かえる道
かえる道
そこは何処へかえる道
今年も暑い夏、真っ赤な夕焼けに照らされた街並を歩くとあの事を思い出す。
友と故郷を失ったあの夏の出来事を。
S県あじさい村、母方の故郷があるその村は社会の変化から取り残された情緒ある村であった。
寂れた田舎の農村といった訳でも無く、果物や畜産は有名であり若い就農希望者が移住してきていた。
小学生である私は普段見ることの無いトラクターやコンバインなどの農機具を物珍し気に見ていた。
「よう来たの。」
祖父と祖母は日焼けした顔で私を迎えてくれた。
夏場は父方の実家にいくことが主だった私は、その顔が新鮮であった。
「はぁ。」
母は溜息交じりに実家の戸を開け勝手に入って行く。
普段は明るい母が憂鬱な顔をするのは珍しいが、夏バテしている位に当時は思っていた。
今にして思えば、母の溜息がこの後に起こることを暗示していたのかもしれない。
「美津子、この子にあの事を教えたとか。」
家族で食べる夕食時、祖父は母に尋ねた。
「まだ言っていない。」
母は小さな声で言った。
「そうか。なら説明せんといけんね。」
「なんの話。」
「それはな」
「蛙の滝は知っているでしょ。いま、あそこに近付いたら駄目よ。」
祖父が何かを話そうとした時、母が怒気交じりにそう言った。
私はいきなり母が大声をあげたことに驚いた。
「ほら、もう夕食食べ終わったのでしょ。お風呂沸かしてあるから、入った入った。」
母に強引に促される形で私はお風呂に入ることにした。
「見ん顔やね。どっから来たと。」
私が家の近くを散策していると、知らない少年が声を掛けて来た。
聞けば、親の移住と共にあじさい村に来たとのことだ。
感化され易い性格らしく、既にこの村の放言に染まっている。
「何処か行きたいとこあると。」
「あじさいキャンプ場。」
冬場に帰郷する時、最寄りの山にあるキャンプ場によく行っていた。
あじさいキャンプ場は冬キャンプ用に焚火の施設が充実しており、よく家族で焚火を囲って過ごした。
夏場は暑く、バーベキューをやって騒いでいる人が多いらしく母から反対され、今回はキャンプ場で過ごすことは無くなった。
私は夏場のキャンプ場を一目だけでも見て見たかった。
家から歩いて一時間程度で行ける。
「良かね。」
少年も賛同し、二人であじさいキャンプ場に行くことになった。
「今日も人が多か。」
あじさいキャンプ場はバーベキュー客でごった返しており、肉の焼ける匂いで臭かった。
冬場の静かな雰囲気とは全く違うものである。
キャンプ場に来るまでに、私は少年と仲良くなっていた。
少年の名前は智樹君と言い、智樹君は私と同い年であった。
「智樹じゃないか。」
バーベキュー場を智樹君と歩いていると、子供達が声を掛けて来た。
彼彼女等は智樹君と同じ学校の生徒達で、親に連れられバーベキューにやってきたそうだ。
智樹君の親は今で謂う所のビーガンで、バーベキュー場に来ることはないそうだ。
「お前も食べるか。」
「有難う。」
智樹君は差し出された串を喜々として受け取り、貪り食べ始めた。
私にも食べるか聞かれたが、昼を多く食べていたので遠慮した。
それから、バーベキュー場で談笑を始めた。
「夕暮れ盆の帰り道を知っとっと。」
「勿論。」
子供達で卓を囲んで談笑していると、その話が出て来た。
「なにそれ。」
私は子供達に尋ねた。
「この時期、夕暮れ時に蛙の滝から村に戻ると神隠しに遭うってオカルトたい。」
私は昨日、母から言われたことを思い出した。
「今から皆で行こうかって話をしていたとこよ。」
子供達は盛り上がっている。
私もなし崩し的に参加することになった。
ここで今でも参加したことを後悔している。
「涼しいね。」
バーベキュー場から蛙の滝までは徒歩で三十分、流量の少ない滝であるが、水場ということもあり涼しかった。
蛙の滝自体は地元の人間しか知らないスポットで蛙の鳴き声が静かに響き渡っている。
滝の下の水場には、緑色の苔が生えた岩の上を蛙が鎮座しており、都会には無い光景であった。
「そろそろ村に戻るか。」
智樹は腕時計の時間を確認して、戻ることを告げる。
時刻は夕方5時、村に着くのは6時を超えるだろうが、陽が落ちることは無い。
夏場なら、7時を越えても陽は落ち切っていない。
子供達はかえり道を歩いていく。
土地勘のある地元の道だ。迷うことは無い。
石畳で出来た山道には蛙の鳴き声が木霊する。
真夏とは思えない程涼しい。
子供達は辺りをキョロキョロと見渡す。
「どうしたの。」
私は子供達に何かあったのか尋ねた。
「ここの道、いつもと違う。」
数回しかきたことの無い私には分からないが、地元の子供達は違和感を感じていた。
蛙の鳴き声が静かな山の中で鳴り響く。
緩い傾斜のある山道は先が分からず、土地勘の無いものにはどれだけ進んでいるのか正しく把握できない。
一斉に子供達は後ろを振り向いた。
後方から大勢の足音が聞こえたのだ。
子供達はその場から動けずにいると足音がどんどん近付いてくる。
「ゲコッ」
気が付くと目の前に体長1メーターはある巨大な蛙がいた。
それだけ大きければ恐怖を感じると思うが、不思議とそれはない。
巨大な蛙を見て呆然としていると、足音は私たちに追いついた。
足音の正体は大勢の人たちであり、老人の比率が多いが老若男女いる。
巨大な蛙が動き出すと、それに釣られるように大勢の人たちも後を追う。
私はどうしたらよいか分からず、他の子たちに話掛けようとするが、他の子たちは大勢の人たちの後について歩く。
それから、私も無言で歩きついていく。
蛙の鳴き声は先程よりもけたたましく鳴いている。
「あんた達、何処へ行っていたの。」
気が付くと、私たちは村についていた。
ただ、私たちが蛙の滝に行った日から三日が経っていた。
呆然自失としていると、各親たちが子供を引き取って家に帰り、私も親に連れられ、祖父母の家に帰った。
私たちと一緒に歩いていた大勢の人たちの姿はそこになかったのが気になった。
「行ったんか。」
私が、蛙の滝から帰ってくる道すがらで起きたことを話すと、普段は優しい祖母が大声をあげる。
母は血の気が引いた様に青い顔をし、父は何が起きたのか分からないといった顔をしている。
「間違いない。蛙様が現れた。」
「お義父さん、蛙様とは何ですか。」
祖父が言った蛙様という言葉に父が反応する。
「そうか。君には話したことが無かったな。分かった。」
祖父が蛙様について話し出す。
「蛙様様はこの土地の神様ともあの世の遣いとも言われている。
特に何かをする訳でもなく、普段はわし等を見守っている。
ただ、お盆の時期、村の死者がこの世に帰って来た時、
その引率をしている。
この世に帰って来たものをあの世に返す。
かえす神がいつの頃からか、かえる神となり、蛙神となった。
元々、蛙の姿だったから蛙神という説もある。
蛙神様と死者が通る道はかえり道と呼ばれているが、
偶然、村の住人がかえり道に迷い込むことがある。
蛙神様と死者があの世に返る時は良い。
だが、もし蛙神様と死者があの世からこの世へ帰る道程だったら最悪だ。
蛙神様から死者と間違えられ、そのままあの世へと連れていかれる。」
祖父が一呼吸置く。
「大変だ。向田さんところの慶太君が倒れた。」
チャイムが鳴り、対応すると隣家の松本さんが勢いよく入ってきた。
慶太君は一緒に蛙の滝にいったメンバーの一人だ。
「痣は、痣はあるとか。」
祖父が松本さんの肩を揺らしながら聞く。
「それが全身にびっしり浮かんできたらしい。」
松元さんは青い顔で応える。
「お義父さん、痣とは何のことですか。」
父が祖父に詰問する。
祖父と松本さんの態度から尋常ではないことが起きていると察したからだ。
「蛙神様が、生者を間違えてあの世に連れていくと言っただろ。
あの世に連れていかれるのは魂だけだ。
その際、残った肉体には蛙の足跡の痣が体中に残る。
慶太君は蛙神様に連れていかれた可能性が高い。」
「父さんとお爺ちゃんはちょっと外に出る。」
父と祖父は足早に家を出て、私は留守番となった。
不安になった私は母の元へと向かう。
「母さん、祖母ちゃん何をしているの。」
二階の一室にいた母と祖母は神棚に向かって呪文の様なものをつぶやいている。
「ちょっと後ろ向き。」
祖母は私の背中に何やら貼り付けた。
「今夜はそれを絶対に剥いだら駄目よ。」
母は私にきつく言う。
私は何が何か分からず、ただ頷くだけであった。
「かえる道に遭うたのはこん子達か。大変なことになった。」
肝試しにいった子供達はお寺に集められると、袈裟姿のお坊さんがいた。
「和尚さん、今回は一人二人ではなか。どげんかならんと。」
村長がお坊さんに問うた。
地元では和尚さんの愛称で呼ばれ、慕われている。
「仏様にお願いして、この子達を守って貰う。」
お坊さんは、観音菩薩の前で念仏を唱え、子供達はその後ろで控える。
ケロ、ケロケロ
蛙の鳴き声がお堂に木霊する。
いつもは特に気にもならないその鳴き声が、その夜は不気味に聞こえた。
一人の子供達が倒れ、その体には蛙の足跡の痣が浮かんでいる。
目の前には蛙の滝で見た体長一メートルはある蛙が鎮座する。
次は私の番なのだろう。
蛙は大きく口を開け、舌を伸ばす。
私の顔の横を通り過ぎると、舌は何かを掴み、そのまま呑み込む。
そこで私は気を失った。
朝が開けると、お堂に光が差す。
「ごめんな。助けてやれんかった。」
お坊さんは泣きながら、既に息をしていない子供を抱きしめる。
今回の件で三人の子供が亡くなった。
「蛙神はあの世にかえった。今年はもう大丈夫ばい。」
村中の人が集まった寺の中、お坊さんは事の顛末を話し始める。
蛙神の行っていることに悪意はなく、仏様でもどうにもならなかった。
全員が連れていかれなかったのは単なる偶然である。
来年以降はどうなるか分からない。
同じ様にかえる道に迷い込んだ人で大往生した人もいれば、翌年亡くなった人もいるそうだ。
「あんたはもう来るな。」
最期に私はお坊さんに呼び止められ、そう言われた。
「あんたは、あの家系の子供やん。」
お坊さんの言うことに具体的なことは差支えられていたが、私は心当たりがあった。
私はもうこの地に来ることは二度とないだろう。
その年、祖父母は家と田畑を売り払い、他県のマンションに転居した。
蓄えは多いらしく、悠々自適に今も暮らしている。
定番ホラー風に書いてみました。
ネタバレしますと、主人公に貼られたお札は呪いのお札で、悪霊に憑りつかれます。
蛙神さまは主人公を発見した際、悪霊も併せて発見します。
悪霊に憑りつかれている=生きた人間なので見逃して貰えます。
邪悪な悪霊は食って、あの世へ連れていきました。
蛙神さまは善神です。ただ、生きた人間と死んだ人間の見分けは殆どつきません。
祖母と母は呪術師的な存在で、今回登場したお坊さんとは対立関係にあります。
祖父母が引っ越したのは利己の為に悪霊を呼び寄せたので、実家に悪霊が寄り付き易くなったためです。
最期まで読んで頂き有難うございます。