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二十八

 ──気づかれても当然か。

 いつから気付いていたのかはわからないが、腹芸のできなそうな彼女にしては、ここまでよく隠しおおせたほうだろう。

 ローベルトは、ソフィアの手を離し、微笑んだ。

「ローベルトと申します。王族の端くれです」

「王族が従僕やってんのか」

「彼女のうわさを確かめに屋敷に潜り込んだら、家出を手伝わされたんですよ」

 くだけた物言いで返すと、ヘンドリクは目を細めるように笑った。

「なるほどねえ。入れ込んじまったってワケか。……で、教えてなかったんだな?」

 顎先でソフィアを示されて、気まずいながら首肯する。

「素直で純真で、隠しごとにはむかないひとですから」

 ソフィアは、自分のことを言われたのにもかかわらず、ほとんど反応もしなかった。うつむきがちの整った顔は、人形のように感情の波を感じさせない。

 怒っているのかと思ったが、ゆっくりとまばたきをして顔をあげた彼女は、ローベルトの目を見て、また悄然と下を向いた。沈黙を嫌うようにヘンドリクが膝頭を叩き、立ち上がった。

「ひとまず、あんたがたは寝たがいいな。寝台は好きに使え。同じ部屋で平気か?」

 こちらの身分を知ってもなお、変わらずに接してくれようとするヘンドリクに頭の下がる思いを抱きながら、自分に向けられた問いかけにうなずきで返す。

「ヘンドリクどのは、どうなさるの?」

「下の船室で、吊り床の空きでも探すさ」

 彼が律儀に答えて部屋を出ていくと、ローベルトは跪いていた場所から立ち上がり、ソフィアに寝台を使うよう促した。だが、ソフィアは首を左右に振り、らしくもなく貝のように押し黙ったまま、深く息を吐いた。

「隠していて、ごめん」

「殿下のなさることに間違いなどございませんわ。わたくしは家を出るべきではなかったのだと、思い知っただけでございます」

 尊称をつけられて、ていねいなことばづかいをされるだけではない。ソフィアはきっぱりとローベルトとのあいだに線を引いていた。目を合わせないのは、感情を見せないようにしているのはきっと、それが王族に対して礼を失する行為だと思っているからなのだ。

 衝撃を受けた。あの、きらめく星空の瞳も、はしゃいだ笑顔も、見せる相手は海賊物語好きの従僕のロビンであって、王太子のローベルトではないのか。

「それは、どういう意味? 海賊に襲われたのは、そりゃあ予想外だったけど、それまでは、ソフィアが楽しく過ごせたんだと思ってた」

 ソフィアは、くちびるを噛むしぐさを見せたが、それも瞬きするほどのあいだだった。床を見おろして、身じろぎもしないで、彼女はひとこと、静かな声音で言った。

「王弟殿下の求婚をお受けすべきでした」

 その声に籠められた悔恨に、胸をえぐられるような心地がして、ローベルトはこぶしを握った。

 ──マーティアスに嫁げばよかった? あんなに嫌がっていたじゃないか!

 窮地から、愛らしいひとを救い出したつもりでいた。執事も公爵も、後押しをしてくれているのだ、自分は英雄の役目を与えられたのだとばかり思っていた。違ったのだろうか。

「……少し、外の風に当たってくるよ」

 言い残して、ローベルトはヘンドリクを追うように部屋をあとにした。夜風はひやりと高ぶった感情を撫でていくが、それでも、やり場の無いこの思いは、すぐには収まりそうになかった。



『王弟殿下の求婚をお受けすべきでした』

 そう口にしたソフィアとて、王弟を愛せるとは思えなかった。こころを開くことのできる相手には、生涯かけても、ならないだろう。そうと知りながら、しかし、口にせずにはいられなかった。

 自分で口にしたことばに刃をむけられるのは、これで二度目だ。そのどちらもが、ローベルト相手のことばだというのが、なんとも皮肉だった。

 建国王ローベルトと同じ名を持つ存命の王族を、ソフィアはひとりきりしか知らない。彼が王太子であるならば、ソフィアとの縁はこれまでだ。彼のためには、港町で土地の領主に助けを求めるべきだ。足の不自由なソフィアは、『呪い』を解くこともできずに短い旅を終え、社交界に出ることのないまま、あと数年の寿命を領地に籠められて全うし、彼はどこか他の国のうつくしく健康な姫君を妃に迎える。すべては、彼と出会う前に戻る。

 そう考えたとき、ソフィアは取り返しのつかない自分の過ちに気がついた。フーヴル・パルクを抜け出さず、運命の流れのままに王弟に嫁いでいれば、彼女と王太子とは、義理の叔母と甥になったのだ。きっと、顔を合わせる機会も、親しくことばを交わす機会も得られた。

 海賊物語について話を弾ませ、ともに笑い合える未来は、あちらにしか見えなかった。

 ──あんなひとの妻にさえなりたいと思うことがあるだなんて、考えもしなかったわ。

 ほんとうに側にいたいのは、ローベルトだ。彼しか考えられなかった。それなのに、ソフィアの前には、彼に通じる道がない。彼に近寄れる道さえ、自分で塞いできてしまった。そのことに絶望する。

 ソフィアは両手で顔を覆った。てのひらが熱く濡れた。手首から肘まで流れたしずくは、膝先に落ちて、雨だれのような音をたてる。

 ──王に見放された人魚は、こんな気分だったのかしら。魚のひれを捨て、家族を捨て、一所懸命に愛するひとの側にむかったはずなのに、この足のせいで最後の一歩が届かないだなんて。

 足が動かなくとも腕がある。進む気さえあれば、這ってでも進める。それが信条だった。けれども、ソフィアの自由にならない場所は、どうしたってあるのだ。

 涙は、すぐに出なくなった。

 欲しいものが手に入らないと言って、泣き続けるのは性に合わない。

 ──港町に行けばおしまいだと言うなら、行かなければいいのよ!

 ぐっと手を握って、ソフィアは首をうなずかせ、杖を取った。寝台に向かい、少し迷って、ドレスのままで足を滑り込ませる。

「『睡眠と食事は、取れるときに取る!』」

 自分に言い聞かせて目を閉じると、よほど疲れていたのだろう、睡魔は程なくしてやってきた。

 翌朝、物音で目覚めたソフィアは、部屋の絨毯にうつ伏せになってローベルトが眠っているのを見つけて、些細な失敗に気がついた。王太子から寝台を奪ってしまった。

 過ぎたことは取り戻せない。気持ちを切り替え、自分でできるかぎりの身繕いをかんたんに済ませて外へ出ると、甲板には男たちがひしめいていた。

 一段高いところにいたヘンドリクは、ソフィアが場に現れたことに気づき、大声でよばいながら手招きする。そのとたんに、ざざっとひとが引いて、道ができた。そこを杖をつきながら進むと、ヘンドリクに抱き上げられ、木箱に乗せられる。戸惑ったが、胸を張り、ぐるりと海賊たちの顔を見渡してみる。

 意気込むソフィアの頭にぽんぽんと手を置いて、ヘンドリクは、口々にはやしたてようとする手下らに話しかけた。

「昨日の晩に伝えたとおり、行き先を決める! 選択肢はふたつだ。港町にこのお嬢ちゃんを下ろし、獲物の換金に向かうか、それとも島に向かうか!」

 挙手で決が採られ、行き先は即座に決まった。集まったほぼ全員が、港町のほうに手を挙げたからだ。小さくうなずいたヘンドリクが行き先決定を告げるためか、口を開こうとする。

 それを遮るため、ソフィアは一度、奥歯を噛んでから、腹にぐっと力をこめた。

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