二十四
「新型軍艦だ」
「えっ?」
ローベルトが口にした単語の意味がわからずに、ソフィアは彼を見やった。彼は真っ青な顔をしていた。力んだようすに不安になる。
「コスタ・デ・サラームで、新型軍艦の観艦式があったんです。中止されていなければ、今日の昼に行われていたはずだ。あれなら、グリーズ号に追いつける。いや、あの船以外には、難しいでしょう」
「ロビン、どういうことなの? いくら新型といっても、船の速さなんて、どれもそう変わらないものではなくて?」
どうしてそんなことを、馬鹿正直に言わなければならないのか。ここには、海賊がいるのだ。もしほんとうにこれまでよりも格段に速い船があるのならば、その助けがくるまで黙っていればよいものを!
いま海賊船を動かされてしまっては、船腹に突き刺さった衝角が抜けてしまう。空いた大穴から海水が流れ込めば、グリーズ号は海底深く沈む運命だ。救命艇も無い状況では、乗員全員が生き延びる術はないだろう。
もしかして、彼にはさきほどの声かけの意味がわからなかったのだろうか。『宝島まで二千ファーリ』の内容なら、確実に伝わると思ったのに!
ソフィアは動揺して、従僕の口を塞ごうとまで考えたが、彼はまったくこちらの焦りに気づきはしないらしかった。
ローベルトは素直にソフィアの問いに答え、かぶりを振った。
「新型軍艦は、……蒸気船なんですよ」
押し黙っていた船長が顔をあげる。ソフィアはこの話題を終わらせたくてしかたないのに、考え無しの男性陣は止まらなかった。
「蒸気船? まだ不安定な技術だと聞いておりましたが、大型船での実用化がなされたのですかな?」
「ええ。これまで、蒸気機関は資金力の必要な装置でした。ユラン王国では、石炭の産出量が少なく、遠方から輸入するには陸路で遠回りに運ぶ必要があり、高くつく。そのせいで、国内産業も後れを取っている状況下です。しかし、先進的な蒸気船に実用化のめどがついたので、他国への戦力に関する懸念事項のひとつが解消されたんです。周辺各国から要請のあった国際条約に調印できたのはそのためです。条約によって、このあたりの海域では、私掠船免許の剥奪が取り決められました。これを機に、石炭も海路で運べるようになり、より安く確保できるようになる。国内産業も発展が見込めます」
ローベルトの話を耳にするうちに、焦りは徐々に落ち着いてくる。
蒸気船の船足が速いというのなら、この船を助けにくることはできるのかもしれない。当の海賊の手によって、グリーズ号の救命艇は海に流されている。コスタ・デ・サラームは大きな港だ。無人の救命艇が複数漂流していれば、港へむかう船のなかには一隻くらい、不審に思う船が出てくるだろう。
そこにさえ気づかせなければいいのだ。海賊たちがグリーズ号の金目の物をすべて持ち去ろうと欲をかいているうちに、海軍の船がやってくる可能性だって、まったく望み薄というわけではない。救命艇なしで沈みゆく船から逃げ出すよりはずっと、生き延びられる確率が高いように思う。
「……もしかして、救命艇を流すのは、指示されたことですか?」
ローベルトの発したことばの意味をいちばんに理解したのは、ソフィアだったに違いない。飄々と余裕をみせていたヘンドリクもほんの一瞬、警戒するそぶりをみせた。
「ロビン、あなた、いったい何を知っているの……?」
部屋に響いたみずからの声は震えていた。
「口にした以外のことは何も知りませんよ、俺だって。護衛船を消せるほどの力を持つ依頼主が、グリーズ号に直接の危害を加えない理由が俺にはわからない。だから、依頼主の目的はグリーズ号を消すことじゃなくて、たぶん、他にあるんだと思うんです」
ローベルトは海色の瞳でこちらを見つめ、淡々と答える。その顔が少しだけ強ばっているような気がして、ソフィアは彼の真意を探り出そうと、じっと瞳を見つめかえした。
この数日、ともに過ごしてきたローベルトは、誠実な青年だった。いのち知らずなわけでも、愚かな振る舞いをするわけでもない。ソフィアの意を汲んで気配りを忘れない彼が、なぜ、自分たちの身を危うくするのか。理由はわからないながらも、彼がわざわざそちらに話題を振るからには、きっとこれは、意味のあることなのだ。
ソフィアは覚悟を決め、彼の伝えたいことをこの場にあぶりだすために、話題を広げようと努めた。
「救命艇を海に流すように命じられたとして、何が問題なのかしら。グリーズ号を乗客ごと沈めろという依頼なのでしょう?」
「船を乗っ取るなら、逃げ道を塞ぐのは当たり前のこったろ」
イライラと吐き捨てたヘンドリクに、ローベルトは間髪入れずに問いを重ねた。
「『救命艇は壊さずに海に流せ』と言われたのでは?」
この問いかけに、ヘンドリクと弟分はちらりと目を見交わした。言われたのだ。
「妙なことを言うヤツだとは思ったけどよ、それがどう違うってんだ?」
「流そうが壊そうが同じじゃねえか」
怪訝そうなふたりに、答えを返したのは、ローベルトではなかった。船長が明るい声音でローベルトに念を押したのだ。
「グリーズ号が襲撃を受けていることを、発覚させるためですな?」
「そう。お察しのとおりです」
このやりとりに、いまひとつピンと来ない顔をしているのは、弟分だ。だが、ヘンドリクは違った。口元を覆って考え込んだ。
「海賊がいるとわかってりゃ、近づいてくる船なんか、ありゃしねえだろ?」
「──いいや、状況が変わったんだ。確かに前なら、巻きこまれたかねえから、だれも近づいちゃこなかった。だが、いまや俺たちゃ、お縄になる側だ。カラの救命艇が見つかれば、何事かと海軍がすっ飛んでくるって、そういうこったな?」
振りかえって、指を向けたヘンドリクに、ローベルトは沈黙を以て答えた。
ヘンドリクは歯噛みして、指で弟分を呼び寄せる。何ごとか耳打つと、弟分はそそくさと部屋を出ていった。それを見届けて、居住まいをただす。
「俺たちは、すぐにここから離脱する。海軍に追いつかれる前に気づかせてくれたことは、恩に着る」
両手を膝に置いて、ぺこりと頭を下げ、それから腰の舶刀を引き抜いた。抜身の刀を手に立ち上がり、ローベルトたちに歩みよる。
「ヘンドリクどの──!」
声をかける間もなく、刀は振り下ろされていた。ざくりと音を立てて縄は断ち切られ、床に散らばる。
戒めを解かれた船長らは、驚きと喜びを面に表していたが、対するヘンドリクは難しい顔をしていた。舶刀を鞘に戻し、長い髪を指でがしがしとかき回す。
「恩人を見殺しにするのは、俺の流儀に反するんだが、どうしたもんか」
視線を浴びて、ローベルトはそらとぼけたようすで小首をかしげる。
「あんただけってワケにはいかねえもんなあ。あんたは、そのソフィアって嬢ちゃんを世話しなきゃならねえんだろ?」
「さようでございますねえ。このかたのお側は離れがたく思います。いかがいたしましょうか、お嬢様」
にっこりと微笑んで、ひとを食った返事をするローベルトに、ソフィアは苦笑しそうになるのをこらえて、困ったわと頬に手を当ててみせた。
「おまえの働きのおかげとはいえ、わたくしひとりが助かるわけには参りませんね。せめて、グリーズ号の沈没に皆様が巻きこまれないように配慮していただかないと、いっしょについてはいけないわ」
芝居がかった調子が伝わったのだろう。ヘンドリクは大きくためいきをつき、投げやりにうなずいた。




