十四
「何のために?」
好奇心に、ソフィアの瞳のなかの星々がきらめく。問われて初めて、考えてみる気になった。ロビンはソフィアをエスコートして歩きながら、じっくりと考えをめぐらす。
「たとえば、単純に物語を書くのが好きで、広く読んでほしかった」
「つまらないわ。それに、青本でなければならない理由にはならなくてよ?」
そのとおりだ。私家版として、しかも禁色を使って出すよりも、ふつうに出版したほうが多くの読者に届くだろう。
「青本に記された作者名は覚えてますか」
「作者名はなかったのよ。だから、かわりに焼印を覚えていたのですもの」
他に手がかりはないのか。王族だという確証もないが、この推論をもう少し深めてみようと顎先をてのひらでなでる。
「名は知られてはならないが、王族が記した書物として後世に伝えたかった、とか?」
あまり、初めの考えから離れられない。刊行するということは、広く知らしめたいのだ。それ以外に考えられない。それなのに名を記さないのはなぜだ。同じ焼印は用いて、同一作者であることは主張しているのはなぜだ。
「──内容が、禁忌だったのかな? それなら、どうして青本にしたんだろう。他に青い本がない状況じゃあ、悪目立ちしすぎる」
思わずぽつりと口にすると、ソフィアはぽんっとてのひらをたたいた。何かを思いついたらしく、明るい顔でこちらを見上げる。
「ロビン! もしかしたら、ほんとうは縁起が逆になるのではなくて? 国が青本の発行を禁じる前に、『人魚姫』や一連の本がすでに匿名で刊行されていたとしたら? 当時は他にも青本が多くあったのだとしたら? 鱗の焼印の押された本が広く頒布され、周知されてしまってから、禁忌が記されているから回収しなければならなくて、表向きは理由を禁色として、その他の青本と一緒くたに取り締まった可能性はないかしら」
わくわくしたような声音だった。たしかに、その筋書きは興味深い。だが、ロビンはあまりこの考えには賛同できなかった。
これまでに読んだ青本はどれも、子どもむけに近いものだった。言うなれば、おとぎばなしだ。わざわざ国を挙げて回収にあたらなければならないような危険思想が織りこまれているとは、とてもではないが思えなかった。
「もし、それが真実だとしても、禁忌は他の青本に記されてたんだと思いますよ。鱗の焼印の本は無関係ですって。……あーあ、人魚姫の本、お見せしたかったんだけどな」
ぼやいて、ロビンは道行くひとを呼び止め、乗合馬車の停留所のありかを聞いた。
「乗合馬車を使うの?」
ソフィアが騒ぐのをなだめ、ロビンは教えられた停留所まで、ゆっくりと歩を進めた。ソフィアの歩みは、決して早くない。まわりの流れから切り離されるような心地がして、ロビンはつい、ソフィアの腰に手を添えた。
「……?」
「もう少し、こちらへ」
道のまんなかから端のほうへと誘導して、自分が楯になるように位置を変える。
「端は、歩きにくいわ」
ソフィアはくちびるをとがらせる。そうだろう。道の端のほうは、荷が積まれていたり、舗装が破れていたりすることもある。それでも、往来のまんなかで行き交うひとに邪魔にされるよりはと思った。
幌馬車が見えた。ロビンは御者に声をかけようとして、親指でむこうを示された。なるほど、客を捌いているらしき男の姿がある。
近づいていくと、声をかける間もなく男はこちらを向き、短く問うた。
「おたくはどちらへ?」
「コスタ・デ・サラームに」
「遠すぎる。直通はない。レークリッカまで。三番、五十」
五十と聞いて、貨幣単位にまごつく。こちらの焦りに面倒くさそうな顔をして、男は言い直した。
「五十ケールだ。おたく、外国人かい?」
「一ライケールしかない」
正直に言うと、舌打ちされた。
「両替商に。そこの赤レンガの一階! 早くしてくれ、お大尽。三番はもうすぐ定員。出発だぞ」
ソフィアを残していくのは不安だったが、短い距離とはいえ往復させるのは忍びない。逡巡に、近くの婦人が申し出てくれた。
「お嬢さんなら、あたしがみていてあげる。行ってらっしゃい、ほら、急いで」
言われて、あわてて赤レンガの建物に飛び込んだ。ライケール銀貨を一枚出そうとして、思い直して三枚放り出した。ケール銅貨がじゃらじゃらと帰ってきたが、三百には少し足りない。『手数料は十ケール』と書かれた張り紙がいまになって目に入った。そういうことか。ライケールに対して釣り銭の用意がないはずがないのだ。両替商と馬車の客捌きの男は通じていたわけである。
とっさに三枚にしてよかった。このさき、両替するたびに資金が目減りしてしまう。
ロビンは両替商から飛んで帰り、ソフィアとふたりだと結局運賃は一ライケールだと知って、相手のしたたかさに舌を巻いた。面白くなりながら、ソフィアを連れて馬車に乗り込むと、さきほどの親切な婦人が隣だった。
婦人はソフィアの杖を自分の腰掛けの下に渡して置くようにと勧め、しきりに話しかけてくる。ソフィアはあまり社交的な風ではないが、それなりにやりとりを交わしていた。
ソフィアの相手は婦人にまかせて、ロビンはこのさきの道のりについて考えた。どこかでひとりになって、うまいことシフに連絡を取らなければ。悪くすると、行方不明扱いになって、捜索隊が出てしまうかもしれない。
シフが絶対参加を告げた例の式典の日時は三日後と迫っている。シフが聞けば喜ぶだろうが、ロビンにとって、コスタ・デ・サラームに向かっているこの状況は、あまりありがたくない。式典は、王国屈指の港であるコスタ・デ・サラームで行われる観艦式だ。海軍の戦闘艦の命名が行われるこの儀式は、船のお披露目の場であるとともに、ロビンがその艦で修練を積むことが公にされる場となる。
修練はすぐに始まり、乗船期間が明ければ、海軍の指揮権の一部──特に海賊討伐に関するあたりは、ロビンの掌中に収まるという寸法だ。それが父の描いた筋書きで、実のところ、公爵の領地に遊びに出かけた理由に、どうにかうまく式典をすっぽかそうという気持ちもいくらかは含まれていたことは否めない。
海軍はこれまで、私掠免許状を交付し、許可料や略奪品に対する納税の義務と引き換えに、民間の船に対し、他国船籍の船を襲うことを許してきた。戦時下でないため、どの船をも襲ってよいという話ではない。『沿岸地域や貨客船を襲撃した経緯のある船』であれば、という条件こそついているが、これはもう、略奪行為を認めるものと考えてさしつかえない。自国の領海内では船相手の、そして、領海を出ればその他の海賊行為が見逃されていたのだ。
「海賊行為」に対する海軍ひいては国の方針が大々的に転換される契機となったのは、先日発布された私掠免許取り消しだ。しかし、そのことが広く知られるのは、今回の式典によってだろう。ロビンが海軍の修練を受けるというのは、政治的な意図とは切り離せない。
経済活動のひとつを断ち切ることの影響は、計り知れないものがあった。
ロビンが顎を撫でて、考え込んでいると、隣でソフィアがからだの向きを変えた。隣り合った婦人のほうをむいて、ソフィアは顎を引き、背を正す。
「わたくしもこの足が動けばよいと思ったことはあるわ。けれども、不自由だからといって不幸だとまで感じたことはないの。どう言えば、あなたはわかってくださるのかしら」
真剣な声音だった。気圧されたらしく、婦人は目を伏せた。




