
「キム……」
マシバは複合ディスプレイ――立体よりも平面を好むのはマシバ個人の嗜好だ――から視線を上げず、向かいの卓に座るキムに言った。キムも視線を上げないだろうことは判っていたので、そのまま何気のないことのように続ける。
「――まだ言ってなかったよね…… 君が居てくれて、よかった ――ありがとう……」
「なーにー ……どうしたのさー ……なんだか… もーこれで〝お別れ〟みたい……だよ?」
いつもと同じ黄色い声音が返ってきた。マシバはそれに〝肯定〟の色の空気を滲ませた沈黙で応えた。
「…………」 その沈黙に滲んだ〝肯定〟は想定していなかったのか、思わずキムは作業を止めて面を上げた。
「――お別れ……なの?」
恐る恐る、というふうに訊き直すキムに、マシバは静かに〈カシハラ〉の『決定事項』を告げた。
「予定よりも少し早まったけれど、エリン皇女殿下をはじめシング=ポラスの民間人は全員〝別の艦〟に乗り換えることになった ――君もメイリーさんと一緒に艦を移る」
「――…ユウイチたちは……?」 探るように訊くキム。
「僕たちは君たちを降ろした後も、このまま航宙を続ける――」 その理由は言わなかった。
それから黙ってしまって固まったようにして聞いていたキムに、しかたなくマシバは〝お道化た〟ように付け加える。
「――キムも、今度は大きな艦に〝お客様〟として迎えられるから三食・昼寝付きの身分だよ。ここみたいに扱き使われることもなく――」
「――昼寝はいらない」
そのマシバのお道化た語調の台詞をキムは遮った。それから真っ直ぐにマシバを向いて言う――。
「ユウイチ… 言ったよね……? 〝キミの能力が必要だ〟って ――ボクはもういらないの?」
彼女にしてはふわふわと揺れ動くような、そんな声だった……。
マシバは内心で天を仰いだ。どう応えても彼女は〝納得しない〟だろうから、結局はこういう回答になる。
「もう、必要なくなったんだ……」
「どうして……? ボクがいれば、ユウイチ3人分は補助変数を組み直せるよ……」
キムの冷静さを装った懸命なアピールを、マシバは膠もなく遮る。
「必要ない」
「ボクがいなきゃ、軌道計算だって光学情報の解析だって、きっとこれまでの2倍以上かかるよ……」
それでも必死に食い下がるキムの言葉に、今度はマシバは優しい声になって応える。
「必要ないんだ」
「それじゃ、ユウイチ一人で全部やれるの……⁉」
終に語気が鋭くなったキムがマシバを睨む。マシバはただ淡々と答えた。
「やれる範囲でやる――〈カシハラ〉は軍艦で、軍艦は軍人が動かすものなんだよ」
「…………」 マシバに突き放されたことに、キムの声音が凋んでいく。「――ほんとに…… お別れ……なんだ」
一方、ここで折れるわけにはいかないマシバは冷たく聞こえても構わないと、敢えて斜に構えた。
「だからそう言ってるでしょ……」 言いつつマシバは、ついに顔を上げることができなかった。
ほんとはマシバだってこんな言い方なんてしたくない。でも、まともに会話したら彼女にペースを持っていかれる……。
「…………」
そのマシバの台詞を聞くと、キムはマシバが顔を上げてくれるのを辛抱強く待っていたが、ついに彼がそうしなかったことに両の手の平を握りしめる。それから黙って端末へと向き直った。
幾つか中断した作業を保存せずに〝水晶球〟(――平面ディスプレイにおける〝小窓〟に相当)を閉じ掛け――でも結局保存して閉じた。
それから乱暴に端末から切断操作をして席を蹴った。
「…………」
微動だに出来ずにいるマシバから逃げるように、キムは速歩で出口へと向かう。
「ユウイチは非道いやつだ……!」 部屋の扉を出しな、肩を怒らしたキムがマシバを振り見遣って叫んだ。「――ボクだって…〝女の子〟なんだぞ……‼」
泣いていた。……泣き声だった。
「…………‼」
その泣き顔は、横開きの扉が閉じてしまうと、扉の向こうに消えてしまった。
部屋に残されたマシバは、椅子の背もたれに背を預けるように天井を仰ぐと、左手で目を覆って大きく喚いた。
「――あーーーっ‼ …………くそ…っ!」




