第98話 満たされぬモノ
久々に地雷を踏んでしまったと、英雄は直感した。
仰向けに押し倒された自身の体、馬乗りになる愛する女の子。
これ、ちょっとエッチな体勢だよね、などと茶化す空気ではなく。
その白く細い指は、十本全て彼の喉に絡みついて。
吐息は熱く、その青い瞳は暗く輝いて。
感情が決壊する一歩手前、否、爆発させるのだ今から。
「辞世の句を詠んだ方が良いかい?」
「永久に愛してる、以外は受け付けない」
「これはまた熱烈だね、……ああ、うん。つまる所、僕への愛情が貯まっていたって感じだね? そんな君も綺麗だよ」
「……本気で言ってるあたり、英雄も中々に感性がイカレてきたのではないか?」
「ねっとり言うねぇ……、まあ多少の自覚はあるさ。それで? 何が言いたいんだいマイラブ、言い訳をどうぞ」
「この状況で私の愛を言い訳を言えるのは、この世の全てを探しても君ただ一人だけだな」
「僕からの愛を感じちゃった? なら、この首の手を離して欲しいんだけど。ほら、生死与奪の権利を他人に与えるなってマンガでも言ってたじゃない」
「重愛の呼吸でもしてみせようか?」
にたぁと嗤うと、フィリアは右手を滑らせて英雄の顔へ。
親指で彼の唇をなぞり、熱い、重い、湿ったため息を一つ。
「ゾクゾクするねって言ったら信じるかい?」
「ばか、恐怖も快楽も感じていない癖に。よくもぬけぬけと言えるものだ」
「恐怖も快楽も感じていないけどね、生命の危機を感じてるから舌が回ってるって思わない?」
「それは恐怖ではないのか?」
「恐怖じゃないね、だってフィリアのそれは愛だもの。重いのも纏わりついて身動きとれないのも、とても君らしいけどさ。下手に暴走されると、僕だけじゃなくて君は自分で自分を傷つけて死にかねないじゃん?」
「ふん、実に英雄らしい言葉だ」
「気にくわない?」
「だから愛してる、けどじれったい」
彼女の言葉に、英雄は閃いて。
金色の糸を左手の指に巻き付けながら、彼女の白い顔の輪郭を撫でる。
「ああ、なるほど? 見えてきたよフィリア」
「本当に理解してるのかダーリン?」
「勿論さハニー。一年前のバレンタインは、僕への愛が押さえきれずに髪の毛や爪を入れて、僕の体の一部に、這寄フィリアという存在を刻み込もうとしたね?」
「ふふ、君ならば直ぐに正解にたどり着くと思っていた」
「んでもって、それだけじゃない」
「聞こう、続けろ」
「今年は、僕への愛が溢れて。愛しても愛しても三分の一も伝わらないから、体の一部を入れようとしていた」
「正解だ、だがもう少し自分の言葉で言って欲しかったぞ?」
「え、ダメ? あれは名曲だよね?」
「乙女心をもう少し学んで――――、いや英雄。君という奴は私の気持ちを削ぐ為に、わざと引用したな?」
「ありゃりゃ、お見通しってね。流石は僕のフィリア」
「嗚呼、嗚呼、アア、ああ、だからだっ! 君がそうやって躱すからっ!! 私をコントロールしようとするからっ!! 私の愛の行き場が無くなるんだっ!!」
「でもコッチで多少なりとも制御しないと、君ってば暴走するよね? それこそクラスの女子と話すどころか、栄一郎達と遊ぶのも、道行く誰かとすれ違うのも禁止するよね?」
「当たり前だっ! 私は今すぐにでも君の眼球を抉りだして食べてしまいたいっ!! この喉も潰してっ! 誰にも声を聞かせたくないっ!!」
英雄の喉を押さえる手に、力が込められる。
息苦しくないが、けれど重く、そして重く。
彼女の右手は彼の両目を覆い、その掌は熱く。
――しかして彼は、動揺一つ見せずに告げた。
「残念だね、それをしたら僕は君の姿を見れなくなるし、いずれ忘れてしまうかもしれない」
「――っ! このっ!!」
「本当に残念だ、目が見えなくなって、声も出せなくなって、全てをフィリアに支配されて生きてくのも一興だけど。僕としては、愛を言葉で伝えたいんだ」
「本気でっ!! 本気でそう言うから私はどうすれば良いか分からなくなるんだっ!! どれだけ体を重ねても、心の全てが埋まってもどこかで叫ぶんだっ! まだ欲しいと、もっと欲しいとっ!!」
「だから、自分の一部を僕に食べさせようと?」
「そうだっ! せめてもの方法すら君は咎めるのかっ!!」
「いやだって、僕の体に悪そうじゃない」
「ちょっとくらい平気だろう!!」
「そうやって譲歩すると、フィリアってば過激になっていく一方でしょ。どうせ直ぐに、自分の血やら肉やらを入れようとするに決まってる」
「それの何が悪いっ!!」
「とても悪い」
英雄は言い切った。
理由など考えるまでも無い。
「だってさ、僕は君が物理的に傷ついてまで愛を伝えて欲しくない、支配されたくない」
「ぐっ」
「それに良く考えて? そんな事をしたら、もし子供が出来たときに君の健康が危ないでしょ。僕もちゃんと働いて君とその子の為に稼ぎたいし」
「………………英雄は、独りよがりな愛だとは罵らないのだな」
「当たり前さ、愛ってばそもそも自分の気持ち。最初から独りよがりさ。勿論、僕がフィリアに向けるのもそうだよ? だから、ちゃんと受け止めて。お互いに歩み寄る事が大事だって思わない?」
「…………君は、本当に狡い。これでは私がただの我が侭で面倒くさい女ではないか」
「それは最初から気づいて?」
「ううっ、そんなにキッパリ言うなっ!!」
「まあまあ、そう落ち込まないで。んでもって、そろそろ僕の上から退いてくれない?」
「はぁ…………分かった」
のろのろとフィリアは動き、英雄が体を起こすのと同時に大の字で寝転がる。
「降参だ、チョコは普通に作る」
「分かってくれて嬉しいよ」
「それから、料理に私の下の毛を粉砕して混ぜるのも止める」
「………………うん?」
「ああ、そうだな。君のジュースに私の唾液を混ぜるのも止める」
「待って、ホント待って? え、え?」
「それから」
「まだあるのっ!?」
「寝ている君の顔に、私の使用済みパンツを被せるのも止める」
「ちょっと待ってっ!? そんな事もしてたのっ!?」
「後は…………」
「聞きたくないっ!? もう聞きたくないよっ!? フィリアってばマジで何してくれてるのっ!?」
「いや、だってだな。君は私のパンツが好きだろう? 伸びるから止めろと何度言っても、頭に被って遊んでいるじゃないか」
「それはホントごめんっ! 今日から止めるからっ! というかその前だよっ! 下の毛やた唾液混ぜてたやらっ!!」
「入れた日のメニューは好評だったじゃないか」
「それって、異物混入を誤魔化す為に特別に力入れて作ってただけじゃないっ!? 何時からなんだよっ!?」
「………………初日から」
「聞きたくなかった……マジでっ!! 同棲してから君へのイメージダウンが激しいんだけどっ!!」
するとフィリアも体を起こし、むすっと不満顔で。
「それは私の台詞だっ!! 英雄へのイメージは白馬の王子様だったんだぞっ! それを蓋を開けてみればどうだ? 校内では所構わず全裸になるしっ! 私生活はだらしないではないかっ!!」
「一人暮らしの高校生男子に、そんな夢見ないでっ!?」
「この際だから言わせて貰うっ! どうして初日から手を出さなかったのだっ!! 気遣うふりして、あんなにイヤらしい目で私を嘗め回す様に見ていた癖にっ! このヘタレがっ!!」
「そこは我慢した僕の理性を褒めて欲しい所だよっ!!」
「どこがだっ! どう考えてもOKサインだっただろうがっ!」
「さては僕が襲わなかったからっ、食事に異物混入してたねっ!!」
「愛の隠し味と言え!」
「言い方の問題じゃないよっ!! ああもうっ! 僕は怒ったよ! もう金輪際、君の作った食事は食べないからねっ! このクソ重ダメ女っ!!」
「言ったなっ!! 吐いた唾は飲めないぞ英雄っ!! ならば二度と君へ料理は作らないからなっ! そして材料も分けてやらん! 食べ物は自分で買ってこいっ!」
「言われなくてもそうする――――ん? ちょい待ち。今、この家にある食材って君持ちだったっけ?」
「そうだな、クリスマスに誕生日に結婚式イベントで、君のバイト代も貯金も底を尽いたからな。臨時的に私の持ち出しで買っているな」
「つまり?」
「はっ! 現在、この家に英雄の食べるモノは無いっ! 情けとして水道代と光熱費は容赦してやる! 精々、飢えに喘ぐと良いっ!!」
「くぅっ! 卑怯者めっ!!」
「何とでも言うがいい……。まあ、土下座して謝罪するなら考えてやっても良い。――それとも、私を力でねじ伏せて、DVでもするか?」
「フィリアの仕打ちこそDVだと思うけど? まあ良いや、そんな安い挑発には乗らないよ。君こそ忘れてないかい? 手作りポテチも作らないし、交代で作ってたお弁当や晩ご飯も作らないって事を」
「むむっ! ~~~~っ!! は、吐いた唾は飲み込めないんだっ!! 英雄が折れろっ!」
「嫌だね、フィリアが折れてどうぞ?」
「何だとっ!?」
「なにおぅっ!!」
二人は歯をむき出しにしてにらみ合って。
「ふんっ!」「へーんだ!」
同時に背を向けたのだった。




