9.本当の気持ちは?
レストランの出入り口からの階段を下りると、漆黒のバイクが道路脇に止めてあるのが見えてきた。ティルは瞳を輝かすと、そのバイクを指差しながら後ろを振り返った。
「イヴァンだって、聞いてたよね、さっきの強盗があのバイクを”持ってけ”って言ったこと。だから、あれはもう僕のものなんだ! 」
少年の姿をしているが、ティルは少女だ。それに、大型バイクに興味を持つタイプとは思えなかった。イヴァンは、腑に落ちぬ様子で、
「どういうつもりだ? ……まさか、さっきのレストランの騒動はあの闇の男の差し金か」
「う~ん、あれは、僕へのクリスマスプレゼントのつもりだったんだろうけど」
「どうりで事の次第が血生臭かったわけだ。しかしな、お前があんな重いバイクを手に入れても、乗ることなんてできないだろう」
「だからさ……」
ティルは、イヴァンの方にくるりと身を翻すと、満面の笑みを顔に浮かべた。その一瞬、少女の血の気のない白い頬が、クリスマスツリーの電飾に照らされ、仄かなピンクに染まった。
「イヴァンが前に乗って、僕を後ろに乗せてくれればいいんだ!」
灰色の瞳の男は、眉をしかめて少女を見やる。
「俺は大型バイクの免許は持っていないが」
「あははっ、すごい面白い冗談! 免許なんて必要ないでしょ。僕はあのバイクに乗って、クリスマスの町を思いっきりのスピードで走り抜けてみたい。ねぇ、いいでしょ。お願いだから」
少女の気まぐれに積極的に付き合うつもりもなかったが、特に断る理由もないかと、
「KAWASAKI ZEPHYR1100。日本製のバイクか。でかくて重くて熱い。選ぶにしても、よくもこんな屈強なバイクに目をつけたもんだ」
イヴァンは、苦い笑いを浮かべたが、
「後ろに乗りたきゃ勝手にしな。ただ、怖くなって降ろしてくれと言っても、ぶっち切りのスピードで走りだしたバイクはもう止めれなからな」
イヴァンとティルが乗ったZEPHYRが、さながらジェット気流ばりの風圧で聖夜の町を走り抜けてゆく。吹き飛んでゆく景色のキャンパスに赤や緑や銀や金のイルミネーションが光の線を描いてゆく。
「あははっ! 本当に僕たち、西風になったみたいだ!」
身をさすような凍えついた寒風も、イヴァンの背にしがみついていると温かく思えてくる。純白の光が彼の背中で煌めいた時、ティルは歓声をあげた。
その一瞬だけ、少女には天使の翼が見えたのだから。
舞いあがる羽をつかもうと、片手を上に伸ばす。その瞬間、
「ティル?」
不意に軽くなった背中の感触にイヴァンは、眉をひそめた。
砂粒が風に吹かれて遠くへ消えてゆく。
”天使を待っていたって無駄なんだよ。
だって、僕の体はとっくの昔に砂粒になって消えてしまっているんだから”
空になってしまったZEPHYRの後部座席。
けれども、イヴァン・クロウは漆黒のバイクのアクセルを吹かし続けた。
「ティル・ネーナ。俺はお前に何をしてやれる? 何をしてやればいいんだろう」
自問自答しても、答えは何も思い浮かばなかった。
その魂を救うことは、彼には到底できそうもなかったのだから。
* *
「はいはい、キース、あんたが好きなのは(私じゃなくて)雪景色なのは分かったから、クリスマスツリー作りの続きをやりましょ」
アトリエの窓にした、ミルドレッドはふくれっ面をさらしながら、感情のない棒読みの声で言った。
「次は私の順番ね、え~と、リンゴ。クリスマスツリーのリンゴは、アダムとイブのイブが食べた禁断の果実」
キャンバスのもみの木に、リンゴを描き入れたは良かったが、突然、不機嫌になってしまったお嬢様の態度に、キースは焦って、
だって、仕方ないだろ。ミルドレッドは、俺にとっても、食っちゃいけない禁断の果実……なんちゃって。
何だか、刺々しくなってしまった雰囲気を元に戻そうと、青年画家は精一杯の笑みを浮かべると、次にカラフルな絵具を取り出して、
「色とりどりのカラーボール。この色の意味は、俺だって、一応、知ってる。赤はキリストが流した血の色であり生命を。白は純潔、緑は常緑樹の永遠、そして、金と銀は、気高さを」
キャンバスの中の”もみの木”が、青年画家の絵筆に彩られて、みるみるうちに、美しいクリスマスツリーに姿を変えてゆく。その手際の良さと筆さばきにミルドレッドは目を見張った。そして極めつけは、キャンパスを見つめる全く曇りのない琥珀色の瞳。彼女はその輝きにめっぽう弱いのだ。
だって、ピータバロ・シティ・アカデミアをまともな学園にできずに行き詰っていた私たちを救ってくれたのは彼だったんだもの。
時々、無茶苦茶に無粋な奴なんだけど……キースは絵筆を握ると、みんなを幸せにしてくれる魔法使いみたい。
やっぱり、ミルドレッドの目には、青年画家がそんな風に映ってしまうのだ。
やっぱり、私、この人と結婚したい!
アトリエの鳩時計が午後6時を告げたのは、ミルドレッドが自分の願望を再確認した時だった。