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二十

「なんとも麗しい船長どのですな。グリーズ号へようこそ」

 ソフィアは花のかんばせをぱっと輝かせて、杖を両脇に挟んだまま、器用に礼をした。

「船長にお目にかかれるとは思ってもみませんでしたわ。船旅は初めてなものですから、とても楽しみにしておりましたの」

「ご期待に添えるよう、船員一同努めましょう。良い航海を」

「ええ、良い航海を!」

 令嬢然としてふるまって、行儀良く船長を見送るや、ソフィアはこちらをふりかえり、ロビンの手を取って小声でまくしたてた。

「すごいわ! 本物よ! 肩章がちゃんとあったわ、本に書かれていたとおりに!」

「俺も見ました、月桂樹の葉の模様!」

 制帽のつばに金糸の縫い取りがされているのは、船長だけだ。ロビンもロビンでソフィアの手を握り返して屈みこみ、ふたりできゃあきゃあわあわあと大興奮ではしゃぎして、ワッと我に返った。

 ソフィアのうれしそうな笑顔も、上気した頬も、高ぶってうるんだ瞳も、すぐ間近にあった。ロビンがいきなり身を引いたのと、ソフィアが心外そうな顔をしたのは、ほぼ同時だった。

 自分が赤面していないか気になって、手で顔を隠し、ロビンはむこうを向いた。

「部屋に戻りましょう。出航時には揺れるでしょうから」

「……わかりました」

 さきほどまでのはしゃぎぶりが嘘のように悄然として、ソフィアはことことと杖を鳴らしながらついてくる。

 ソフィアの楽しみに水を差してしまったことを悔やみつつも、ロビンは部屋に戻るまでにと、火照った頬を冷やすことに余念が無かった。




 夕日を望みながらの食事を済ませると、グリーズ号の大方は寝静まった。一部の客だけが社交場に残り、遊びに興じているなか、ソフィアもまた、部屋に引き取った。

 ロビンとエラとが交互に使用人むけの食堂にむかうのを見送りつつ、ソフィアは船室の小さな書架に置かれた古びた建国史を手に取り、長椅子に腰掛けた。

 もう幾度読んだかわからないほど、ソフィアはユラン王国建国史を読みこんできた。それは、呪いを解くための示唆を得るためでもあったし、自分たちの先祖がどのような人物であったのかを知りたいという純粋な好奇心のためでもあった。

 青年王ローベルトの最初の妃であるアデーレとは、王がこの地を平定してから婚姻を結んでいる。子爵令嬢とあるが、これはかつてこの地にあった国における爵位であり、ユラン王国建国時にこの身分に意味があったかは甚だ疑問だ。

 王はどんな男だったのだろう。難破船の生存者を介抱しただけのそこらの娘を妃としたかと思えば、水妖の呪いの話を真に受けて、あっさりと離縁する。

 このくだりが、ソフィアとしてはどうしても釈然としない。何の利益もないはずの婚姻を後押ししたのは、愛では無いのか。それならば、呪いをものともせずに愛し続けるのが正しい物語の筋というものでは。

 ソフィアは目を上げ、ロビンを見やった。

 エラが食事に出てから、彼は部屋の片隅で椅子に尻を貼り付け、彫像のように微動だにしなくなった。先程の一件から推し量るに、どうやら距離を取られているらしい。

 小さなため息をついて、ソフィアは建国史を膝に置き、彼に声をかけた。

「ねえ、ロビン。例のにんぎょひめの話を聞かせてくださらない?」

 ぐぎぎ、と稼働音でもしそうな動きで首を動かして、ロビンは眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。

「人魚姫、ですか? なにぶん、子どものころに読んだきりなので、正確な言いまわしは思いだせないんですけど」

「いいわ、聞かせて」

 ねだるソフィアに根負けしたようすで、ロビンは床に目をさまよわせながら、おもむろに物語をつむぎはじめた。

 うつくしい声を持つ人魚の王の末姫は、人間に憧れ、十五才の誕生日を迎えて、ようやく海のうえに出るのを許された。はじめて見る外の世界で、沖合に浮かぶ船を見ると、宴が催され、王子の誕生祝いに皆がうたい踊っていた。祝砲や花火が鳴り響き、昼間のように賑やかだった。

 末姫は王子に目を奪われ、嵐が船を襲ったとき、まっさきに彼を助けて入り江に連れていった。しかし、側の修道院から出てきた娘たちに気づいて岩陰に隠れたすきに、王子は連れていかれてしまった。

 末姫が王子を助けたことなど、だれひとりとして知らないが、末姫は姉姫に誘われてはその後も王子を垣間見に行き、ついには人間になりたいと願うようになる。だが、人間は人魚とは違う。三百年も生きないし、死なない魂を持つという。

 これを聞いて、末姫は死なない魂を得るための知恵を借りに海の魔女のもとへ赴き、人魚のひれの代わりに二本の足を手に入れる薬をもらう。対価にうつくしい声を要求し、海の魔女は末姫の舌を切ってしまう。

 末姫は足を得て、王子の元に迎え入れられる。末姫の軽やかな踊りやまなざしは、城のひとびとや王子を魅了したが、王子は末姫をかわいがりはしても、妃にしようなどとは思わなかった。

 王子は末姫に、難破船から助かった日のことを話してきかせ、自分を助けた娘に末姫がよく似ていると言った。けれども、彼は目の前にいる末姫こそが自分を助けたとは露とも思わない。

 王子は、妃がねの隣国の姫君に会いにいき、彼女が自分を助けた娘だと思い、求婚する。王子と姫君は船上で結婚する。死なない魂はもう手に入らないと知った末姫は宴席で踊り、喝采を浴びる。刃物のうえを歩くように足は痛んだが、胸のほうがよほど痛かった。

 船上で夜明けを迎えようというとき、姉姫たちが現れて、末姫に短刀を渡し、王子を殺して足に血を浴びれば、魚のひれと三百年の命が取り戻せると伝える。

 末姫は愛する王子を殺すことができず、短刀を波間に投げ、自分も海に入る。末姫は、泡と消えながら、精霊に死なない魂を得る方法を説かれ、空に昇っていく。

 語り終えたロビンは、ソフィアの反応を見るように一瞬、顔をあげた。視線が交錯して、ソフィアはゆっくりと礼を述べ、『人魚姫』の内容を吟味した。

「建国史に材を取った物語だったのね」

 ロビンはうなずき、ソフィアの手元にある建国史に目を当てた。

「青本の話を知ったあとだと、それが原因で禁書になったのかとも思いますね」

「建国史を元にして物語を作ることが、それほど重い罪になるとは思えないわ。建国史だって、これが正史だとユラン王国がお墨付きを与えているだけで、昔話のひとつに過ぎないもの。数百年前のできごととはいえ、青年王ローベルトの功績は客観的に見て大きすぎる。複数の王の成し遂げたことを、後のだれかがひとりのしたこととして伝説化したとみるべきだと、家庭教師がぼやいていたわよ」

「それはうちの教師も同じでした。じゃあ、その説を補強できる史料や外史があるのかっていうと、無いみたいでしたけど」

 国家の編んだ『史実』である正史に対して、個人が編んだ歴史が外史だ。ソフィアはロビンの口にした外史ということばに引っかかりを覚えて、何度か口のなかで繰りかえした。

「──そうよ、外史よ!」

 叫んで、杖を取る。膝から建国史が落ちるのも気にせず、ロビンに近づいていく。船の揺れに足を取られてふらつきながら、ソフィアは彼の目の前に立ち、はっきりと考えを口にした。

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