6.迷える子羊
「キースっ、キースったらっ、何、ぼうっとしてんのよ。次にクリスマスツリーのオーナメントを考えるのは、あんたの番でしょ」
シティ・アカデミアの中庭に止めた漆黒のバイクを見つめて、黙り込んでしまった青年画家に、さすがに痺れを切らしてミルドレッドが言った。
「あ、ごめん」
「あのね、大概にしとかないと本当にボケるわよ」
ぷうっと頬を膨らませたお嬢様の声に、青年画家は顔を渋らせ、
20歳で、ボケてたまるかよ。
でも、自分自身にもどかしい思いがした。ピータバロ大聖堂が午後7時のクリスマス礼拝の鐘を鳴らす前に、このキャンパスのクリスマスツリーをきちんと完成させて、ミルドレッドとの事も、自分の将来も、もうはっきりとさせてしまいたいのに……。ふぅと吐息を出し、赤と緑の絵の具をパレットにしぼりだしてからキースは、
「次の飾りは……えっと、クリスマスツリーの定番といえば、こんな感じの”杖”かな」
赤と緑の縞模様の”逆Jの字”の形をくるんとキャンパスに描き出す。すると、”歩く蘊蓄娘”が、
「あら、お菓子っぽくって可愛い。でも、クリスマスツリーに飾る杖 ― キャンディケーン ― のもともとの意味は、羊たちが迷わないように導く羊飼いの杖なのよ」
「へぇ……それ、俺にもください」
「はぁ?」
「あ、いや……なら、蝋燭は、羊たちを招く聖なる光ってところかな」
「あっ、次は私の番なのに飛ばしたわね。でも、そんなところかな。キャンドルは光輝く星で、イエス・キリストを表わしているのよ」
「迷える子羊を羊飼いの杖が導くのは、神の御身の下か」
キースはちょっと複雑な顔をした。この時期は、街中に神様の愛が広がっていて、何となくその恩恵を皆がもらっているような気がしてるけど、クリスマスの羊飼いの杖は、前に自分の前に現れた幽霊のアンナや、連続殺人犯だったイヴァンたちでも分け隔てなく神様の下へ導いてくれるのかな……迷える子羊の仲間の数には、彼らも入っているんだろうかと。
いったん白の絵具に伸ばしたが、ふと気が代わり、キースは赤の絵具でキャンパスにキャンドルの絵を描き足した。
「あら、キャンドルの色は白じゃなくて赤にするの」
「うん。羊たちを招くクリスマスツリーのキャンドルがイエス・キリストだっていうんなら、その命の燈を灯す土台は白でなく、彼の血と肉を表わす赤でなければね」
血と肉の赤。口には出さなかったけれども、この時、キースの脳裏にはやはりイヴァンの影が映し出されていた。彼は常に血と闇の影を背負ってキースたちの前に現れた。けれども、あの男はずっと天使が空から降りてくるのを待っていて、そして、純白の羽根とともにどこかへ消えてしまったのだ。
「白い色は、イヴァンのために取っておこうと思って」
一瞬、表情を翳らせた少女を見やり、青年画家は少し肩をすくめてから柔らかな笑みを浮かべた。
ふと窓に目を向けると、外には小雪がちらちらと降りだしている。薄暮の空を背景に街燈の灯りに照らされた雪の白が眩しかった。
「わぁ、雪が降ってきた。ロマンチックね~。クリスマスに雪なんて、好都合……じゃなくて素敵」
アトリエの窓辺に歩み寄って、ここが勝負どころとばかりに、後ろを振り返る。
「あ、あのね、キース」
「なに、ミルドレッド」
「好きよ」
ああ、”超”お嬢様の私が、ついにこんな”貧乏画家”に告白しちゃった!
でもっ、でもっ、プライドなんて捨てて、ここで盛り上がればっ、一気にクリスマスのプロポーズに雪崩れこめるかもっ。
「えっと……」
青年画家との甘い聖夜を夢見るお嬢様の心臓が物凄い勢いで鼓動を打っている。けれども、
「ああ、うん! 俺もこういう雪景色ってすごく好き!!?
このクソ野郎ぉっ! また、はぐらかされたっ。
ミルドレッドは、アトリエの奥でくわんと鳴いたキースの相棒 ― パトラッシュ ― の方へ、目茶目茶に恨めしそうな視線を送るのだった
ああ、もう、羊飼いでも神様でもこの際、誰でもいいから、ここにいる迷える子羊をきちんとした場所に導いてよ!