42:〝難しい〟局面
情景は二週間ほど遡る――。
エデル=アデン星域の大動脈たる〈自由回廊〉――その南側の端に列なるカロリナ星系に、星系同盟航宙軍最大の泊地である〈トラカル〉は在った。
〈トラカル〉は5つの衛星を従える星系最大のガス状惑星であり、高純度の反応剤の素となる良質のヘリウム3を供出した。加えて主星の〈カロリナ〉が居住可能な惑星を持つ非常に安定した恒星であることもあって、オオヤシマが拠点を得て以来、約半世紀余りの内に急速に整備・基地化が推進され、航宙軍にとり戦略上の要衝となりつつあった。
6月15日 1500時
【カロリナ星系 トラカル泊地/航宙軍 ウマン軌道ドック】
〈トラカル〉の5つの衛星にそれぞれ存在する泊地の内で最も規模が小さく目立たない〈ウマン〉の軌道ドック基地。その居住区画の一室。
比較的大きく開いた窓からはいま、今回の事件に際し新たに編制された『第1特務艦隊』の各艦――各種仕様のモガミ型5隻と艦隊補給艦――が、基地外郭錨泊空域に整然と艦首を並べて重力懸垂している様子を見て取れる。
モガミ型重巡仕様の最新鋭艦〈タカオ〉を中心に編制される『第1特務艦隊』は、星系同盟航宙軍の実動部隊の中でも最有力の正面装備で編制されることになっており、航宙軍の推し進めてきた恒星間宇宙軍化の成否を占う〝試金石〟となる艦隊であった。
また、この『第1特務艦隊』は通常の艦隊指揮系統と扱いを異とし、統合作戦本部長の直接指揮下に置かれる。
それほど『第1特務艦隊』の扱いとその任務は慎重を期する事案であった。
ゴジュウキ・シノブ1等宙佐は、この航宙軍の特別部隊を指揮することになった部屋の主を待つ間、窓外に漂う艦影に目線を遣っていた。
シング=ポラス星系で心ならずも乗艦〈カシハラ〉の指揮権を失ったゴジュウキ1佐は、自身の指揮の下を離れた候補生らの操る〈カシハラ〉を見送った後、母星系〈オオヤシマ〉からの帰還命令を受けている。
現在はその移動の途中で、通過査証を用い、この新編された『第1特務艦隊』の指令を挨拶のため訊ねたのだった。
背後で扉の開く音がすると、ほぼ同時に〝戦友〟の声が耳に聞えた。
「待たせたか」
「いや…… そうでもない」
ゴジュウキ1佐は窓の外の艦艇から視線を外さず、声だけで応えた。
声の主――『第1特務艦隊』指令コオロキ・カイ宙将補は、そのままゴジュウキの隣に立つと静かに言った。
「――本来ならば貴様が指揮するのが順当だった艦隊だ。前線を離れざる得なくなった貴様の代わりに、俺に白羽の矢が立ったわけだが……」
コオロキ宙将補は隣に立つ士官学校同期の横顔を覗うように、そこでいったん口を閉じた。
「…………」
ゴジュウキが韜晦しているのでコオロキは続けた。
「――〈カシハラ〉の件は、不運だったとしか言いようがない…… が、誰かが〝責任〟を取らねばならなかった。しばらくは士官学校で教官として後進に当たり、鋭気を養ってくれ」
「……将補に昇進したそうだな」 そんなコオロキにゴジュウキが訊いた。視線はそのまま艦を追っている。「初めて後塵を拝することになったわけか……」
46期の士官学校の卒業席次はゴジュウキが2番でコオロキが3番だった。主席のミシマは現在はもう〝殿上人〟――統合作戦本部戦略部次長――だ。
「特進の前渡しなんだろう…… 生きて帰ってくることはない、とな」
コオロキは下手な冗談を口にした。ゴジュウキがそうであったように嫌味な口調ではなかった。そもそもそういう間柄ではない。互いに背中を任せ合える、そんな仲である。
ゴジュウキは漸く顔を向けると少し笑ってコオロキに言った。
「……貴様であれば安心できる 〈カシハラ〉と候補生らを頼んだ」
コオロキもまた肯いて返した。
『第1特務艦隊』の任務――それは〝反乱艦〟〈カシハラ〉との再接触であった。
*
室内の簡易ソファに場所を移しコオロキは口を開いた。その手のカップからの香りが〝上質の珈琲〟のそれなのは士官学校時代から変わらない。
「指揮を執っているのはツナミらしいな…… 勅任したとか」
〈カシハラ〉の反乱に際しての首謀者たる候補生の名を確認する。――ツナミ・タカユキ。
コオロキにとってもその名前は知らない名ではない。コオロキは士官候補生学校の教官としてツナミら78期生らを教えており、ツナミらにとってコオロキは〝恩師〟であった。
「うむ……」 ゴジュウキは肯定すると、自分のカップから視線を上げておかしそうにコオロキを見返した。「――あの真っ直ぐなところは指導教官に似たのじゃないか?」
その真面目な言い様に、コオロキは決まりの悪い笑みを浮かべる。だが、その口許は綻んでいるように見えなくもない。
「どうだろうな……」 コオロキは苦笑気味に訊き返した。「――ミシマが従っていると?」
「ああ。副長としてツナミの下、皇女殿下を支えているようだ」 ゴジュウキは答える。
「そうか……」
コオロキは、かつての教え子二人の顔を思い描くように左手のカップを揺らした。
――そうか。艦の指揮をツナミが執ったか……。
真摯な、何事にも真面目過ぎるほど正面から取り組む男だ。が、不愛想なその見掛けと裏腹に〝重圧〟に強いとは言えない男である。根が優しい。優しすぎるとさえ言えた。
一方で――
ミシマが一歩を引いてみせたのも理解できる……。
ミシマ・ユウは如才ない男である。常に最大効率を図って立ち回ることができた。重圧にも〝慣れて〟いる。リーダーとして育てられてきた『ミシマ家』の男だ。非情さも持ち合わせている。
そのミシマが、敢えてツナミを立てた、か……。
なるほど――〝重圧〟を跳ね除ける瞬発力は、何ごとも正面から受け止めようとするツナミの方が優れているかも知れない。
〝旗艦〟の艦長としてはその資質の方が適正に優れるし、実際、敵に回せば厄介だろう。
第1特務艦隊司令コオロキ宙将補は、記憶の中の二人の教え子をかつての自分たちに重ね合わせていることに気付き、溜息とともに苦笑した。
――ミシマ、ツナミらが〈オオヤシマ〉の意に大人しく従ってくれればいいが……。もし納得することをせずに抗うようであれば……その時は――
『第1特務艦隊』とは、そのような〝難しい〟局面に対応することを求められた、特殊な部隊なのであった。
*
――このときから二週間の後……。
その『第1特務艦隊』が追うべき〈カシハラ〉は、現在、スプラトイ星系を離脱しようとしている…――。
6月30日 2000時 【H.M.S.カシハラ/准士官私室】
照明の消えた暗い部屋――。
航宙軍の士官候補生准尉だったクリハラ・トウコとシンジョウ・コトミは、この部屋を練習航宙の初日から使っていた。
その部屋の二段ベッドの下段の中でクリハラは膝を抱えている。
この部屋のもう一人の主であるシンジョウ・コトミの声を、もうこの部屋で聴くことはないという事実の辛さに、クリハラは自分の膝を抱きしめて泣いていた。――コトミとは、入校以来ずっと仲が良かった……。自分にとって、初めて〝親友〟と言える存在だった……。
――こんなに泣いたのは、いったいいつ以来かな…… あたし、ちゃんと、泣けるんだ……
ぼんやりとそう思っていると、部屋の入口の扉が外部からの操作で開く音が聞こえた気がした。
そのまま息を潜めて耳を澄ましていると、コトミの快活な声が今にも聴こえてこないかと、そんな期待をしている自分がいることに気付く。
だが、聴こえてきたのは別の人物の声だった――
「……部屋、やっぱり移らないのか?」
遠慮がちのその声は航宙長のハヤミ・イツキのもので、その背後からジングウジ・タツカの
「トウコ…… 航宙長、残してくから、使ってくれていいよ ――私の隣の部屋が空いてるから」
と言う言葉が聞こえてきたのだが、タツカはそう言い残してその場から消えてしまった。
この二人部屋から正士官用の個室へと移るのであればイツキを使え、というタツカの配慮は、同時に、彼女自身、いまのクリハラを真正面から受け止めきれそうにはない、という〝逃げ〟でもあったろう……。
それをわかったうえでクリハラは、残されたイツキへと自分のささくれた感情が向かうのを押さえることができなかった。
部屋の照明が灯されると、イツキが入ってきてしまってよかったかどうか迷うように、所在なげに立っている。
「あたしがどこの部屋を使うのかって、それは、あたしの自由だよ」
「…………」 〝らしくない〟クリハラの声音に一応警戒するように、イツキは目線を逸らせて肯いた。「そりゃ ――そうだな……」
そんなイツキを、クリハラは下段のベッドの壁際から、睨め上げるようにして見上げた。そして言った――。
「どうしてツナミくんを説得してくれなかったの?」
「…………」
半ば以上わかっていたその問いに、イツキは答えるのを逡巡した。その〝間〟にクリハラは、ずっと思っていて言えないでいたことを言い募った。
「たすかったと思う。あの時に動いていたら、きっと助け――」
そのクリハラの言葉をイツキは遮った。
「――〝艦長〟が正しかったからだ」
――――‼
思いの外ハッキリとした語調でそう言ったイツキに、クリハラは後の言葉を飲み込んだ。
――そうだよ…… だから、あたしも言えなかった……。
イツキは屈み込むと、二段ベッド下段で膝を抱えるクリハラに顔を寄せる。
「俺が指揮を執っていたら、そうできたかどうか、自信ないけどな……」 クリハラの目を覗き込むようにして言った。「――でもあの時のアイツの判断は正しかった ……だから俺は、タカユキに従ったんだ」
クリハラが、また泣き出しそうになる。
「俺はさ、コトミのことが好きだった」 泣き出してしまう前に、イツキはその彼女の頭を抱き寄せて言った。「――コトミがタカユキのこと、タカユキもコトミのことが好きなのはわかってた ……俺は相手がタカユキだから諦められたんだ……」
イツキの方がダメだった。彼は結局堪えることができなかった。……泣かないつもりだったのに。
「――そのタカユキが判断したんだよ……‼ 誰よりも……辛かったろうに……っ!」
ツナミは艦の乗員全員の生命を預かっていた。彼らの身の安全を優先しなければならなかった時、あの場で輻射管制を解くわけにはいかなかった。
コトミが助かる見込みが、刻一刻消えていったとしても……。
そんな残酷な判断を、彼はしなければならなかったのだ。――艦長として。
イツキは肩を震わせて泣き、クリハラはそんなイツキを泣きながら抱きしめてやった。
クリハラは泣きながら、自分の内の想いと泣き震えるイツキの身体とを抱きしめながら、何度も心の内で繰り返した。
――それでも……、彼女を助けて欲しかったよ……
と……。




