第99話 どっちが悪い?
ぐーぐーとお腹が鳴っていた。
時は午後、ローズの夫にして彫刻家ロダンの特別授業。
合同授業であるこの時間は、奇しくも愛衣のクラスと一緒になって。
座学と実際に木彫りの人形を作るという実践授業、皆は静かに熱中し。
静かではなかったのは、英雄の腹の虫である。
「…………あー、英雄くん? ボクが許可するから、何か食べたら? お昼食べ損ねたの?」
「いえ、お構いなくロダン先生。お腹の音はBGMって事にしておいてください」
「そうだぞロダン先生、このクソ男の存在は無視してくれ」
「え、キミら喧嘩でもしたの?」
「喧嘩? 喧嘩って言いましたロダン先生? それこそまさかですよ、こんな分からず屋のクソ重オンナなんかと喧嘩なんてしませんたら」
「その通りだロダン先生、人の愛情を無視する最低な男となんて喧嘩していない」
「はぁっ!? 誰が愛情を無視する最低な男だってっ!? 聞き捨てならないんだけど馬鹿オンナっ!!」
「こっちだって、誰がクソ重オンナだっ! 愛情深い良い女だと訂正しろ! このっ、おちゃらけクソ虫がっ!!」
「クソ重オンナっ!」「おちゃらけクソ虫っ!!」
がるるっ、ばうばうとロダンを挟んでいがみ合う英雄とフィリア。
困ったロダンは、助けを求めるように美術室を見渡して。
「うーん、ちょっと栄一郎くん? あの二人どうなってるの?」
「それが拙者達にもサッパリで、登校して来た時はもうあんな感じでおじゃ……」
「目を合わせれば睨みあうし、口を開けばケンカしてるんだよ先生。しかも英雄の方は飯抜きらしくて」
「というか、ロダン先生ってセンパイ達の隣に住んでるんですよね? 何か気づかなかったんです?」
「いや、それは先週までの話でさ。邪魔しちゃ悪いと思って、マンションに移ってるんだ」
「となると、…………おーい、皆の衆! この二人のケンカの原因を知ってる者は居るでゴザるか?」
「ウチのクラスも、誰か知ってます?」
机兄妹の呼びかけに、それぞれのクラスメイトは首を横に振り。
「机くん達が知らないんじゃ、アタシら知らないって」「んだんだ」「だな」「つか珍しくない?」「あー、一年は知らないか」「んだんだ」「俺らが一年の頃は、あんな感じだったよな」「懐かしいねぇ」
「――いや、ちょい待てオマエら」
「何か分かったでゴザるか天魔?」
「いや、俺らが一年の時の二人に似てるって聞こえて来たからさ」
「つまり、どういう事です天魔くん?」
「俺の推理によると…………、アイツら二人だけ一年前にタイムスリップしているんだっ!!」
「なんとっ! 凄い名推理でおじゃっ!? 全てに理屈が付くでゴザるぅ!!」
「ダメですね天魔くん、それじゃあ三十点です」
「はい! じゃあ拙者思いついた!」
「では兄さん」
「英雄殿のパンツを這寄女史が食べた!」
「うーん、それ五十点ぐらいじゃねぇ? 這寄さんならやりかねないし。どっちかってーと、英雄が這寄さんのパンツ被って遊んでそうだ」
「あ、英雄センパイがフィリア先輩の下着で遊んでるのはマジらしいですよ。フィリア先輩がこないだ愚痴ってました」
「まだ短いつきあいだけど、英雄くんならやりそうな悪戯だね」
「英雄殿って、結構ガキっぽい事好きでゴザルからなぁ……」
「あ、俺もう一つ思いついたぜ。――ずばり、英雄ののり塩ポテチを這寄さんが全部食べた」
「あり得そうでゴザルが、英雄殿がそれぐらいで怒るでおじゃ?」
「いえ、結構ありそうな線ですよ兄さん。英雄センパイは許容範囲が広いだけで、怒るところはガッツリ怒りますからね」
「そうだね、この前ウチのローズが英雄くんにした仕打ちぐらいじゃないと。彼は怒らない気がするんだけど……」
「というか、大喜利してないで直接聞いた方が早くね?」
「じゃあ頼んだでゴザル」
「え、俺ヤダ。あの状態の二人に近づきたくない。愛衣ちゃん頼んだ」
「うぇっ!? わたしですかっ!? そ、そうですよロダン先生お願いします!」
「ここは親友筆頭である栄一郎くんが行った方が良いと思うよ?」
「では拙者は天魔にパスでおじゃ」
「堂々巡りしてんじゃねぇよっ!?」
誰が聞くかと、一同が押しつけあう中。
再びぐーぐーと英雄のお腹が鳴って。
「ふふっ、そろそろ限界ではないのか? 水だけでは苦しいだろう。フィリア様、どうか弁当をお恵みくださいと這い蹲れば考えてやっても良い」
「冗談が上手くなったねフィリア? 僕は金輪際、君の作った料理は食べない。食べるぐらいなら餓死して死ぬ」
「~~~~っ!! くっ、この分からず屋がっ! 今日は何も入れていないっ!!」
「ふーん、そう。信じられないねっ!」
「こうなったら、無理矢理食べさせてやるっ!!」
「やれるもんならやってみろっ!!」
ガタンを二人が勢いよく立ち上がった瞬間。
「あだっ!?」「ぬわっ!?」
「はーい、二人ともそこまで」
ぽこん、ぽこんと軽い音が二つ。
ロダンが、丸めたプリントで二人の頭を叩いたのだ。
「まったく、英雄くんのお腹の音が五月蠅いと思えば、今度は喧嘩? 取り敢えず、訳を言ってくれないかい?」
「英雄がっ!」「フィリアがっ!」
「じゃあフィリアちゃんから」
「ようし! 英雄に勝った!」
「はっ、レディーファーストってヤツさ。いい気にならないでよね!」
「話が堂々巡りするから、英雄殿はお口チャックするでゴザル」
「はいはい、お口チャック。脇部英雄サイレントモード!」
「いや、叫ばないで英雄くん?」
不満気におちゃらける英雄に、見下した視線を送りながらフィリアは口を尖らせて。
「聞いてくれロダン先生、英雄がな。私の愛情が籠もった手料理を二度と食べないと言うんだ! しかも口を開けば私への文句ばかりだっ! 酷いとは思わないか!!」
「これだけ聞くと、英雄くんが悪いように聞こえるけど。聞き取りは平等にしないとね」
「という訳で、レッツゴー英雄殿!」
「言い訳は何です英雄センパイ?」
「これは事実なんだけど。去年のバレンタインチョコが、全てフィリアの髪の毛と爪入りのモノにすり替えられていた事が判明してね?」
「くっ、英雄くんもそうなのかいっ!?」
「分かってくれるんですねロダン先生っ! しかも普段の手料理にも入れてるって! もはや恐怖しかないと思いませんかっ!!」
「だよねだよねっ! 良く分かるよ!」
「ロダン義兄さんっ!」「英雄くんっ!!」
ひしっ、と抱き合う義理の兄弟に。
主に男子生徒が哀れみの涙を、対して女性陣が何故から突き刺さる視線。
「酷い……酷いですよ英雄センパイっ!」
「おおっ! 愛衣ちゃんも分かってくれる!!」
「分かりますともっ! ――――フィリア先輩が可哀想じゃないですかっ!!」
「うん?」
「分かってくれるか愛衣! そうだよな! 私は何も間違っていないよな!」
「ええ! フィリア先輩は何も間違ってません!! 自分の指とか入れないだけ自重してますよね!」
「そうだ、そうだともっ!!」
「栄一郎っ!? 君の妹が裏切ったんだけどっ!? というか恋人でしょ天魔っ! 何とかしてよっ!!」
「くぅっ、すまない英雄……。俺は自分への被害を防ぐだけで手一杯なんだ……不甲斐ない俺を許してくれ……」
「まさか天魔も……っ!?」
「英雄っ! ロダン先生っ! マイベストフレンズっ!」「ああっ、天魔は僕の親友だよっ!!」「ようこそ、被害者の会へ!」
堅く抱き合う三人に、一人、また一人と周囲の男が近づいて涙ながらに肩を叩く。
そして栄一郎は、俯きながらその輪に加わると。
「…………英雄殿」
「おお! 栄一郎もこっち側だね!」
「英雄殿っ!! 貴様という奴はっ!!」
「おわっ!? なんで襟首掴むのさっ!?」
「恋人の爪や髪の入った手料理…………、許せんっ!!」
「でしょでしょ!」
「なんで喜んで食べないでゴザルか! この馬鹿チンがぁっ!!」
「しまったっ! 栄一郎は向こう側だっ! 皆追い出せっ!!」
「くっ! 我らが同士達よ! 盟友栄一郎を助けるのだっ! そして我らの愛を勝ち取れぇええええ!!」
「応戦するんだ! 例え相手の愛が重くてもっ! 僕らは同じ重さを背負った同胞っ!! 負けるものかよっ!!」
そして始まる乱闘騒ぎ、英雄とフィリアを中心に。
恋人達が、愛するもの同士が敵対を始めて。
ドタバタ、ワーワー、キャーキャー。
――なお、今は授業中であるからして。
そして、美術室に入ろうとしている足音に誰も気づかず。
「テメェらウルセエぞっ!! 今は授業中だ!」
「我が愛する夫の授業で何をしてるかっ!!」
「茉莉センセ!」「姉さんっ!」
様子を見に来た担任と副担任は、仁王立ちで登場したのだった。