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十九

「お嬢様が乗船券を買えなかったのは、満室だからじゃないですよ。平民の身なりをしていたうえに、三等客室なんて口にしたもんだから、足元を見られて売ってもらえなかったんです。お忍びのかたには、わりとよくあることなんですよ、こういうの。あたしも、湖畔亭の手伝いをしているとき、何度か出くわしましたもん」

「あら、まあ。そういうものなの?」

「はい。あたしの援助の甲斐あって、おじいちゃんは賭けごとに勝ったので、乗船券を売ってもらうように紹介状をしたためてもらいました。たぶん、グリーズ号の所有者なんじゃないですかねえ? 別に、乗船券さえ買えれば、だれだっていいけど」

 ロビンは乗船券を購いに再び売り場へ向かい、エラはソフィアのために湯の用意を始める。ソフィアは椅子に深く腰掛けながら、細々と働くエラに声をかけた。

「ありがとう、エラ。あなたの機転がなければ、わたくしたちはいつまでも船に乗れなかったことでしょう」

「お金持ちのお嬢様は、だれだって世間知らずなもんですよ。おかしいのは、あの従僕さんです。あのひと、宿代払うにも、お金の見分けがつかなくて、まごついてましたもん」

「……それは、資産家のご子息だからではなくて?」

 エラは一度会話を中断し、新しい湯をもらいにいった。床に置かれた湯浴み用のたらいには、三割ほどの湯がはられている。ソフィアの介助をしながら湯を使わせるのは、かなりの重労働だが、エラは文句ひとつ言わず、指示がなくともてきぱきと動く。聞けば、祖母を介護したことがあるらしい。

 数度目の湯をたらいに流しこみ、エラは先程の続きをぽそりと口にした。

「怒らないでください。たぶん、あの従僕さんは、お嬢様よりも身分の高いひとだと思います。お嬢様は、身分が低い人間の扱いをご存じですが、あのひとは知りません。従僕さんは、だれにでも対等に話しかけるんです。ことばは砕けたり丁寧になったりしてますけど、態度はいつもおんなじです。ふだんから、へりくだる必要がないかたなんじゃないですかね、お貴族様とか」

 その発言に、ドキリとした。

 思い返せば、ロビンに対する父の態度がふだんとは異なった。王弟との晩餐の席でも、執事と父とのやりとりのなかに、ちょっとした違和感があった。

 ソフィアは、ややもすれば感情が露わになりそうな口元を、そっと手で隠した。

 ──公爵令嬢のわたくしよりも身分が高い相手なんて、この国には王族くらいしか見当たらないわ。

 そういえばロビンは、下級貴族や平民にしては妙なことを知っていなかったか。彼は、王家の鷲獅子の紋章の違いを、遠目ですぐに見分けていた。

 エラの手を借りて湯を使い、身を清めてもなお、生じた疑念は、胸のうちから流れてはいかなかった。




 グリーズ号の出航は、コスタ・デ・サラームのお祭り騒ぎの始まりのようだった。海軍の観艦式を二日後に控え、すでに町には式典めあての観光客が押し寄せているのだという。

 自然、ロビンは用心深く眼鏡をし続け、外を歩くときにはうつむきがちになった。王族が町を訪れるとなれば、警備の者が前乗りしているはずだ。自分の顔を知る相手が私服であれば、こちらが気づけるとは思えなかった。

 小さな手荷物だけを抱えて豪華客船に乗りこむと、周囲がまるで引っ越しのような荷造りをしていることに驚く。だが、乗船期間を鑑みれば、それもやむないことなのだろう。

 身の回りの必需品だけではない。船上ではこれまでのように自由に服の手入れはできないし、船会社側が上流階級の客ばかりを選んでいれば、当然、社交のための用意も要る。長い旅路には、無聊を慰めるための品々もあったほうが豊かに過ごせるはずだ。

 そうした数々の用意が、ロビンら一行にはなかった。しかし、主たるソフィアは船に乗れたことが何よりうれしかったらしく、満面の笑みではしゃいでおり、他に比べて支度がみすぼらしいことなど、まったく意に介していない。エラにいたっては、生活様式の違いから、何が必要なのか想像もつかないかもしれない。

 不足があってはならないのではないかと、ロビンのほうが気を揉んでしまうが、身分を隠しての旅程だ。社交など、するべくもない。港で荷を運ぶ人足は雇えても、管理する従僕や下女を増やすわけにはいかない。結局は、取り越し苦労というものなのだ。

 そわそわとため息をつきつつ、ロビンはエラに荷ほどきと留守番を頼み、船内をくまなく散歩したがるソフィアについてまわった。

 ──しかし、ほんとうに乗船券が手に入るとは思わなかった。

 目端の利くエラのおかげだが、ソフィアに着いていくと腹が決まったとたんに、怖いくらいにするすると物事が滑り出していくのがおかしかった。

 連絡のつかない主を前に、シフは呆れるだろうが、行動をためらっている時間はない。港町じゅうをしらみつぶしに当たらせて、ロビンの居場所をあぶりだしていくに違いない。彼女にかかれば、ロビンの居場所をつきとめることなど、赤子の手をひねるようにたやすいことだろう。だが、そのころにはロビンは海のまっただなかで、直ちに連れ戻す術はどこにもないのだ。

 ロビンの持つ襟飾り型通信機は、シフほどの技能を持つ魔術師にとっては、朝飯前の技術だ。ほんとうならば、空間そのものを繋ぐことだってできると豪語するが、我がユラン王国に限らず、魔術は基本、許可制だ。専門官たちによく吟味されて、ようやく使える。無節操になんでもしてよいわけではない。

 魔術は、無から有を生み出す技術ではない。なにがしかの対価が必要になる。通信機から声や映像を受け取るとき、シフは自分のからだの感覚をさしだしている。周囲で立てられた音も聞こえなければ、周囲の状況も見ることはできない。

 空間を繋ぐような大がかりな術は、対価も大きい。到底、許可は下りまいと、シフはふてくされていた。

 通信機も、ロビンの虚像を作る機械も、もとは別件で許可を取ったものの使い回しだ。後者は、ロビンが父王の在位二十年の祝賀行事をすっぽかしたときに、急ごしらえで作ったと聞く。あのときは肝が冷えたと、ことあるごとにシフは思い出話をする。それでも、事前許可が必要だ、いまから書類を審査すると言い張る専門官たちを怒鳴り散らして大暴れし、自分がなだめる羽目になったと、近衛騎士団長の親友も言っていた。

 ──今回も、虚像を席に座らせておければ楽だったろうに。

 さすがのシフが作った機械であっても、虚像に海賊掃討の演説は打てない。

 さざなみに目を向けて、ソフィアの目がきらきらする。虹彩に金や銀の星々が瞬くのを横合いから見つめていると、彼女はうずうずしたようすで周りをみた。

「どうしたんです?」

「やってもいいかしら、あれ」

 あれとは? 思いいたらないでいるロビンを前に、ソフィアはキッと船首を見た。

揚錨ようびょう! 揚錨! 鎖を巻け! 展帆てんぱんせよ! 出港だ!」

 かわいらしい小芝居が甲板に響く。これの出典は何だったかと考えていると、奥から来た船員の笑い声が聞こえた。たっぷりと白鬚を蓄えた紳士が、ソフィアを見て相好を崩し、白い制帽を取って挨拶した。その制帽のつばに金糸の縫い取りがあるのを見て取って、ロビンは気を引き締めた。

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