「おれは鶴松、江戸城を攻撃する」第三話
この作品は連載に移転しました。
この作品は連載に移転しました。
こんなことなら連載にすればよかったと思ってますが、まあ仕方ないのでこのままいくことにします。
泥縄で資料を探しながら書いているので、おかしなところがあるかもしれません。例えば鉄砲の数とか分からないことが多いです。史実と違うというのは甘えなので、なるべくしっかり調べて書くようにします。
前回は江戸城と大阪城を書き間違えるという失敗をしてしまいました。汗
という事でこの投稿が第三話になります。
十二歳の年、前後が逆のような気もするが、江戸遠征の後、おれは元服をした。
鶴松改め豊臣秀矩、これが新しい名前だ。
おれの前に両手をついて祝いの言葉を述べる母上に、ちょっぴり寂しい気がするのは隠せなかった。
何しろ三歳の時にはこの美しい母上の胸に抱かれ、これ以上の幸せなどあるものかと感じていた日々を昨日のように思い出すからだ。
この年ではもう母上の胸になどすがれまい……
江戸遠征から帰って来た当初、納得のいかない撤退だったと見え隠れしていた不満の声も、しだいに聞かれなくなった頃だった。
おれはこれから豊臣の取るべき道にどう関わっていったらいいのか漠然と考えていた。
政治や経済といった事柄に携わるには、素質というものが必ず必要に違いない。おれはたしかに未来を知っているし、その情報量はこの時代の者と比べたら比較にならないだろう。
だが本当にそのおれがこの時代の政治や経済に参加できるのか。実務経験も無く、はっきり言って聞きかじった程度の専門知識では危うい限りだ。
そんな事を思いめぐらしていた時、
「殿」
「ん?」
幸村の声で振り返った。
「お耳に入れたい事柄が発生いたしました」
「なんだ?」
「江戸からの情報ですが……」
「家康が何か始めたのか」
江戸城攻撃以来家康周辺の諜報活動は幸村に厳命してある。
「伊達政宗殿が家康殿と度々会われているようです」
「なに政宗殿が?」
大阪冬の陣で家康は七十一歳。その二年後、七十三歳で亡くなった。
養生のせいか、秀吉が亡くなった六十一歳と比べてかなり長生きをしたようだ。
関ケ原の戦いでは、つまりおれが江戸城を攻撃した年なのだが、徳川家康五十七歳、伊達政宗三十三歳だった。
「政宗殿が出てきたのか」
「そのようです」
おれはまだ家康殿に比べ若いからとのんびり構えていたわけではないが、うかうかしてはいられなくなりそうだ、
先の戦では、家康討伐軍に参加するようにとの書簡にも、はっきりした態度を示さなかった男だ。江戸城攻撃が始まっても日和見を決め込んでいた政宗殿だが、数千丁の鉄砲を所有すると言われる伊達家が徳川と合わされば、豊臣方にも侮れない勢力となる。
「そうなると経済どころの話ではなくなるな」
「は?」
「いやこっちの事だ」
おれは話題を変えようと、幸村に徳川からの返書を見せる。
「またこのような返事が戻つてまいったよ」
「…………」
何度か家康殿には大阪に来るようにと手紙を出しているのだが、そのたびに慇懃無礼な断りの返事がくるのみであった。
「もはや家康殿は大阪に来ることなどないでしょう」
「そうだな」
おれは言いたくない事をついに言ってしまうのだった。
「やはりまた一戦交えるしかないのか」
「はい」
目を逸らす幸村の表情からはにじみ出てくる、だから先の戦いで家康をつぶしておけば良かったものを。
「…………」
今度はおれが黙る番だった。
実はこれまでおれは虫のいい話を夢想していた。
家康殿自ら大阪にきて謝罪をするのなら、許す代わりに江戸城を豊臣家へ明け渡させる、江戸無血開城の案はどうだろうかと考えたわけだ。
主君を襲撃したのだから、それでも寛大な処置だろうと。
福島正則や加藤清正といった豊臣の武闘派と呼ばれる武将たちも、慶長の役が回避されたため三成とさほど悪い関係でもない。だからあえて徳川方に寝返ることもなかった。
江戸城が抵抗なく無血裏に明け渡されるのなら、豊臣の権勢は盤石なものとなるのだが。
果たしてそんなにうまく事は運ぶんだろうかと考えていたが、やはり世の中そうは問屋が卸さないようだ。