十
食堂らしき部屋に入ると、女中や従僕たちが勢揃いして席に着き、食前の祈りを捧げている最中だった。
間が悪いところに入ってきてしまった。弱っていると、マーサが手招きし、自分の隣の空席へつくよう身振りで示してくれた。ちゃんと、ロビンのぶんも用意されていたのだ。急いでそちらへむかい、皆にならって祈りの文句を口にする。祈りに続けて、マーサが「いただきましょう」と促すや、一斉に皆が匙を手に取った。そうして、猛然と食事を平らげていく。あっけにとられていると、マーサが耳打ちした。
「早くしないと、食べ損ねますよ」
うなずいて、ロビンも匙を取る。野菜のスープに黒パン、チーズが一かけにワインが一杯。質素だが、おいしいし、量もじゅうぶんだ。マーサと自分の皿の中身が同じことに驚く。使用人としての階級に応じた食事内容、というわけではないらしい。
食べながら周囲をうかがっていると、どうやら、来客中は特に忙しいため、皆があわてて食事を摂っていることがわかってきた。
執事が現れて、席が設けられる合間に、晩餐の進み具合や、ソフィアより下の子どもたちの夕食のようす、客室の支度の出来について、簡潔にマーサに連絡する。聞き耳を立てていると、マーサはロビンの手元が緩んだのを見て、少し笑った。
「お口に合いませんか」
「いえ、とんでもない。むしろ、私はこの食事に見合う働きはしていないなと、ふりかえっていました」
答えると、マーサはおや、という顔をした。そうして、匙を置くと、膝に手を添え、姿勢をただした。
「お嬢様のお散歩の付き添いは、どうしても殿方でないと対処できないこともございます。今日は最初から、よくお働きだったではありませんか。侍女たちからは、ロビンどのはお嬢様とお話が合うようだとも、うかがいましたよ。お嬢様が心地よく過ごせるよう仕えるのが、あなたさまのお勤めですから、じゅうぶん見合っていると存じます」
そう言って、頭をさげる。つられて会釈をしかえして、ロビンはマーサだけでは無く他の従僕や女中たちの視線が自分にむけられていることに気がついた。なんとなく会釈すると、彼らはふっと打ち解けたようすで笑った。
「騎士様はみんな、まかないが不味いだの量が少ないだの仰るけど、あんたは違うのね」
「私は騎士ではありませんし、育ち盛りも過ぎました」
論点をはぐらかして微笑むと、老爺が感心したようにうなずいた。
「わしらにも、言葉遣いも物腰も丁寧だしなあ」
「この公爵家で仕事をするうえでは、あなたがたが先輩です。当然では?」
「ソフィア様の海賊好き、びっくりしなかった?」
侍女が聞くと、一同はどっと笑った。
「うちの姫様は大層おうつくしいが、少々変わりもんでらっしゃるから」
「熱中できるものがあるのはよいことです。ご存じない本があるというので、昼のうちに手配しました」
この発言に、これまでだんまりを決めこんでいた執事が手を止め、ロビンをみた。
「わたしのところには話が通されていませんね。あなたが負担する必要は無い。あとで代金は必ず請求するように。店には領収証を切らせなさい」
「……はい」
首肯し、ロビンはあらためて食事に手をつける。食堂の空気はあたたまり、とつぜんの来客に苛立ち、殺気だった雰囲気や、気忙しさや慌ただしさは消えていた。
食事を終え、食後の祈りを捧げると、皆それぞれに持ち場に戻るため、そそくさと散っていく。ロビンもまたソフィアの部屋にむかおうとして、背後から執事に呼びとめられた。執事は、他の者がすべて食堂を出て行くまで待ってから、やっと口を開いた。
「あなたはさきほど、自分は騎士ではないと言いました。本物のロビン殿は、騎士のはずです」
ごくりと喉を鳴らして何も言わずにいると、執事は表情をいささか和らげた。
「身上書はわたしと旦那様しか見ていません。あなたのほんとうの名や身分までは詮索するつもりもありません。しかし、もし今後、ソフィアお嬢様やこのフーヴル・パルクに害をなすのであれば、たとえあなたが王家に連なる身であったとしても、容赦はしません。わたしの勤めはフーヴル・パルクの平穏を保つことです。わたしが頭を垂れるのは、公爵家であって、王家ではない」
「──それは、何か確信があっての発言ですか?」
「騎士団からお嬢様の従者として来られるかたには、身の証として騎士団長からの紹介状を持参するように伝えてありました。このたびは、その紹介状があなたの到着より先に、騎士団の伝令係の手により届けられています。騎士団は王家に忠誠を誓うもの。あの清廉な団長どのに偽の紹介状を書かせることのできる人物は、王家の外にはいないでしょう」
ロビンは友人のむくつけき大男を思い起こし、清廉のことばがあれほど似合わない人間もないとは思ったが、こころの清らかさはともかく、私利私欲のない人物ではある。少し笑みをもらして、ロビンは執事に目礼する。直接の返答はせずとも、伝わるだろう。
「ご心配には及びません。明日の朝には出て行くつもりです。さきほど、公爵にも正体がバレてしまったようです。馬車を一台お借りして、明けやらぬうちに出ようと思います」
「なんとも迷惑な話ですね。馬丁にも都合があるというのに」
口だけは辛辣に、だが、表情は笑っている。執事は食堂の入り口に目を向けた。数人の料理番が顔を見せたのを機に、話を切り上げる気になったらしい。感情の見えない顔に戻って、淡々と告げる。
「明朝、旦那様の急用で動いてもらう必要があるかもしれないと、わたしのほうから伝えておきます。そろそろ晩餐が終わるようだ。あなたは持ち場に戻るように」
ぽん、と軽く肩に手を置かれる。なぜか励ましのことばを受け取った気がして、ロビンは執事の行方を目で追った。彼の背が見えなくなってから、食堂に集まるひとびとに追い出されるように廊下に出て、ソフィアの書斎に足をむけた。
父の腕に抱かれてたどる廊下は、まるで知らない家のようにしんとして、寒く感じた。
ほんの一刻前、ロビンの腕のなか、意気揚々と自信に満ちあふれていた自分がいたなんて信じられなくて、ソフィアは小さく縮こまった。
「もう少しの辛抱だ。まだ、人目がある。我慢なさい」
父がささやく。泣いてしまうとでも思ったのだろう。実際、ひどい顔をしている自覚はあった。王弟殿下のことばのせいで、表情など取り繕えないほど、打ちのめされていた。
だれかのことばで自分の誇りが傷つくことなんて、無いと思っていた。社交界どころか客人にも会わせてくれない父は、どれだけ過保護なのだろうかと憤っていた。それが、ひどく思い上がったものであったことに、いまさらながらに気がついていた。
自室の扉を、父が叩く。ロビンが中から出迎えてくれる。その表情が曇る。父が低く唸った。
「立ちふさがっていては入れないだろう」
ロビンが道を空けるのももどかしそうに、父はからだごと押し通り、背で扉を閉めた。そうして、ふうっと息をつく。ソフィアの額にキスを落とすと、椅子のひとつに抱き下ろし、やさしく頭をなぜた。
ソフィアは目の奥が熱くなるのを感じて、くやしくて下くちびるを噛んだ。なんてふがいないのだろうか。
ロビンがソフィアの前にひざまずく。そして、懐をさぐり、ハンカチがないことを思いだしたらしい。その慌てふためいたしぐさがおかしくて、ソフィアは泣き笑いになった。
「聞かないのね」
「口に出したことばに、自分で傷つくことってありません? 俺、そういうの、よくあるんですよね」
言って、ロビンはソフィアの頬を見上げている。膝に置かれた手がときどき浮かされる。こちらに伸ばされそうでいて、結局は伸びてこないじれったさに、つい、彼の手の甲を見つめてしまう。
触ってほしい。慰めてほしい。その気持ちが喉までせりあがってきたタイミングで、父の声がソフィアの意識を覚醒させた。




