46:皇女と政治家の娘
7月4日 1600時 【H.M.S.カシハラ/特別公室】
輻射管制を布き息を殺して航行する〝皇女殿下の艦〟〈カシハラ〉――。
人の居ないことになっているはずの特別公室、その室内によく通る落ち着いた低い声が響いた。
「私にはどうも、あなたが〝腹を括り〟きれてないように見えるのですが……」
シング=ポラスの邦議会議員フレデリック・クレークは、微かに失望を浮かべたその顔を、舷窓からミシマ・ユウの顔へと向けて言った。
「――せっかく退場してくれていた艦長が、ぐずぐずしているうちに復帰してしまいましたよ……」
柔らかな語調のその詰問に、長テーブルに座るミシマは微かに疲れた表情を動かすでもなく、ただ目線を挙げて議員を見返した。
「あなたは〝軍〟というものを知らないでしょう」 ミシマは静かに切り出した。「――カシハラは練習艦で乗組員はつい先日、士官学校を卒業したばかりの幹部実習生が大半です。同期というのは、結束――身内意識は固い…… 〝ミシマ〟の名前だけで簡単に損得勘定を弾ける人間の方が少ないんですよ……社会的名門校の卒業生とは違う」
そんなことを言う〝ミシマ家〟の御曹司に、クレークは不信の目を向けている。
ミシマは構わずに続けた。
「皇女殿下の方は〝押さえて〟ます」 わざと苛ついた声をあげてみせた――つもりだったが、本当に苛ついていたのかも知れない……。「――それよりも『連合』の側に、間違いなく彼女を引き渡せる勢力があるのでしょうね?」
「はて……? それは存じませんな……」 無責任にすら聞える言い様でクレークは言った。「――その件を詰めるのは〈オオヤシマ〉の側の役回りでしょう?」
その台詞に息を飲んだミシマを、クレークは値踏みするように薄く嗤った。
ミシマは今度こそ本当に湧いた苛立ちを隠さずに、クレークから視線を外した。
そろそろ話を切り上げる頃合いだった。
ミシマが席を立つと、クレークは両の肩を竦めて退室する彼の後から公室を出た――。
* * *
エリン・エストリスセンは、手にした個人情報端末――民生用の端末ではなく軍用のそれである――から目線を上げると、扉の前で逡巡をした。
個人情報端末の画面表示――アマハ・シホに使い方を教えてもらった乗組員個人の艦内位置情報の追跡機能――によれば、ミシマ・ユウはこの扉の向こう、特別公室にいるとのことである。
――どうしよう……。
このまましばらく扉の前で待っていれば、〝彼〟の顔が現れるのだろうか。
そのときには、いったいどんな表情をすればよいのだろう…――。
わからなかった……。
この一週間あまり、エリンはミシマとほとんど顔を合わしていない。
父スノデル伯の逮捕拘束を知らされた日――ミシマに煎茶手前の綺麗な所作を披露されたあの日――以来、シンジョウ宙尉の遭難事故やその後のツナミ艦長の困憊による昏睡と、カシハラには次々と奇禍が続いた。
そんな中ミシマは、艦長――そして親友の(そう……〝親友〟なのだろう……)ツナミ・タカユキが倒れてからはその彼に替わって指揮を執り、艦長が復帰した後もまるで何かに憑かれたように忙しく立ち振る舞っている。
それから、彼らしくなく声を掛けるのを躊躇われるような雰囲気でいることが多くなり、やがて毎日の打ち合わせにも姿を現すことがなくなると、いよいよエリンには接点がなくなってしまった……。
そうなってしまってから漸くエリンは、ミシマ・ユウと自分との間には本来何の関係もないという事実を突きつけられたようで、初めて動揺する自分に気付いたのだった。
いま彼女は、これまでに漠然と〝ただ傍に居て欲しい〟と思うことのあった自分に驚きを感じている。
――そんなことを願うのを〝当たり前〟に思える、そんな立場ではなかったのに……。
じゃあミシマ・ユウにとって、わたしの立場とは……? ううん……わたしにとってのミシマ・ユウとは何なの……?
そんなことを考えるようになってしまうと、もう感情を自制することができなくなって、気付けば艦内に彼の姿を捜していた。
――〝自分から〟話しかけてみたらどうだろう……。でも……。
それでどうなるのか……。
そうしてここ特別公室の扉の前に辿り着きはしたものの〝先が読めないこと〟に慣れないエリンのような人間はただ逡巡するだけとなり――…いま〝彼〟の顔を見ることになるのはコワかった――、らしくもなく逃げ腰の彼女は、どうしてよいのかわからないでいる……。
* * *
扉の前で途方に暮れて立ち尽くす彼女の前で、扉が開いた――。
え……⁉
扉の中からミシマ・ユウが現れたときには、まっ先に〝踵を返して〟その場から離れよう――逃げ出そう――と考えていたエリンだったが、疲れ切った彼の目を見てしまい、もうそうすることができなくなっていた。
目が合ってしまったとき彼が浮かべた驚きの表情と、それに続く、ほんの一瞬だけ何かにはにかんだように緩んだ表情は、だが彼女の目線が背後の男の存在に気付いた途端――ミシマがその瞬間に彼女に小さく首を振ってみせた後――に、跡形もなく消え去ってしまった。
一瞬だけ見せてくれた〝求めていたもの〟――それが消えてしまったミシマの貌は、いまはもう表情の消された〝ミュローンの貌〟で、皇女の心は、ぎゅっと締め付けられた。
「――皇 女 殿 下…… 次の〈会合〉はこちらでしたか?」
ミュローンの貌をした副長に、慇懃さと節度を保った距離間を感じる抑制された語調で、そう訊かれた。彼の背後にはフレデリック・クレーク〈シング=ポラス邦議会議員〉の姿がある。
この時にはもう、エリンの表情も〝ミュローンのそれ〟となって応えている。
次の〈会合〉の都合などありはしないので、内心で――どうしたものか、と――応えに窮しつつ、そしらぬ顔だけは作って口を開きかける。「(――いえ……)」
「ああ…… いらしてましたか、殿下。今日は適当な部屋がこちらしか空いていませんでしたので――」
エリンが口を開くよりも先に、控えめな落ち着きのある女性の声が耳に滑り込んできた。
この状況に助け船を入れたのは、やはりというか、いつの間にかそこに居たアマハ・シホであった。
手にした個人情報端末に何事か操作しながら、公室への入室を促す。
アマハの機転に合わせ、エリンは肯いてみせた。
「…………」
扉の前で相手に譲るように体を躱したミシマにエリンは視線を向けることができずに、歩調が速まらぬよう努力をして公室へと入っていった。アマハがそれに続く。
表情を変えぬミシマは、アマハに視線を向けられてもそれに応えず、クレーク議員を連れてその場を後にした。
* * *
背後で扉が閉まり広い公室の中に二人だけとなるや、エリンは背後のアマハ・シホに向いた。
「シホさん――」 平静な声音になるよう心掛けて呼びかける。
いったん目線を伏せたアマハが観念して向き直るのを辛抱強く待ち、エリンは訊いた。
「――いったい〝あのひと〟は、何をしていますか?」
7月4日 1900時 【H.M.S.カシハラ/右舷格納庫】
「――ミナミハラさん?」
最低限の照度にまで照明の落とされた薄暗い格納庫の内に、少女の恐々とした声が小さく響いた。
艦に1機だけ搭載された接舷攻撃支援機の操縦席の座席でその不安そうな声を聞いたミナミハラ・ヨウ宙尉は、小首を捻って視界の端に少女が近付いて来るのを見た。
「ああ、お嬢でしたか……」
東洋系の美人の相そのままなメイリー・ジェンキンスにミナミハラは笑いかけると、覚束ない足元でタラップまでやってきたメイリーが操縦席の位置まで登ってくるのに手を差し出して訊いた。「――よくここがわかりましたね?」
「アヤさんに、ここだと教えてもらいました」
そう応えた彼女は開け放たれた操縦席の縁に腰を下ろすと、おずおずとした感じにスカートの裾を直したりしている。
そのあからさまに構って欲しそうな様子に、ミナミハラは笑いを堪えて言った。
「いいんですか? ヘンな噂になったら困るでしょうに」
「――困りますか?」
少し拗ねたようにも聞こえる声音で言うと、メイリーは横目でミナミハラの顔を窺う。ミナミハラはというと、ちょっとびっくりしたというふうに彼女の背中を見上げ、それから探るような声になって言った。
「は? いや、オレの方にそういうことはないですよ……けどね――」
メイリーは、そんなミナミハラの言葉を元気のないようにも聞こえる声になって遮った。
「――艦長さんのコト、ありがとうございました」
いつもそうだが、彼女が自分で思っているほどには余裕のない声で言う……。
「さっき、彼に謝られてしまいました。ミナミハラさんが言ってくださった、って言ってました……」 それなりに澄まし声には聞こえる語尾が、小さく揺れている。
――まったく、アイツは……
何でオレのことを持ち出すかね……。
いまのメイリーの様子に戸惑いを覚えたこともあってミナミハラは、艦長――ツナミ・タカユキの鈍感なんだか繊細なんだかよく解らない精神構造が収まったあの頭を一度分解整備してみたくなっている。
そうしてミナミハラが何と応えたものかと〝間〟を持て余していると、今度こそ思い悩んだふうの声音のメイリーが、顔は向けずに訊いてきた。
「――私…… ヨ… ――ミナミハラさんには、どういうふうに見えてます?」
「は……?」 彼女の質問の真意を量りかねて、間の抜けたふうに〝疑問符〟の抑揚で返した。
そんなミナミハラに、メイリーは背すじを伸ばすようにして、その背中越しにもう一度訊いてきた。
「――言葉の通りです。私、どういうふうに見えますか……?」
ミナミハラは、少し間を置いてから訊き返した。
「――なにを気にしてるんですか?」
メイリーは息を吐いて、タラップからキレイな脚を投げ出してブラブラと振りながら、お道化て聞こえるように語調をあらためて言った。
「いろいろと気にしてるんです……」 天井を見上げるようにして表情を向けてこない。「――本当は…… そういうこと――他人から見える自分を―― 気にしてばかりなんです、私って……」
自嘲するようにそう言う彼女を、ミナミハラは突き放すような相づちで応える。
「へぇ」
それに少し不満気になったメイリーが、勢いよくミナミハラに向き直る。
「私―― 〝良い娘〟に見えてないですか? いつも正しいことを言って、弱者の代弁者を気取って、折り目正しく、弱音を吐かず、聞き分けの良い―― そういうふうに見えてませんか……」
そう言い募る彼女の、黒曜石を思わせる瞳に浮かんだ一生懸命な光に、ミナミハラは敢えて冗談めかすように応えてみせた。
「――少なくとも、〝聞き分け〟の方は良くはなさそうですけどね?」 そう言って片目を瞑って見せる。
あまりにひとを食ったミナミハラのその言い様に、一瞬で上気した顔を強らしたメイリー。
「それは…… 悪うございました……!」 ぷいとまた後ろを向いてしまった。それから、おずおずと背中越しに様子を覗ってくる。「――他は……どうです?」
「概ねそう見えますよ、確かに……」 ミナミハラは、今度はそれほど不真面目には聞こえないよう語調を改めてやった。「そういう自分が嫌いですか?」
ミナミハラのその問いには、メイリーは肩を落とすようにして大きく頷き、それから膝を抱えるように背中を丸めてぽつりぽつりと言う。
「――それはホントの私じゃないから、嫌いです……」
余りの元気のなさにミナミハラならずとも心配になるような、そんな言い方だった。
「…はぁ……?」 面倒そうに聞こえるふうに言ってみた。「――あーそれは……あなたの美点は作られたモノで、全部ウソだとでも?」
「…………」
メイリーが自分で抱き締めるようにしている細い肩の線の先で、小さな頭がこくりと頷いた。
――また、重症だね… この娘も……
仕方なくミナミハラは、今度は語調に少し怒気を含ませて言った。
「――大桟橋で搭乗橋を強制切離したとき……民間人の少年が犠牲になったあのときに流したあの涙は〝偽物〟だった、とでも?」
「…………」
途端に彼女の背中の周囲の〝空気〟が変わった。誠実さ故の動揺に戸惑う、直情的な彼女のその様子に、ミナミハラもまた〝ある種の気恥しさ〟を感じてしまう。
「ウソじゃないでしょう?」 今度は精一杯に優しく聞こえるように言った。「……あなたの全部がウソで出来てる訳がない」
「…………」
黙りこくったままのメイリーの小さな背中は、いまにも泣き出しそうでもあり、一方で自分の意固地さを持て余しているようでもある。
ミナミハラは優しい溜息を一つ吐くと、操縦席の座席から身体を起こしながら言った。
「オレは耳障りのいい言葉を選んで他人に伝えることは上手くないから、キツイ言い方になりますけど――」
メイリーが警戒するように、わずかに身を硬くする。
「――全部が全部、ウソのない自分でいることのできる人間なんて、この世界にいないんじゃないですか? もしそんなふうにウソのない自分とやらを考えてるのなら、それこそ傲慢ですよ」
薄暗い格納庫にしばし沈黙が訪れ、それからミナミハラは、メイリーの心細げな声を聞いた。
「――でも…… ホントの私に愛想が尽きることだって、あるじゃないですか……」
その声で、背中越しの彼女の表情がなんとはなしに解ってしまったミナミハラは、〝言うべきではない〟と自戒する言葉を、言ってしまっていた。
「試してみますか?」
え? と漸くこちらに向き直ったメイリーの、その黒曜石のような瞳――やはり少し涙が滲んでいた――を覗き込む。
(まいったな……)
ツナミや副長の苦り切った表情――それでも微笑んでくれている――が過ぎっていく。
(――艦内での恋愛沙汰はご法度なんだがな……)
「お付き合い願えますか?」
ハッキリと息を飲んだメイリーは、ミナミハラを見返した。
それから、わざと自分があざとく見えるようにして、目を伏せて言った。
「でも、アヤさんが……」
同僚のイチノセ・アヤの名が出てきたときに、ミナミハラはわざとそんなことを口にしてみせたメイリーを〝可愛らしいコだな〟と改めて思う。
ミナミハラからの応え――道義に従った正しい応え――を待つメイリーの表情は、彼女が思っている程に平然としては見えない。
ミナミハラはそっと言った。
「アヤはオレの双子のアニキの彼女さん――姉貴になるひとです」 メイリーの視線がゆっくりと持ち上がる。ミナミハラは続けた。「――オレが艦に残るって言ったもんだから彼女も残ってくれました。迷惑かけっぱなしで頭上がらない ……けど、そういう仲じゃないですよ」
最後の文句を聞き終えて、その意味するところを理解できると、メイリーはちょっと怒ったような表情をしてから、黙ってミナミハラにその身を預けてきた。
イメージよりもずっと不器用なその彼女の身の預け方に、ミナミハラは危うくバランスを崩しそうになる。
何とか抱き支えてやると、それでもまだ遠慮がちな彼女の両腕の動きを感じながら思った。
――この姿は、いろいろな意味でツナミやアヤには見せられないな……。
* * *
同日――。
〝皇女殿下の艦〟〈カシハラ〉副長ミシマ・ユウ上席宙尉は、艦長公室にツナミ・タカユキ宙佐を訪ねようとしている。
エリン皇女は、結局あの後もミシマ・ユウと言葉を交わすことは出来ていない。




