50:だから言えた――。
7月5日 1130時 【H.M.S.カシハラ/指令公室】
ミシマ・ユウは、エリン皇女殿下のその視線を逸らした横顔の表情を、この先ずっと忘れないだろうと思った――。
「……理解はしました」
抑制の心許なくなった声音でそう言うエリン・エストリスセンの横顔は、ミシマが初めて見る彼女の表情だった。
その表情の意味を確かめたいと思う自分と、それを未練と嗤う自分、二つながらが中にある自分を抑制してミシマは言う。
「これが、我々が受け入れるべきと判断した〝最善手〟です――」
「…………」
エリンは口を噤んでいる。
「どうして……?」 ずいぶんと待たされて、ミシマは彼女のその問い掛けを聞いた。
「どうしていまだったのです?」
「――いまこの機会しかなかったからです……」
ミシマは用意しておいた解答を、すらすらと淀みなく言ってのける。
「艦内の〝意思の統一〟に思いの外時間を取られてしまいましたので ――キールストラ大佐は信じるに足ると判断しました。その彼の〝盟友〟であるイェールオース閣下も、信じるべきというのが私とツナミの判断です」
ミシマの意気地のない回答に、精一杯に意地の悪い言い様で、彼女は返した。
「それが…… 貴方の〝切り札〟というわけですか……?」
――怒っている……。
溜息を漏らすミシマ自身、彼女の質問に応えていないことを解っていた。
「…………」
苦しい沈黙に負け、ミシマは口を開いた。
「私は、オオヤシマの――ミシマの家の男子として、貴女を利用しようと……いえ、はっきり言いましょう―― 貴女の弱った心の内に付け入ろうとしました…… 貴女の見ていた一面は、たくさんの嘘の中の一つでしかありません……」
「…いまさら…っ――」 それが、今度こそ本当に彼女を怒らせた。
「――それならば……貴方はもっと上手に……最後まで嘘をつくべきです! (いえ……)――…でした‼」
最後の終止を過去形で言い直されたことに、少しばかり心が痛む――。
彼女に終止を言い直させたのは、これで二度目だ……。
そんなふうに彼女を見遣るミシマの視界の中で、エリンは面を上げ、はじめて目線を真っ直ぐに向けてきた。
「――貴方はまるで臆病な獅子です……自分の〝弱さ〟や… いえ……〝優しさ〟に素直になることができないで、いつだって〝求められた強さ〟を見せようとして……自分を偽って! いったい何をそんなに怖れているの⁉」
――それは貴女も一緒でしょう……。
いや……そうか、貴女はもうそんなものに囚われることをやめたいと、そう言っているのですね……。
そうだ……。
もう少し僕が強ければ…… いや、自分に素直になれていたら――
次のその言葉の連なりは、思いの外に素直に口にできた。
「――貴女に……僕という〝嘘〟を咎められてしまうことを……」
「……!」
そのミシマの変化に、エリンがわずかに目を見開くように見返した。やがてその表情が、満足するように、そして何かを〝期待〟したように和らいでいく……。
口にしてしまえば、もうそれで楽になることができたことなのにと、ミシマはそんなふうに思って内心で嗤いながら言葉を継いだ。
「でも、変だな……」 もう〝体裁などないな〟と、素直な言葉を選んでいく。「――実際、こうして言われてしまうと、実はそんなことはどうでもよかったことのように感じます……」
自分の言葉で、自身の内を確かめるように続ける。
「これ以上、嘘を吐けば、僕は自分で自分を許せなくなる――そんな僕を、貴女は好きでいてはくれないでしょう」
そうしてミシマは、真っ直ぐに皇女の瞳を見返して、ついに言った――。
「僕は貴女を愛してしまいました」
真っ直ぐに皇女を向いて気負いなくそう言うことができたことに、ミシマは満足することができて、自然に微笑んでいた。それは寂しい微笑みでもあって、向けられたエリンもまた同じような笑みを返すばかりである。
――まるで〝合わせ鏡〟だな……僕らは……。
僕らは、初めて出逢ったときから、互いに似ていると強く感じていた。
貴女は、僕が出会うことのできた、魂の片割れ……だったのだろう……。
だからかな……意識し過ぎてたな――
「さきの答えです……」 ミシマは投げ遣りには聞えぬよう、精一杯に誠実さを込めて言った。
「――偽りなく言えば、その〝愛した〟貴女を守り切れないからです」
情けない奴と自分を嗤うことはできたが、でも彼女になら、そんな自分を曝け出してもいいと、そう思えた。
だから言えた――。
「ですからいま、この機会で現れた〝切り札〟に縋るんです…… ――貴女に……貴女自身と僕の友人たちを救ってください、と」
言われた方のエリンは、それで初めて〝満ち足りた〟と思えていた。
彼の言葉に何が変わったという訳でもない。
――最初に〝理解〟した現実を覆すような〝何か〟は何もありはしない。
むしろ、現実が確かな重みをもって二人に決断を迫ってきていた。
それでも、聞けないでいたよりも、ずっといい……。
それが聞きたかった言葉だったから……と、エリンには素直に思えたから……。
彼の素直な感情を聞き、彼に〝求められた〟という実感があったから。
それがあれば、この先の自分の決断を後悔せずにいられる……そう思えたから。
だからエリンは落ち着いて、笑顔になって応えることができた。
「…わかりました――」
――と……。
やはりそれは、それ以上の言葉にはできないくらいの、哀しい笑顔だったけれど……。




