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十七

「そう言ってくれるな。王弟にはバレずにすんだし、ちゃんと公爵に馬車を借りて、フーヴル・パルクから出てきたんだから。いま、レークリッカの宿屋だ。明日の午後には、コスタ・デ・サラーム入りできるはずだ」

「おおお、何故(なにゆえ)おひとりで港へ向かわれるのですか、我が君よ!」

 シフがのたうちまわる気配がして、ロビンは小さく笑い、声を潜める。

「戻るのは二度手間だし、万が一があってはいけないと思ったまでだ。間に合わないからって、魔術で飛んでいくワケにもいかないんだからさ」

「確かに、港まで壮麗な隊列を組んでむかうのが筋ではございますが、わたくしはぜひ、皆の者に美々しい我が君のお姿を見せびらかして歩きとうございました」

 そんな目には遭いたくない。こちらに来て正解だったと胸をなでおろしたロビンとは裏腹に、シフはぶちぶちと文句を垂れている。すっかりとすねたようすだったが、やがて、襟飾りのむこうから、小さなため息が漏れた。

「しかたありません。わたくしの命にかえても、この困難、やり過ごしてみせましょう」

「助かるよ」

「式典を終え、城に戻られた暁には、我が君を執務机に魔術で縛り付けてさしあげます。山のような仕事を着任までに仕上げていただきませんと」

 さらりと冷えた声で言ってのけ、シフは思いだしたようにひとつ付け加えた。

「そういえば、ご所望の『人魚姫』の本とやらですが」

「ああ、あれは、もういい」

「さようでございますね。公爵令嬢と関わる機会は、もうございませんでしょうし」

 では、我が君。わたくしが参りますまで、どうかご無事で。

 通信が途絶えることを前提で挨拶をしたシフの気遣いに甘え、ロビンは胸ポケットに再び襟飾りをしまいこむ。

 ──公爵令嬢とまだいっしょに行動していると知ったら、シフは仰天するに違いない。

 お目付役の彼女の胃の腑に穴を空けることばかりしている自覚を持ちながら、ロビンは寝台に寝転び、束の間まどろんだ。


 レークリッカの町には、坂が多い。なだらかな丘に張り付くように町並みが続く。

 女将の娘エラは、妹と同い年だった。そばかすの浮いた顔をくしゃくしゃにして、ひとの良い笑みを浮かべながら道案内をしてくれる彼女を見ていると、三つも年下でも、社会経験ひとつでこんなに大人びた振る舞いができるのかと感心してしまう。

 ソフィアはのんびりとエラを追いかける。時折、屋台の賑やかさに目を奪われては、エラといっしょに商品を吟味する。結局、買うことはないけれど、とても楽しい時間の過ごしかただ。

 町に出ることになったのは、女将があることに気づいたのが原因だった。

「お嬢様、馬車でも気になっていたのですが、荷はいったいどこに?」

 先にどこかに送ってあるのなら、取りに行かせよう、との申し出を受け、ソフィアはかぶりを振った。

「何の用意もなく飛び出したの。持ち物はこの杖だけよ」

「それって、駆け落ち? あの若い人と?」

 女将がたしなめるのをよそに、まだ顔立ちには幼さの残る娘は目をきらきらさせる。期待させて申し訳ないが、そんなつもりはない。

「ロビンはただの従僕よ。わたくしね、海を見たくて出てきたの。ロビンに路銀を渡したそうだから、執事も知っていることよ」

 ソフィアはこれからの旅程も話して聞かせた。それでも、女将は不審げだ。

「横領なんかじゃないだろうね?」

 言いながら、手元の銅貨を見下ろす。

「そんな肝の太い人には見えなかったよ?」

 娘が言うのを笑いながら肯定し、ソフィアは女将に取りなす。

「少なくとも、お金に困る家柄ではないわ。それだけは保証します」

「お嬢様がそうまでおっしゃるのなら……」

 納得はいかないが、領主の娘が黒といえば黒。飲みこむしかない。女将は小さくうなずき、気持ちを切り替えるように、ぱんっと手を叩いた。

「とにかく、お召し替えのためのドレスだけでもご用意しなければ。一着きりではこの先困ります。それと、もしよろしければ、うちの娘を下女代わりにお使いくださいませ。おつきが従僕ひとりでは、お困りになる場面もございましょう」

「そうね、できたら町で浮かない服が欲しいと思っていたところよ。下女の件については、ロビンに相談してからお返事するわ」

「ええ、そうなさってください。エラ、これをお使い。二着は買えるだろう」

 宿代としてロビンの渡した銅貨を衣装代にしようとする女将を見て、ソフィアは首をかしげた。

「あら、それなら、このドレスを売ってはどうかしら」

 この提案に女将は目をむいたが、反対はしなかった。

「エラ、祭のときの晴れ着を出しておいで。お嬢様にお召しいただくから」

 エラは女将から着付けのコツを伝授されながら、たどたどしい手つきでソフィアに晴れ着を着せかける。

 晴れ着は驚くほどぴったりだった。エラは年下だが、体格はあまり変わらないらしい。生地を何枚も重ねたドレスよりも、エラの服のほうが軽くて動きやすい。

 喜んだソフィアを連れて、エラはレークリッカの町へ繰り出し、古着屋へ行き、簡素なドレスや上着を数着求めた。お代はソフィアのドレスでまかなったが、エラは抜け目なく値切り交渉を重ねて、いくらかの釣り銭とロビンのための服も手に入れた。

 こうしてさしだされた銅貨を、ソフィアはそっと彼女のほうに押し戻した。

「もしもわたくしについてくる気があるのなら、エラにも必要なものはあるでしょう。取っておきなさい」

 大荷物はエラが抱えて、湖畔亭へと帰りつくと、宿の入り口で、血相を変えたロビンと行きあった。

「まあ、どうしたの」

 驚いたソフィアを見て、ロビンはカウンターに突っ伏すようにしてへたりこんだ。深くため息をついた彼は、だいぶ印象が違った。

「お嬢さん、ひとりで出かけられると、俺の身が持ちません。ホント勘弁してください」

「ひとりじゃないわ、エラもいたもの。船旅のための服を買いに出たの。ロビンの服もあるのよ」

 とりあわずにエラを見返ると、彼女はロビンの顔に見入っていて、ソフィアに気づくようすがない。

「……エラ?」

 呼びかけられて、ハッとしたようすで大荷物をカウンターに置き、エラは頬を染めてうつむいた。所在なさげに三つ編みを何度かなでつけながら、恥ずかしそうにする。

「お嬢様も女神様みたいにおきれいだし、お仕えする従僕さんも顔がいいし、お金持ちって、すごいんですねえ」

 感嘆したようすに、ソフィアはぽかんとして、改めてロビンを見上げた。面食らったようすで固まっている彼の顔立ちが存外に整っていることに気づく。そうか、眼鏡を外しているのか。

「ロビンはやっぱり、目の色がとてもきれいね。眼鏡をしていると、色がくすんでみえてしまうから、もったいないわ」

 海原の青は、今度はソフィアを捉える。ロビンは首筋や耳まで真っ赤になって、目をそらした。

「お嬢さんの瞳ほどじゃないですよ」

「お嬢様の目、きれいですよね! きらきらして」

「瑠璃に金の混じった石があるけど、そんな感じだよね。そうでなきゃ、灯りのないところで見る星空みたいだ」

 灯りのないところと言われて、いちばんに思い浮かぶのは、やはり大海原だ。どこにも陸地の見えない海の真ん中にこぎ出して夜を迎えたら、満天の星が見えることだろう。

「早く、船に乗りたいわ」

 うずうずして口にしたことばに、ロビンは困ったような顔をする。その理由を問うより先に、船旅への憧れを述べはじめたエラに話題を持っていかれて、ソフィアは彼の表情のワケを聞く機会を逸したまま、床につくことになった。

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