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十三

 自分の上着を脱ぎ落として器用に地面に敷いて、そのうえにソフィアを座らせる。取って返してバスケットを手にやってくるのを見て、ソフィアはふしぎな気持ちになった。

「あなたの上着が汚れてしまうわ」

 座ってから言うことではないが、隣にたたずむロビンに状況を訴えると、彼は、ん……、と、困ったような表情を見せた。

「朝露で下草が濡れてるんです。男はどうとでもなりますが、お嬢さんの服が濡れると、にっちもさっちも行かなくなりますよ」

 やっぱり、ロビンの気遣いは、自分ひとりに向けられるような、特別なものではない。目を覚まさなければと思いながらも、くちびるは正反対のことを口走っていた。

「お嬢さんはよして欲しい。わたくしはあなたを名で呼んでいるわ。あなたも名で呼んでちょうだい」

 今度こそ明確に、ロビンは口ごもった。

「ロビンってのは、俺の名じゃありません。だから、おあいこです」

「それなら、ほんとうの名を教えて」

 じっとロビンの瞳を見上げる。ロビンは見入るようにソフィアの顔を見つめて、ハッと我に返ったようすで、かぶりを横に振った。

「お嬢さんとは、隣町に着いたら、お別れです。名前は教えませんし、呼びません。さあ、サンドウィッチならありますから、食べてください」

 勧められて、ソフィアはしぶしぶサンドウィッチを一切れ取った。それでも、口をつける前にもうひとつだけ、質問を投げかける。

「あなたのほんとうの名を聞くのはやめにするから、いくつか教えてくださらない? わたくしね、どこかの港から、いちばん長い航路を行く船に乗りたいの。殿下の求婚をむげにするのですもの、ほとぼりの冷めるまではこの国には戻れないでしょうから。最も近い港町までの行きかたと、客船に乗る手段と、あと、『人魚姫』の本を手に入れる方法──というか、買い物のしかたね。さしあたって、この三つが知りたいわ」

 ロビンといっしょにいることを諦めるから、せめて、隣町で置き去りになどせず、自分が生き残れるように手助けをしていってほしい。そう要請したつもりだった。

 しかしながら、ロビンはどうやら、そのような意味には取らなかった。ふうっと真面目な顔になって、いささか不満げに肘を杖にして顎を支える。くちびるをとがらせて、そっぽをむいて、小さく悪態をついた。

「──あんの、性悪執事め」

「執事がどうかして?」

 尋ねる声に首を振って、浅くため息をついて、ロビンは降参を示すように両手をあげ、てのひらを見せた。

「いいでしょう。世界一周の旅にお連れしますよ。本の買いかたは隣町でお教えします。港町への行きかたは俺もわかりませんから、だれか詳しい人間を見つけて聞きましょう」

「……ついてきて、くれるの?」

 まったく期待もしていなかった展開だった。ソフィアはぽろりとこぼれた自分のことばでようやく状況に思いいたって、それから、歓喜に声をあげた。

「やったぁ、ありがとうロビンっ! 世界一周? 世界一周って言ったわね? わたくし、ずっと船旅に憧れていたのよ。やっと、海が見られるのね!」

 思わずサンドウィッチを放りだして隣に座るロビンの膝をつかんだ。ロビンはといえば、間一髪で散らばりかけたサンドウィッチを空中キャッチすると、しかつめらしい顔でソフィアをたしなめた。

「いいですか、お嬢さん。船のうえでは食料が貴重です。──食えるときに食え」

「さもなくば死すべし!」

 『宝島まで二千ファーリ』に出てくるセリフの後半を引き継いで、ソフィアは喜色満面でロビンからふたたびサンドウィッチを受け取って、大きくかぶりついた。



 隣町は、複数の街道の交差する交通の要衝であり、エンマルク公爵領のなかでもっとも栄える町だ。

 この町にも、公爵の私宅は存在する。ソフィアが城と呼ぶフーヴル・パルクに比べれば、いくぶん簡素なつくりではあるが、交通の便のよい屋敷をなぜ使わないかと問われれば、執事の口からはおそらく、このような返答が帰ってくるだろう。

 ──くつろぐための家と、仕事場とが同じ場所にある必要が果たしてありましょうか?

 この町の屋敷は公爵領の統治のためにあり、公爵一家の常の住まいとして使われることはないらしい。そのようなことをソフィアから聞いて、好都合だと思った。

「じゃあ、面が割れてないってことですね」

 お面? と首をかしげるソフィアに意味を説明して、ロビンはソフィアを連れて道ばたで馬車を降りた。

 杖をついて歩くソフィアは目を引くが、それは顔立ちの華やかさのせいもある。

「町に来たのは初めてよ。これが市場?」

 ただの往来を示して頬を紅潮させるソフィアに、ひとつひとつ教えてやりながら、ゆっくりと書店を探す。混雑していた一軒目はやり過ごし、閑古鳥の鳴いている古書店を覗く。

 品揃えは悪くない。ソフィアを促して狭い店内を先に行かせ、ロビンはソフィアの頭ごしに店主へ声をかけた。

「ご店主、『人魚姫』は置いてありますか? 挿絵のついた本なんだが」

 店の奥に座っていた店主は、白の混じった太い眉毛をひそめ、背をかがめたまま、にらみあげるようにこちらを見た。

「……いつごろの本だ」

 唸るように問われて、ロビンは首をひねった。

「正確には。俺が子どものころには、だいぶ古びていたからなあ」

「どこの版だった。言語は。作者と絵師は」

 覚えていない。続けざまの問いに窮して、ロビンは頭を抱えた。ソフィアが雲行きの怪しさに不安そうにふりかえった。

「悪いけど、なにぶん当時は子どもだったもので思いだせないや。国の公用語で書かれてて、表紙が青の革張り、金の箔押しだったのは覚えているんだけど」

 そう聞いて、店主が驚いた表情で顔を上げた。こちらの身なりに気づいたか、居住まいを正し、身を乗り出す。

「旦那ァ、そりゃたぶん、貴重な私家版だ。ご存じないんで? 本の表紙の色は版元ごとに決められておりやすし、青は王家の色だから、私家版でも使用を禁じられてる。取引しただけでも、お縄にならぁ。大昔にゃ、焚書も行われたって聞きますぜ?」

「……そう、なんですか?」

 記憶をたどるが、自宅の図書室の本棚は青い本であふれていた気がする。ソフィアも妙な顔つきになった。

 ロビンは店内の書架をざっと目でたどった。他国語の棚には存在しても、自国語の棚にはどこにも、青い本など存在しない。

「青本なんぞ、おおっぴらに扱う品じゃねえ。俺も、おとぎばなしには聞いたことがあったが、ほんとうにまだあるとはなあ」

 内証に探したほうがいいと忠告されて、ふたり、店を出てから、ソフィアがぽつりとつぶやいた。

「うちにも、青い表紙の本は何冊もあったわ。ロビンの言うのとおんなじよ、青に染めた革張りで、題名が金の箔押しで書かれているの。確か、背表紙には焼き印が押されていなかったかしら」

 覚えがない。答えると、ソフィアは杖を脇に挟んだまま、右手の指で宙をかいた。

 半円をみっつ。ふたつは隣り合い、ひとつはそのうえにまたがるように。

「扇か、波だと思うのだけれど」

「鱗だ。それは、鱗模様の一部ですよ」

 思いつきだった。だが、これ以上しっくりくる答えもなかった。

「『人魚姫』の作者と、他の青本の作者は同じなのかもしれません」

「国が禁じている色の本よ。公爵家にあってよいものだと思う?」

「禁色だと言うなら、王族が私的に発行したものかもしれない」

 ソフィアはふりむいた。

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