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十六

 次の乗合馬車が通りがかったのは、大分あとだった。ロビンの背に負われ続けるのも申し訳ないと思っていたころだったので、馬車の音が聞こえてすぐ、ソフィアは大きく手を振った。御者は停留所でもない場所に馬車を止めるのを厭うたようだったが、ソフィアのひとことで顔色が変わった。

「乗せてくださる? レークリッカまで。ふたりで一ライケール払うわ」

 値切り交渉もせずに叫ぶと、すぐに踏み台が出され、丁重に荷台へと請じ入れられた。

「ありがとう、助かりました」

 にこやかに礼を述べ、荷台へ乗り込む。座席はぎゅうぎゅうで、ふたりぶんの席はなかったが、ソフィアひとりなら座らせてもらえた。ロビンが平然と床に腰を下ろし、ソフィアの前に陣取るのを見て、席を詰めてくれた中年女が脇からにやにやとふたりを見比べる。

「新婚さん? お似合いねえ」

 とっさに口を開こうとするロビンを目で制し、ソフィアはにこりとして会釈するだけにとどめた。

 二回目の乗合馬車の旅路は穏やかにつつがなく進み、夕暮れ時にはレークリッカの町に着いた。

 レークリッカは陸路の重要な宿場町だが、ロビンによれば、コスタ・デ・サラームまでの道のりはまだ半分にも達していないという。今日の旅程はここまでとして、この町で一晩とどまる必要がありそうだった。

 ロビンの腕に抱かれて馬車を降り、目にしたのは、ある種異様な光景だった。

 馬車を降り立ったばかりの乗客らに、幾人もの客引きの少年が一斉に群がったのだ。次々と声がかけられては断られ、あるいは商談成立して散っていくのをみて、ぽかんとしていると、ソフィアのまわりにも大勢のひとが集まってきていた。

「最高級のお宿はいかがですか」「あちらの最高級は支払う金子だけのこと。おもてなしはうちが一級ですよ」「料理なら負けません。王都で修行した料理人が腕を振るいます」

 口々に売り文句を投げかけられて参っていると、少年たちに割り込むように、ひとりの女性が声をあげた。

「領主館フーヴル・パルク仕込みのおもてなしと料理なら、我が湖畔亭へ!」

 フーヴル・パルクの語に、目を上げる。目が合うと、女性は申し訳なさそうに笑い、両手を広げた。腕には、無くしたはずのソフィアの杖がさがっている。

「お待ちしておりました。どうぞこちらを」

 馬車で隣り合っていたあの女性だと、そのことばでやっと感づいた。

 ロビンが抱き下ろしてくれる。さしだされた杖を脇に挟み、一歩踏み出すと、客引きたちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

「先刻は申し訳なかったわ。きっと、居心地が悪かったことでしょう」

 先手を打って謝ると、女性はかぶりをふり、こちらこそ失礼をいたしましたと頭をさげた。

「湖畔亭は、主人とあたしで営んでいる宿屋兼食堂です。よろしければ、今晩の宿にお使いください。お詫びといっては何ですが、お代は結構ですから」

「ご主人も奥様も、領主にお仕えを?」

 宿に向かいながらロビンが問うと、女性は豪快に笑って、手を振った。

「奥様なんて柄じゃないですよ。……お城にいたのは、ずいぶん昔です。あたしはお嬢様の小間使いで、主人は料理人でした」

「それじゃ、結婚を機に?」

「いいえ。──お嬢様が身罷られて、暇を」

 女性の年齢から推察するに、伯母のことだ。ソフィアはようやく女性の指す『お嬢様』の正体を見つけて、何か得心のいくものを感じていた。

 伯母は、車椅子で転倒して亡くなった。公爵家の者たちからしてみれば、それは義妹の腹の子に呪いを引き継ぐための死だったが、足さえ悪くなければ死ななかったと思うひとがあっても、おかしくはない状況だった。

 それで、彼女はことさらソフィアを憐れんだのだ。合点がいけば、多少の言葉尻程度は優しく赦す気持ちになれた。

「あれからまもなく、領主の声がかりで車椅子が改良されたのはご存じ? 以前はうしろに小さな車輪のついた三輪車だったけれど、いまは四輪で安定するの。杖もどんどんと軽量化されたし、あとはこの石畳をもう少し整備できれば、足が不自由でも転びにくいわ」

 ソフィアの発言に、ロビンだけがあっけにとられたような顔をしている。無理もない。伯母の件の詳細は、公にはされていない。だが、女性のほうは違った。顔つきが変わった。

 それを見て取って、ソフィアはあえて微笑んだ。

「わたくしの憧れのひとは、嵐に見舞われた船のうえでこう言ったわ。『不運を嘆くなら、まずはてめえのからだをマストに繋いでからだ』と。必要なのは、生き抜くための方策なの。嘆くのは最後の最後にとっておきたいわ。わたくしはこの足が治る日を信じているし、足が動かなくても不自由を感じないで生きるためには、いまどうすべきかを考えたいの」

 義足の海賊セールヴのように、毅然と明るく。そうありたいと願ってきた。

 ソフィアは笑みを深め、女性に呼びかける。

「湖畔亭はどちら? 案内してくださるのでしょう?」

 杖を操って一歩近づくと、女性は一瞬、若い娘のような、いまにも泣き出しそうな顔を見せ、目尻を拭い、己が宿へと足をむけた。




 湖畔亭の固めの寝台に腰を下ろし、ロビンはそっと息をついた。ソフィアが未婚の娘だと知った女将が、彼女を別の部屋に連れて行ってくれたおかげで、今晩は悶々とすることなく、ひとりでゆっくりと羽を伸ばせそうだ。

 宿代を固辞する女将にも、相応の金を握らせてきた。あとは、休むだけだ。

 眼鏡を外し、目頭を押さえる。

 ほんとうであれば、護身用の刀剣くらいは持ったほうがよいのだろう。ソフィアの身分を考えれば、護衛と側仕えが数人いたところで不思議はない。そのいずれも、連れてきてはいない。

 杖のほかには着替えひとつ持たないソフィアと、身分も名前も偽り、金しか持たない自分。先行きはまったくもって見通せない。

 ──このまま自分も出奔して、ソフィアとともに生きようか。

 そんな考えすら、頭をよぎる。実際、二択を迫られているのだ。コスタ・デ・サラームでシフと合流して観艦式に臨むか、それともソフィアとともに世界一周の船旅に出るか。どちらを選ぼうとも、もう一方で生きる道は完全に閉ざされるだろう。ソフィアの手を取れば廃嫡は免れ得ないし、観艦式に出れば彼女をひとりで行かせることになる。介助する者もなく、危険な旅だ。たとえ無事で済んでも、公爵はきっと、ロビンを許さない。

 これが大恋愛の果てであれば、状況は違った。いまになって、冷静に選択肢を吟味することもしなかった。だが、いまのロビンにそこまで人生を傾けるほどの情熱はない。ソフィアも、ロビンに好意は抱いているだろうが、駆け落ちしたいなどという意図はないはずだ。彼女はただ、海賊物語への憧れから、海を目指しているに過ぎない。

 ──何はともあれ、お目付役に報告をすべき頃合いだろう。

 ロビンは胸ポケットから襟飾りをつまみ出した。こうるさく騒ぎ立てるかと思ったシフは、しかし、静かで不安になる。まさか、術はもう解かれているのか?

「シフ?」

 ささやくと、ややあって返答がある。

「……シフめはこたびの件で、殿下のお育てを誤ったと知り、誠に遺憾でございます」

 なんとも恨みがましい声音だった。

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