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二十一

「『人魚姫』は、童話によせた外史だったのではなくて? 国の正史にあってはならない部分、不適当な箇所を取り除き、書き換えた結果が、あの不自然な建国史というかたちなのではないかしら」

 床に落ちた建国史を指さして、ソフィアは言いつのった。

「ずっと、変だと思っていたの。どうして、人魚はローベルトを呪ったのか。執拗な呪いだったはずなのに、どうして、アデーレが呪いを引き受けることができるのか。どうして、呪いがアデーレの娘の、萎えた足として描かれるのかっ」

「呪った、理由」

 ロビンはソフィアを見上げ、表情をなくした。先刻、長い物語を語ったせいだろうか、くちびるは乾いている。そのくちびるを見下ろし、ソフィアは奥歯をかみしめた。

 もしかしたら王族かもしれないと思っている人物の前でこの馬鹿げた考えを音にしていくのは、公爵令嬢たるソフィアにとっては、とても勇気の要ることだった。

「呪いじゃ、なかった。人魚はローベルトに恋をしたのよ。彼もまんざらではなかったのでしょう。けれども、ローベルトは彼女を妃にする気はまるでなかったから、アデーレを娶ったの」

 そこまで思いつけば、その先は、もっと嫌な想像しかできなくなる。

「ねえ、ロビン。人魚に呪われた娘は、足が萎えていた娘というのは、ほんとうに、アデーレの血を分けた娘だったと思う……?」

 絞り出すように問いかけたとたんだった。

 轟音とともに、船が大きく横に揺れた。




 ソフィアは悲鳴をあげる間もなく床に転がり、座っていたロビンもまた、壁にしたたか頭を打ちつけ、椅子から滑りおちた。

「……っ、ぐう」

 低く呻いて、床に手をついて上体を起こす。ソフィアは倒れたきり動かない。

「お嬢さん」

 声をかけて揺さぶるも、返事は無かった。意識を失っているのか。膝に抱きあげて、頬を指の背で軽くはたくと、まぶたがうっすらと開いた。

「だいじょうぶですか」

「座礁? 衝突? それとも、着弾?」

 返事のかわりに、矢継ぎ早に衝撃の理由を問う彼女に、ロビンはかぶりを振った。

「砲撃音は聞こえませんでした。ここはもう浅瀬じゃないはずだから、座礁は考えにくいです」

「衝角のついた船なんて、海軍以外のどこにあるかしら」

「何も金属製の必要はありませんよ。難破船の折れた帆柱でも付けてあれば、船腹を破るにはじゅうぶんです」

「じゃあ、海賊ってこと?」

 目を輝かせたソフィアをたしなめて、ロビンは部屋の外に耳を澄ませた。いまのところ、船内に目立った混乱は起きていないらしい。

「海賊の襲撃だったとして、相手にあなたが女性と知れたら問題だ」

「女はわたくしだけではないわ。エラを探しだしてやらなくては。食堂はどこ?」

 問いながら、ソフィアは床を這った。途中で転がっていた杖を拾い、先程ロビンが腰掛けていた椅子までむかうと、座面に右腕をかけ、うしろむきに乗り上がった。

 彼女が杖を手に立ち上がるのを何もせずに見守って、ロビンは声を失い、自分のすべきことをも見失った。

 ソフィアは歩けない。知っていたはずだった。身の上に腐ることなく、ごく当たり前に振る舞うから、すぐに忘れてしまうけれども、生まれつき、彼女の足は動かないのだ。

 船が揺れる前、ソフィアが口にした仮説がもしも、万が一、ほんとうだとしたら、自分と同じ名を持つ先祖は、薄情にも程がある。ロビン──ローベルトは、そっと息を吐いた。

 少女時代を修道院で貞淑に過ごし、名も知らぬ遭難者をも手厚く介抱する慈悲深さを持ちあわせるアデーレのことだ。真実を知ったとき、さぞかし人魚に同情しただろうし、無邪気に自分を慕う人魚をないがしろにする夫と真の意味で、こころを通じ合わせることなどできなかっただろう。ならば、ソフィアの問いの答えは、こうだ。『人魚に呪われたとされた娘は、おそらくは人魚の産んだ娘だ。だから、人間のようには足が利かなかった。アデーレは王の意に反して人魚の娘を引き取り、それがために隠遁させられたのだ』

 どうにか、筋は通る。

 でも、最後に疑問は残るのだ。なぜ、公爵家に生まれる娘たちは皆、短命なのだろう。人魚の末裔としての特徴を持つ娘は、どうして、当代にひとりきりしかいないのだろうか。

 そこまで考えたものの、疑問をさしはさむ暇はなかった。ソフィアがその場に凍りついていたローベルトを見限り、自ら部屋の戸を開け、廊下に出たからだ。

「食堂は階下だ。杖では危険です」

「あら、ロビンが運んでくれるのでしょう? ……でも、あまり時間がなさそうね。聞こえて?」

 声を潜めたソフィアの隣に立って、ローベルトは大勢の足音に身を固くした。

「紳士淑女の足音とは思えないな」

「早く降りましょう。わたくしたちだけで行動するべきではないわ」

 素早く判断を下したソフィアにうなずいて、ローベルトは周囲に目を配りながら、食堂への通路を辿った。

 使用人の食堂には、多くの従者たちが残っていた。ある者はこぼれたスープで身を汚し、ある者は何かを恐れて食卓の下に屈みこんでいた。ソフィアたちを見ると、彼らは口々に何が起きたのかと問うてきたが、こちらも提示できるものはない。説明に落胆したようすで、多くはまた席についた。

「ご主人のようすを見に行かなきゃって、男のひとが幾人か上がっていきました。でも、それ以外はみんな怖がって動かなかったから。あたしも怖くていっしょにいたんです」

 近づいてきたエラが不安そうにそう報告すると、ソフィアは彼女の肩に手をかけた。

「それでいいわ。食事は済んでいて? このあと何が起きるかわからないわ。落ち着かないとは思うけれど、いまのうちにきちんと済ませなさい。きちんとした食事を与えてくれる相手とは限らないのだから」

 ソフィアの発言を耳にした周囲が、かきこむように残りの食事に手を付けはじめる。泰然とした彼女が現れただけで、くさくさしたふんいきの漂っていた食堂の空気は一変していた。

「お嬢様はどうしてこちらにおいでになったんですか?」

「エラが心配だからに決まっているでしょう。それにね、このグリーズ号が襲撃されたのだとしても、海賊が即座に船内を完全に制圧できるとは思えないわ。護衛船もいたはずですもの。こんなに大きな客船の護衛船を排して、さらに各所に見張りを配置するほどの大所帯を、海軍が自由にさせておくと思って?」

 ソフィアは食堂を見渡し、奥の厨房にむかった。厨房は鍋が倒れ、大惨事になっていたが、床を片付けている調理員が二名いるだけで、他には何もなかった。

「伝令が来るとしたら、経路はひとつかしら?」

「ここには来ません。何かあれば、主人のために駆けつけるのが使用人だと、そのぅ……船主が」

 呆れを隠そうともせずに、ソフィアはこめかみに手を当てた。

「どこかに、外のようすが見える窓はないかしら?」

 調理員たちは顔を見合わせ、身振り手振りを交えて、おずおずと言った。

「窓はありませんが、さっきの衝撃なら、左舷前方です。揺れの向きがこっちだったので、間違いないです。あの扉から通路を進んでいただくと、荷室があります。脚荷として、石や水を積んでいますから、そのあたりかと」

 指さされた先に厨房の奥に、小さな扉がある。ソフィアはローベルトを振りかえった。

「確かめてみる価値はあるかしら」

 そのわくわくした表情に肩をすくめて、ローベルトは降参した。

「お嬢さんが行くとおっしゃるなら、ついていきますよ」

 言いながらも、ローベルトは眼鏡を外して上着のポケットに入れた。それから上着を脱ぎ、袖をまくった。うしろにいたエラに上着を手渡して、目を合わせる。

 エラは戸惑ったようすで赤くなった。

「もし戻らなくても、追ってはこないこと。ここにいるひとたちと、決してはぐれないようにね」

 小さな子に言いふくめるように告げたローベルトを見て、ソフィアは思い立ったように数歩戻った。

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