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二十五

「よし、わかった。半刻やる。そのあいだにやりてえことはすべて済ませろ。ただし、俺たちは手を貸さねえし、手に入れたものは返さねえ」

「ありがとう存じます、ヘンドリクどの!」

 本心から微笑みかけると、ヘンドリクは面食らったような表情で顔をそむけ、怒鳴るように弟分の名を呼ばいながら、船長室を出ていった。

 船長もグリーズ号の置かれた状況を理解して、一目散に船橋(せんきょう)にむかっていく。

 彼らを見送って、ローベルトはほっとしたようすでソフィアの側にやってきて、深々と頭をさげてよこした。

「助かりました。お嬢さんに邪魔されたら、うまく伝えられないところでした」

「隠しごとをするのも大概にして頂戴。それに、いくらなんでも綱渡りが過ぎるでしょう。意図が読めなくて、さすがに肝が冷えたわ」

 ぼやいたソフィアに、くしゃっとした笑顔を見せて、ローベルトは頬をぽりぽりとかき、考えをめぐらせるように天井を見上げた。

「どこから話すか迷いますね」

「すべて聞かせてくれて構わなくてよ」

「それは困るなあ。お嬢さんの身の安全を思えば、国家機密までは話せない」

 予想外の返答に目を瞠ると、ローベルトはこちらの反応にほんとうに困ったような顔をした。

「陸ではもう、公になっていることだけ話せばいいか。──俺、コスタ・デ・サラームで行われた式典に出るはずだったんで、いろいろ知ってたんですよ。式典は、新型軍艦のお披露目っていう体ですけど、その実、王太子のお披露目も兼ねてたんです。で、王太子が新型軍艦の艦長になるので、新型軍艦は早々に手柄を立てる必要があるわけです」

「その手柄が、グリーズ号の救出ということかしら?」

「確証はないですが、確信できる理由はあります。でも、この理由はおおっぴらには話せません。それと、海賊への依頼が実行されていたら、新型軍艦が到着した時点でグリーズ号は海の藻屑だったはずなので、手柄にするのは『グリーズ号を襲撃した海賊の討伐』じゃないかな」

「その依頼は、もしかして」

 言いさして、ソフィアは口を閉ざした。これ以上は不敬になる。もしもだれかに聞きとがめられれば、犯罪になるかもしれない。にもかかわらず、ローベルトは容赦が無かった。

「国が裏で糸を引いていると思います。国家ぐるみの犯罪行為でなければ、護衛船は消せません」

 自身の従僕がこうまで口にしては、自分ひとり黙っていても無駄だ。観念して、ソフィアは話を続けた。

「……魔術ね?」

「ご存じでしたか」

 ローベルトはやや驚いたようだったが、どうして知ったのかとは尋ねなかった。

「腐っても公爵家の娘よ。相応の教育は受けるわ。つまり、王太子殿下が手柄を立てる機会を、つい先程、わたくしたちが躍起になって潰したということになるのだけれど、認識に間違いはないかしら?」

「そういうことです。こんなことをされてもうれしくない」

「ロビンは、王太子殿下のお人柄をずいぶんとよくご存じなのね」

 ソフィアは嫌みのつもりだったが、ローベルトは素直に受け取ったらしかった。

「そりゃ、だれより知ってますよ」

 ──そういえば、ロビンは近衛騎士団長の親友だったわね。

 騎士団長だけではなく、王太子とも親交を深めているのか。ローベルトの身分がますますわからなくなりつつも、ソフィアはエラを海賊船へと連れていくために杖を取り、席を立った。




 ソフィアとローベルトが海賊に連れていかれるのを見たとき、エラはいまこそ役に立つべきなのだと悟った。自らが戻らなければ指輪をエラの母に届けるようにと、ソフィアは言った。見たこともないような細工のある高そうな銀の指輪だった。エラと二つ三つしか年齢の違わない主人は、年が近いことを忘れるほど、落ち着いたひとだった。

 主人の危急のときを親族へと知らせ、あるいは、縁起でもないことではあるが、形見の品として指輪を届けるのが自分の役目なのだろうと、あのとき、エラは理解した。だからこそ、ソフィアたちを身を挺して助けようとはしなかったし、海賊のひとりにローベルトのジャケットを奪われたときにも、なんとか気持ちを抑えることができた。

 ソフィアがレークリッカの町でローベルトにと選んでやったジャケットは、古着のわりに仕立てが良かった。買い物自体はおぼつかない令嬢だったものの、やはり、多くの良いものに触れてきたひとは目利きなのだなと、内心では舌を巻いたものだ。

 そのジャケットを、海賊はあっさりと奪っていった。もちろん、エラは抜かりなかった。預かってすぐに、ジャケットのポケットの中はすべて検め、中身は自分で身につけていた。眼鏡はスカートについたいちばん大きなポケットに放りこみ、そのほかの小物も、どうにか収納してあった。仕上げにソフィアの指輪を鎖に通したまま、首からさげて襟のなかへ押しこんだところで、海賊が食堂へ入りこんできたのである。

 ジャケットを奪われたとき、無謀にも抵抗しそうになったのを周囲の大人がこぞって止めてくれなければ、エラはいま、ここにいなかったはずだ。

 前を歩くだれかに続いて船尾へ出て、新鮮な空気で胸を満たして、エラは命が助かったことに安堵した。

 あたりは暗く静まりかえり、海賊たちの持つ灯りがなければ、足元に床があるかどうかもわからぬほどだ。ひとの足音だけが陰鬱に響いている。波間を走り抜けてきた風はスカートをばたばたとはためかせ、布地を肌に貼り付ける。

 風上には、陸地があるだろうか。それともここは海原のただなかで、陸などどこにも見えないのだろうか。どちらにしても、四方に人家らしき灯りはなく、見えるのは星ばかりだった。

 湖畔のレークリッカとは、風の匂いが違う。その風に押されて、波がしきりと船に打ちつけているようだ。水の跳ねる音とともに、船はゆりかごよりも緩やかに、のったりと左へ右へと傾いでいく。甲板に出たことで、船の揺れは、ことさら大きく感じられる。

「ほら、ぼさっとしない!」

 顔見知りになったばかりの女性に小突かれて、エラはあわてて前を追った。

 海賊の頭の気が変わったそうで、乗客も船員も解放され、船を下ろしてもらえるらしい。そう聞いたのは食堂でのことだったが、エラはいまだに半信半疑だ。それというのも、周囲に陸地が見えないからだった。こんな広い海のまんなかに置き去りにされるのと、人質にされるのとでは、どちらが生き延びやすいのだろう。

 てっきり、小舟にでも乗せられて逃げ出すものと思っていたが、列の幾人か前の女性が船員とおぼしき制服姿の男性から木切れを受け取り、悲鳴とともに船を飛び降りたのを見て、エラは信じられない光景に目を剥いた。

 先程から聞こえていた水音は、波音などではなかったのだ。あんなちっぽけな木切れを浮きにして生き延びろというのか。この船には、ろくに泳げない者も多いだろうに。

 事態を察したときには、逃げ道は無くなっていた。

 ひときわ強い風が、足元から煽るように吹く。からだが飛びそうになる。巻き上げられたスカートから、何かが飛んでいき、床を滑ってカシャリと音を立てた。

 あっ! と思ったが、声は出なかった。視界の端で、エラたちの動きを監視していた男が、きらりと光るものを拾いあげるのがみえたが、やはり何も言えなかった。

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