40:人のいないガンルーム
タカユキの他に、人のいない士官次室――。
舷窓に身を預ける様にして、窓外の宇宙の深淵からずっと視線を外さないでいるタカユキ。
窓枠に嵌る硬化合成樹脂に映ったその顔は、少し痩せて、精悍さを増したかもしれない。
わたしは、ちょっと魅入ってしまう。
もっと幼かった、〝可愛らしい顔〟の頃から知っていて、何回この顔と喧嘩したかわからない。
でも、だいたいタカユキの方から謝るのが――それがわたしが悪かったとしても――、わたしたち二人の約束事だったような気がする。
でも、今回は許してはくれそうにないかな……。
わたしは気後れのする視線で、窓に映り込んだ彼の顔を見る。
ふと目が動いて、視線が逢ったように思う。
……反応してくれなかった。
タカユキは舷窓を離れ、そのまま士官次室の扉へと向かう。
わたしの目の前を、タカユキは横切るように。
――仕方ない…… それでもやっぱり…… と想ってしまう……。
わたしは、俯いてタカユキの背を追う。
士官次室を出たところで、タカユキがイツキと出会していた。
彼にしては珍しく、気拙い表情でタカユキの長身を見上げている。
「タカユキ……」 イツキがやっとという感じに口を開いて言う。「――その……アレは……」
そんなイツキを。タカユキは片手を上げただけで遮った。
わたしは、それで少し胸を撫で下ろす。
そんなわたしなんか見えてないように、タカユキは艦内通路を先へと急ぐ。
――ばん!
側で大きな音がした。
「くそ……っ」 イツキだった。「――なんで…あのとき……」
タカユキの消えた通路の壁面に拳を打ち付けたイツキを視界の片隅に見ながら、わたしは艦内通路を、タカユキの姿を求めて追いかける。
タカユキの姿が主幹エレベータの中に消えようというところで、わたしは何とか追い付いた。
わたしのことなんか気にするでもなく制御盤を操作する。すんでのところでエレベータの扉の外に取り残されるところだった。
さすがにつめ寄って文句を言ってやりたくなる。
でも、わたしは言葉を飲み込んで、エレベータ内の壁の方へと移動した。
タカユキはちらりともこちらを見ない。扉横の制御盤の正面に立ち、扉が開くのを待っている。
わたしは横からそっとタカユキの顔を見上げる。
こっちを向くことはないけれど、それでも、その横顔を純粋に好きだという気持ちで見ることのできる位置に来れただけで満足だ。
「覚えてる?」
思い出し笑いをしてしまう。
タカユキに初めて〝告白〟したときのこと――。
*
――あれは中学3年の春のことだったよ……。
病気で1年間病院にいたわたしが学校に戻った二回目の小学4年からの6年間、タカちゃんとはずっと同じ小学校、中学校で、学級が違ったことも2回だけ。
ずっと一緒で、側に居てくれるのが普通だと思い込んでた。
始業式の日、中学最後のクラス分けでタカちゃんとは別々になったのを知ったとき、わたしは思い切ってタカちゃんを体育館の裏手に呼び出した。
わたしには結構自信があったから、タカちゃんがやるような〝直球勝負〟をしてみた――。
それで、困ったような、煮え切らない表情のタカちゃんを――身長を抜かされてもう随分と経ってたっけ――壁際に見上げて〝壁ドン〟したわたしに……、
「ごめん……」 タカちゃんはこう言って視線を外したんだ。「だって、ほら……、コトミは年上だし……」
「そ……っか……」
何とかそれだけ言って、その場を逃げ遂せたことは覚えてる。それと、こう〝思った〟ことも覚えてる。
――ズルいよ…… もうそれって、どんなに努力したって、どうにもできないことだよね……
そのときのタカちゃんの表情は覚えてない。わたしの表情も――
わたし、どんな顔してたっけ……?
その年の夏――、航宙軍の士官だった父が任務から帰ってこなかった……。
父の乗った巡航艦〈ウネビ〉は、哨戒任務の途中で消息を絶った。
詳細は現在もわからない。
突然のことに涙に暮れるだけの母とわたしに、航宙軍と父の元同僚は『軍機』という二文字で、誰も何も納得できる説明をしてくれなかった。
葬儀の日、斎場へと向かうわたしの傍らにずっと付いていてくれたね――。ほんとは手を握っていて欲しかったんだよ。……でも、ずっと隣に居てくれて、ありがと。
母子家庭となってこれから先の学費のことを考え、わたしは私立高校への進学を取りやめて航宙軍高等予科学校へ進むことにした。そしたら入学式の日にタカちゃんの姿がそこにあって……、わたしは何も考えることができなくなって、ただタカちゃんの顔をどぎまぎと見るだけだった。
――お父さんのいないタカユキにとって、航宙軍の軍人で宇宙船乗りだったわたしの父が身近な憧れの存在だったのは知ってた……。
けれど……、ずっと訊けないでいたけれど……、それだけが理由じゃなかったんだよね?
*
エレベータの扉が開いた――。
行き先は、わたしにはもうわかっていた気がする。
タカユキは大股で通路を行く。わたしは少し小走りになって追いかける。
あるときから、その大きな歩幅に合わせるのはいつもわたしで、たいていタカユキの大きな背中を追いかける羽目になる……。
中学のときにもう見上げていたけれど、高等予科学校に入学してから、ほんとに背が伸びたよね。
やっぱり……。
タカユキは左舷の通路を真っ直ぐに、船外作業準備室へと向かっている。
わたしはそっちには行きたくない……。
もう何を言っても届かないその背中に、わたしは何とか言おうとして、結局、口の中だけで呟いていた。
――最後まで……〝気持ち〟は、諦めたくないんだね…… 昔からそうだったもんね……。
*
初めて会ったのは、小学校に入学する前だったよね。
艦隊勤務の父の任地がタカちゃんの住んでた街になって、わたしたち家族が移ってきた日、はじめて公園であいさつした子供が、1歳年下のタカちゃんだった。
ガキ大将を地で行くタカちゃんは父の〝お気に入り〟で、お互いの家を行ったり来たりするようになって、一人っ子だったわたしにいきなり〝弟〟ができて、大好きだった父をとられてしまったようで複雑だったっけ……。
そんなタカちゃんの〝強情さ〟に初めて気付かされたのは、わたしが飼っていた仔犬のコマリが居なくなっちゃったときのことだ。
お友だちみんなと近所の河川敷で遊んでいたときコマリの姿が見えなくなって、みんなで捜し始めて――。
わたしは小さなコマリが心配で、でもそんな小さなコマリから目を離してしまった自分を責めて泣くばかりだったけど、タカちゃんはみんなの先頭に立ってコマリを捜してくれた。
陽が暮れてきて、お友だちが一人、また一人と帰ってしまう中、タカちゃんだけが最後まで残って一緒に捜してくれた。
帰りが晩いのを心配した両親が迎えに来ても、タカちゃんは「――コマリ、きっと心細くて震えてるよ!」「あと少し捜せば、見つかるかもしれないじゃないか!」と食い下がってくれたけど、その日、コマリを見つけることはできなくて、二人で泣きながら帰ったよね……。
結局コマリは、次の日に中洲で震えているのを近所の人に見つけてもらえて、わたしのもとに戻ってきた。
そしてわたしは……
――このときに隣に一緒に居てくれた男の子に、はじめて〝好意〟を持ったんだよ。
*
タカユキは船外作業準備室の扉へと入って行く。
わたしは一瞬、逡巡する。
同じ通路の先でトコちゃんが、タカユキが準備室に消えるのを見て〝慌てたように〟手近の壁面の艦内通話機に取り付くのが見えた。
その隙に、仕方なくわたしは準備室の扉へと飛び込んだ。
暗い室内で、タカユキの背中を捜す――。
その間にも、わたしの追憶は続いている……。
*
コマリが見つかってから、〝いっこ上〟の『お姉ちゃん』としての4年の月日があって、わたしが病気になると〝最初の〟4年生の1年間を病院で過ごすことになって、〝二度目の〟4年生をやり直すために小学校に戻ってみたら、タカちゃんは同じクラスの男子になっていた。
前のクラスの友達は〝上級生〟となっていて、心細かったし、なんだか落ちこぼれてしまったようで悔しかった。
長期の療養ですっかり痩せっぽちになっちゃってて、車椅子が必要だった身体も恥ずかしくて、すっかり委縮してしまっていたわたし。
教室に知っている顔はタカちゃんだけで、そのタカちゃんもこの1年ですっかり雰囲気が変わっていたっけ……。
――なんだか少し、可愛くなくなってた。
けど、やっぱりタカちゃんはタカちゃんだったね――。
最初のHRの時間が終わると、わたしは『いきものがかり』になっていて、その日は午後から雨だった。
放課後のうさぎ小屋の世話は、相方の男子の『いきものがかり』だったミトムラが、塾に行くからと先に帰ってしまって、初日からわたしは途方に暮れたのだった……。
うさぎ小屋の前、車椅子で雨に濡れてたわたしを見つけたタカちゃんは、小屋の中まで押して行ってくれて、そしてそのままうさぎの世話もしてくれたんだよね。
……いまでも思うんだけど、何で〝黙ったまま〟だったのかな? ――あのときわたしは、タカちゃん何で怒ってるのかな? って思ったりして、ちょっとこわかったんだよ。
次の日の始業前の朝のSHRの前に、タカちゃんはミトムラに言ったんだっけ――。
「――お前さ、塾とか勉強とか、それはそれでいいけどさ ……そんな無責任なコトじゃ、いきものがかりにゃ向いてねェよ。俺が替わるわ」
それから車椅子が必要なくなるまでの前学期の間、一緒に『いきものがかり』したね。
怒ったような表情して、優しいよね…… タカちゃん――
*
暗い船外作業準備室の中を、タカユキの背中が真っ直ぐに戦術科甲板部の船外活動ユニットロッカーの方へと進んでいった。わたしも仕方なくついていく。
収納棚の前に立つと、タカユキは甲板部のオレンジ色のEMU(=宇宙服)のヘルメットを手に取った。
――そのフェイス部に映り込んだ瞳は暗く、まるで宇宙の先を映しているようで、それがわたしを不安にさせる。
つと、タカユキの目が与圧調整室の内扉を向いた。
「…………」 わたしは、じっと彼の横顔を見上げている。
「コトミ――」 タカユキの口が、そう動いたように思う。
タカユキはオレンジ色の宇宙服を纏い始めた。
「やめて……」 わたしは声には出来ない声で彼に言う……。
独り黙々と宇宙服を着込んでゆくタカユキ。宇宙に出るつもりだ……。
わたしは、そんなタカユキに近付くこともできなくなっていた。
――あの娘…… ベッテ・ウルリーカは助かったろうか……。
〝助かっている〟
心を落ち着かせ澄ませてみると、それはわかった。――まだ十四歳だ。助かってよかった。
でも、わたしは助からない……。暗い宇宙に投げ出されたわたしを、タカユキは見つけられない。私の身体は宇宙の彼方。たぶんもう逢えないだろう。
だから……、誰か、タカちゃんを止めて。――そっちにわたしはいないから……。
作業準備室の入口の扉がスライドし室内灯が点いた。
ミシマ副長が入ってきた。その後ろに看護助手のコと、トコちゃんの蒼白な顔が見える。
――そっか、トコちゃんが副長を呼んでくれたんだ。ありがと……トコちゃん。
「船外作業は『二人一組』が基本のハズだぞ」
副長の硬い声に、タカユキの手が止まる。
ゆっくりと副長を振り見遣った顔にはいつもの自信も冷静さもなく、わたしは心を押しつぶされてしまいそうになる。
タカユキは静かな口調で言う。
「――いかせてくれないか……」 それは懇願のようだった。
副長は目を閉じ上を向いて、大きく深呼吸をするように息を吸って、それから言った。
「……ダメだ」 真っ直ぐにタカユキを向いて告げる。「――君が〝艦長〟だ。いかせられない。いま君が居なくなれば、艦はバラバラになる……」
そういう副長だって辛そうで、でも彼は、それでもタカユキを真っ直ぐに見据えて言ってくれた。
「僕を恨んでくれていい ……が、いかせてやることはできない」
すこし沈黙があって、その後のタカユキの声は震えていた。
「けど…… あいつ、きっと心細くて震えてる」
わたしは、口もとを押さえてしまった。トコちゃんが堪えきれなくなって俯いた。
「……だがもう7時間経つ―― 現時刻から出たところで……」
副長が、渇いた響きの声で続けた。その顔にはもう、表情がない。
「解ってる! ……解かってるさっ‼」 タカユキの方は、その声も表情も対照的だった。こんなに取り乱したタカユキを見たのは、何時以来だったかな……。「――これが、〝艦長〟としての俺の判断の結果だったってこともっ……!」
また沈黙があって、その後のタカユキの声は、もう嗚咽の様だった。
「だから……俺が…迎えに…… いや――」 大きく頭を一つ振った。「俺も……」
――ダメ……‼
わたし……
――それは望んでない……
わたしは、そんなタカユキに近付くと、その背から腕を回した。
そしてそっと抱きしめて言った。
「…やめて……」
そんなこと、望んでないよ……
タカユキの体温を感じる。
ぴく、とタカユキの大きな背が、反応したように思えた。
タカユキの腕を伝うようにして、わたしはわたしの手をタカユキの手に重ねる。
こんな形で、全部放り出しちゃうのはよくないよ タカユキらしくない……。
手の温もりが愛おしかった。
――少しだけ、想いは叶ったのかな……。
ここまで、帰ってこれた――。タカユキの隣まで。
タカユキに落ち着きが戻ってきたようだ。
名残おしいけれど、もう行かなくちゃいけないのがわかる。
自分が薄くなっていくのがわかる。
わたしの〝意識〟が、ここから遠のいていく――
わたし……最後に、〝わたしの艦長さん〟の背中を押してあげられたら、いいかな……。
――タカちゃん……
――〝生きて〟……
*
…………。
――お父さん……? お母さん?
ごめんなさい…… わたし、帰れなくなっちゃった……
――死んじゃう……みたい……
〝死ぬ〟んだ…… わたし……
――‼
嫌だ……‼ わたし…… 死にたくない!
もっと生きたい! 生きたいよ……っ‼
――おかあさん…… タカちゃん…… 助けて! 助けてよっ‼
わたし、死にたくなんか……ないよ……――




