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魔界政治史

作者: TAROU

 外から血の雨の降る音を聞き、サウスは思考を中断した。いや、思考ではなく追憶と言った方が正確かもしれない。

 ーー昔は良かった。

 この時期になると、サウスは決まってこの何の意味も無い懐旧を繰り返した。魔族五百年と呼ばれる中でも既に齢三百を越え、魔生の半分以上を魔族の王に仕えてきた程のこの熟練の切れ者が、このような愚かな行動をするのは極めて珍しい事であった。

 始めてサウスが政の舞台に上がったのは、彼が百を少し超えた頃だった。この時期、人間界では勇者によって建国された世界帝国が不穏な動きをしており、世界情勢は予断を許さない時期であった。当時の魔界の王はブラッドという竜族の大男で、いかにも魔族を切り従えてきたという精悍で活力に溢れた顔つきをした男だった。サウスの役職は、そんな覇王の秘書であった。

「貴様、人族か」

 サウスの顔を一瞥するなり、ブラッドはそう言い放った。殺される。一瞬で本能が悲鳴を上げたのは、歴戦の男に対する恐怖以外の何物でも無かったらしい。

「貴様の同族を殺すかもしれぬ。嫌なら、去れ」

 信じられない事に、王は気を使ったのだ。同じ人族と言っても、サウスは不死身でかつ血を吸う化け物の一族であり、人間界の人間たちとは姿かたちが似ているだけで本質的に別物なのだが、サウスにはこの心遣いが嬉しかった。

 当時の魔界の王と言うのは、実力で全魔族をひれ伏させる覇王の事であったから、必然的に政の全権を持つほか、存在そのものが軍権の本体であった。一度、ブラッドの治世の中で大きな大戦が勃発した時、サウスはその意味をはっきりと知ったものだ。

 人間界に時折現れる「勇者」は、極めて強い力を持つ反面、寿命は一般的な人間と大差は無かった。当時の勇者が世界帝国を建国したのは五十前であったから、彼の焦りは容易に想像できる。彼は、自分が存命の間に魔族との戦いに一応の終止符を打とうとしたのだ。

 ーー全兵力、一千万・・・?

 最初にその情報を聞いた時、悪い冗談かと思った。人間界固有の高い技術によって作られた高性能の武具を装備した兵が、一千万。サウスが人間に恐怖を感じたのは生まれて初めてだった。そんな彼の恐怖は、彼の尊敬する王によって払われた。

「出撃するぞ」

 ブラッドは一言そう言うと、その巨大な翼を広げ、目にも止まらない速さで人間界に飛んで行った。王の秘書として、サウスも怯んでいる訳にはいかなかった。目下瞬時に動員できる兵だけを集めて後を追ったサウスが見た光景は、生涯忘れ得ぬものだった。

 ーーこれこそ、魔族の王だ。

 ひとたび炎を吐けば見渡す限りの兵士が蒸発し、無数の魔術を受け続けても動じないその姿は、まさに万民が王と仰ぐに相応しい威容であった。

 気付いた時、怯えは無くなっていた。それは続々と遅れてくる兵士たちも同じで、魔界陣営から次々と上がる歓声は、確かに戦場を支配していた。

 結局あの戦いは勇者の参戦により五分にまで押し戻され、不可侵条約が結ばれたのであるが、元々圧倒的な戦力差を、王と言うただ一個の存在が覆したことが、サウスの価値観を決定づけた。

 そんな彼にとって、現状とはどう考えても歪んだものであり、断固として是認するわけにはいかない物だった。

 ーー昔は良かった。絶対的に強く、認められた君主による独裁。今は・・・

 今。かつて彼が尊敬してやまない「最後の覇王」ブラッドが、晩年半ば強制的に制定した制度は、凡そ五十年たった今でも、未だに受け入れられない物だった。

 選挙制度。王たる者を国民の意思で選ぶ人間界の掟を魔界に適用させたことは、本当に正しかったのだろうか。

 時は魔界歴四千三十八年六月。十年に一度行われる「総選挙」まで後半年を切っていた。



 目の前の老人の言うことは、ブラッドにとって支離滅裂以外の何物でも無かった。

 かつてブラッドが戦った「世界帝国」は、建国者である勇者の死によって再びいくつもの国に分裂し、著しく弱体化したらしい。なので、今は人間界の動向を殆ど気にしてはいなかった。しかし、人の世を儚んで死にかけた老人を拾い上げ、人間界の風習などを聞く話し相手としてそばに置いているのは流石に酔狂ではあるか、とブラッドは自問自答した。

 風習と言っても、もっぱら政治の話だった。勇者なき時代において、魔族にとって永遠の競争者たちは、いったいどのように王を決めているのか。最初はこの程度の興味だったと思う。

「次に選ばれた王と言うのがまた曲者でしてな。あいや、王自体は人当たりの良い平々凡々な方だったのですが、支持層がいけなかった。工業団体が支持層でしてな、国民の半数を占める農民をあろう事か差別するような政策を次々と・・・」

 当たり前の事では無いか、とブラッドは独り言ちた。権力を握る者を権力を振るわれる側が選んでどうするのだ。これで公平な政など出来る訳が無い。

 しかしブラッドが支離滅裂に思うのは話の内容ではない。そのような欠陥のある政の話を、あたかも嬉しそうに話す老人の態度にである。大方、不公平な政、その贔屓される側の馬尻に乗ってきたのだろうと考えるが、案外そうでもないらしいのである。

 農民たちの税が倍になった、と言う話をやはり嬉々として話す老人を見つめながら、極めて賢明な覇王はこっそり首を傾げた。奥で控えているあの秀才秘書ならば、何か分かるだろうか。いや、きっと分かりはしないだろうと一人思案した。



 馬鹿が、とロックスは何度目になるか分からぬ言葉を呟いた。

 ーー二百年前に締結された不可侵条約は当時の世界帝国が交わしたもので効力は無い。よって今回の事件は不問とし、新たに停戦条約を結ぶことにする、か。

 よくとまあここまで馬鹿げた話を持ち帰ったものだ。怒りも呆れも繰り返し過ぎて、今は不思議な関心だけがあった。

王都デーモンシティの中心部に位置する王城デスキャッスル。その三階の一室にて古参外交官ロックスは執務をしていた。王城に部屋を与えられるのは官の中でもごく一部であり、その中でも三階の部屋はわずか十人にしか与えられないのだから、この男は間違いなく優秀であった。

 引き換え、十年前の選挙で選ばれ魔族の王に擁立されたハマ・カーンは端的に言って凡庸であった。凡庸な男は政権を維持するため、姑息な人気取りをするしかなかった。それは、その凡庸な男に仕えて外交を担うロックスがよく知っていた。元々卑賤の出であるゴブリン族のハマ・カーンは、民衆というものの心理を肌で知っていた。

 自分はどうなのだろうか、とたまに思う。高い魔力を持つと言われる狐族の中でも一握りの「妖狐」。選良としての誇りはあったが、民の気持ちなどは考えたことが無い。一度、ロックスはハマ・カーンの余りに露骨な人気取り政策に対し、覇王時代の生き残りとして諫言をしたことがある。その時いい返された事は、彼の憤りと憐みの混じった顔と共に、今でも頭にこびり付いていた。

 ーー民衆は愚かだ。そして、純粋だ。百年の大計より目先の利益に飛びつくのは当たり前だ。誰だって、お前たちエリート官民ほど余裕がある訳じゃないんだ。

 では、今のこの状況は民の意思だとでもいうのか。苦々しい幻に、ロックスは届かぬ苦言を呟いた。届かぬ代わりにデスキャッスルの分厚い内壁は、その苦言をそっくりそのまま返してくれた。民の意思。そう言われて、返す言葉が無いことにロックスは苛立った。

 ここ数年、人間たちの動きが活発化していた。二百年周期に訪れるこの現象は、人間界に「勇者」が現れた事を示していた。在人間界の魔族が狩られる事も多発し、ロックスは外交担当として、人間界を奔走した。そんな折の事件である。二百人程度の人間が、中立地域を越えて魔界の境界線付近の施設を強襲。当時住んでいた悪魔族の富豪は皮まではがされた挙句惨殺。彼の子や孫は連れ去られたと見え行方知れず。彼の家にあった多くの宝物は皆持ち去られていた。

 この事件は魔界全土を震撼させた。多くの民は人間への報復と正当な謝罪を求めるべきだと主張したが、現ハマ・カーン政権の支持層である貧民層は違った。

 ーー金なんて持っているから狙われるんだ。自業自得さ。報復?何で俺らが金持ち連中の為に戦争を始めなければいけないんだ。

 誰も口にはださねども、このような空気が蔓延していたのは間違いなかったと思う。「民主主義」へと移り変わって五十年。なまじの権利を与えられ、それでいて富を得る事は許されなかった貧民層の、上流階級に対する憎しみは膨らむ一方である。

 当然の結果としてハマ・カーンは融和路線を採った。選挙の時期を控えていたことは、この判断と無関係では無いだろう。熟練の外交官ではあるが覇王時代の強硬主義を持っているロックスを半ば無視したのもまた当然であった。

 権力を担う者が、誰かの意思に左右されてはいけないと思う。個人の意思が内政に影響し、内政の問題が外交に飛び火する。意味もなく敵国の非道を黙認した愚かな妥協案を前に、後処理をどうするかだけを考えようとロックスは思った。



「人間、いい加減にせぬか。そなたの話は意味が分からぬ」

 ある日、いつものように話を続ける老人の話を遮り、ブラッドは老人を見た。何という事は無い人間である。その人間が、この百戦錬磨の自分にも分らぬ理論を持っていた。

「弛み、驕り、なれ合い、忖度。いとも醜き自国の腐敗の様子をさも嬉しそうに話す貴様は、一体どういう料簡をしておるのだ」

 本来、魔族の王たる自分にとって、人間界の政の欠陥は歓迎すべき出来事であった。しかし本能は、これを決して楽観的に判断してはいなかった。

 民主主義。民によって王が選ばれる制度。民の意見を、意思を、国政に反映させる制度。人間界の人民が魔界のそれと同じくらい愚かである事は明らかである。ならば、どうしてこのような制度が存在するのだ。存在するという事の裏には存在を許されるだけの根拠が存在するのではないのか。

 答えは、老人の口から語られた。

「今だから言える事ですが・・・人間界には数年前まで「勇者」が居たのです」

 人間にとっての希望の象徴を口にしたとき、老人は初めて苦悶の表情を浮かべた。思い出す。この顔は、最初にこの老人と出会った時。今にも死のうとしていたあの顔である。

「「勇者」は私たちの国を「解放」し、そのまま王になりました。実際に、多くの悪税が無くなりましたし、極端な不平等は無くなりました」

 話を続けるほどに、苦悶は顔を覆っていく。何故だ、分からぬ。

「それは突然の事でした。勇者は隣国に宣戦布告し、兵を強制的に動員したのです。後になって考えると、隣国は確かに私たちの国に陰湿で悪質な嫌がらせを続けてきましたから、まったく理由が無いという事でもありませんでした」

 ならば、その判断は王として当然だろう。自国にとって不利益な隣国を攻め滅ぼす。当然のはずだ。

「徴兵によって、私は子と孫を連れていかれました。女連中と最早体の動かない老人だけで、畑は耕せません」

 成程、とブラッドはようやく納得した。要するに、戦争の為に被害を受けたから、戦争を行った勇者が許せないというのだ。

 下らぬ事だ、とブラッドは思った。戦争を行わなければ、他の方法で被害が出たかもしれないのだ。国の民になるというのは、権利だけを享受する事ではない。欠陥した政治制度は、前提として無知な民をここまで愚かにしてしまったのか。

 疑問の氷解と共にこの老人に対する興味も無くなった。同時に、かつての好敵手たる勇者に同情の念が生じたのをブラッドは感じた。殆ど興味を無くした話の内容が再び耳に入ったのは、老人が自分の苦労話を終えた後、一言ぽつりとつぶやくように言った言葉からだった。

「とはいえ私は、戦争と言う行為そのものを憎んでいる訳ではありませぬ」



 目の回るような忙しさに、本当に空間が回っているように見えた。

 いや、それは間違いでは無いのだとレフは思い直した。ここ「魂の原野」では、無数の霊魂が滅茶苦茶に飛び回っている為に、大地が回っているような錯覚に陥ることがよくあるという。

 本来なら現王ハマ・カーンの股肱の臣として王都デスキャッスルで客の接待でもしているだけの自分が、このような国境沿いの辺境くんだりまでやってきたのには理由があった。むしろ、親友であるハマ・カーンが、ゴブリン族の星として出世街道を上り詰めていくにつれて、勝手に身分が上がっていっただけのこの腰ぎんちゃくは、理由も無いのに王都の外に出たりはしない。いや、理由があっても大体は出ない。

 ーーああ帰りたい。が、ハマ・カーン立っての頼みを、まさか俺が断る訳にもいかんだろうて。

 ハマ・カーンの信頼のみがこの小ゴブリンの存在価値なのである。彼は出発前夜、親友とこういう会話を交わしていた。

「なあレフよ。一つ頼まれ事を聞いてくれないか」

「何だい親友よ。俺に頼み事なんて珍しいじゃないか」

「そりゃあ大体の用事は、お前なんかに頼むよりもこの国の昔からの有能な老臣、サウスやロックスに頼んだ方が確実だもの。でも今回の頼みは、お前にしか頼めないんだ」

「へえっ、そんな仕事がまさか俺にあるのかね」

「あるさ、唯一この城で俺と同じゴブリン族のレフ君。ハマ・カーン政権を代表して選挙活動を出来る人材はお前しかいない」

 選挙活動、つまりは次の選挙に向けての宣伝活動の事である。魔界全体を見ても圧倒的にマイノリティーであるゴブリン族の男を宣伝するのに、まさか選良の代表格たる吸血鬼や妖狐にやらせるわけにはいかなかった。尤も、彼らはこんな要請に答えないだろうが。

 という訳で白羽の矢が立ってしまっておおよそ二か月、魔界中を西へ東へ渡り歩き、有力貧困層やマイノリティー種族に政治方針を語り歩き、ようやく最後の地「魂の原野」にたどり着いたのである。

 ーーああ、帰りたい。しかしここで帰ったら怒られ、いや、もしかしたら政権そのものがつぶれるやもしれぬ。そうなれば終わりじゃ。

 王の信を失うことは怖いが、王が選挙に負けるのはもっと怖い。長い腰ぎんちゃく生活の中で狩りの仕方も忘れたこのゴブリンが、ここまで選挙を恐れる理由はこの「魂の原野」の中にあった。ゴブリン族の数少ない長所である高視力は、はるか遠くにそびえる禍々しい建物を目に捕らえていた。「英雄」ドラグロフ。あの建物に住まう歴戦の竜族将軍は、ハマ・カーン政権にとっての悩みの種であった。

 この国の選挙制度は、王を直接選ぶ直接選挙制であり、政権を動かすその他の人材は、選挙によって選ばれた王によって任じられる。尤も、圧倒的な経験と能力を持つ一部の前時代からの老臣は、事実上政権の意思と関係なく役職が与えられる。何せ候補者たちの選ぶ取り巻きたちは大体の場合レフのように政治のセの字も知らないのである。しかし殆どの場合は王が決まった瞬間、政権のメンバーも決まるのだから、有力な候補者たちはあらかじめ自分の与党を作り、まとまって活動していた。

 ドラグロフは排外的な活動家や軍人を与党に三十年前から活動していたが、その主張の過激さにより、万年泡沫候補だった。しかし先日のとある大事件を機に、一気に本命候補と呼ばれるまで支持層を倍増させてしまったのである。

 ドラグロフ派が新たに得た層は「裕福層」。人口比率にしてわずか二分、しかし魔界の富の四割を動かす怪物たちが、こぞってドラグロフ派への支持を表明したのである。選挙は原則として一人一票だから彼らが投票することそれ自体は大したことでは無い。しかし彼らは一人一人財閥や門閥を持っており、無数の家人を養っているのである。彼らが皆ドラグロフに投票してしまったら、ハマ・カーン派は間違いなく負ける。

 ーーこれも全て人間のせいじゃ。

 とレフは愚痴った。この男にとって、見知らぬ魔族が惨殺されるだの人間との間の外交問題だのはどうでもよい事であった。融和路線を進める事で裕福層の支持を失うのならば、今からでも強硬路線に切り替えせばよい。と、ハマ・カーンにそう言って以来、レフが公の場で政治を語る事は禁じられた。

 ーー厭味ったらしくあんなところに本拠地を構えおって。

 かつて人間のハンター共に強襲された廃墟後に、ドラグロフが「ドラグロフ一派」の本拠地を立てたのは二年前だったか。事件の翌年までに土地を買い取り建物を建てた事になるから、まさに神業という他ない。その挙句に、彼はこう表明した。

「俺がここにいる限り、人間どもに魔界の地を一歩たりとも踏ませねえ。ここは魔界の防衛線にして前線基地だ」

 ああ、とレフは呟いた。思想も主張もどうでもいいがドラグロフは怖い。何も知らなくとも怖い物は怖いのだ。そんな恐ろしい男のお膝元で宣伝活動をしなければならない不幸を、レフは心の底より嘆いた。



 ブラッドは寝室に一人考え込んでいた。いつもなら隣の部屋で控えさせている秘書のサウスも今日は帰らせた。一人で考えたかったのだ。

「とはいえ私は、戦争と言う行為そのものを憎んでいる訳ではありませぬ」

 先日の会話が頭の中で蘇る。老人の顔が映る。苦悩の顔であったが愚か者の顔では無かった。

「私が憎むのは、私たちの意思に関係なく大事が決められた事でございます。私たちの知らぬ所で、勝手に強い者が決定した行動により、私たちの大切なものが奪われた事です」

 分かりかけた事が、更にわからなくなったのを覚えている。何なんだ。強い者が国の行動を決定するのは当たり前では無いか。強くない者に、強い者以上に正しい判断が出来るのか。強くない者の集団は、そもそも正しく行動しようとするのか。

「民主政治が絶対的に正しくないのなんて当たり前なんですよ。百人いれば百人の考えがある。千人いれば千人の考えがある。それら全ての意見に沿った政治なんて出来る訳が無いんです」

 だから代表者を決め、代表者に一任するのだ。自分の権利を一任する以上、より強く賢明な者の方がいいに決まっている。

「でもね、自分にとってどれほど合わない政権でも、それは私たちの選んだ政権なんです。私たちのようなただの民が、唯一大勢に関われる、責任を共有できる制度が民主主義です。勇者に指示されるままの道具としての安寧より、自分たちの手で国を動かした挙句の失敗の方がいい」

 道具としての安寧。敵対勢力を下し王となって三百年、民を生物として扱ったことはあったか。国と言う存在を動かす歯車、動力源。精々その程度の認識だったのではないか。

「その当時、私たちの国は確かに腐っていました。政府は一部の富豪と結び、我ら農民から税を絞り上げました。理不尽な忖度は有りました。許されぬ不正も有りました。しかしそれは我らの請求により止めさす事が出来た。王もそれが分かっているから、本当に越えてはならぬ一線は民に問う。それで、良かったのです」

 何となく、分かった。それがブラッドの人生を、いや、魔界政治史を全て否定しかねない考えだという事が。

 やはり、これは一人で考えた方がいい。



 ロマネスは豪華極まりない居室の片隅で、書き物をしていた。

 本来あらゆる雑務も使用人が片付けるのだが、今彼が書いているものは、彼自身が書かなければ意味が無い物だった。

「ロマネス財閥はドラグロフ派を支持する」。その意思表明の誓書を彼は書いていた。

 ロマネス財閥。千年の歴史を持つ由緒正しき財閥だが、従来の専制政治下においては財産の九割を国に管理されていたため、さほどの権勢を誇っていたわけでは無かった。それが所属魔族数三千匹、総合取締役のロマネスが納税ランキングにて四位に入る程の今の権勢を手に入れたのは、民主政治が始まってからである。

 ーー全く、民主政治様様だ。

 と、彼は思う。「強さ」という権力の根拠が万人に明らかであったかつての専制君主たちとは違い、民選君主たちは皆民の顔色を窺う。何せ彼らの権力の根拠は民の信頼のみなのだから。全く民主主義とは言い得て妙である。故なく財産を取られることの無い事がどれだけ幸せな事か、この年四百六十になろうとする老資産家は肌で知っていた。

 そんな民主主義の信奉者であるロマネスも、今の政権には閉口していた。彼らにもう十年政権を取られてしまったら魔界が亡びる。その点、ドラグロフは信頼に足る男だった。いや、むしろドラグロフの様な男こそが民選君主に選ばれるべきなのである。

 強い王で無いと国を守れない。しかしあまりに強すぎるとタガが外れ事実上の独裁になる。この辺のパワー・バランスは難しい所であるが、こと民主主義が適切に運用されているならば強い君主の方がいいに決まっている。どれだけ強く優秀な君主も、民主主義の中ではその権力の根拠は民からの信頼のみであることに変わりは無いのだから。嫌なら今回の選挙のように辞めさせれば良い。全く、民主主義様様だとロマネスはもう一度独り言ちた。

 超音波を出し、使用人を呼ぶ。あの政治界の傑物サウスの出身である吸血鬼族のなり損ないと蔑まれて来た蝙蝠族の己が、コンプレックスの果てに生み出した特技である。吸血鬼族は勿論、蝙蝠族にも他の種族にも聞こえるような超音波を出せる者はいない。

 待つ間もなく使用人が駆けつけてきたので、先ほど書いた誓書を渡す。これが公示されれば、ロマネス財閥三千匹だけでなく、ロマネス財閥と関係が深い多くの門閥が票をドラグロフに入れるだろう。

 一仕事を終えた所で、食事が運ばれてきた。現政権の支持層である貧民層の魔族が一年暮らせるだけの費用が費やされた饗を見て、ロマネスは悪意無く勝ち誇ったような気持ちになった。



 この秘書のここまで動揺した顔を見るのは初めてだとブラッドは何となく思った。ついに言ってしまったのである。後戻りは出来ない。

「王。賢明なる王よ。どうかお考えを改め下さい。魔界史五千年、王を民に選ばせるなどと言う法を聞いたことはございませぬ。成程いかにも道理にかなっては聞こえますが、その実態は人間界が示す通りです。どうか、どうかご再考を!」

「ならぬ。これはもう決まった事。覇王の世は私で終わりだ」

 サウスの顔を覆う動揺はますます深みを増していく。この様子を見てブラッドは確信した。

 分からないのだ。民という存在が。王たる己に分からず、この優秀な人格者にも分からないのだから、きっと魔界全土を探しても誰にも分からないだろう。

 道具としての民、歯車としての民、動力源としての民。いや違う。俺たち選良の支配者は、きっと民の事をこう思っているに違いない。

 作品。人生を賭けて築き上げた「国」という土台に置かれた作品。政治と言う名の作業がどれほど巧拙だったかを表す作品。

 竜族は、他の種族が相手ならば文字通りの一騎当千が叶う種族である。その中でも選良の己は、一匹で万の軍勢を相手にできると思う。実際にそうしてきたし、だからこそ己は王であった。しかしそうした規格外の「怪物」に、民の気持ちなどは斟酌できる訳が無い。

 政治は、民に近い者がやるべきだ。絶対的に失敗は増えるし効率は悪くなる。しかし王が民に近しければそれをいさしめる事が出来る。いさしめて聞かなければ代わりの王を選ぶことがが出来る。そして、出来るだけ民に近い存在を選ぶための方法が、選挙なのだ。

 選挙、民主主義。正直未だに馴染まないが、我らの次の世代、更にその次の世代の魔族には、その制度が当たり前だと思えるような世になるだろう。尤も、魔族の長い寿命からして、これは遥か先の未来の話だろうが。

 今自分に仕えている者どもには根気よく説明しよう。理解はされなくとも妥協はしてくれるように。ブラッドは大変な役回りを自覚して一人苦笑いをした。



 コボルト族の少年は、日が明ける前から全力で走っていた。この顔には期待と興奮が溢れていて、コボルト族固有の長躯能力も相まって、長く走っていたであろうに全く疲れを感じていないようだった。

 ーー今日が、待ちに待った選挙の日!

 少年の胸は躍った。今年丁度五十になる少年は、初めて選挙に投票する権利、参政権を与えられたのである。ゴブリン族以上に冷遇されているコボルト族の集落に投票所などは無いから、投票開始一番に投票できるように、最寄りの街「針山三番街」に向けて走っているのである。

 勿論、少年はハマ・カーンに投票しようとしていた。マイノリティー種族希望の星であるハマ・カーンは少年の憬れである。先日集落にやってきた小さいゴブリンの話によると、対抗勢力は竜族の元将軍で、昔みたいな強権的な政策をするかもしれないという。そんな事は御免だった。

 少年は、覇王の時代を知らない。がしかし、自分たちが選んだ訳でも無い王が、強い力で無理やり色々な事を命じてくるという時代が実際にあったらしいという事は知っていた。これは少年の知る由も無いが、学校の歴史教育に急遽その内容を加えたのは他でもない、現在隠居中の老覇王である。

 走る事おおよそ五十里。ようやく街に着いた少年は投票所を探すためにまたもや走り回る。最近はゴブリンの王のおかげでコボルトが街を走り回っても怪訝な目を向けてくる者は少ない。

「おっ」

「あっ」

 投票所の前で少年は声を上げた。学校で知り合った悪魔族の友人と偶然鉢合わせたのである。挨拶を交わそうかと思ったけど、止めた。きっと彼はドラグロフに投票するだろうから。投票が終わったら一緒に飯でも食べようかと少年は思った。

「おはようございます。こちらの紙に投票する人の名前を書いてこの箱に入れてください」

 室内の厳粛な雰囲気の中では、事務的に紙を渡される事すらも緊張を伴った。近くに友人の顔も見えたが、当然書いている内容は見えない。少年も己が支援する男の名前をしっかりと書いた。

 そして、その紙を箱の中に入れた。これで、一票が入るのだ。ゴブリン族の王を擁立するための一票が。何やら凄い事が行われたような気がした。いや、実際に物凄い事が行われたのだ。今頃魔界全土で行われている「物凄い事」の力が集まって王の姿を為す想像をして、少年の頭は清々しく浮遊した。

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