二十三
「冷静に。嵐のときにどう振る舞うべきかを考えなさい」
囁かれたことばを頭のなかでくりかえし、ローベルトはあるひとことを思いだしていた。
『不運を嘆くなら、まずはてめえのからだをマストに繋いでからだ』
生命の安全を確保してから機を待ち、反撃を試みようと、そう、ソフィアは言ったのだ。
どこからどこまでも、海賊物語一色の令嬢だ。ほろ苦い笑みが顔に浮かぶのを、ローベルトは抑えきれなかった。
先程、ソフィアが屈辱的な扱いを受けたときにも、自分は何もできなかった。
なるほど、ソフィアは世間知らずだが、そのぶん、彼女には考える時間が多くあった。自分が手に入れられる知識に対しては貪欲で、本の一節を覚えてしまうほどの読書家であり、フーヴル・パルクには、ホラガイも糸巻きも機織りもある。きっと、海賊物語に出てきた縄の結びかたも、実際に様々やってみたのだろう。その経験に裏打ちされた知識が彼女の身を助け、相手方の気まぐれとはいえ、一目置かせた。それがどれだけすごいことか、彼女はわかっているのだろうか。
盗み見たソフィアは、客人として遇され、船長室の椅子に気まずげに腰を下ろしていた。時折こちらを見るのは、自分がいるからではない。ローベルトの隣に、この部屋の本来の主が縛られているからだろう。
「悪いが、この船には沈んでもらう。救命艇はさっき、縄を切って流してきた」
「なんということを……!」
船長が呻く。ソフィアの顔が青ざめたのが、ここからでもわかった。ヘンドリクは皮肉げな笑みを浮かべて、卓上に肘をついた。
「恨まないでくれよ、俺も雇われの身なもんでね。あんたがたには不運なこった」
ソフィアは何か言いたげにしたが、状況をわきまえ、口を開きはしなかった。だが、ヘンドリクが顎をしゃくると、探り探りといった体で話しはじめる。
「悪名が高くなることで、あなたたちに利があるかしら」
「ふつうなら、利なんざ、ねえだろうなあ」
では、彼らには、何かあるのだ、金銭だけではない利益が。
考えに沈んでいこうとしているソフィアを引き止めるように、ヘンドリクは酒の入った杯を持ち上げた。
「あんたがたは死ぬんだから、ちゃんと教えてやってもいいか。いくら美人でも、無表情な顔を肴にするのは、そろそろ飽きたしな」
ひとくち、舌を濡らす程度に酒を含んで、彼はふざけた調子で言った。
「俺たちは海賊だ。この海で名をあげりゃあ、戦う必要がなくなるのさ。獲物に襲いかかるにゃ危険がつきものだが、俺たちの船を見るだけで相手が降参してくれりゃ、刃を交えずに済むってもんさ」
「まぁ!」
海賊のくせになんと意気地の無いこと、とでも言いたそうな顔だった。遠目のローベルトにもわかったのだから、ヘンドリクがわからないはずはない。彼は怒りもせずに喉の奥で笑い、ことりと杯を置いた。
「俺にだって、子どもがいる。父親が馬鹿やって死ぬワケにゃいかねえ」
「兄貴のトコのは、みんな養い子じゃないっすか」
茶々を入れた弟分をじろりと見やって、ヘンドリクはけだるげに頬杖をついた。
「どいつもこいつも、海賊に反撃するような考えなしな親父を持った不憫なガキどもだ。遊びで殺しをやる海賊もいねえワケじゃねえが、俺たちだって人間だ。話し合いで済ませたいっていうのによぉ。てめぇが殺されそうになりゃ、叩っ斬るしかなくなっちまう」
「おお、怖」
冗談めかす弟分とは裏腹に、ヘンドリクの表情は明るくない。切れ長の目がこちらを流し見て、それから、ソフィアを見つめた。
「ほんとうは、グリーズ号みてえなデカい船を襲うようなマネはしたくなかったんだ。俺たちはもう、免許状もない身だ。何かほかに活計を探したがいいんじゃねえかって、仲間うちで話し合ってたところへ、あいつらが来たんだ」
ねぐらにしている島を押さえられて、ヘンドリクらは船を出さざるを得なくなった。いまも、子どもや妻を島から動かすことはできず、人質に取られているのと変わらないような状況だと言う。
「グリーズ号を襲って、客もろとも沈めてこいと大金積まれたが、この船から奪える品は高価だ。俺たちにばかり都合がいい。どうも、きな臭い」
ソフィアが伏し目がちになって、今度こそ考えに沈むのを見て、ローベルトは思い切って口を開いた。
「グリーズ号を襲う日時は、決められていたのか?」
唐突な発言に、弟分はうるさそうにしたが、ヘンドリクは構わなかった。
「ああ、船がコスタ・デ・サラームを出て、一日経った夕暮れにと」
「変ね。この船は、帆だけではなくて、櫂も使うでしょう? 出航してしばらくすれば、船は水平線に消えて、港からは見えなくなるわ。わざわざ、それほどの時間をおく必要があったのかしら」
そのひとことで、ローベルトはハッとした。だが、これをこの場で口にすべきかどうか、判断がつかなかった。かわりに、疑問をひとつ投げかける。
「護衛船がいたはずだろう? あれも沈めたのか?」
「その船が夕暮れどきには見えなくなるから、それから襲いかかれと言われてたんだ」
「護衛船が見えなくなった、ですと?」
船長が初耳だといわんばかりの顔になった。ここが船橋であったなら、きっと乗員を見回して確認していたであろう剣幕だった。
ヘンドリクは肩をすくめ、弟分がさもありなんと言った表情で、うんうんとうなずく。
「俺たちもびっくりしたのなんのって。さっきまでぴったりとグリーズ号にくっついて航行してた護衛船が、煙みてぇに消えちまったんだから」
「沈没してしまったの?」
「いや、グリーズ号ほどの巨大船じゃあないが、あの護衛船だって相当な船だ。沈んだなら渦ができるはずだが、そんなもんは見なかった」
ローベルトには、その現象の正体が推測できていた。
魔術だ。魔術を日常的に使える人物と考えたとき、ローベルトに思いつくのは、シフのような魔術師だけだ。だが、船を一隻かき消すような大がかりなものは、確実に人目につく。許可が下りようはずもない。
まさか、無断で? 否、それよりは、許可が出ていると考えたほうがまだ、飲みこみやすい。許可の下りた理由に考えをめぐらせるに至って、ローベルトは、目の前が暗くなる思いがした。
国の意向が背後にあるのだとしたら? だとすれば、コスタ・デ・サラームを発ったばかりの豪華客船を海賊に狙わせる理由など、ひとつきりしかないではないか。
──父上はよもや、実績を作るつもりなのか。
観艦式を行ったばかりの新型軍艦と、後継者とのお披露目を兼ねて、客船を襲った海賊を海軍に討たせる気なのではあるまいか。
ごくりと喉が鳴る。言わなければ。民草を巻きこんで、足を洗おうとしていた海賊たちを人質を取ってまで駆り立てて、そんな横暴を為そうとするなど、許されることではない。
ローベルトは意を決して、緊張に乾ききったくちびるを開いた。




