三十一
「それは、どこで手に入れました?」
指さされたものを首から外して、ついでにポケットのなかみもすべて出して、エラは両手で捧げ持つように女性の前にさしだした。特に説明はしなかったが、そのことは問われなかった。
女性はいくつか示されたもののなかから、指輪と襟飾りとをつまみ上げ、眼前で光にかざすようなしぐさをする。
「ふぅん……、我が君は例のご令嬢といっしょなのですね」
つぶやいて、さらりと裾を翻す。視線がこちらをむいているわけでもないのに、背中に気圧される。女性はエラから受け取った品々を手入れするようにと使用人に言いつけると、肩越しにこちらを半身ふりかえった。
「わたくしは、あなたの預かった襟飾りの主にお仕えしている者です。聞かせてもらえますか、こちらの方々はどちらに向かわれました?」
「グリーズ号に乗っていましたが、海賊船に囚われて、どこかへ連れていかれました」
「グリーズ号は?」
「沈められました」
はぁぁ、と深いため息をついて、女性は気怠げに軍人のひとりを近くに呼びよせ、グリーズ号の航路を知っているかと尋ねかける。
「くわしくは。ですが、次の停泊地は存じております」
「では、最短の経路を導き出し、いますぐグリーズ号を追いなさい。早くしなければ、死人が増えます」
女性はエラへの質問だけでなく、軍人への説明も極力省いて、手短に指示を出すや、エラに向かってうっすらと笑んだ。
「あなたのおかげで行き先も決まりました。ところで、我が君は海賊に囚われたとのことですが、繋がれておいででしたか?」
改めて聞かれると、自信がない。少なくとも、ソフィアには何の枷もかけられていなかったように思える。だから、手足の自由はあったのでは?
このエラの返答を聞いた女性は、ふぐぅ、と妙な声をたてて顔を覆い、背をよじって震えた。おおげさな身ぶりに何かからだの不調でもと、こちらも慄いたが、居並ぶ使用人らの平然としたようすを見るに、これは心配には及ばないらしい。
女性は顔から手を外し、心底情けなさそうな表情をして嘆いた。
「いくら海賊がお好きだからと言って、捕まってもいないのに襲撃犯と同じ船に乗らないでくださいまし、我が君ぃ! うかつに砲撃できないではありませんかぁああッ」
突然の発狂具合に、ひぃッ、と身を引いたエラの背を、使用人の年配女性が慰めるようにそっと撫でる。物言わぬ仲間の存在に勇気づけられ、エラはなんとか本音を露わにせずにすんだ。
「ひとまず、あなたの知るかぎりのことは部屋でうかがいましょう」
発狂したかと思えば、すぐさまキリッと切り替えてきた女性に対し、使用人がこれまたきっぱりと言い返した。
「シフさま、おことばではございますが。一刻も早く殿下のお話をうかがいたいのは存じておりますが、まずはこの娘を着替えさせておやりになってくださいませ。貴重な品を持参した殿下の御使者をずぶ濡れのままにはさせておけませんね? 殿下の御為に誂えたばかりのせっかくの調度も傷みますよ?」
まるで子どもに言い聞かせるような口調で諫めた使用人に、シフは不満そうにくちびるを尖らせて、つんとそっぽをむいた。
「なるべく早く身支度してください。待つのは嫌いです」
そう言うなり、よそへ歩き去っていくシフをぽかんとして見送っていると、使用人たちがこぞって同情したような顔でエラをみた。
「何時間か捕まるぞ。いまのうちに腹ごしらえをしておくといい」
「葡萄酒以外に、子どもの飲めるものがあったかしら」
「あたしの着替えなら、帯で調節すれば着られそうだよ」
使用人たちは口々に言い、エラを大部屋につれていくや否や、みんなで寄ってたかって身支度を手伝ってくれた。自分自身は手持ち無沙汰になってしまったエラは、見るともなしに朝日のまぶしい窓の外を見つめた。
海原は果てしないが、この船はどうやらグリーズ号よりも船足が速そうだ。シフの人物には若干の不安があるが、軍人も、きちんと彼女を諫めてくれる使用人もいる。このまま、グリーズ号の航路をたどっていけば、やがて海賊船も見つかるはずだ。
ソフィアの従僕を指しているだろう『殿下』という呼び名は、エラにしてみれば大層不穏な響きだったが、いまそのことを気にしていてもしかたがない。『殿下』が自分から海賊船に乗り込んだかどうかも、大勢には影響しない。
ソフィアたちに預けられたものをシフに届けることで、自分の役目は無事に果たせたようだ。
エラは安堵に崩れ落ちそうになりつつも、いま少しの辛抱だと眠気を追いやり、乾いた服に袖を通した。
小舟から投げ出されて、どこかへしたたかからだを打ちつけたと思ったら、ソフィアは全身、水の中にいた。
目に違和感がある。視界がぼんやりして見通せないことに苛立つ。海水を吸ったらしく、鼻の奥が猛烈に痛んでいた。むせそうになったが、いま口を開けてはいけないと、どうにか思いとどまる。
天地もわからずにあたりを見回したが、ぼやけた視界のせいもあって、どちらが水面ともつかない。
──とにかく、明るいほうへ行かなければいけないわ。
手で水をかくも、陸よりもなお、思いどおりにはいかない。苦しさに焦り、からだごと前に乗り出した、そのときだった。
ぐん、と、見えるものが変わった。水が勢いよく肌を流れていく。
──やっと見えた! 水面はあちらだわ!
ほの明るいほうを目指して、ソフィアは無我夢中で泳いだ。飛び出すようにして海面に顔を出し、思うざま深く息を吸い、波をかぶってむせかえる。顔に貼りついた琥珀色の髪をよけて、あたりを見回す。
むこうには二隻の船が見えたが、自分たちの漕いできた小舟はどこにも見当たらない。そればかりではない。ローベルトの姿も、どこにも無かった。
血の気が引く。彼は、まだこの海のなかにいるというのか。もう一度水中に戻ることに、ためらいはいささかもなかった。
ふたたび、水に潜る。先程とは違い、水のなかがどこまでも遠く見通せた。からだも自由だった。腕で行きたい方向の水をかきわければ、ソフィアは驚くほどの速さで泳げた。
ローベルトは近くにはいない。では、もっと深みに沈んでいったのだ。ソフィアはからだを波打たせるようにして、深い海の底を目指した。呼吸の苦しさは、いつしか薄れていた。いぶかしく思い、見上げると、ソフィアの腰から下に、あの感覚もないただのお荷物のような足はなく、魚のようなひれが見えた。それはドレスの裾から、ちらりちらりとのぞいては、銀の鱗を煌めかせていた。
ソフィアは、人魚になっていた。呪いのために動かないはずの足は、やはり、人魚の末裔の証であったのだ。こんなせわしいときでなければ、きっとどんなにか感慨深いできごとであっただろう。
求めるひとは、まるで寝転ぶような格好をして、海の底へ向かっていた。目は伏せられ、意識はなく、四肢は投げ出されている。傷ついた肩口からは、薄煙のように血がたなびいていた。
──ローベルト!
ソフィアは飛びつくようにして彼の脇の下をうしろから抱えると、急いで水面に浮かび上がった。空気にさらされれば目を覚ますかと思ったが、ローベルトの顔は青白く、まぶたは閉じられて、海色の瞳がソフィアを見ることはない。肩口の大きな傷から滲んだ血は、流されずにじわりと服を汚す。
確実に、彼の命の火は消えかけていた。




