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 ロビンは、ほんとうは従僕などではない。ロビンという名すら、彼のものではなかった。身分と名を偽り、屋敷に潜りこんだのは、シフの指摘するとおり、単なる好奇心からだ。

 発端は、友人のひとことだった。

 曰く「さいきん、うちの若いやつらに片端からエンマルク公爵が声をかけている」と。

 王都で近衛騎士団長をつとめる友人は、公爵が娘の従僕もとい騎士を探しているらしい、だが、そのせいでいざこざが増えて困ると、ぼやいた。

 公爵令嬢の騎士を立派につとめあげれば、箔がつく。それを狙って、多くの若者が公爵の言うなりに令嬢の元に赴くのだが、若者がうつくしい令嬢についつい恋情を抱いたとたん、公爵は悪い虫とばかりに彼らを解雇してしまうのだと言う。

 公爵家から騎士団に出戻った彼らは、令嬢の容姿を称え、自分こそ彼女に好かれていたのだと胸を張っては相争うらしい。

 話を聞いたロビンは、ぜひとも、その令嬢に会ってみようと考えた。けれども、相手は公爵令嬢だ。社交の場にも出てこない貴族令嬢に、自分から「会いたい」などと口にして呼びだせば、たちまち外堀が固められ、ほんとうにうつくしいのかどうかもわからぬその令嬢と婚約、結婚の運びとなってしまうだろう。それならば、こっそり見にいってしまおう! というのが、今回の潜入作戦の顛末だ。

 顔だけ拝見した後、執事にでも令嬢への恋心を訴えれば、すぐにも解雇してもらえるだろうという甘い考えもあった。

 ほんとうは、令嬢の顔を見るだけがこの出奔の目的ではないのだが。

「──我が君。いかがなさいました」

 いささか強く声をかけられて、ロビンは我に返り、どうしたものかと額に手を当てた。

 ソフィアのうつくしい顔かたちにこころ惹かれたのなら、まだよかったのだ。ロビンの脳裏に焼きついていたのは、まったく別の情景だった。

 『宝島まで二千ファーリ』の海賊の頭領に扮して、あんなに楽しそうにしていたソフィア。その後の公爵令嬢として文句なしの楚々としたふるまいと、従僕の手など借りないとロビンの申し出を突っぱねたときとの激しい落差。海賊物語について話が合ったよろこびに、頬を真っ赤にして、自分に肯定のことばを投げかけてきたときには、正直、男としてこころが震えた。

「本。」

「は?」

「本が欲しい。装丁の特別うつくしいヤツを探してくれ」

 命じたロビンに、シフは深い嘆息で応えた。

「またぞろ悪いクセが出てまいりましたか。……いいですか、いくら公爵令嬢でも」

「うるさい。『人魚姫』の本を至急、調達してくれ」

 幼いころ、母がよく読み聞かせてくれたなじみの童話が、ソフィアの本棚には見当たらなかった。それを思いだしてのロビンのことばに、しかしながら、シフの反応は悪かった。

「にんぎょひめ? 人魚とは、あの醜悪な魔性でしょうか? どこをどのように間違うと、あのようなものが姫になるのですか」

「嘘だろ、知らないのか? シフ、おまえ使えないなあ」

 ロビンは王都の書店をくまなく探して、早々に本を届けさせるよう、シフに念押しするや、一方的に会話を断ち切った。そればかりか、シフの視界を媒介していた襟飾りを外し、胸ポケットに押しこんでしまった。これで、この先、不用意にのぞき見されることはない。小言の多いお目付役から逃れて、ロビンのプライバシーは守られたわけである。

 いくらシフの術で影を残しているとて、いつまでもひとの目を欺き続けることはできない。次の目的地に到着すれば、ロビンが挨拶しないわけにはいかない。保って数日と言ったところか。その期限は、ロビンも承知している。それでも、数日でいいから、傍でソフィアを見ていたいと思った。

 そう、できたら、また自分のまえで、あのきらきらした表情をみせてくれたら。間近でそれを目にすることが叶うなら、もうそれだけで満足だ。真っ白でなめらかな頬を紅潮させ、うるんだまなざしの奥、瑠璃色の虹彩に星を瞬かせて、かわいらしいくちびるからほとばしるのは、海賊船の船長のセリフ!

「もっと、見ていたい子なんだよなあ……」

 シフの言う『悪いクセ』が具体的に何をさすのかは知っている。見当違いだと、指摘したことはない。周囲に女性の影が多いのは、もはやお家芸だ。父が何人の妾を囲っているかを考えれば、こうして自分が相手に指一本触れずに妄想にふけるくらい、かわいいものだろう。

 新しい本もシフに手配を頼んだことである。さあ、自分はまたソフィアの元に戻ろうかと、くるりときびすを返したそのときだ。

 ぶおおお、ぶおおぶおお──と、低く空気をふるわせて、何かが鳴り響いた。ラッパか何かの音? いや、それにしては低すぎるし、音も太い。

 音はすぐにやみ、しばらくして再開する。二度目が鳴りはじめたあたりで、廊下を歩いてくる人影に気がついた。ずんぐりとしたからだを揺らしながらやってきたその中年女性は、ロビンに気がつくと、おや、という顔をした。

「あなたがロビンどのですね。ちょうどよかった。いっしょにいらしてくださいな」

 気安い風で言い、女性は廊下を奥のほう、ソフィアの居室へと進んでいく。途中で侍女も数人、一行に加わり、大所帯になった。近づいていくにつれて、例の音はソフィアの部屋から聞こえてきていることがはっきりとしてくる。

「この音は、楽器ですか?」

「そうですね、笛、でしょうか。外つ国では鬨を上げるときに使うそうですよ。ソフィア様がいたく気に入られて、緊急でひとを呼びたいときに、これをよく使われるのです」

 困ったように微笑んで、女性は部屋の前に立ち止まった。いまだに鳴り響く笛の音に、小さく嘆息する。

「ソフィア様にとっては、これも開戦の合図なのでしょうね」

「え?」

「きっと、すぐにロビンどのにもおわかりになります。さ、参りましょう」

 ノックの後、ドアを開ける。窓辺の椅子に腰掛けていたソフィアはふりむいて、手にしていた異様な楽器(?)を膝におろした。

「やっと来たのね、マーサ。だれかいらしたわ。先触れの者が走っています」

 窓から湖畔を指さして、ソフィアは真っ赤になった顔をぱたぱたと手で仰いだ。健康的に赤みのさした肌には、うっすらと汗がにじんでいる。

 ロビンは楽器の見た目に圧倒された。ソフィアの小作りな頭よりも二回り以上大きな巻き貝である。尖った先には、歌口がつけられ、ここから息を吹き込むのだろうとわかる。だが、音の操作はできそうもない。

 ロビンの視線に気がついて、ソフィアは巻き貝をさしだしてよこした。

「ホラガイと言うそうよ。面白いでしょう? 異国の海賊が吹いているシーンがあってね、どうしても気になって探させてしまったの」

「旦那さまはソフィア様には特別、甘くていらっしゃいますからね」

 苦笑して、マーサは窓枠から少し乗りだして外を見た。

「毎度毎度、ほんとうによくお気づきになりますわねえ。ああ、よかった。あの者は、旦那さまのおつきです。お父さまのお帰りですよ、ソフィア様。……あら?」

 つぶやいて、眉を寄せ、遠くに目をこらすようなしぐさをする。

「大変! お客様もおいでですよ、ソフィア様!」

 主からホラガイの吹きかたを教わっていたロビンは、マーサのことばに顔をあげた。彼女の肩越しに見れば、確かに、二台の馬車が前後に並んでこちらにむかってきている。

「お嬢様、申し訳ありません。私どもは急いで階下に来客を伝えてまいります」

「そうね、そうすると良いわ、マーサ。あなたがたも手伝ってきてちょうだい」

 許しを得ると、マーサと女中が数人、そそくさと退室していく。それを見送って、ソフィアは笑った。

「マーサはね、もとはわたくしの乳母だったのよ。いまは、女中頭を任されているの」

「女中頭ですか! 道理で俺の名前を知っているはずです」

 ソフィアと話を合わせながら、ロビンは内心の焦りをどうにか押さえ込む。

 公爵には、以前に会ったことがある。今日は、眼鏡をかけただけの変装だから、正体を見抜かれる可能性もないではない。それだけでも心配だが、客人が王都の人間で、さらに面識があるとなれば、危険はもっと差し迫ったものになる。

(はてさて、どうしたものか)

 慣れない眼鏡がずり落ちてくるのを指で押し上げ、ロビンは思案をめぐらせていた。

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