十八
翌朝、下女として雇い入れたエラを伴い、ソフィアたち三人はレークリッカを発った。コスタ・デ・サラームまでは、また乗合馬車のお世話になった。所作や容姿はともかく、服装は古着でそれなりにやつすことができたおかげか、絡まれることもなく目的の港まで着いた。
──そこまではよかったのだ。
「乗船券が売り切れっ? 世界一周の船旅って、そんなに人気があるんですか?」
窓口で声をあげたロビンの脇から、ソフィアは身を乗り出した。
「三等船室でも構いませんの」
だが、係員はにべもなかった。
「コスタ・デ・サラームからのご乗船の場合、グリーズ号の巡航は半年に一度です。また、二等以下の客室のご用意はありません。相部屋はなく、すべて個室となっております」
「で、全部満室?」
ロビンの念押しにうなずいて、話は終わりとばかりに、係員は次の客のほうを見やった。ソフィアは杖を操って列から離れ、ロビンと次善の策を練った。ひとまず、どこ行きでもよいから船に乗るべきか、それとも、別の港からの経路を取るべきか。
とにもかくにも、案内がないと話にならない。だれか、詳しいひとを探さなければと結論づけたところで、エラが見えないことに気づいた。首を巡らせると、彼女は先程の窓口の近くで、人の波をじっと観察していた。
「どうしたの、エラ」
呼びかけると、エラはちらちらとひとを目で追い、気もそぞろなようすで返事をする。その視線の先には、紳士淑女が笑いさざめいている。あれがものめずらしいのだろうか。考えていると、エラはようやくソフィアとロビンにむきなおった。
「……あのう、あたし、ちょっと買い物に行ってきてもいいですか?」
「構わなくてよ。わたくしたちは宿に戻るわ。くれぐれも気をつけてちょうだいね」
まずは宿の主人に話を聞いてみようと、今夜の宿に戻りながら、ロビンはいぶかしそうな顔でエラの背を見返った。
「どうしたんですかね」
「もともと、旅支度をするようにと言ってあったし、やっと気が向いたのではなくて?」
さして気にも留めずに、ソフィアはうしろをふりかえった。エラを探すためではない。港と、係留された貨客船を見るためだ。
夢にまで見た潮風が、いまはソフィアの髪を揺らしている。生臭さのあるところはフーヴル・パルクの湖とそう変わらないが、こちらのほうが臭気はきつく、肌がべたつくような気がした。だが、嫌悪感はない。ほんとうは、あの水に触れてみたくてしかたなかった。指先にすくい取って、口に含んで、塩気を確かめたかった。
──もう、すぐそこなのに。
乗船券が手に入らないなんて、考えもしなかった。ここにとどまるうちにも、顔を潰された王弟の追っ手がかかるかもしれないと思うと、恐ろしかった。
波に揺れる船を見つめて、ソフィアは動かなくなった。傍らに立って、同じものを眺めていると、時間を忘れてしまいそうになる。
ほんとうは、この機に乗じてなんとかソフィアを説得し、フーヴル・パルクに帰すべきなのだろう。王弟の求めを受け入れ、婚姻を結ぶのが、貴族である彼女の選ぶべき『正しい身の処しかた』だ。
そうして、自分はどうするのか。彼女がマーティアスの隣に並ぶのを遠くから見つめるだけ? 観艦式に出て、海賊の討伐に乗り出していくというのか。
ここまで着いてきた時点で、もう、腹は決まっていたのだ。そのことを思い知って、隣にたたずむソフィアの横顔を見下ろす。意気揚々と海を見つめているものと思っていたが、彼女の表情は硬く強ばっていた。
「──お嬢さん?」
「ねえ、ロビン。わたくしは、あのかたとの婚姻も嫌だけれども、このまま海に出られずに生涯を終えるほうがもっと嫌だわ。海に出て、水妖を自分の目で見たり、たくさんの船乗りと話をしたりして、呪いを解く手がかりを探すの。わたくしが呪いを解かなければ、この先も何百年と連綿と、この呪いはわたくしたち一族を蝕み続けるもの」
ソフィアはゆっくりと船から目をそらし、ロビンを見上げた。星空をうつす瞳は、不安に揺れていた。
「いまはまだ良いわ。お母さまはもう新しい子を産まないし、わたくしの弟妹は幼いから、婚姻もまだ先よ。子を儲ける年齢ではないもの。けれど、残された時間はもう、五年も無いかもしれないわ。呪われた娘は、当代にひとりきり。次の呪われた娘が生まれるときには、わたくしは死ぬのよ」
ロビンは目を瞠った。
ソフィアの足が呪いによるものだとは知っていた。だが、そんなふうに寿命に刻限のあるものだなどとは考えもしなかった。
「生まれ落ちた瞬間から呪われているだなんて、むごいことよ。辛いことよ。他人から言われたくないだけで、わたくしだって、自分が不運なことくらい、わかっているわ! でも、足が動かないことなんて、どうってことないのよ。わたくしは、呪いなどのせいでは死にたくないの。一族にかかった呪いを解くことができるなら、なんだってするわ」
エンマルク公爵家に連なる者は、海辺に近寄ってはならないのだと、ソフィアは言った。海は、人魚のいる世界だ。だから、父公爵も、所領の港に立ち寄ることはついぞないのだと。
「伯母を呪いで亡くした父は、きっと、わたくしの好きにさせてくれるはずよ」
少しだけ落ち着いた調子で言って、ソフィアはふたたび、宿に足をむける。ロビンはその背を追おうとして、自分のなかで決意が固まるのを感じていた。
宿の主人は職業柄の事情通で、小金を落とすと、喜色満面で旧い帳面を出してきて、いろいろなことを教えてくれた。
「世界一周はグリーズ号が有名だが、隣国からも一本出ているらしい」
その情報を手に入れて、隣国の港への経路を検討していると、木沓の高い靴音が表の通りを走ってくるのが聞こえた。
騒々しさに思わず、通りを顧みると、今度は宿の戸口がバタンと乱暴に押し開けられた。現れたのは、頬を染め、肩で息をするエラの姿だった。
「お嬢様! これ! これ見てください!」
両手で捧げもつようにさしだされたのは、一通の封書だった。表書きはないが、裏には赤い封蠟がされている。押捺されているのは、見たことのない紋章だ。首をかしげていると、ロビンがひょいと、ソフィアの手から封書を抜き取った。
「これ、グリーズ号の紋章じゃないか。こんな手紙、どうやって手に入れたんだ?」
驚いたようすのロビンに、エラは得意げに腰に手を当て、えへん! と胸を張った。
「乗船券売り場で、お嬢様たちのあとに並んでいたのに、グリーズ号の乗船券を買ったひとがいたんです。その口利きをしてたおじいちゃんに、紹介状を書いてもらいました」
「……どういうこと?」
情報量が多すぎる。いや、必要な説明が足りないのだ。困惑したソフィアのようすを受けて、ロビンが問いかけた。
「紹介状は、どうやってもらったんだい?」
エラは興奮で赤く火照った頬に手の甲を当てて冷やし、ソフィアとロビンを交互に見て、それから宿屋の主人を流し見て、ふたりに席を立つよう促した。そうして部屋に入るなり、内鍵を閉めて、声を潜めた。
「おじいちゃんが賭場で大負けしていて、次の一戦のための賭け金には、お小遣いがちょっぴり足りないと言ってたので、あたしの支度のためにいただいたお金を貸してあげたんです。──恩を売るために」
その場面を思いだしたのだろう。エラは、幼い顔に似合わぬ狡猾さを見せて、にやりとほくそ笑んだ。




